飯島一孝ブログ「ゆうらしあ!」

ロシアを中心に旧ソ連・東欧に関するニュースや時事ネタを分かりやすく解説します。国際ニュースは意外と面白い!

クリミア半島編入1年:ロシア国民の高揚感は冷めつつある!

2015年03月26日 17時08分26秒 | Weblog
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ロシアがウクライナのクリミア半島を自国領に編入してから丸1年。それを機に世論調査を行ったところ、愛国主義的な興奮状態が冷め、編入に疑問を持つ人が増えつつあることが分かった。このため過去最高に上昇したプーチン大統領の支持率にも微妙な影響を与えそうだ。

この世論調査は、中立系の調査機関、レバダ・センターが3月中旬に全国で1600人を対象に行われ、23日付けの独立新聞(電子版)にその結果が掲載された。それによると、クリミア編入による「歓喜と正義の気持ち」を感じる人が1年前に比べ31%から28%にダウン。「喜び」も19%から14%に、「国家の誇り」も34%から32%に減った。その半面、「特別の感情はない」と答えた人が7%から12%に増えたという。

また、プーチン大統領のこの間の行動について「ロシア系住民を守るため」と評価する人は62%から55%に下がり、「ウクライナの秩序と安定を維持するため」とみる人も39%から33%に減った。その半面、「ロシアの領土を取り戻すためだった」とみる人が32%から40%に増えたという。

さらに、クリミア編入の賛否を尋ねたところ、1年前は「肯定的、どちらかというと肯定的」と答えた人は75%だったが、現在は69%に下がった。その反面、「否定的、あるいはすべきでなかった」と答えた人は16%から19%に増えた。とくに編入を積極的に支持した人が1年前に比べ8ポイント減っているのが目立っている。

この調査結果についてレバダ・センターのグドコフ所長は「クリミア編入の高揚感が明らかに下がってきている証拠だ。愛国主義的な興奮が終わり、否定的な結果が出てきており、プーチン大統領の支持率にも影響を与えるかもしれない」と分析している。

また、政治専門家グループのカラチェフ代表は「クリミア編入の効果は全体としては残っているが、経済面での利益を疑問視する人が増えている。また、3人に1人はウクライナの分裂の可能性を容認しているのが目立っている」と話している。

プーチン大統領はクリミア編入を強引に進めた理由として国民の支持を一番に挙げているが、この世論調査はその根拠が崩れつつあることを示している。その上、クリミア編入による経済の悪化が進行すれば国民の支持は離れていく。大統領にとってこれからが正念場だ。(この項おわり)
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プーチン大統領の“所在不明”騒動は一件落着したが…!

2015年03月17日 11時15分00秒 | Weblog
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ロシアのプーチン大統領は16日、11日ぶりに公の場に姿を現わし、重病説や失脚説を否定した。大統領は「ゴシップがないとさびしいでしょう」と記者団に冗談を言い、この間の“所在不明”騒動を説明なしで押し切った。だが、こうした独裁者的な態度にメディアから「大統領といえども国民に選ばれた管理者なのだから」と、たしなめる声も出ている。

プーチン大統領は16日、ペテルブルグでキルギスのアタンバエフ大統領と会談、その一部を記者団に公開した。その場でアタンバエフ大統領は、会談前にプーチン大統領自身の運転で会場周辺を案内してもらったことを紹介、プーチン氏の健康に問題がないことをアピールした。

インタファクス通信によると、会談後、ペスコフ・ロシア大統領報道官は「大統領に関する噂については今後一切コメントしない」と宣言。さらに、この間のメディアの報道を列挙して「大統領はへとへとになっていたか、将軍たちに拘束されていたか」と皮肉っぽく質した。さらに、愛人との間にできた子供の出産に立ち会うためスイスへ行ったとの噂についても「事実ではない」と言い切ったが、大統領が実際に何をしていたかの説明はなかった。

ともかく、大統領が元気に公の場に姿を現し、世界のメディアをあわてさせた騒動は一件落着した。だが、野党指導者ネムツォフ元第一副首相が暗殺された直後の所在不明だっただけに、旧KGBの連邦保安庁とチェチェン共和国・カディロフ首長一派との権力闘争説や軍部の陰謀説などが依然としてささやかれていて、真相は不明のままだ。

今回の騒動を巡って中立系の独立新聞は17日付けの電子版で「大統領の不在と社会の政治的成熟について」と題する記事を載せ、「現代民主主義社会では大統領は独裁者ではなく、国民に選ばれた管理者。運用している金も国民の税金なのだから、国民に関心のある様々な情報を開示すべきだ」と指摘した。プーチン大統領は過去最高の支持率を取り付け、少し増長しているのではないかと苦言を呈した形だ。

プーチン大統領は一昨年秋からのウクライナ危機への対応を一手に引き受け、米欧側に強硬な姿勢を取り続けている。クリミア半島を巡っては核兵器まで準備させ、無理やり併合を実現させた。今のところ、こうした強引さが成功しているが、このまま国民を無視して暴走すると大変なことになりかねない。今回の騒動はそんな危惧を世界に感じさせたのではないだろうか。(この項おわり)


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プーチン大統領の“所在不明”で死亡説から失脚説まで飛び交う!?

2015年03月15日 00時01分15秒 | Weblog
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ロシアのプーチン大統領がここ数日間、公衆の前に姿を現さないことから、死亡説や失脚説、あるいは生まれた子供に会いに外国に出かけたという、まことしやかな噂が飛び交い、大統領府はそれらの火消しに大わらわだという。

この騒動のきっかけは、予定されていたプーチン大統領のカザフスタン訪問が先週、公式な説明なくキャンセルされたり、グルジア・南オセチアの代表団とのモスクワでの面談が突然延期されたりしたことからだ。このため記者団は大統領府内を駆け回って居所の確認をしようとしたが、つかめていないという。

ペスコフ大統領報道官は12日、記者団に「大統領は健康で、いつも通り執務している」と答えたが、騒動は収まるどころか、エスカレートするばかり。ネットを通じて「大統領は亡くなった」「大統領は追放された」さらには「エイリアンに誘拐された」という珍説まで登場している。

一部でかなり信じられたのは、アテネ五輪・新体操の金メダリスト、アリーナ・カバエワさんとの間に子供が生まれ、その子に会いにスイスへ行ったという噂だった。大統領は一昨年、長年連れ添ったリュドミラ夫人と離婚、それ以来、カバエワさんと交際しているとの報道が流れていたが、大統領府はその都度、否定している。

そのほか、執拗にユーチューブで流れているのは、男2人がプーチン大統領のお墓の周りでコサックダンスを踊っている映像で、13日夜だけで9万3千回も流れたという。悪ふざけに近いものも少なくなく、大統領府は沈静化に苦労しているようだ。

プーチン大統領はウクライナ紛争で欧米の強い反対を押し切り、クリミア半島を併合し、支持率が過去最高の88%にまで上がったとされる。その一方でこうしたバカ騒ぎが起きるのはなぜなのだろうか。野党指導者ネムツォフ氏の暗殺などで国民の間に将来への漠然とした不安が高まっているのかもしれない。(この項おわり)

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ロシアの野党指導者暗殺犯は本当にイスラム関係者か?

2015年03月10日 15時59分35秒 | Weblog
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ロシアの野党指導者ネムツォフ元第1副首相(55)を暗殺した疑いでカフカス地方出身の軍人を含む5人が逮捕されたが、これら容疑者が本当に関与したのかどうか、疑問の声が上がっている。野党側は、プーチン政権がイスラム過激派の犯行として早期幕引きを図っているとの見方を強めている。

捜査を進めている連邦捜査委員会は事件直後、ネムツォフ氏がフランスの風刺週刊紙シャルリーエブドへのテロを非難したことから脅しを受けていたとして、イスラム過激派による犯行の可能性を示唆していた。逮捕された5人は、いずれもイスラム過激派の活動が活発なロシア南部カフカス地方出身者である。

その中でも中心人物とみられているダダエフ容疑者は、チェチェン内務省所属の治安部隊「セーベル(北)」大隊の副司令官で、すでに殺害の関与を認めているという。チェチェン共和国の最高司令官、カディロフ首長は8日、この容疑者について「信心深いイスラム教徒で、シャルリーエブドに衝撃を受けていた」と語っている。

この発言は、ダダエフ容疑者の犯人説を後押ししたものと受け止められている。カディロフ首長はプーチン大統領に忠誠を誓い、その後押しを受けてチェチェン共和国を支配しているとされる。今回はタイミングよく写真共有アプリ「インスタグラム」に投稿した。

これに対し、ロシアの英字紙モスコータイムズは9日付けの新聞(電子版)に、ネムツォフ氏が生前、この事件に関し、どのような発言をしているかを列挙し、これらの発言が本当に死につながったのかどうか、問題提起をしている。うち2つを例示する。

・「ヨーロッパの人々の多くはこの事件を理解していない。結果として(フランスの極右政治家の)ルペン氏が勝利するだろう」(1月8日、フェイスブック)
・「今我々は中世のイスラムの徹底的な取り調べを目撃している。何世紀も立ってイスラムが成熟すれば、テロリズムは過去のものとなるだろう」(1月9日、ラジオ「モスクワの声」)

これらを読んでも、普通の識者のコメントと変わらない。とてもイスラム過激派が暗殺するほどの内容とは思えない。もし政権側の犯行とすれば、本当に隠したかったのはネムツォフ氏が入手したとされるウクライナ紛争に絡む秘密資料だろう。本命から世間の目を逸らし、イスラム過激派に目を向けさせようという意図を感じるのは私だけだろうか。(この項おわり)



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プーチン露大統領の年内訪日に向け準備を急げ!

2015年03月04日 10時22分56秒 | Weblog
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日露関係の当面の焦点であるプーチン大統領の訪日はいつ実現するのだろうか。日露双方とも早期実現を目指しているが、その前提となる岸田文雄外相の訪露の時期が未定のままだ。これに対し、ロシア外交関係者は「大事な交渉を控えているなら早く来てしかるべきだ」と語り、早期訪問を期待している。

プーチン大統領の訪日は安倍政権の重要課題で、当初は昨年中に実現する予定だったが、ウクライナ紛争の勃発で延期された。昨年11月9日、APEC首脳会議先の北京で会談したプーチン大統領と安倍首相は、今年(15年)の適切な時期の訪日に向けて準備を始めることで合意している。

ロシア外交関係者は、プーチン大統領の訪日の時期について「今ボールは日本側にある。(大統領訪日の前提となる)岸田文雄外相の具体的な訪露の提案はまだない。日本側の提案を待っている」と述べた。

また、外相訪露の障害とされるウクライナ紛争について同関係者は「ウクライナ紛争は内戦であり、ロシアとは関係ない。だから、紛争は日本との平和条約交渉とは全く関係ない」と語り、日露関係には影響しないとの立場を強調した。

続けてロシア外交関係者は岸田外相の訪露の時期について「何時でも良い。大事な交渉なら(日本側は)早く来てしかるべきだ」として、北方領土交渉に向け外相の早期訪露を求める考えを示した。

だが、日本政府はウクライナ紛争でG7諸国と協調してロシアに対し経済制裁を行っており、この時期にプーチン大統領の訪露に向けた動きを公然と行うのは時期尚早との考えが大勢を占めている。しかも、現在はウクライナ東部の停戦が実施できるかどうかの瀬戸際にあり、様子見の段階だ。

一方、ロシアとしては原油安と西側の経済制裁による逆境を跳ね返し、極東重視の政策を実行するためにも日本との関係を早急に強化したいというのが本音だろう。日本側はこの際、外相訪露を早く実現し、ウクライナ紛争の早期解決を求めるとともに、プーチン大統領訪日の準備も急ぐべきではないか。米欧に気兼ねして好機を逸してはならない。(この項おわり)




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「民主派の旗手」ネムツォフ氏の暗殺は反プーチン派への厳しい警告か!

2015年03月01日 23時32分13秒 | Weblog
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<暗殺されたネムツォフ氏(右)=2010年9月、筆者写す>

プーチン大統領が圧倒的支持を集めるロシアで、民主化を掲げるボリス・ネムツォフ氏(55)は「反プーチン」の立場を貫き、闘い続けた。さらに、親日家で北方領土問題に理解がある政治家だった。ロシアにとっても、日本にとっても惜しい人物を亡くしたといわざるを得ない。

1日は、ネムツォフ氏らが呼びかけたウクライナへの軍事介入反対の「反戦集会」だったが、同氏の暗殺を受け、急きょ追悼デモに転じた。モスクワ中心部で行われた集会・デモには約2万人(独立新聞)が参加、ネムツォフ氏の死を悼んだ。主催者らは「(ネムツォフ氏への)銃弾は我々全員に向けられたもの」と大書した横断幕を掲げて行進した。ロシアの民主主義自体が狙われたという危機感が強く感じられた。

ソ連が解体し、ロシアが民主主義・市場経済への歩みを始めた1990年代初め、ネムツォフ氏は中部のニジェゴロド州知事として実績を上げ、当時のエリツィン大統領に中央に引き上げられた。40代の若さと人懐こい性格で人気を集め、一躍エリツィン政権の若手の星になった。そのうえ、第一副首相に登用され、経済改革の先頭に立った。

対日関係でもエリツィン大統領の右腕として北方領土問題に関与した。大統領が97年、橋本竜太郎首相をシベリアに招いて行ったクラスノヤルスク首脳会談では、ネムツォフ氏も同席し、日本側と「2000年までの平和条約締結に全力を尽くす」ことで合意、交渉は大きく前進した。我々ジャーナリスト一行が2010年9月にモスクワを訪問した際、ネムツォフ氏にこの時の状況を尋ねた。同氏は「エリツィン大統領は会談で4島全部を返してもいい、と言ったが、大統領はかなり酔っていたので、合意文書を作成しようとするのを必死に止めた」と話していた。真実かどうかは不明だが、エリツィン大統領は本気で領土問題を解決しようと考えていたのは間違いないようだ。

ネムツォフ氏はプーチン大統領が誕生した00年以降は、強権・大国路線を突き進むプーチン氏に反旗を翻し続けた。我々がインタビューした10年当時、同氏は「野党はプーチン政権によって事実上政治活動を禁止されているので、街頭で行動するしか方法がない。私はこの1カ月半の間に3回逮捕された」と語り、プーチン支配体制を厳しく批判した。さらに、「テレビなどマスメディアはすべてプーチンの統制下にあり、我々野党活動家はテレビにも出られない」と嘆いていた。

ネムツォフ氏の暗殺が誰の指示によって行われたか、まだはっきりしないが、ウクライナ紛争を巡りプーチン政権への批判を許さないという厳しい警告であることは間違いない。民主派にとっては、プーチン政権に刃向うものは誰でも殺害するというメッセージと受け取られている。このメッセージが独り歩きし、テロが横行することが一番怖い。プーチン大統領の慎重な言動が求められている。(この項おわり)
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