飯島一孝ブログ「ゆうらしあ!」

ロシアを中心に旧ソ連・東欧に関するニュースや時事ネタを分かりやすく解説します。国際ニュースは意外と面白い!

ロシア大統領選の“第3の候補”、政権与党目指す政党党首に就任!

2011年06月27日 09時22分42秒 | Weblog
 来春の大統領選の有力候補とみられている新興財閥オネクシム・グループ総裁のミハイル・プロホロフ氏が右派政党「正義」の党首に就任した。46歳の若さで有力財閥を率いるプロホロフ氏は、メドベージェフ大統領、プーチン首相に続く第3の大統領候補との呼び声が高く、膠着しているロシア政界の台風の目になりそうだ。

 「正義」の党大会は25日開かれ、新党首に新興財閥の現役社長であるプロホロフ氏を選出した。政権寄りの同党は最初、クドリン財政相を党首に担ぎ出そうとしたが失敗、次にシュワーロフ副首相に目を付けたがプーチン首相の反対でいずれも成功しなかった。そして3人目でようやく決着した。最終的にプーチン首相がオーケーを出したと見られている。

 新党首はモスクワ生まれの46歳で、長身でハンサム。いわゆるイケメンである。国立モスクワ財政大学の国際経済関係学部を卒業し、軍隊勤務の後、国際経済協力銀行に入行。その後、投資銀行オネクシム系列の銀行勤務を経て07年、オネクシム銀行グループの総裁に就任した。

 プロホロフ新党首は就任演説で、「政権政党は少なくとも2つ必要だが、今は1つしかない。我々は政権政党として活動しなければならない」と述べ、今年暮れの下院選挙で与党「統一ロシア」に次ぐ第2党を目指すことを宣言した。

 大会後の記者会見で、次期大統領選に立候補するかどうか聞かれ、「下院選の結果次第だが、首相の仕事をよく知っているので、指名されれば断らない」と述べ、首相就任に意欲を見せた。また、与党「統一ロシア」と連立を組む可能性についても否定しなかった。

 現在、下院では「統一ロシア」が3分の2の議席を占め、自由民主党と公正ロシアもほぼ政権側の政策に賛成し、野党は共産党だけという状態だ。ただ、下院選では7%以上の得票率がないと議席を獲得できない仕組み。まず、この壁を突破できるかどうかが鍵となる。

 今春の地方選挙で与党の得票率が落ちているうえ、与党党首であるプーチン首相の支持率も低下傾向にある。それだけにプロホロフ新党首が旋風を巻き起こせば、下院選で第2党になる可能性はある。その余勢をかって大統領選に出馬すれば、台風の目にならないとも限らない。ロシアの政界もいよいよ面白くなってきた。 
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今年の夏は、日露友好のシンボルになっている沼津市の「戸田(へだ)港祭り」を見に行こう!

2011年06月20日 08時49分03秒 | Weblog
 新幹線・三島駅で下車して車で山道を約30分走ると、穏やかな戸田港が見えてくる。ここが156年前の幕末期、安政の大地震で沈没したロシア軍艦に代わる洋式帆船を日露の船大工らで建造した歴史的場所である。梅雨の晴れ間の19日、建築業を営みながら日露交流を実践している戸田文化協会会長の山口展徳さんに戸田を案内していただいた(写真は「ヘダ号進水式の図」を前に語り合う山口展徳さん(左)と中村喜和さん)。

 案内してもらったのは、来日ロシア人研究会元代表の中村喜和・一橋大学名誉教授、中尾千恵子・マルナカインターナショナル社長と私の3人。中村さんは約50年前から戸田に関係する日露交流史を研究しているが、中尾さんと私は初めてこの地を訪れた。中尾さんは今は近くの熱海市に住んでいるものの、私は戸田についてにわか勉強をして東京から駆けつけた。

 その昔、戸田は人口約3千人の漁村で、豊かな漁場をバックに静かな生活を満喫していた。ところが、1854年12月23日朝、マグニチュード8・4(推定)の東海大地震が発生、それに伴っておきた津波と併せて甚大な被害を被った。そればかりか、ロシアからプチャーチン提督率いる外交団を乗せた軍艦ディアナ号が伊豆下田に停泊中、津波の直撃を受け大破。修理のため戸田に移動させようとして津波に続く暴風雨で駿河湾内で沈没してしまった。

 困ったロシア側は戸田で代用船を建造することを決意し、日本側の協力を求めた。当時江戸幕府は鎖国を実施していて、大型船の建造は御法度だったが、開明性のあった老中阿部正弘はロシアの洋式船の建造を許可した。このため村にはロシア人の乗組員約500人がバラックを立てて住んだほか、日本のあちこちから船大工ら100人が集まり、一大造船基地になった。ディアナ号の沈没で設計図面はすべて失ったが、たまたま軍事科学雑誌に帆船の設計図が載っていて、造船に詳しい軍人らが100トンの洋式帆船を設計。これを元に日本人の船大工らが建造にあたり約100日で完成させた。

 その頃、戸田の現場を訪れた米国人が「まさしくこれが造船所だ」と驚くほど活気づいていた。なんといっても日本にとっては初の西洋帆船の建造で意気が上がったのだろう。このあと同型の船が戸田で6隻、石川島で4隻建造され、日本各地で活躍した。この間、プチャーチンは江戸幕府と日露修好条約の交渉を続け、北方4島を日本領とする条約を締結した。そしてプチャ-チンら士官50人は新造の帆船「ヘダ号」に乗って帰国、そのほか水兵らはドイツ船などに分乗して祖国へ帰還した。

 我々一行は山口さんに造船郷土資料博物館へ案内してもらい、ヘダ号の模型やディアナ号で提督らが使っていた食器類などの遺品を見学した。我々の目を引いたのは、当時の日本人画家が描いた「ヘダ号進水式の図」と題された大作。ロシアの提督ら要人の姿と名前が書き込まれ、当時の様子を知る貴重な資料と言える。また、安政の大地震の状況や被害がよくわかる資料もいくつか展示されていた。

 このほか、プチャーチンが宿泊していた宝泉寺、日露修好条約の追加交渉が行われた大行寺、幕府側の宿泊所の蓮華寺などを見学した。この日はあいにく厚い雲が垂れ込め、霧があったため富士山は見れなかったが、戸田港から見る富士山は最高だと山口さんが説明してくれた。港内は直線距離で8百米といい、外洋と遮断されていて波がなく、天然の良港だった。この港を造船の適地として選んだのはロシア人自身と聞いて二度びっくりした。

 戸田港では7月23日(土)、にぎやかに「戸田港祭り」が行われる。今年は東日本大震災で自粛ムードが強いが「がんばれ日本人。 東日本大震災復興応援イベント」として行うことになったという。メーンイベントは、プチャーチンに扮したロシア人の行列やロシアの民族楽器バラライカの演奏会で、ロシア色が強い祭りになりそうだ、戸田観光協会の川合健次会長は「出来るだけ多くの方に来ていただいて戸田の良さを知ってもらえたら」と話していた。我々も何らかの形で協力したいと申し出た。この夏は戸田に出かけて、暗い日本を吹っ飛ばそー!!

 
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ホドルコフスキー元石油大手ユコス社長の移送先判明、ロシア極北のカレリア共和国刑務所で服役へ!

2011年06月16日 11時32分39秒 | Weblog
 10日以来、モスクワの拘置所から姿を消していた元石油王のホドルコフスキー元ユコス社長は15日、移送中のロシア北部ボログダで確認された。インタファクス通信が伝えたもので、ロシア北西端のカレリア共和国に移送され、そこの刑務所で服役することになるという。

 ホドルコフスキー元社長はプーチン大統領(現首相)時代、大統領の「政敵」とみなされ、脱税などの罪で逮捕・服役したが、刑期が切れる直前に別の罪でさらに刑期を追加、17年まで服役することになった。これに対し、元社長側は仮釈放を申請していたが、裁判所でその審理が始まる前に刑務所に移送されたが、移送先については弁護人にも家族にも伝えられていなかった。

 元社長はいったんボログダに移送され、さらに15日、カレリア共和国に向かって出発した。法務当局によると、同共和国のセゲジャまで移送され、そこの刑務所で服役する。同刑務所には約1300人の服役者がいて、植物栽培、畜産、精肉などに従事している。

 ホドルコフスキー元社長の弁護人は15日、インタビューに答え「彼がどこで服役するか、まったく知らない。私も家族もそのことについては当局から一切知らされていない」と答えていた。

 次期大統領選は来春行われるが、かつてプーチン大統領に対抗して大統領になろうとした男は、選挙を前にまた出馬の機会を奪われた。そればかりか、モスクワからはるか遠い極北の町に追いやられたことになる。そして、この策謀を影で指揮した男が再び大統領選に打って出るのだろうか。ロシアの権力争いは、相手を抹殺するまで続くのか…。
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仮釈放がみとめられるかどうか注目されているロシアの元石油王ホドルコフスキーが突然姿を消した!!

2011年06月11日 10時52分33秒 | Weblog
 10日のノーバヤ・ガゼータ新聞(電子版)によると、プーチン首相(当時は大統領)と政治的に対立し、脱税などの罪で服役中のロシアのホドルコフスキー元石油大手ユコス社長が突然収容所から移送されたが、どこへ移ったかは不明。元社長側から出された仮釈放申請が裁判所で審理する予定だったが、今回の移送で審理が大幅に遅れることは必至だ。

 ホドルコフスキー元社長の弁護人が明らかにしたもので、移送場所については10日後に親族に伝えられることになっているが、ロシア全土にある753箇所のどこの収容所に送られても不思議ではないという。インナ夫人と支持者たちはこの日数時間後に面会することになっていたが、元社長は既に移送されたとして面会が取り消されたという。

 このあと、インナ夫人は弁護士事務所を通じて「夫に関係する当局の行動がすでに予想できる状況になっていたのは非常に残念だ。人間の運命を軽視するような行為は到底理解できない」とのコメントを出した。予定されていた夫との面会の直前に移送したことに強い憤りを抱いていることは間違いない。

 ホドルコフスキー元社長は懲役8年の刑が今年満了する直前の昨年暮れ、脱税以外の罪が加算され、17年まで刑期が延長された。さらに、仮釈放の申請を裁判所に提出し、近くその審理が始まることになっていたが、またしてもその直前に収容所を移送され、審理がいつ行われるかも予想できない状態になった。

 これに対し、リフキン弁護人は「今回の法務当局の特別作戦は、われわれを依頼人に接触させないようにするために行われたものだ」と、怒りを隠せない様子だった。弁護人は仮釈放に関する資料を裁判所に既に送ってあるが、また新たに別の裁判所に資料を送付するなど、審理が開始されるまでには今後かなりの時間がかかるとされる。

 今回の法務当局の対応は、元社長の仮釈放を阻止する、あるいは延期することを狙った組織的行動と見られる。昨年暮れの司法当局の「暴挙」をめぐってはプーチン首相ら上層部の関与も噂されており、内外から批判の声が上がっている。これを受けてリベラルを自認するメドベージェフ大統領の「介入」もあるとみて法務当局が先手を取った可能性が高い。 

 だが、いつまでもこうした違法スレスレの手法をとっていては国際的に法治国家と認められなくなる。それこそプーチン首相のこれまでの主張に重大な齟齬(そご)が出てくるのではないだろうか。これも来春の大統領選をめぐる権力闘争の一環とみられるが、胸を張って民主国家というのははばかれるのではないか。民主主義の実態が伴わないと、だれもロシアを相手にしなくなる。ロシア指導部の賢明な判断を期待したい。
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メドベージェフ・ロシア大統領は来春の大統領選に向け、「次の一手」を打ち出せるか?

2011年06月05日 10時19分52秒 | Weblog
 ロシアの次期大統領選挙まであと10ヵ月を切ったが、メドベージェフ大統領とプーチン首相の“静かな戦い”が依然続いている。大統領は再選に向けて立候補の意思を明確にしているものの、カギを握る首相は「時期尚早」と言ったまま、大統領の立候補を認めず、音なしの構えだ。

 ロシアのメディアは、プーチン首相が今も優位を保っているとみているが、このところロシアの司法界でメドベージェフ大統領にとって有利な事態が続いている。とくに首都モスクワでリベラル派に都合のいいトピックスが相次いでいるのだ。

 改革派の英字紙モスコー・タイムズによると、第1に人権派の弁護士と女性ジャーナリストが殺害された事件の犯人2人に4月、有罪が宣告されたことである。2人はチェチェン共和国での迫害事件に取り組んでいたが、その裁判の日に路上でネオ・ナチの2人に殺害されたと認定された。この種の事件で犯人が逮捕され、有罪判決が出るのはロシアでは珍しいことだ。

 2番目に、プーチン首相(当時は大統領)と政治的に対立し、脱税などの罪で服役中のホドルコフスキー元石油大手ユコス社長が裁判所に仮釈放を申請したことである。この社長は懲役8年の刑が今年満了する予定だったが、昨年暮れ、別の罪をあわせて17年までの刑期延長を言い渡され、国内外から批判を浴びていた。今後、仮釈放が認められると出獄できることになる。

 3番目は、チェチェン紛争でプーチン政権を手厳しく批判していた女性記者ポリトコフスカヤさんが殺害された事件で手配されていた実行犯とされる人物が逮捕されたことである。この事件では、周辺の人物が何人か逮捕され、裁判が行われたが、実行犯は逃走を続けていた。真犯人と認定されれば極めて稀なケースとなる。

 この中でも、メドベージェフ大統領の対応が注目されているのは、ホドルコフスキー元社長の仮釈放を大統領が認めるかどうかだ。なにしろプーチン首相が昨年暮れの判決前、「泥棒は刑務所にとどまるべきだ」と発言するなど、蛇蝎のごとく嫌っている人物で、大統領はこの発言に対して「言いすぎだ」とたしなめたほどだ。そういう人物を仮釈放すれば首相の怒りを買うのは必至である。大統領がその危険を冒してまで、仮釈放の決定をするだろうかというのが大方の見方だ。

 この種のケースには、ソ連時代、反体制派でノーベル平和賞を受賞したものの、当時のゴーリキー市に流刑されていた核物理学者サハロフの流刑を解除したゴルバチョフ共産党書記長の英断がある。この決断はペレストロイカ(立て直し)を内外に示すことにつながり、改革の大きな転機になった。メドベージェフ大統領に、その覚悟があるのかどうか。期待をこめつつ、大統領の次の一手を見守りたい。
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