1945年8月6日から67年。私も
鎮魂の祈りを捧げそして平和を願う日。
広島に赴任していた当時、私は平和記念公園から
本川橋を渡ってすぐの処に住んでいた。
8月6日には出勤前に式典に参列した。
広島がヒロシマになるこの日。
高齢となった被爆者の方々や、遺族の方々が
炎天の中で微動だにしない姿がある。
未だ悲しみが癒えることのないその御姿を
目の当たりにする時、平和の重さ
かけがえのなさを思わずにいられない。
日本人が決して忘れてはならぬ日。
そのひとつが8月6日なのだ。
語り部の齢隠せず原爆忌
遠来のシュプレヒコール原爆忌