飯島一孝ブログ「ゆうらしあ!」

ロシアを中心に旧ソ連・東欧に関するニュースや時事ネタを分かりやすく解説します。国際ニュースは意外と面白い!

プーチン大統領、予備役を動員、ウクライナに反撃するというが!

2022年09月22日 14時14分32秒 | Weblog

ロシアのプーチン大統領は9月21日、ロシア軍の予備役30万人をウクライナへ投入、反撃に出るとテレビで演説した。東部・南部の激戦地域でウクライナ軍の反撃に遭い、苦戦しているためだ。さらに、プーチン氏はウクライナ東部・南部の4州で、ロシアへの編入の是非を問う「住民投票」を行うと表明した。

プーチン大統領はこれまで、「特別軍事作戦」と銘打って、軍隊の一部を動員してウクライナの「非軍事化」と「非ナチ化」を目指してきた。これに対し、ウクライナのゼレンスキー大統領は戒厳令を発動し、18歳から60歳までの男性に総動員令を出して対抗してきた。

両国の人口と兵力を比べると、ロシアの人口約1億4500万人に対し、軍人は約85万人。一方、ウクライナは人口約4400万人に対し、軍人は約20万人と約4分の1だ。今回、ロシアは総動員令ではなく、部分的な動員令を発令し、予備役30万人が対象になるとしている。だが、一部には100万人の予備役動員を目指しているとの報道もある。

さらに、プーチン大統領は演説の中で「今後、ロシア領の統一性が損なわれる恐れがあれば、あらゆる手段で対抗する」と述べ、核兵器使用の可能性を指摘した。しかも、「これはハッタリではない」と、明白に恫喝しているのだ。

一方のゼレンスキー大統領も、停戦交渉について、こう反論している。「ロシアがウクライナの領土から去る場合のみ、交渉が可能になる」。これでは、両国が交渉のテーブルにつくのはますます難しくなったと言えよう。

住民投票については今回、ロシア系住民が多い4州で実施され、投票後、プーチン大統領に結果の承認を求めるという。これはロシアが2014年、やはりロシア系住民が多い南部クリミア半島で実施し、ロシア領に編入したのと同じやり方だ。もちろん、国連憲章に反し、本来許されないやり方だ。

プーチン大統領がこうした手段に出たのは、ウクライナ軍の反撃が予想以上に激しく、このままでは冬が来る前に、ロシア軍の敗色が濃くなるとの危機感からだろう。だが、やみくもに予備役を動員しようというやり方に、ロシア全土で抗議デモが広がりつつある。さらに、一刻も早く国外に脱出しようというロシア国民が急増しており、空港周辺では警官らと脱出組との間で小競り合いも起きている。

これまでは、米国とロシアの間では、核戦争に発展しないように、いくつかの歯止めがかけられてきたと言える。だが、プーチン大統領がここまで強気に出ると、米国、さらには欧米諸国も黙って見ているわけにはいかないだろう。冬を目前にして、ロシア・ウクライナ情勢は混沌とした状態になりつつある。(この項終わり)

 

 

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ロシア、対ウクライナ戦争で「大敗北」の可能性も!

2022年09月13日 09時27分27秒 | Weblog

ロシア軍はウクライナ東部と南部の激戦地帯で、ウクライナ軍の攻勢を受けて後退を続けており、戦局の潮目が大きく変わったとの見方が強まっている。このため、ロシア国内で「反プーチン」の動きが活発化していて、今後冬に向かって事態が大きく変わる可能性も出てきた。

ロイター通信などによると、ウクライナ軍は9月11日までに、ウクライナ北東部のハリコフ州の都市、イジュームをロシア軍から奪還した。この都市は、ロシア軍が戦略拠点として利用している東部の軍事的要衝で、ロシア軍にとって3月の首都キーウ(キエフ)からの撤退以来の「大敗北」と伝えている。

ゼレンスキー・ウクライナ大統領は「反撃開始以来、約2000平方キロの領土を奪還した」と主張している。また、米シンクタンクは「ウクライナ軍が奪還した領土の面積は、4月以降にロシアが占領した全面積より大きい」と伝え、ウクライナ軍が反転攻勢を強めていることを強調している。

戦況の変化に伴って、ロシア国内での反プーチンの動きも強まっている。首都モスクワのロモノソフスキー地区議会ではプーチン大統領に辞任を要求。サンクトペテルブルク市の市民グループは、大統領に国家反逆罪の告発を議会に行うよう提案した。

この戦況の変化について防衛研究所の兵頭慎治氏はテレビ朝日の番組で「ウクライナ軍にとって、ロシア軍をキーウから撤退させたことに次ぐ大きな成果だ。これにより、ロシアは東部ドネツク州の完全制圧という最低限の軍事課題も難しくなり、戦局の潮目が大きく変わった可能性がある」と指摘している。

こうした状況が続けば、ロシアが核兵器の使用に踏み切る恐れもある。米国は今後もウクライナと東欧など近隣諸国に総額22億ドル(約3170億円)の軍事支援を行う意向を示しているが、ロシアを追い詰めすぎても禍根を残しかねない。これから冬に向かい、米露とも難しい判断を迫られそうだ。(この項終わり)

 

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冷戦終結に導いたソ連初の大統領、ゴルバチョフ氏死去。巨星墜つ!

2022年09月03日 17時36分22秒 | Weblog

旧ソ連大統領のミハイル・ゴルバチョフ氏が8月30日、病気のためモスクワで死去した。享年91。1980年代半ばに機能しなくなったソ連型社会主義を立て直す「ペレストロイカ」政策を推進。米国との冷戦状態を解消し、民主化を進めたが、1991年8月のクーデター未遂事件で失脚した。

ゴルバチョフ氏はロシア南部のスタブロポリ地方に生まれた。秀才が集まるモスクワ大学法学部を卒業し、郷里で共産党官僚の道へ進んだ。1971年、中央委員に引き上げられ、85年に54歳の若さでトップの党書記長に登りつめた。当時ソ連はアフガニスタンへの軍事介入が泥沼化し、政治、経済とも疲弊していた。

ゴルバチョフ氏は個人営業を認めるなど、経済改革を推進する一方、チェルノブイリ原発事故が引き金になった情報公開(グラスノスチ)路線を進めた。一方、外交では「新思考外交」を推進し、米国など西側諸国との協調を進め89年末、米国とともに冷戦終結を宣言した。この功績により、ノーベル平和賞を受賞した。

外交では、冷戦後の緊張緩和に大きく貢献したが、内政面では共産党の一党独裁廃止、ソ連大統領への就任などで党内保守派の反発を招き、クーデター未遂事件で権力を失った。その後はゴルバチョフ基金総裁として国内外で評論活動を展開したが、国民的人気はイマイチ盛り上がらなかった。

その理由は、ゴルバチョフ氏の理想が高すぎて人々がついていけない面があったうえ、理想を実行に移すのが早すぎたともいえよう。ゴルバチョフ氏も最後まで社会主義にこだわり、民主主義との調和に苦労したが、頭でっかちの英才の面があったことも否定できない。

ゴルバチョフ氏は、日本へは3度来ている。1度目は91年4月の公式訪問で、海部首相と会談した。大統領退任後の92年と93年にも、いづれも桜の花が咲く時期にやって来た。3度目の時は、「日本の春は満開の桜に象徴される絢爛豪華で、非の打ち所のない、完全な美しさである」と『ゴルバチョフ回想録』(新潮社)に書いている。日本のサクラの花の美しさに打たれたに違いない。

ゴルバチョフ氏の退任後、エリツィン、プーチン両氏がロシア大統領に就任している。2人とも日本的感覚からすると、相手を力でねじ伏せようというタイプで、ゴルバチョフ氏とは真逆な性格といえる。筆者はロシアで特派員として6年間働いたが、ロシア人は元々こういう性格の政治家を好むようだ。だが、ゴルバチョフ氏のような指導者が現れないと、ロシアの国際的な地位は今後も上がらないのではないだろうか。(この項おわり)

 

 

 

 

 

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