終の棲家を、こじんまりと確保した。母親を送り、落ち着けば、弟妹に、今住んでいる家を譲り、そこへ移るつもりである。今、住んでいるところは、広さもあり、馴染みもあるから当然ながら、心理的に抵抗がないといえば嘘になる。
母が先になるとは限らず、その時は、準備していた家屋は必要なくなるかもしれないが、小生が先だった場合、妻のいる場所を確保しておくことは、必要と思ったし、そうすることで、現在の状況を受け入れることができる。
準備がなければ、見通しがたたないから、安心できない雰囲気があった。弟妹にはいずれも子供がいるし、自分たちの計画があっても、彼らの頭には、我ら夫婦のいる場所がない。
ありていにいえば、母親がいるうちは、我らを、利用できるだけ利用し、基本的に自分ら家族のことしか関心がない。
母がいなくなれば、我々は、邪魔になるのである。親にしてからが、我ら夫婦を利用する存在として扱い、周囲にも、そのように振舞ってきた。ないがしろにし、こちらの援助や、貢献については、当然のこととし、無視してきた。なんにもせずに、ただ、隣に住んでいる存在として、扱ってきた。
母の日に、花を送ってくるだけの弟妹のことを評価し、近くに住む伯母にそういい、何かの折に、伯母は、小生に、「何にもしてないのになんやのん」と言われ、ビックリしたことがあった。事実をねじまげ、庇護保護されている実態を逆転して伝えていたのである。
何度、泊りがけの旅行に連れて行き、買い物に連れて行き、近場のあちこちへ観光にいったことか、そればかりか、日常生活の全般について、ケアしたきたのである。
妻は、何度もその扱いについて、悔しい思いをしてきたようだったが、小生は、母の、ちょっとした演技に騙されていて、気付かなかった。妻に言われ、伯母の言動、弟妹の態度などを観察するうちに、その事実にようやく気付いた。
いつのまにか、こちらが気付かないうちに、そんな状況になっていた。妻は、心を尽くして食事をつくり、日常のケアをあれこれと、母にしてくれている。それが終われば、弟妹は、その本音を出してくるかもしれない。その時のために、終の棲家を確保したのである。
母親の面倒を最後まで見ることを、放棄するつもりは、我々にはない。年代の特徴かもしれないが、それを格別負担に思ってはいない。ただ、感謝なく、裏切りさえする母の本質をみて、油断なく扱わねばならないのは仕方のないこととはいえ、いささか辛いことではある。人生思い通りにはいかないのである。
そのかわり、義母のときには、いつも感謝の言葉をもらい、その心が伝わってきていた。本当に気持ちよく最後まで、お世話ができた。人生、いろいろである。