俳人森澄雄の句碑は山の上ではなく
地上のロープウェイ乗り場の近くの
公園に建立されていた。
西國の畔曼珠沙華曼珠沙華 澄雄
ちょうど訪れた日は曼珠沙華が盛りの頃で
句碑を彩るように咲いていた。
森澄雄は五十嵐播水同様に姫路生まれの俳人である。
大正八年、現在の網干区で生まれたとある。
戦争ではボルネオに出征、死の行軍に辛酸を嘗めた。
「寒雷」の編集長から「杉」を創刊。主宰となる。
掲句は昭和四十九年、書写山眼下の田の畔を
燃えるように埋め尽くした曼珠沙華に感動して
詠んだものとあった。確かに公園の近くの田には
曼珠沙華が畔に沿って咲いていた。昔はもっと
壮大な景であったのではないか?
観たままを詠んだ何の変哲もない写生句であるが
平明な表現の中に、洗練された巧みを感じる句である。