飯島一孝ブログ「ゆうらしあ!」

ロシアを中心に旧ソ連・東欧に関するニュースや時事ネタを分かりやすく解説します。国際ニュースは意外と面白い!

久々にロシアらしい映画「マチルダ 禁断の恋」を鑑賞!

2018年12月15日 08時59分23秒 | Weblog
ロシアの誇るマリインスキー・バレエ団が、豪華絢爛なエカテリーナ宮殿を舞台に展開する最も切なく、最も官能的な恋ーーー。そんなキャッチフレーズで宣伝されたロシア映画「マチルダ 禁断の恋」が公開された。遅ればせながら私も観たが、帝政ロシア時代を彷彿とさせる映画であり、色々な仕掛けもあって文句なく楽しめた。

映画の主人公は、ロシア最後の皇帝ニコライ2世と、若くて可憐なバレリーナ、マチルダ。映画的にはマチルダの美しさと、皇帝と繰り広げられる愛憎劇に目を奪われがちだが、ソ連が崩壊する1990年代にモスクワ特派員を経験した私としてはロシア革命100年と、皇帝一家殺害から100年という歴史の節目に製作・公開されたことに注目したい。

そもそも封建時代が長かった農業大国ロシアで、なぜ世界初の社会主義革命が起きたのか。当時皇帝だったニコライ2世に大きな失政があったのではないか。皇太子時代に日本を旅行し、大津で巡査に切りつけられたニコライ2世が日露戦争を起こした最大の理由はなんだったのか。こうしたロシアの大きな歴史的転機に、統治者だったニコライ2世の権力と人間性を改めて考えさせられた。

映画を見てしみじみ感じるのは、ニコライ2世の優柔不断ぶりと、マチルダの自由奔放で何が何でも初心を貫き通そうという強い意志である。2人のアンバランスな性格が禁断の恋を成就させなかったばかりか、結果としてロシア帝国を破滅に追いやったというのは言い過ぎだろうか。この”世紀の恋”をつい最近まで知らなかった小生にとっては、新たな視点を思い出させてくれた映画とも言えよう。

この映画の上映を巡ってロシア本国で賛否両論が起き、騒乱にまで発展したことはよく知られているが、マチルダ役を演じたミハリーナ・オルシャンスカがポーランド人とは知らなかった。ロシア人とポーランド人の仲の悪さは今に始まった事ではないが、それを乗り越えて主役にポーランド人を起用したのは英断と言っていいのではないだろうか。

こうした様々な話題を提供してくれるロシア映画だが、私が新宿・武蔵野館で鑑賞した際、公開したばかりなのに観客の入りが少なかったのが気になった。日露間の戦後70年をこす懸案である北方領土問題が大きな転機に差し掛かっている折でもあり、ロシア映画を通じて日露関係を振り返ってみるのも一興ではないかと思う。この拙文を読んだ方が映画館に足を運んでいただければ幸いである。(この項おわり)



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北方領土交渉への過度の期待は禁物!

2018年12月03日 14時07分43秒 | Weblog
日露間の懸案である北方領土問題をめぐり、安倍首相とプーチン大統領は12月1日の会談で、今後の交渉の担当者などの人的枠組みを決めた。これにより、領土交渉は北方四島のうち、「歯舞・色丹の2島返還プラスアルファ」をベースに本格的に進められることになった。

このことは、戦後自民党政権が主張し続けてきた北方四島返還の旗をおろし、最大限2島返還と残る国後・択捉2島の共同経済活動で決着をつけようということになる。ただし、これによって2島が日本に帰ってくると考えるのは早計である。プーチン大統領は一度も島を返還するとは言っていない。そればかりか、「島の主権は今後の交渉次第」と常に釘を刺しているからだ。

そもそも両首脳は11月14日の会談で「日ソ共同宣言(1956年)を基礎に交渉を加速させることで一致した」と日本側は発表しているが、ロシア側は「加速」ではなく、「活性化させる」という表現を用いているという。この表現の微妙な違いに両首脳の思いが図らずも見え隠れしている。安倍首相としては自分の任期中に決着をつけたいという思いが強く、こうした前のめりの表現になったのだろう。

一方、プーチン大統領とすれば、ウクライナ問題で西側の反発が再び強まっている時期だけに、日本側を北方領土問題でロシア側に引き止めておきたいという戦略的発想があるからに違いない。大統領のこうした“したたかさ”を忘れてはならない。

もう一つは、ロシアが最近、米国との対立を強めており、核兵器体制を強化しようとしている点である。ロシアの対米核抑止力を左右するオホーツク海への出入り口にある千島列島を簡単に返還することは考えられない。もちろん、日本側に日米同盟を破棄するという選択肢があれば、ロシア側も検討するだろうが、安倍政権にはそういう選択肢はあり得ないだろう。もし、安倍政権がそれを考えているとしても、米国側が直ちに認めるわけがない。

そう考えれば、安部首相の本心は任期内の決着というより、本格的な交渉をしている状態を継続することのように思えてくる。安倍首相の最大の目標だった憲法改正が難しくなった今、残るは北方領土しかないという思いがあるのではないだろうか。首相個人の人気維持、あるいは任期の期限切れに起きるレームダック化を防ぐために領土交渉が使われるとすれば、国民にはまたしても裏切られたという思いが残るだろう。

もし、首相が本気で北方領土問題を解決しようというのであれば、きちんと国民に交渉経過を説明し、理解を求めるべきではないか。それを曖昧にしたまま、国民の頭越しに領土交渉の決着を急げば、国家百年の計を危うくしかねない。安倍首相が有終の美を飾りたいと心底願うなら、国民に対してもっと謙虚になるべきだ。
(この項終わり)
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