空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

小選挙区制の恐さ・・・どういう政治になるか

2009年08月31日 08時04分50秒 | 思考試行
初めての政権移動が起こった。これからの動向が楽しみである。

庶民の暮らしにどのように配慮がされるか。そのことが、社会にどういう影響を与えるのか。

自民党は、惨敗だけれども、もっと、右寄りに振れていくのだろうか。ホンネを鮮明にして、特性を出していくのだろうか。

それにしても、得票率の割りに、議席数が圧倒的な差になるのは、解せない。本来、民意の反映が政治の基本であれば、意見どおりに議席数が配分されるべきだと思う。

比例がなければ、もっと差がつく。これは、相当危険な制度であることがわかる。
小選挙区だけだと、一位以外は、意味がないのだから、選択肢が狭くなり、民意の大半が切り捨てられることになる。

たしかに、政治家の姿勢は変わるだろう。必死にもなるだろう。といっても、肝心の民意を正確に反映しないわけだから、これは、たいへん問題があるといわねばなるまい。

いずれにしても、政権交代が成立した。新しい政治展開を見守っていきたい。

選挙はどうなるだろうか

2009年08月30日 07時27分10秒 | 思考試行
常に変化するのが、この世のならいだから、留まるわけにはいかない。少しづつあるいは、大幅に変化していく。

昨日の友は、今日の敵であり、政党の消長の結果、再編が云々されるかもしれないし、離合集散があるかもしれない。

それも、各党の獲得議席数にかかる。

それにしても、小選挙区制というのは、少ない得票で、議席数は最大という考え方であり、そもそも民意を反映することを目指してはいない。

人間社会の面白みは、多様性にあると思う。価値観が、多様であればあるほど、交流も必要であり、討論も必須になる。そのなかで、合意を得て、政治を進めることになる。

少数意見がまったく通らないのでは、意欲はなくなる。当然政治参加などしなくなる。一部の利権集団が、全体の政治を動かし、それ以外のものは、諦めのなかで、事なかれ的な生き方を余儀なくされるのである。

選択肢が少なければ、考える余地もない。不満のなかで、選択することとなる。

この制度を考えた動機は、自党にとって、最も有利な制度ということで無理矢理に実施されたものだが、これが、今回は、対立構造が、富裕層と貧困層を二分する形になり、この制度の厳しさが出るかもしれないというのが、今度の選挙の特徴だろうと思う。さて、どうなるか。

「探偵ナイトスクープ」のすばらしさと背景

2009年08月29日 08時50分57秒 | 思考試行
生きていることが、うれしいかどうか。求めるものがあるかどうか。それが、自分のことばかりではなく、世の中すべての人に関わっているかどうか。

姿勢が、思いがつながっているかどうか。これが、その人の人生観に大きく関わる。

昨日の「探偵ナイトスクープ」は、一人旅の若い女性が、奄美大島を自転車旅行している話があった。心配した母親と、探偵石田が探しに行く。探し当てた石田は、密着取材を申し入れる。それを車の中で、母親が間接的にみるという話である。

健康的で、誰に対しても、自分から心を開き、一夜の宿を確保しながら、自転車旅行をする。彼女にかかると、大変なことに思えない。やすやすと人のこころをつかまえている。

そして、母親が心配していたのは、本当は家がきらいなのでは・・・ということだったが、「家が大好きですもん」「母もパパもすきです。」とあっさり。そして探偵石田が、両親に一言と勧める。そこで、「こんなに健康に育ててくれて有難う」といいつつ、笑いながら、テレながら、涙をみせる。

車中の母親の感動はいかばかりであろうか。本当にすばらしい家族である。そして、例によって西田局長は、ハンカチをもっていた。小生ももらい泣きだ。

それにしても、北野誠はどこへ行った。番組の力は、どこにあるか。本当は中味であり、出演者であり、実務に携わる者であるはずだが、だが、隠れたフイクサーがいる。そいつの機嫌を損ねると、誰もモノもいえない。

そういう、やるせない構造が、はっきりみえる。テレビで、庶民のすばらしさが、イヤでもでてくる。テレビ界の実情が、言わなくてもでてくる。これが、過渡的状況の世の中の実情である。

この制約や、ウラの真実や、力や、隠蔽があるから、そういうものと無関係の庶民は、健康であり、魅力があるのだろう。

ところで、いよいよ明日は選挙である。去年の年末の派遣村。今もつづく弱者切捨て、この憾み・・・絶好の機会である。投票だけで、その意思表示ができる。そして、この機会しかない。

「放送のやるかやらぬか、の力」に類似する力に対抗できるのは、選挙のときだけである。これ以外には、日常的には、ほぼ不可能である。

庶民をコケにし、馬鹿にし、切捨て、放置し、自分本位で、寒空に放り出して平気な連中に対抗するときである。真に対抗できるところに投票してほしいものだ。


過渡的な現象・・・損保業界事情

2009年08月28日 07時45分17秒 | 思考試行
過渡的な状態というのは、急に90度で変わったりしないで、徐々にカーブをつけながら変わっていくことが多い。それが自然である。

階段のような急激な変化というのは、自然の世界ではないと思うが、ある日突然に、変化が生じ、一夜にして物事が変われば、さすがに人は、感ずるだろうが、少しずつ変化させると、これがなかなか気付かない。

損害保険ビジネスは、今まで、代理店を通じて、保険を掛けるというのが一般的であった。この代理店を大規模化して、効率をあげる。そのことで、面倒をみる社員を減らすことが可能になる。間接経費がへる。保険料を下げるのかといえば、下げない。それで株主が儲かる。そうしたい株主が圧力を経営陣にかける。経営陣はこの営業戦略を選択しないと自らの地位が保てない。

この連中の報酬たるや、破格である。年収が半端ではない。社員の給料も、世間では明かに多いと言われている。それで、社員達の、組織への忠誠心は旺盛である。

損害保険の場合は、一年更新というのが、一般的なスタイルであるから、ビジネスとして、成立すれば、安定的である。それを上記のように変化させ、さらに、通信販売の手法を取り入れるなど、チャンネルを増やしてきているから、全体として、どのような姿になるのかは、将来は、不明であるが、いずれにしても、いま、過渡的な状態にあることは確かである。

そこで、小規模代理店を淘汰するために、まずは規模の小さいところは手数料率を下げる、次に、口座振込みなどの、キャッシュレスをしないと、これまた手数料をさげる。コンプライアンスに便乗して、代筆代印はだめ、立替えはだめ、といい、代理店を辞めさせる口実にする。さらには、キャッシュレスにしない契約がなぜ生じたか、理由書を書けと、しつこくせまる。

また、早期更改の必要性を強調し、更新満期前の日数が、平均で10日を切れば、解約をせまる。そして実行した成果を発表して、解約代理店名を内部的に公表する。ランキング表の欄の端には、泣きべそ顔の絵文字を貼り付けている。イヤガラセを堂々とする。どういう神経だろう。

長年のビジネスパートナーへの仕打ちがこれである。そして、これら代理店が所属する「支社」は、センター支社と称しているが、一般に公表されていないのである。会社のホームページには、でて来ない。外部的には、存在を公表せず、消されてしまっている。

契約をとろうが、落とそうが、関心がない。何か落ち度がないかと社員は「鵜の目鷹の目」である。そういう仕事をやる専門がいる。それ以外の仕事はしていないと思われる。

過渡的な現象である。いずれ、このような仕打ちを受け続けて、弱小代理店はなくなるのだろう。それまで、そこには、理不尽なイヤガラセ、底意地の悪い口実、慇懃無礼、無視、不誠実がはびこる。

これらは、誠実を看板に、顧客目線での姿勢を口実にする。従って、これに気付かない人びとも当事者にはいる。あるいは、気付かないふりをして、生活があるからと、日常を続けている。




変化

2009年08月27日 09時53分38秒 | 思考試行
変わるということは、そうせざるを得ない状況になったからそうする場合と、気分を変えるという意味で、今のままでもいいが、チョット変えてみるか、という場合、その他、何か気に入らないことがあって、そうする場合など、考えられる。

人間のみならず、万物は常に変化している。変化しないものはない。生物のみならず無機物であっても変化している。

となれば、何事も変化を恐れていては生きてはいけないわけで、意識も変化に対応する姿勢を持っていなくてはならないことになる。好奇心をもって、変化に対応すること、自らも変化する意志と姿勢をもつことは、生きていることを実感することでもある。

本を読め、旅にでなさい、というのは、変化をもたらすものとしての効用をいっている。確かに、家にいて、どこかへ出かけようかというとき、あそこもここもいったしなあなどと、思うのだが、実際行動に移してみると、思ったとおりではない風景を目にし、また、何らかの思いもかけぬ感動を得たりするのである。

これが変化の醍醐味である。選挙が、政権交代必至といわれているが、これも変化である。どう変化するのか、変化を楽しみたいものだ。

ただ、戦争を伴う変化を求める傾向だけには警戒が必要である。それは、過去の教訓を学ばない、酷薄無情の者が企む変化である。

独善という病気を直そう

2009年08月27日 00時03分16秒 | 思考試行
仕事はいつまでするのか。イヤになるまですればいい。あるいは、仕事を続けることが迷惑になるようになれば、自分で判断しなければならない。

収入もあまり高いと問題である。そこそこ生活できれば良しとしなければならぬ。あまり高給を食むことは、辞退するようでなくてはならない。

そう考えると、ほどほどの収入、仕事、それでいいのだと思えてくる。自分は良くても、世間はどうか。際限なく、儲けようとするもの、いくら働いても、収入が得られず、生活が楽にならない人、とかく、配分について、政治のサイドが考慮しないと、格差が生じてしまうことになる。

格差の程度は、現在の状況では、少しはあってもいいとは思うが、限度がある。適当ということもある。格差について、神経を配り、共生ということを忘れてはならないと思う。

独善がはびこりすぎると、人の世は、住みにくく、愉快なものにはならない。自分の都合ばかりを主張して、しかも、背景に自らの強者としての立場を、臆面もなく行使してくる。

こんな連中が、大企業の経営者になっている。会社の方針もそうしてきている。どうしても、退治しなければならない病気である。

どこからでも改善可能

2009年08月26日 07時12分35秒 | 思考試行
勝手にお金がはいってきたら、それは、大事に使うというより、思うさま贅沢に使うのだろう。そして、本人は贅沢とも思っていない。麻生首相のしているように、ルポライターに体験させている記事が文藝春秋にでた。ランクが違う。コチトラの月収ぐらいが、1日で使われる。

それが、本当に幸せかどうかは、解らない。だが、金に苦労しないということは、世の中の大半の悩み苦しみから、解放されることを意味する。

その代わり、庶民には、計り知れない悩みを持つものかもしれないし、それは、相当な恐怖をもたらすかもしれない。それは、転落の恐怖だろうか。人間としての真の喜びが得られないからだろうか。だが、おおむねそんな顔をしていない。幸せそうである。

喜びや、悩みというのは、人に蔑視されたり、蔑視したりすることと、関係が深いように思う。人の評価を気にする。そして、他人を蔑視して、喜ぶ傾向のものがいる。それを受ける側の怒り、悲しみをみて、ヨロコンデいるのだろうか。

歴史は、勝者が敗者を奴隷として扱い、今も尚、その習慣は続いていると思われる。勝者は勝者らしくふるまい、敗者は敗者として暮らすほかない現実がある。

勝者になるべく、学歴を競い、閨閥を築き、富を蓄財する。名誉が続く。権力を求める。そこに、人生の価値を求める。

その成果は、放置すれば、いつまでも続かない。さまざまに、工夫をこらして、子々孫々までと望む。制度的にこれを継続させようとする。そのようにして、カネモチはカネモチ社会を守り、継続してきている。

おいしいとされる階層は、その仕組みを継続し、守ってきた。そこで、政治の世界では、世襲制限という考え方がでてきた。選挙がすめばどうなるかはわからない。話として、公平に考える姿勢はあるよ、と示しているつもりだろう。

政治を志す以上、選挙民の考えに敏感でなければならない。そこで出て来た発想だろう。現実化されれば、他の制度にも波及する。階層社会の維持にもメスが入る。

明かに、新しく政治家を志望するものにとって、世襲は、大きなハンデであることは確かである。この壁は、越えがたいものがある。これは、これで実行すべきだろう。

弱者に対する扱いも変わるだろう。どこから始まっても良いと思う。世の中良くする方法、ネタはどこにも転がっている。


ウソと真実のハザマで

2009年08月25日 06時27分10秒 | 思考試行
すべての生命は、その始まりにおいて、一つのようである。分岐を重ねて、現在の姿がある。不思議なことであるが、動物も植物も、その根源をたどれば共通の祖先にいたるという。

生命活動の何たるかが、科学的に解明されてきたなかで、生まれてきた事実認識なのだが、常識とはまだなっていないような気がする。だが、その話を一言聞けば、大抵の人は、なるほどと、すぐに納得するだろう。

積み重ねてきている科学的知識が、簡単にその正当性を理解するからである。

ところが、そうしたことに関心をもたないグループがある。科学的な姿勢を持たず、何ら根拠のないものを、根拠あるもののようにし、これを人間世界に持ち込む。

予言を口にし、根拠を示さず、もちろん示しようもない場合が多いであろうが、断定的に人を脅し、ドラマを作る。それで、結構な財産を築いているらしい。

娯楽として、架空をうたっているならいいが、真実らしい風に言う。貴方のそばに霊がきている、などという。そして、その霊が、当たり障りのない常識的な、模範的な考え方について、アドバイスをする。話に問題はない。

前提の霊がきている云々を除けば、悪いことを言っているわけではない。だが、その前提が、ウソから始まっている可能性が高い。もっといえば、証明できないことを、証明済みのようにいうのは、ウソとして扱うのが正しいと思う。

こういうのに、やすやすとのってしまう実態は、いつまでもなくならないのであろうか。何を言おうと、見えるという者を押さえつけることはできないので、こういう連中は活躍できている。

見えないものには理解できない世界であり、疑わしく思いながら、うその証拠を見つけようと、観察するばかりである。

ところが、夢をみたり、論理的でない思いもかけない力で、仕事が進んだりすると、人はもしかして、と思うこともある。自分でも信じられないほど、物事がうまくすすんだりすると、かもしれない、と思う。

それを神のせいにするか、霊にするか、それは、その人の感じ方であろう。人間の構造として、素直にそういうこともあるのか、であってもいい。それなら、いちいち霊を登場させなくてもいい。

霊媒師は、昔からいる。ウソツキなのか、真実なのか、宗教とも絡む。科学の進歩は、彼らとの闘争のなかで、進歩してきたという説がある。事実を証明して、彼らを追いつめ、結果として、全体の進歩が勝ち取られてきた。

簡単にウソも方便などという考え方には、ホンネでは納得しないけれども、それはそれで知っておいて、いろんな芝居見物をしながら、コチトラも時にシバイをしながら、世の中を、本当に良くしていきたいものだ。

寄付態勢の仕組みをつくろう。

2009年08月24日 07時25分36秒 | 思考試行
新聞やその他のマスコミ機関の世論調査では、民主が相当の議席を占め、自民党はたいへん苦戦しているという。

今までのツケがたまりにたまって、それを払わなければならない時期が来たといえる。弱者の嘆き、富裕層の期待にだけ応えてきたのだから、それは当たり前といえる。

アメリカの独善的な要求に唯々諾々と従い、そのことさえ忘れなければ、大過なしとする安直な政治姿勢。本当に、一人ひとりの国民のことを考えてはいない政治姿勢。これでも、政権におられるとすれば、国民はよっぽど馬鹿だといえる。

世界に視野を広げ、国民の生活に目をくばり、世の中を本当によくするんだ、という姿勢が貫徹されれば、紆余曲折があろうとも、それは必ず実を結ぶであろうと思う。かれら自民党はそうはしてこなかった。

富裕層は、海外でもどこへでも行けばいい。彼らはそうやって、現政権に脅しをかけて、マンマとその果実を手に入れた。彼らが、考えを改めるならば、やるべきことは山ほどある。

勲章が欲しければやるし、名誉が欲しければやろう。ただ、その富を集中し、独占してはいけない。それを吐き出しなさい。ということになる。でなければ貧困層は、救われない。工夫して、邪魔になるほど持っているその富を拠出することである。

思ってもみてくれ、去年の暮れに寒空にハケン村ができた。富裕層の強欲が作り出したものだが、それは彼らが原因を作っただけで、そのために尽力したというわけではない。篤志家の努力、やむにやまれず立ち上がった人びとの力があった。

こういう力を、軽視するならば、今度は、富裕層が分析されて、今までよしとされていた価値観が逆転して、なんという悪辣なことを平気でしていたのか、という非難を浴びなくてはならない。

今からでは遅いのかもしれない。だが、仕方がない。貧困層のために、何ができるのか、真摯な反省のもとに、寄付のための仕組みづくりを考えて行動に移してもらいたいものだ。

「あったりまえ」のこと

2009年08月23日 08時46分27秒 | 思考試行
選挙もいよいよ終盤。長期の展望が語られていない、などと評論家が言っている。長期のことなど、どうやって示せるか。

言えば、夢物語というだろう。

そんなことが焦点ではない。小泉改革がなんであったのか。弱者を踏みつけにして、金持ちがますます強くなる、こんな世の中オカシイ。

そんな声が、大きくなってきたにすぎない。アッタリマエのことだ。

資本主義が、自由気ままではいけない、という反省がそこにはある。それも当然。

長期のビジョンでいうなら、国同士が、決して、戦争をしない関係にお互いがなること。

それが長期のビジョンだ。わかったか!

立場で、どう思うかで、やり方が変わる。

2009年08月22日 10時25分35秒 | 思考試行
企業がリストラせずに、仕事を休み従業員に休業手当を払う、これに対して、国から補助金を出すという制度がある。休業手当の一部といっても、原則8割、解雇をしていなければ上乗せされて、9割が支給される。

大阪でも、当初受け付け場所が一箇所に決められていたこともあって、5時間待ちという時もあった。今は、各ハローワークでの受付もされていて、集中度合いが減っているのか、昨日元の唯一の受付場所であった北の会場へ行ったところ、なんと待ち時間ゼロであった。

受理のための要件も、かなり緩和されている。不備があっても、致命的なものでない限り、受理して、資料の追加送付という具合に対応する。この扱いが、必要なのである。とにかく受理にならなければ、期限があるので、なにもしなかったことになり、完全なものになるまで、申請する側は、何度でも行かなくてはならない。

役所サイドが、この事情をよく知っているので、致命的でなければ受理する、としているのである。だが、末端受付へ行くと事情は変わる。不備書類を保管することの困難さがあり、まず、受理ということはしない。自らの便宜が先に立つのである。平気で差し戻しをする。

緩和されているとはいえ、役所の感覚からいえば、グズグズの審査基準、受ける側からいえば、面倒くさい、うるさい、手続きなのである。そのやり方で、大きな違いが生ずる。

認識はそれぞれの立場で変わる。背景には、何を重視しているかにかかっている。親切なこころ、相手を思いやる気持ちの有無によって、やり方がまったく異なることになる。

その心根を、しっかり見定めて、選挙にも臨むべきだし、対人関係もその観点からみていかなくてはならない。冷たい儲け本位、自己本位の姿勢がみえたなら、はっきりとオシオキが必要である。そんな連中がゴロゴロしている。

もっとも大事なことは平和

2009年08月21日 11時04分40秒 | 思考試行
選挙が近づき、新聞では勢力予測の記事が盛んにでるようになってきた。大方の予想は、民主の勝利を伝えている。

今度の選挙もそうだが、いつも忘れてはならないのは、平和ということである。極端なことをいえば、バラマキや制度のことはもちろん大事なことではあるが、平和がもっとも大事だと思う。

憲法9条だけは、捨てない、変えないという一点のみが重要だと思う。これさえあれば国として、戦争はできないのだから、これを大事にする。これを確約している政党は、共産党と社民党だが、社民は民主と組もうとしており、その意味では危うい側面も見受けられる。

前回の選挙のこともある。あまりに、改憲勢力が、多数を占めてしまうと、話がかわってしまって、憲法9条を変えようとなれば、すぐに可能となってしまう。これは、避けたい。となれば、共産党を伸ばしておかないと危険ということになる。

小選挙区制では、多様な意見を反映させることは難しい。それが、政治への無関心を呼ぶ。誰もが望んでいる平和が、簡単に崩れてしまう可能性をいつも秘めている。恐ろしい制度ともいえる。

あれだけの犠牲、困難があっても、それが教訓にならずに、またぞろ、その失敗を繰り返す恐れがある。そういうことにならないためにも、あまり、流れにフワフワしないで、しっかりと選択したいものである。

曖昧にしているものに危険の本質がある。

2009年08月20日 08時32分14秒 | 思考試行
世界陸上をみていると、競争の意味を思う。世界記録が出て、誇る選手。人間の能力が具体的に伸びるサマを、現実のものとして見るので、確かにドラマチックではある。

100メートル走など、9秒台は当たり前となった。ほんの少しの差であっても、一位と二位との差は大きい。この差が、人びとの努力の源泉となっている。必ずしも、努力だけではないが、努力なしには、この結果には到達できない。

だが、わずかな差を、そんなに、メクジラたててどうするのか、とも思う。非凡であることは、ある水準からは、明らかである。それを認めることも重要ではないか。一位だけに価値があるとは思えない。

その意味で、今の小選挙区制は、この選挙制度の考え方は、民意の反映を考えるならば、一位のみに価値を認め、そのものに、全体の意志を託そうというのだから、この競争観に共通する。

議席の数と、民意の反映がイビツになる。平和を望む人が多数であっても、少数の戦争したい勢力が、全体を引っ張っていってしまう可能性、危険性がある。

前回の小泉劇場選挙では、郵政のことだけで議席をかすめとり、その後は、案の定、憲法9条の改悪の話までになった。

戦争ができない仕組みを、ぶっ壊したい、これが彼らのホンネである。こんな連中で、多数を持たせるとロクなことはない。

政権交代は、単に、経済やバラマキの多寡を競うだけではダメで、憲法9条について、曖昧にしているようでは、まことに危険と言わねばならない。

これは、常に争点でなければならないし、これを隠している連中のホンネを、よく見ていないといけない。

人間にとって必要なこと

2009年08月19日 07時29分22秒 | 思考試行
人間の条件という小説があった。映画にもなった。今、あまり、語られない。だが、非正規雇用が問題になり、人間を使い捨てにする政治が現実のものとなり、年末の寒空に放り出された人びとが、21世紀の世界の一流国を標榜するこの日本で、大量にうまれたことを忘れてはならない。

ここには、極めて残酷な拝金主義の犠牲の現実があった。理念なき浅ましい資本の論理が臆面もなく実行に移され、政界財界官僚たち、富裕層が、貧困層を踏みつけにした。

この罪業が放置されていいわけがない。どうすればいいのか。選挙の今の時期に、有権者の質がためされる。本当に、どこが、誰が、庶民の暮らしのことを、考えているのかを選ばなければならない。キャッチコピーに騙されてはいけない。理念をみないといけない。

組をくんで、創価学会が走る。あちこちで、エールを送りあっている。大した行動力である。寒い。他の、宗教政党も金の力を背景に、とぼけた世界観を語っている。雑音が多い。

そのなかで、静かに、考える。自分が判断する。結局、世の中をどうして行くのか。どうしたいのか。自分の頭で考える。

オバマが核廃絶を言った。あたりまえのことである。だが、これを実行するのは、簡単ではない。なぜなのか。

人間の行く先は、まだまだ克服すべき課題が多い。まずは、あたりまえのことを、本当にあたりまえにしていくことである。

法則的なこと

2009年08月18日 08時19分38秒 | 思考試行
迷ったり、悩んだりすることなく、大人になることはできないと思う。若いときから、迷うことなく、悩むこともなく、一直線できているとすれば、こういう人は、少し特殊とみていいのかもしれない。

カルト教祖か、独裁者か、と思ってしまう。あるいは、誰かにくっついて、自分の頭で考えたことのない人か。

だが、悩んだり、迷ったことがあるからといって、それで、万全の人間にはなれないし、そもそも、万全な人などいないに違いない。

ある程度の欠点、長所を持ちつつ、また、相性というようなもの、それらが、混ざり合って、人間世界が展開されているように見える。

相性も、変化する。絶対ではない。嫌いあっていたのが、親友になることだってあるだろう。

人気という得体の知れないものが、介在して、芸能タレントのギャラが決まり、そのタレントが宣伝すれば、あるいは、あるファッションをすれば、売り上げが上がる。

どこかに、本質のようなものがあって、その法則が、世の中に動きに決定的な影響を与えているような気もする。

それは、何か。個人の内面にあるのではないか。いい加減な姿勢、人任せな姿勢、群集心理的な要素、こういうものに振り回されている人が多いと、世の中、不安定になる。

しっかりと、自分の頭を働かして、質を高めていこうとしているならば、世の中は必ず良い方向へ向かうと思う。また、そう思いたい。