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空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

派遣法は未だ変わらず

2010年12月31日 09時41分29秒 | 思考試行
民主政権になっても、派遣法はまだ変わらず、年を越して、派遣労働者の苦難は続く。野党反対のせいで、法案は、たなざらしとなっている。

自民党の罪は深い。来年から、いよいよ予算の成立にむけての、国会が始まるが、自民党がどういう態度をとるのか、また、実り薄い、中味のない揚げ足取りの態度に終始すれば、国会は機能麻痺し、政治不信に覆われることとなる。

得票数では、自民を上回りながら、選挙制度の民意反映のヘンテコな仕組みによって、参議院選挙によって、民主は大敗し、今日の事態を生じた。

小選挙区制というのは、もともと民意の反映を考えたものではない。むしろ政治の関心をそらせる効果がある。多様な意見の存在が、意味をもたなくさせる制度である。

それでも、曲がりなりにも、政権交代が実現して、いろんな事情がみえるようになった。官僚の実態、政権内部のこと、マスコミの不当な報道。ことあるごとに、まずは、非難する姿勢。尖閣問題での外交姿勢については、理由もいわずに、お粗末とか、不手際とか、簡単に言う。では、どうすればよかったのか。

決まり文句のように、政権の足をひっぱるだけの言動を、一斉にくりひろげた。そのことで、マスコミと、それに寄生するコメンテーターの化けの皮が、はがれた効果があったが、世論に一定の効果をあげ、支持率低下を招いた。

菅さんが、支持率が、たとえ1パーセントになろうと、やる、と言ったのは、名言である。それでいいのだ。総理大臣というのは、自分で進退を決める。強い決意で、やるべきことを、実行してほしい。その過程で、だれが、どういうことをするのか、明かにさせることである。

自民党が、政権奪取できるとすれば、根底から、変わらなければならない。建設的な、健康な政策提言ができるかどうか、である。それは、しかし、多分できないだろう。そんな育ち方はしていない。




今年もあと二日

2010年12月30日 08時48分55秒 | 思考試行
徐々に、日本の姿が変わる。中国、ロシア、韓国、北朝鮮、周辺国の振る舞いに、踊らされる激動の日々である。

うまく対処しても、失敗だという悪意のマスコミが、ウラの結束の存在を、浮かび上がらせた。どこかで、口裏を合わせているような、論理の通らない、悪口雑言の連続。

菅政権は、この中で、したたかに、歩を進める。大上段に理想を語ることなく、与えられた条件下で、最適解を求めて選択する。

健康な、リーダー像が、そこにはある。まだ、何も着手できない状態、段階で、マスコミは、連日支持率の報道をくりかえし、思いつくままに、悪口を繰り返した。

それで、多くの人は、騙されることになった。個人的には、民主を支持したことはないが、それでも、客観的には、政権はよく対処していると思う。

政権交代の意味は、あった。情報公開や、議論のプロセスがわかること、利権の構造、国民がいかに、ないがしろにされてきたか、明かになってきたことである。

それは、各界各層にまたがる事象である。隠れていたベールが、徐々に、剥がされ、あるべき方向が、模索され、旧弊が破壊される。今、その過程にある。

地球上、共生しなければやってはいけない中で、これに反する考え方や、動きは、従来よく見えなかったきらいがあった。それが、見える時代になってきた。

来年から、自民党は、まだ、あの理不尽な対応をするのであろう。どうやら、それしか知らないようである。建設的な体質改善がなされない限り、憲法9条を放棄せよ、の一点張りの気配がある。

憲法9条を失うならば、世界のためにならない。戦争できる国になって、何がいいのか。戦争しない国であるからこその、やるべきことをやるのである。

中国、ロシア、みんなその水準、そのレベルを見せてくれた。こんな連中相手に、武器を振り回してどうするのか。戦争しない立場から、彼らの理不尽を追及するほかないのである。


海老蔵さんの「反省」から

2010年12月29日 10時20分29秒 | 思考試行
若いときの失敗は、成長の糧になる、そういう実例になりそうな雰囲気を感じた。ことの本質を掴んで、周囲のアドバイスを受け入れ、真摯に対処している様子が見える。

これからが、大事であるが、まずは、反省がきちんとできていなければならない。すばらしい歌舞伎俳優として、大成してもらいたいものである。

反省といえば、マスコミは、自己本位の姿勢を反省すべきである。新聞の記事が、偏向しており、本当に、国民のために役立とうとする姿勢が充分ではない。

政治不信をあおり、どこかの勢力と、ウラで手を結んでいるとしか思えないような、悪意ある論調が目立つ。国会での自民党の聞くに堪えない中味のない質問、野次、悪口雑言と、シンクロしていた。

人間的に、新聞記者というのは、もはや特権意識を持つ支配階級の手先から、その一員と成り果てたようである。国民を、軽視し、驕るところがある。

海老蔵さんのような、真摯な反省をする必要がある。虐待や、格差是正、など、社会の改革のために、何をすべきか、その展望を開くために、その力を発揮しなければならない。そういう建設的な役割を、担うべきである。

政権の積極面を評価し、足らざるを支援し、いい方向をとれるように、力を尽くすべきである。セクトの手先になるなど論外である。

あたりまえのことを、する

2010年12月27日 09時15分03秒 | 思考試行
人は、助け合わねば生きてはいけない。

どこの世界の人間もそうである。富んでいようと、貧しかろうと、関係ない。地位がどうの、名誉がどうの、も関係ない。

一人では、生きてはいけない。

人を犠牲にして、クイモノにして生きている人は、この点を、考えない。自分の力のみで生きているように、錯覚している。

格差のある社会を、作り出して、平然としている人達、当然と思っている人達。

さびしい実態がある。悲劇の根源。

助け合い、支えあうことを、喜びにできる社会は、いるできるのだろうか。

まずは、そう思う人が、増えなくてはならない。

あたりまえのこと、と多くの人が思うようにならなければならない。

とすれば、まずは、自分から始めることである。

マスコミの裏側

2010年12月26日 08時44分45秒 | 思考試行
新聞記者のオオモノが、沖縄で、あなた方は、本当に沖縄の苦しみ、憤りがわかるのか、と言われて、反省したという話を、今朝のテレビで、していた。あきれる話である。何をしてきたのか。知らなかったことを自白したのだ。それは、素直でいいことだが、今まで、黙っていたことは、なんだと言いたい。そこには、痛烈な反省が必要である。

記者クラブには、問題があって、時の政治権力と癒着しながら、特権を持ち、その見返りに、お互い、あまり苦労せずに、情報のコントロールをしてきたフシがある。今もその傾向がある。現政権を、たたきまくるのは、短命とみたからかもしれない。参議院選挙での、民主敗北を受けて、それは、ますます強まり、聞くに堪えないような国会質問、野次などの尻馬に乗って見せたのである。

要するに、スジが悪く、愚直に正義を貫くというジャーナリストの精神が、壊れてしまっているのである。真実は、必ず顕現すると思いたい。明かに、菅政権は、頑張っている。良くやっている。にもかかわらず、それを取り上げない。これは、悪意と言わなくてはならない。公正でなければならない。

そうした状況下で、「カンフルブログ」を菅総理サイドが出してきた。これは、有効である。マスコミが報道しない、イキイキした情報が出てきた。政権交代して、初めての予算案作成も成し遂げた。前政権からの負の遺産を、押し付けられながら、現実をみながら、対処する姿勢がある。

従来の官僚任せではない。政権の姿勢が見えているのである。自民党の心あるひとびとが、官僚の壁を突破しようとしたこともあった。それが、一部ではあるだろうが、実現したのである。省庁間の、「公平なバランス」という感覚は、少なくとも消えたようにみえる。

全部が理想どおりに行かないのは、当然として、改善の方向へと、踏み出し始めた感じがある。マスコミは、姿勢を変えなくてはならない。正々堂々、原点に立ち戻り、ジャーナリストの本懐にこそ、生きがいがあり、誇りがあることを示してほしいものである。

ジャーナリストこそ、問題を抉り出し、その改善方向を模索する尖兵でなければならない。流石と思わせる展望、改善課題をどんどん提案してほしいものだ。

硫黄島遺骨帰還について

2010年12月25日 21時09分34秒 | 思考試行
カンフルブログに、遺骨帰還についての記事があった。

硫黄島の遺骨帰還について、菅総理は、アメリカに資料があるのではないかと、特命チームに、指示をしたという。果たして、エネミーセメタりー(敵の墓)という文言を、公開されている大量の文書の中から発見し、それまでに、探しつくしていたと思われるぐらいに、なっていた状態から、一挙に、大量の遺骨発見に繋がったのである。

ここにも、菅総理の目があった。戦争そのものは、無謀であったとか、いろいろ言われるが、家族にとっては、遺骨も戻らない状態では、本当に戦争は終わらない。遺骨帰還の事業には、国の責任がある。こういう意識は、自民党時代にあったであろうか。なかったのである。

これも、あまり報道されない。発見の背景の事情がである。マスコミの悪意、イジワルは続く。しかし、そんなことに、菅政権は、あまり気にしていないようだ。

絆の濃淡

2010年12月25日 10時35分39秒 | 思考試行
小ぶりの、同窓会があって、そこで、同じ小学校の同級生と、違う小学校の同級生との「文化の違い」を感じた。同窓会は、中学校の同級生の会であるが、どうも、違いがある。

片方の小学校の同級生は、幼友達という以上の、絆があるようであった。そして、その秘密の一端を、把握できたような話が聞けた。

小学校の所在は、小生の学校と隣接しているが、当然ながら、地理的には、少し離れていて、むかし、進駐軍の兵舎があったのだが、そこに大きな違いがあった。

彼らの小学校の側を、戦車などが通ったりしたのだという。スゴイ地響きがして、その音が聞こえると、みんなそれを見に行く。すると、チョコレートやら、お菓子を投げてくれたという。それをみんなで、拾い集める。甘いものなど、ない時代で、それが、すごい楽しみであったという。

そのあと、教室で、みんなで、拾えなかったものも含めて、公平に分け合ったという。先生は、黙認していたという。ここに、秘密を見た。

まだ、小学校低学年である。小生の学校の側を、戦車が通ることはなかったし、チョコレートなどの話は聞いたことがない。もっと、上の世代の話だと思っていた。

だれかの指示で、分け合っていたのではない。そこに、絆の存在を強く感じる。それが、高齢者と言われるようになった今でも生きている。環境で、人の育ち方は違うのだ、と強く感じた。彼らの仲のよさの根源を聞いたような気がした。


学ぶこと

2010年12月24日 10時06分59秒 | 思考試行
生涯学ぶことを、止めるわけにはいかない。すべての生き物は、状況の変化に応じて、対応して生きていく。対応できない場合には、死が待っている。

プログラムされた、老化のプロセスは、一方で自然の死に向かって、進行している。限られた期間が、日々進行していく。

昨日と同じように、朝がきて、今日が始まる。同じようだが、そうではない。だが、気分は、どこか弛緩して、惰性の感覚で生きている気がするときもある。

そこで、学びということが、意味を持つ。知らない世界に触れていくのだから、そこには刺激がある。日々新鮮となる。弛緩などしておられない。

この気分を継続するのに、放送大学は、まことに有難い存在である。今、数学に挑戦中であるが、逃げないで、一定のレベルに到達したいと思っている。来春の単位認定テストに向けて、トレーニングを積み、できれば、そこから、次のステップと目論んでいる。

誰から強制されているわけではない。興味を持ち続け、そこがどういう世界なのか、そこから何かが、また、始まるのではないか、そういう期待を持っている。

挫折の最初の体験であった数学。どこまでせまれるか、自分との戦いである。


生きることは大変である

2010年12月23日 11時35分56秒 | 思考試行
現在の、厳しい状況の中で、お互い助け合うということがなければ、世の中、ギスギスしまくるだろうことは、自明のことである。

それが、解らない「頭の悪い」連中が、目立つようになってきた。学校の成績が、よかったとか、一流大学に入れた、とかの条件で、一生勝ち組として暮らせる、ことを念頭に努力し、そのレールに乗れなかった者は、軽蔑すべき対象だ、ぐらいに思っているらしい。努力しなかったは、怠け者で、アホだと、広言する者もいる。

頭が、いいことを鼻にかけている人は、実際、害悪を社会に齎している。存在そのものが、人類存在を危うくする。

こういう連中を、野放しにすることは、まことに危険である。多くの人びとに、迷惑をかけていることを、わきまえず、また、多くの人の助けを得て、ようやく生きている実態を理解しないバカモノだから、どこかで、教育が必要なのだが、本人は、成功していると、勘違いをしているから、始末が悪い。

世の中を、良くするために、どうすればいいのか、という課題を、自分自身の問題として、課題として、自覚して、実践して、生きて欲しいものだが、さてどうなることだろうか。そういう人が増えないかぎり、多くの人にとって、生きることが大変な時代は、いつまでも続くことになる。

カンフルブログを見ていますか?

2010年12月22日 11時09分12秒 | 思考試行
HTLV-Iの総合対策が決まった。難病に苦しむ人への朗報である。これは、報道では、ほとんど出ていないそうだ。7年越しの、患者さんたちの取り組みの成果であった。これも、闘病中の元宮城県知事が、「政治の力」といわれるように、正に、政権交代の成果である。

やる気、本気でなければ、実現しないことである。マスコミは、かなり、旧政権との癒着があるのだろう、こんなところにも、歪んだ姿勢が出ていると思う。

菅政権の支持率は、こういう企みのなかで、一気に改善はしないだろうが、それも、こうして、カンフルブログなどで、真の姿が出てくれば、心ある人には、必ず届く。これでいいのだ。

やるべきことをやる。小細工は不要である。元気がない、とか、クマができているとか、奇妙なことをいうものが出てきているが、そんなことは、どうでもいい。ブログの映像でわかる話である。

小沢氏とのことも、ブログに書かれている。筋を通して、きちんとやっていることがよくわかる。これでいいと思う。

小沢氏は、要するに、説明しにくい金集めをし、それで、政治力を作ってきた。しかし、それは、いかにも古い。利益誘導政治であって、公平公正とはいかない。自民党政治の継続の姿である。

この際、証人喚問にして、逃げられない状況下で、説明すべきである。検察との関係は、証拠のことがあるが、国会では、偽証という問題がある。ウソをつけないのである。検察よりも真実の解明には、効果的である。

与党自らが、これを実現すれば、筋が通る。いい加減な、悪弊からの脱却が始まる。いつかは、こういう道を通らないと、日本は変われない。小沢氏の抵抗が、こういう方向の実現のきっかけとなるとするならば、皮肉になるかもしれないが、彼のしてきた役割の大きな成果であると言える。

平和ボケなんて簡単に言うな

2010年12月21日 14時23分47秒 | 思考試行
平和を大事だと思っている人を、馬鹿にするような、言葉をはく人がいる。特に、マスコミ関係者にいる。これは、民主党政権の対応を、弱腰であると非難している連中に多いように思う。

彼らは、憲法9条を変えて、普通の国になることを、熱望している。いつでも戦争できる状態にしないと安心できないようだ。

平和は、何もしないで、得られるものではない。戦争勢力に対する、絶えざる監視と、平和のための努力がいる。

憲法9条を武器にして、国際社会に、押し出していかなければならない。

テロが起こる真の原因除去に努め、世界平和の実現のためには、総合的な努力が必要である。それをしないで、テロには、武力なんてやっていたら解決などしない。

戦争ビジネスに生きる連中は、あえて、紛争を起こすかもしれない。よほど、しっかりしないと、彼らの術中に陥ってしまう。

地球環境を見ても、平和であることが、生存のための必須条件である。欲に目のくらんだ連中の企みを見抜き、正々堂々、平和を主張しなければならない。

「カンフルブログ」をみてみなよ!

2010年12月20日 09時24分56秒 | 思考試行
菅内閣は、今までにない、好ましい性格を持っている。事態に対応しようと、率直な姿勢で、情報を集めている。そして、意見を持ち、情報を公開し、行動している。

ブログをみても、その姿勢は、よく反映していて、まことに好ましい。ところが、マスコミは、こういうものを取り上げない。完全に、無視している。ナマの総理大臣の声が、生き生きと、出ているにも関わらずである。8chの小倉氏の今朝の発言も同じで、このバカヤロウと思ってしまった。

マスコミが、無責任に、内閣の支持率低下をいい、「何をしているのか!」などと、政権の悪口をいう。ブログをみれば、活躍ぶりは良くわかる。それをロクに、見もしないで、見えないという。自ら見ようともせず、無責任な発言をする。どこかからの指示があるのかどうかは、明らかではないが、どこも似たような発言内容である。中味がない、単なる悪口。

しかし、菅政権は、真面目に取り組んでいるから、いずれ、その真実の姿は、国民の知るところとなるだろうとは思う。

全面的に、すべてを支持できないけれども、少なくとも、自民党の官僚任せの政治とは違って、随分と政治が身近なものとなった。しっかりと頑張ってほしい。




生き抜くために

2010年12月19日 12時28分05秒 | 思考試行
悲惨な事件の背景には、それなりの必然がある。環境、経済状態、そこへ追い込んで行った社会のありよう、政治の問題、価値観。

こういうものを、切捨て、その本人だけの問題に矮小化することは、なんの問題解決にもならないし、意味もない。そこへ、本人を追い込んで行った事情こそ、真の原因であり、深く研究されるべきである。

金儲け専一の価値観、システムの富裕層への有利化。株主優遇の、さまざまな企み。こうしたものが、徐々に、社会を蝕み、害悪を生み出してきている。

ここのところに、我々の目は、向けていかなくてはならない。本質をそらすために、さまざまな、装置が用意されている。これらのメクラマシに、騙されることなく、実態を見抜く目を、人類は、持たなければならない。

インターネット社会は、それが可能になってきた。心ある保守派は、自らだけが富めばそれでいいのだ、貧者は、バカで、間抜けだと、いつまでも考えていてはならない。そんな品格では、人類の将来は、暗澹たるものになる。

金は持っているが、品はない、というのが、常識では、いかにも寂しいことである。それでは、本当に、輝きに満ちた人生であったと誇ることはできないはずである。

保守派の人間も、いい顔で、おられるようにすべきである。そして、誇りある人生を全うすべきである。今までの、欲にかられて行なってきた悪事は、反省し、今からでも遅くはないから、出直していただきたいものである。

政治の流れを考える

2010年12月19日 11時55分51秒 | 思考試行
民主党には、綱領がないという。綱領は、どこの政党にもあって、理念を掲げているが、実態は、そんなにいつも問題になっているわけではない。それで、ないと、何か不都合があるのかといえば、日常の問題は、常に変化し、事態は変遷するのだから、そんな理念めいたものはなくても、そのとき、そのときの実情に応じて、政策を考えればいいわけだから、日常の政策の出し方で、政党の基本的姿勢がわかるというものである。必ずしもなくても良いのではないか。

今朝の、NHKの政治討論の番組で、自民党と民主党の石原幹事長、枝野副幹事長とそれぞれの応援者らしい外部のひとが付くという、テレビ討論をしていた。

石原氏の「保守としての立場」から、民主党の社民主義的な政策は、ポピュリズムであって、受け入れられないという考えが、出された。まさに、金持ち派であって、貧乏人の肩を持つとは、何だという姿勢である。

議会の討論を、あれだけ不毛にしたのも、単純に足を引っ張ることだけに、専念してきた自民党の本音を言っていた。どれだけ、弱者が困難になっているかに、何の関心もなく、ただただ、政権奪取だけが、目的化している姿勢がハッキリしていた。

民主は、菅氏という得がたい人材を得て、現実を見ながら、「最小不幸社会」を目指して行動している。そこには、現実主義的な、論理がある。与えられた環境下で、ベストでなくても、ベターを選択していく、その姿勢は明らかでである。

不毛な議会にして、政権を投げ出させることしか頭にない、バカなオボッチャンの論理が、通ってしまいそうな雲行きが明らかな中で、やるべきことをやり、提案していく民主の姿勢は、それで貫徹すべきである。自民党は、いつまでも、そうしてスネスネしていればいい。

そして、政治は、バカな連中を切り捨てて、正常な方向へと変わらざるを得なくなるだろう。

基地問題で、共産党は、アメリカへの再交渉を言い出している。こんなことは、自明のことであるがアメリカは、テコでも動かず、日本の首根っこを押さえ続けてきているわけで、鳩山サンもやれることは、やってきたが、結局はできなかったのは、アメリカが引く姿勢を見せないからであった。具体的に、共産党は、キチント独自の運動を展開すべきではないか。そんなに、アメリカへの要求を、運動化しているとは思えない。

景気にも連動し、アジアの世論もある。国際情勢との関連もある。難しい選択であるが、歴代政権がアメリカにきちんと要求できなかった事情もあるようだ。戦争を回避する手立てを確保することが、いつも大事である。簡単な論理では、事は解決できないと思う。

エラそうにされると腹が立つ

2010年12月18日 07時51分54秒 | 思考試行
のは、当たり前だろう。誇りを傷つけられ、自己存在が否定され、自己否定の感情が生まれてくる。そうならないようにと、人は努力する側面がある。しかし、人はそれぞれに、個性があって、万人が、魅力的だといわれるような、才能なり、成果が、その個人に備わるとは限らない。

才能の有無ではなく、人が、それぞれに、生きがいを持って、生きられる世界、社会を実現するのは、人類の共通の思いであろう。

選挙で選ばれ、代議士となれば、これは、国民の代表として、政治を司る権力を手にする。そこには、利権との、近い関係が生ずる。彼の胸三寸で、利権の流れが変わったりする。その流れのなかで、政治家自身も、蓄財し、それがまた、力の源泉となる。

かくして、彼はエラクなり、容易に人が近づけない存在となる。となると、弱者たる国民のことなど、眼中にはない。とる態度は、「エラそうになる」

自然の流れである。こういう人が、各界のトップに、ウヨウヨいる。となれば、こんな特権的な人間を作らないことだろうが、逆に、権力を握れないような人間は、努力が足りなかったからで、自業自得だという考えが、実は、社会の底流に、厳然としてある。

相対的に、貧しい状態になったり、困難な状況に個人が陥った際など、その人の状況が、悲惨であれば、あるほど、その人に、非難の目が向いたりする。現在の社会は、概観してこういう状況のように思う。

助け合って、生きていくことが当然である社会。これが、実現されれば素晴らしいことだと思うが、ドラマや、音楽など、芸術の世界では、こういう世界が描かれる。芸術の意味が、このあたりにも、あるような気がする。

現実の世界が、影響をうけ、ビジョンを得て、変化していく。今、まさに、そのプロセスの、大きな変化の渦中にあるような感じをうけている。

中国や、ロシアのふるまい、国際的な紛争。まことに、解りやすい「低レベル」の状況。こんな状況を、そのままには出来ない。人間が、そんな状況を、放置しておくとも思わない。誰かが、必ずやるだろうではなく、一人ひとりが、その意思を持つならば、その改革は、実現すると思う。

そうならなければ、おかしい。ところで、政治家が、偉そうにしているようでは、それは、まだまだの段階という、証左、表れである。