空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

屁理屈と品

2012年09月30日 12時40分23秒 | 思考試行

自分で、解っていて、屁理屈をこねるとすれば、自覚できているから、まだましといえる。だが、本気で、理屈にならないようなことを言って、恬として恥じないとなれば、これは、始末に悪い。

中国の、ものいいは、上品でなく、強引であることは、本格的に歴史の勉強をしていなくとも、解る。日本の学者や、識者が述べていることは、ウソを言っているとはみえない。

それに比べると、中国、韓国の学者らの言い分は、無理がある。学者同士ならはなしが通じ合うと思うと、そうはいかない。ここが、問題である。

真摯に、真実に近づこうとする努力をしなければ、人間の進歩はない。歴史問題も何があったかを、真正面から調べなければならない。日本は、本当にそういう態度で、事にあたってきたのだろうか。

都合優先で、変な論理を展開してきたことはなかったか、原発問題でも、人智の限りをつくしても扱えないものか、それとも、もうやめた方がいいのか、おそらくは、今現在は、最終処分のできないモノがどんどんできる危険なものである限り、もう止めるしかないではないか。

技術ができてから、再開すればいい。それが論理というものだろう。むちゃくちゃはもうやめよう。となるはずで、国民の大多数は、そういう意見ではなかろうか。しかし、実際は、そのようにはならない感じがある。

ここが問題である。本当の支配者が別にいるのである。そうではなく、国民の本当の意志の体現をめざすべきである。そこに、ほんものの政治があるのではないか。

 


知恵のだしようがないか

2012年09月29日 14時07分36秒 | 思考試行

相手のある話でありながら、相手と話せない。外側から、あれこれと言っているにすぎない。双方は、それぞれ主張しあったままで、事態の解決にはすすみそうもない。

そして、相互に、損失を重ねていく。人間の知恵の浅はかさ、つまらなさが目立つ。これほどのものであったかと、嘆くほかないのだろうか。

日本は、国民の意志をきちんと反映している国であろうか。実は、そうではない。強者に都合よく作られていることは、明治以来変わってはいない。では、中国はどうか。やはり、権力を握った者が、富を独占し、格差を生じさせながら、全体として、弱者を踏み台にしながらの発展途上にある。

原発ゼロにしても、そう簡単には踏み切れそうにはない。そこには、真の国民の安全や、暮らしを考える姿勢が認められない。強者の理屈がまかり通る。世界中が、すべて管理できるとは思えないが、無用な混乱を避けるための、仕組みは、どうかして作り上げる必要がある。

常に、争いのみが、最終的な解決手段というのでは、情けない話である。そういう新しい政治勢力は、生まれていないのであろうか。それとも、すでにあっても気付いていないだけであろうか。


大いにもめることがいいかも

2012年09月28日 19時09分17秒 | 思考試行

国連でのやりとりをみていて、これは、もめてもめて、論争することがいいのではと思うようになった。とことん言い分を言い合えばいいので、そうすれば、なんとなく、おとしどころがみえてくるように思う。

問答無用で、放火や、破壊活動をするのは、いかにもばかげている。日清戦争以後が、どうのこうのなど、面白いではないか。省略せずに、お互いの、やりとりを公表するならば、どちらの論旨が勝っているかが明らかとなるかもしれない。

とにもかくにも、話し合いが必要である。話し合いは、お互い被害を伴わない。破壊や暴行は、人間にとっては、最終段階であり、これをする相手は、もはや、話し合う相手ではないのであり、あとは、武力で戦うしかなくなる。

それは、解決方法としては、もっともばかげており、そんなことを有史以来続けてきているのである。そうなれば、あらたな悲劇がうまれるだけである。

いくら言っても、それを止めようともせず、ここまで来ている。政府高官は、頭がいいはずだ。いい大学を出ているのだろうし、国を代表するとなると、バカになるのは、やめよう。意味がないのである。まずは、言い合いをすることは、いいではないか。


どうでもいいこと

2012年09月28日 09時48分50秒 | 思考試行

およそ、どうでもいいことが多い。今回の騒ぎだって、要するに、どうでもいいことだ。

打ちこわしをしたり、暴虐の限りをつくすようなことか、といいたい。

本当に、しょうもない話である。人間の人間らしさというのが、理性であるとするならば、そこから最も遠い状況が、あっけらかんと行われてしまった。本当は、どうしようもないバカなんだ、と思い知らされた。

根本のところで、信頼感がなくなった。底の浅い、つまらん相手であることがはっきりしてしまった。

何が、4000年の歴史か、フーンてなことだ。

もう、もとには戻らないし、どちらも、相手がバカだと言い募るほかなく、こころの底から、うけいれ難くなってしまったのである。

新しい関係が始まったということである。これが、どのような経緯をたどっていくのか、極端にいえば、有史以来のできごとであり、この中国が、これから世界のなかで、あたらしい歩みを続けていくのである。

勝手にしやがれである。


自民党総裁の役割

2012年09月27日 09時53分17秒 | 思考試行

次の政権は、どうやら自民党になりそうな雲行きである。右翼と目される安倍さんが、総裁となって、次期総理となる公算が出てきた。病気のために、前回総理の時は、不本意であったろうから、まき直しの決意をみなぎらせていることだろう。

民主党政権とのことも、単なる審議拒否戦術はとらない、としているから、当面の必要最小限の審議には応じて、事態の若干の改善はできる見込みがでてきている。石原クンだと、なにがなんでも解散で、これでは、政権がもどっても、先行きの見通しがたたないのではとみていた。

これで、憲法9条の改憲が現実化しそうで、これはまことに危うい。中国、韓国の動きのなかで、ますます右翼的傾向が強まりつつあり、心配である。

戦争なんてこりごりなはずなのに、戦争の体験者は少なくなり、ナショナリズムをあおられると、ドーッと改憲へとまっしぐらなんてことも考えられる。

尖閣も竹島も、中国、韓国の異様な興奮ぶりをみるならば、あんまり意地をはるのも考え物である。現実的な解決方法を探る他あるまい。ここで、譲ればどういうことになるのだろうか。次は、対馬であり、沖縄だろうか。


中国の行く末

2012年09月26日 10時23分04秒 | 思考試行

あれだけのことをして、何もなかったことにすることはできない。しかし、取り立てて、問題が広がる気配はない。よくいえば、日本側の大人の対応がひかっているといいたいところであるが、強く反発することはできないという計算が勝っているように見える。

トヨタが10月の生産を白紙としたという。高級車レクサスの販売も検討されるという。他の製品にも広がる可能性があるし、とにかくあの暴動以来、中国の信頼は地に落ちた。

覆水盆に返らず、である。中国の振る舞いは、今後にどのような影響を与えていくか、人類社会における大きな実験となった。

なにごともなかったように、協力共同の関係をとりもどすことができることは、双方にとって、すばらしいことであるが、それは、ほとんど不可能に思える。

正論をとおして、事態を収束し、なおかつ、新しい関係を構築できるのは誰だろうか。ああいえば、こういう式の自民党政治家には期待できないし、第一野党になってから、イジワルだけを覚えただけにすぎず、こんな連中が政権に復帰してもロクなことはないだろう。

いずれにしても、平和を保ちながら、この狭い、地球で生きていくことは大変である。


韓国学者とのテレビ討論をみて

2012年09月24日 07時14分00秒 | 思考試行

韓国側が日本語で対応するかたちで、日本側と、竹島問題などを討論していた。ナマ放送だという。おそらくこういう形で、議論が公開されるのは初めてではないだろうか。興味深くみた。

さて、結果は、議論のかみあわないことばかり目についた。自分の言い分ばかりで、相手の意見に効果的な反論をしない。無視の感じである。これでは、議論にならない。

問題の核心がどこにあるのか、歴史問題の経緯について、つぶさに出されてわけではないから、国際機関に提示しようという日本側の提起は、理屈が通っていると思った。

尖閣問題も、同じように国際的な場で検討なり、議論すればいいと思う。北方領土問題もそうであろう。力対力では、憲法上もできないことであるし、それは無益である。歴史について、国際的に検討することがあって不思議ではない。

番組をみていて、韓国が日本の植民地支配を受けて、自らの歴史を自分で語れなかったことが話された。これは、たしかに大きい。歴史は、勝った方が自分の都合のいいように書き換えることが往々にしてあるからだ。したがって、事実と符合するとは限らない。

慰安婦問題なども、議論のかみ合わないところがあって、時間をたっぷりとった緻密な論議にならないものかと思った。資料のことや、調査研究のことなど、深めれば無用な争いは防げるのではと思った。


日馬富士効果

2012年09月24日 06時43分48秒 | 思考試行

戦前には、こういう人が大勢いたと思う。全身全霊をこめて、力を振り絞って頑張った、祖先、父母に感謝、土俵の神様に感謝、どの言葉も、現代に普通に使われている言葉ではない。なつかしい、祖父か曽祖父ぐらいの時代には、話されていたように思える。まるで、昔の侍のようである。

そうとう高い、知的レベル、品の良さ、人間としての質の高さを感じさせる。生きざまの話まででてくる。力士としてだけではないコメントもでてくる。人間的にも、横綱としてふさわしい大横綱になってほしいものである。

気合をこめて、闘っているから、取り口をビデオで見直すところでは、心臓が痛いです、のコメントもでてくる。力比べは、本当に死力をつくしたものだったのだろう。

勝利して、ハアハア言いながら、引き揚げてきた通路で、兄弟子の安美錦に出迎えられ、いい笑顔で抱き合った場面は、部屋の環境やら、人間関係など、異国の地で、見事に花開いた力士を育て上げる環境が、大相撲にはあるということを感じさせてくれた。

風俗習慣の違う異国の若者達を受け入れ、育て上げ、今や相撲界は、国際時代の先端を走っている。力士を目指す日本の若者が激減したことから、海外に、目が向いたのがスタートなのだろうけれど、結果として、世界とのつながりのひろがりができ、国際交流のきっかけとなっている。

相撲界自身の変貌もでてくる。日本人が横綱をはれないようでは、相撲人気は、いま一つであるが、日馬富士のように忘れてはならない原点を示してくれる力士の存在は、必ず、相撲人気に、すばらしい影響がでてくるだろう。

 


日馬富士に感動

2012年09月23日 22時41分13秒 | 思考試行

千秋楽の白鵬、日馬富士戦をみて、まさに、相撲の醍醐味を満喫した。力のこもった大一番で、あった。横綱昇進がかかっているとて、気迫がこもる。日馬富士の気合が尋常ではない。技術、体力、ものすごいものがあった。

優勝インタビューでは、祖先、父母に感謝すると、少し時代を遡ったようなコメントがでてくる。一昔前の時代にタイムスピンしたようだ。しぐさや、顔つきなど、日本人とはすこし違うけれども、同じアジア人として、左程違和感を感じない。

解説者が、日本人の横綱待望論を言うが、簡単ではない。国際化した大相撲で、日本人が横綱を張れるときがくるのかどうか、ひたむきな努力ができるのかどうかである。

日馬富士は、勝負のついた後、おでこを土俵につけた。まるで、儀式のような感じを受けた。べっとりとおでこに土をつけて、懸賞金をうけとり、これにもまた、おでこをつけた。勝負師の喜びのしぐさである。

モンゴルの感性が、大相撲の伝統になることは、少し許せないけれども、日本古来の伝統をとりもどすためにも、切磋琢磨して、彼らを凌駕するぐらいの実力を身につけて、対抗してほしいものである。


悪戦苦闘の連休

2012年09月23日 09時19分10秒 | 思考試行

喉に痛みを覚えて、早期に医者に行ったけれども、そこで、ただちに軽快したかといえば、そうはいかない。一定のところまでいかないことには、いけないようで、熱がでたり、痛みがでたり、痰がでたり、症状が進行しそのうえで、治癒方向へと方向転換が始まる。

まずは、眠れない状況が続く。なぜ、といわれても、何か変調があれば、一睡もできなくなる。今回もそうだった。それが、昨夜、はじめて、分割ではあったが、熟睡できた。

それでも、声は相変わらず出にくいし、無理に出すと痛い。喉の調子自体は、決して好転しているとは言い難いが、それでも、変化がある。なんせ、眠れたことが大きい。

やはり、睡眠が大事である。症状のなかに、ほのみえる好転への兆しがある。プロセスを経て、まだ確定的ではないが、あきらかに、その感じがある。

生き物としての動物的な感覚が働いている。自分もまた、動物なのであり、生き物の一員なのである。この世界に生きるものとして、共通のしくみのなかに生きている。決して孤独ではない。

この間の家族の配慮の、有難さをまたまた痛感した。忘れることなく、きちんと記憶しよう。


見抜く力と切り開く力

2012年09月22日 07時56分20秒 | 思考試行

「民度」という言葉が、今回の中国の騒乱を契機に話されている。国民の程度、水準という意味ぐらいだろう。暴徒と化し、放火、破壊、略奪、そしてケガをさせられた人もいるらしい。こういう騒ぎを起こす国民の民度は低いというわけだ。

その動機が、辻褄のあう論理もなく、与えられた情報に盲従した発想であって、理不尽としかいいようのない場合、民度が低いとしか言いようがない。国民を導く、権力者の程度もある。

この低い民度の国とどう付き合うのか。まさに、相手を見抜き、相手の状況を変え、その関係性をいいものに切り開いていかなければならない。

価値感に係わり、認識に係わる、小説やドラマ、漫画などのソフト関係の仕事の意味が、本当に重要である。おそらくは、人類にとっての、基礎的な、大事な価値意識の共通するものが、あるはずである。

それが、まだまだ共通のものとはなっていない。日本だって、問題はある。いじめ問題、虐待問題、さまざまに社会問題があり、困った状態がある。

これらのどこが問題であり、どのようにしていくのか、今回の事件が人類進歩の契機となれば、それも意味があったことになる。


元気になる方法

2012年09月22日 07時27分27秒 | 思考試行

ひどい風邪をひいた。のどが痛い。最初は、いい声になった、などと冗談を言っていたが、痛くて痰がでて、声をだすのがつらくなった。熱も出てくる。鼻水がでてくる。

そして、夜は眠れない。今日で、3日目になる。睡眠不足で目がトロンとなったままである。まだ、喉がいたい。

中国の騒ぎが、急におさまった。ウソみたいに、反省の弁などが流れてくる。どこまで本当だろうか。歴史問題や、事実の捻じ曲げ、利己主義的な国情。不信感がぬぐえない。

それでも、経済的な関係は、きってもきれないという。門外漢の者にとっては、早々に撤退しか思い浮かばない。こんな国とつきあうわけにはいかないとしか思えない。

国際関係は、実際にその国にでかけて、実際を見た人でないと解らない。突如として、今回のような状況になるような国情であることは、写真などで見ているだけではわからない。民主主義の国ではないのである。権力者がいるのである。そういう国なのである。

小生の風邪も、少しは快方に向かっているようであるが、実際にかかってみて、とんでもない苦痛が続くと、元気にはもうなれないのでは、の思いがかすめたりする。

それでも、時間がたてば、システムが働いて、結局は、どこかへおさまる。慌てて結論を出さないことが、元気になる秘訣かもしれない。


そして利己主義がはびこる

2012年09月21日 08時59分11秒 | 思考試行

周囲の好意を踏みにじり、これを利用しながら、感謝をすることもせず、かえって、おとしいれようとしたり、いじめの対象にしたりする。無視したり、差別したりする。その効果は、まるで自分の奴隷とでも思っている風がある。あるいは、道具にすぎない、という認識のようだ。

世話をしている方は、この事実を感じても、容易に周囲に伝えることが難しい。このコンジョワルは、周囲には、自分がいかに努力しているか、を宣伝し、差別で、あるいは言説のテクニックで、周囲を丸め込み、マイナイも使い、心遣いをする。

だが、真実は強い。年月がたち、真相はいやでも周囲の知るところとなる。そのころとなると、このコンジョワルは、態度を変えてくる。コケにされてきた者は、その変化に気付いても、怒ることを知らない。まともになってくれて、よかった、ぐらいにとらえている。

周囲との矛盾も緩和される。しかし、周囲の中には、この利己主義者と共通する要素を持つものがいる。彼らは、真実を知ることを避ける。世話をした体験もないのに、したかのような気になっている。彼らの誤解がとけることはないし、反省の機会もない。

快適な、優雅な「利己主義」天国が続く。彼ら同士は、共感して、その実際は、孤独であり、真の喜びからは遠いといえるのだが、娯楽をもとめ、物欲にはしり、それなりの幸福感に満たされているかのようにみえる。弱者をあざけり、努力しなかったから、そうなっているんだ、ぐらいの認識でみている。

勝ち組意識が、彼らの勲章である。贅をつくし、たまに、抑制のきいた「奉仕」活動をして、自分は、いい人間だと思い込む。かくして、「利己主義」が、蔓延する。


感動のスパイス・・・になるだろうか?

2012年09月21日 08時21分21秒 | 思考試行

他人から褒められたり、喜ばれたり、感謝されたら、嬉しい。そして、感動する。生きていて良かったと思えるだろう。ところが、何をしても感謝されず、喜ばれず、単に道具としてみられていて、何をしてもあたりまえ、という態度をとられ続けるならば、いずれ、やる気をなくし、もう自分ことばかりしよう、となる。

ときどき、こういう感謝の心のない人がいる。不足ばかりを感じ、感謝をしらない。口先ばかりで感謝のことばをいうが、それは、方便であって、心から感謝しているわけではないから、相手にも伝わる。その本質を、限られた周囲の者は、知っている。だが、捨て置くわけにはいかないから、対応は変えない。

自分の信念として、やるべきことをやるのみである、と考えている。ために、その「文句言い」は、歪んだ根性にもかかわらず、厚遇されて、勘違いをなおすこともない。自らの根性悪を自覚している風もない。その数々の言説、人をおとしいれ、世話になっているのを、負い目に感じるのか、それを無視したり、表現の工夫をして、第三者には、それを知らせないようにする。

やってもらったことは、記憶にないとし、少しでも自分がしたとなれば、それを言い募る。その言い方の効果は、やってもらっている他のすべてのことも、自分でやったかのような効果をもたらす。聞いた人は、そのようにとる。

だが、事実は違う。周囲には、誤解されたままで、亡くなった身近な人もいる。誤解する方は、真実を知る機会がない、それを感じ取る受信力もないと、このコンジョワルの騙しの効力は有効となる。

すなおな真実の心は、この利己主義者のために、惑わされる。周囲から不当な扱いを受けることも出てくる。そして、この事実を伝えることは、非常に難しい。事実を聞かされても、受け入れ難い感情が働くのか、まず理解してもらえない。かえって、反発を呼んだりする。コンジョワルというのは、相当な害を周囲にまき散らしているのである。しかし、これがまた、感動へのスバイスになったりするから、人生は複雑である。


相手があるときの対応について

2012年09月20日 17時14分13秒 | 思考試行

こちらだけで話が完結する場合は、自分の問題として決めたらいいのであるが、相手があるのであれば、常に、相手の意向を確かめなければならない。

意見が違えば、争うことになる。中国との尖閣列島について、やりとりは、どのような経過があったのか、を詳しく両国でつき合わす作業が必要である。

それをしないで、漁船を大量によこしたり、ましてや、今回のような暴動を引き起こすような、中国のやり方の不当性は、国際世論にきちんと理解してもらわなければならない。

そのためにも、日本政府は、経緯の詳細を発表すべきである。マスコミも詳しく報道すべきである。だいたいにおいて、従軍慰安婦の問題や、南京大虐殺事件とか、その他戦争中、あるいは戦前に行われた、さまざまな事件について、何か隠し事をしている感がある。

イジメ問題でも、学校や、教育委員会、そして行政も、まずは、なかったことにしたいという姿勢がある。当事者も謙虚に反省をするという態度ではなく、ふざけていただけ、と抗弁する。真正面から問題に立ち向かい、逃げたりせずに、徹底的に問題を解決するという姿勢が、今、みんなに求められている。

他人事ではなく、まず、自身が振り返って、その心構えを点検しなければならない。とりわけ、社会において、有力な地位にあるものは、当然そうしなければならないし、人として、修養しなければならない最初のことかもしれない。

この問題は、少し、いい加減に扱ってきたのではないか。損得勘定や、利己的な姿勢が、あたりまえとなる社会は、人類社会には、ふさわしくない。