口縄坂の勾配を少し上がると碑(いしぶみ)がある。
碑には“大阪府立夕陽丘高等女學校跡”と刻まれていた。
ここでまた織田作の「木の都」の一節を
紹介してみよう。
“ただ口繩坂の中腹に夕陽丘女学校があることに
年少多感の胸をひそかに燃やしてゐたのである。
夕暮わけもなく坂の上に佇んでゐた私の顔が
坂を上つて来る制服のひとをみて
夕陽を浴びたやうにぱつと赧くなつたことも
今はなつかしい想ひ出である。”
織田作はこの女学校のある生徒に密かに
恋心を抱いていたのであろう。
“私はちやうど籠球部へ籍を入れて四日目だつたが
指導選手のあとにのこのこ随いて行つて
夕陽丘の校門をくぐつたのである。ところが
指導を受ける生徒の中に偶然水原といふ
私は知つてゐるが向うは知らぬ美しい少女がゐたので
私はうろたへた。”
この短編を想い出しながらこの坂に
しばし佇んでいると、坂の向こうの
棕櫚の空き地に、ふっとその水原という
少女の影をつい追ってしまう。
しかしこういう感傷に浸っていると
俳句は全然できないのである。なるほど
俳句は写生からしか生まれないのだな
とつくづく思ってしまった。
それにしても織田作も見たであろう
この坂から眺める難波津の夕陽は
とても美しかったのだろうな。
大夕焼あの日あの刻あの瞳