空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

サッカーは終わった。・・・が始まる。

2010年06月30日 09時38分58秒 | 思考試行
激闘の120分。よく頑張った。全体として、実力的には、パラグワイが上だったと思うが、よく耐えて、また、攻めて、力の限りを尽くした。

この姿勢は、何事にも通用する。学ぶことが多い。チームとして、よく団結し、「仕事」をする集団としての魅力もあった。

体力、技術、そして何よりも、心がけだ。これらすべてが、関連している。どれが欠けても、うまくいかない。

庶民たる我々の生活においても、内容こそ変わっても、取り組む姿勢としては、同じことである。真面目にとりくまないと、支障が生じる。

世界が、同じゲームで、楽しめる。そして、お互いの国情が解ったりする。国際交流の、本当にいい材料である。人類は、いいゲームを持っている。

さて、日本のゲームは終わったが、これからのベスト8の戦いぶりが、楽しみである。多くの感動的な場面が見られるだろうし、そのなかから、新しい人類の、希望が生まれるかもしれない。

勝利に酔いしれるだけではなく、普遍的なものを求めて、人類は進歩していくべきで、より感動的な人生を世界中が、味わう方向へと、その歩を進めていってほしいものである。

アナウンサーの横暴

2010年06月29日 09時12分20秒 | 思考試行
マスコミの風潮が気になる。公正でない。ヘンテコな個人の意見を、あたかも国民の総意であるかのように、言うことがある。

民主党の菅さんのことなどを、まだ、何もしていないのに、批判めいたことを言う。悪意を感じる。自民党との関係があるのか、何かわからないが、恣意的な報道姿勢は、見苦しい。

新聞の論調も、日経などは、相当に、自民党政権からの恩恵を受けてきたその恩返しとも思えるぐらいにみえる。

無責任な発言は、世論を誘導することもあり得る。高額のギャラを貰いながら、貧乏人の気持ちがわかるかのように、セコイ人間像を、庶民の代表みたいにして、自分達をその味方であるかのようにシバイする。

非正規労働が、どれ位残酷なものか、こういう昔は非合法とされていたことを、合法化し、そして、寒空に、真面目に働いてきた多くの人が、野宿を余儀なくさせられた。

小泉らの犯罪的行為の後遺症は、いまだに、現役である。公明も手を貸した。彼らのしたことが、どれほど犯罪的であるか、マスコミは、きちんと伝えていない。本質を伝えない。ゴマカシの積み重ねを続けている。

実際、庶民は、それほどバカではない。といって、何とも騙されやすく、簡単に意見が操作されてしまう面もある。

マスコミが公正でなければ、それなりに、反応し、その思惑が反映される。影響力がある。まともな意見を吐くならともかく、ロクでもないことを、堂々と言われると、腹立たしい。

客観的な報道のなかで、捨て台詞的に、アナウンサーが、一言余計なことを言う時に、アンタはナニサマだ、と怒鳴ってしまう。

すばらしい人生のために

2010年06月27日 09時46分13秒 | 思考試行
戦争のない世界を作ることは、誰にもあたりまえのことなのに、世界はそうはなっていない。何故なのだろうか。すべての人が、本気で、戦争をなくすためには、と考えてはいないからだ。

もっといえば、戦争を必要と考えているものも明らかにいる。武器を作るものは、戦争がなければ、生計がたたない。儲けることができない。武器商人は、政治権力と手を結び、庶民を犠牲にして、戦争政策を継続させるよう画策する。

どこから、この悪の連鎖を断ち切るのか、どこから、始めるのか、これを言い出すことができるのは、憲法9条を持つ日本の仕事である。

憲法9条を変えて、普通の国になりたいという連中、自主憲法制定などと、アナクロがかった主張を繰り返す連中の頭のなかは、戦争についての認識が、軍国主義にはならないといいながら、戦争そのものを、否定してはいないのは、論理上明らかである。

戦争すべきときは、するという考えである。戦争を絶対にしないという構えでは、全然ない。

必要悪などと、嘯き、理想と現実とは違う、などと言うのだ。かれらこそ、真剣に戦争をなくそうとする心ある人びとの、真の敵である。彼らこそ、戦争がおさまらない元凶なのである。

非常に狭い視野、思考形態を、臆面もなく披瀝して恥じない。選挙のときなど、政治家の主張がながされるときこそ、その本音をきちんと把握するチャンスである。戦争肯定勢力の実態を、よくみておかなければならない。

実は、こういう連中は、政治家の多数を占めている。庶民の感覚とは違うことを、よく知っていなければならない。彼らは、庶民が、そういう気分になったとき、直ちに、手を打つだろう。いつもその機会を狙っているとみていいのではないか。

きちんと、戦争に反対し、心から、平和をめざす人びとのくらしぶりこそ、すばらしい人生のための、前提条件である。戦争を肯定し、国際紛争をネタにして、儲けの手段と考えるようなヤカラを厳しく監視しなければならない。 

カンカンだけでは駄目なのかもしれない。

2010年06月26日 11時45分58秒 | 思考試行
デンマーク戦をみていて、力を入れると、駄目で、成功したときというのは、なんとも見事に力が抜けている、という感じがしたことである。

集団の、たった一つのボールのヤリトリで、こんなに、世界が興奮するのかと、まったく不思議な感じがするが、たしかに、すばらしいゲームである。

肉体の力だけではなく、精神力、団結力、臨機応変に対応するチームプレイの魅力を存分にみせてくれる。そして、個人の力も、基本に肩の力が抜けたような状態でないと、うまく行かないことが多い。

冷静に、ゴールする本田選手の姿は、そのことを、現実に示していた。何の世界にも共通するような、シタタカさで、落ち着いていて、見事であった。

これは、応用できる。普遍的な、ことにあたる人間のモデルとなりうる姿勢のように思う。手術する医師、精妙な仕事をする人にとって、共通することではないか。

我々、庶民にとっても、日常生活において、瑣末なことに、メクジラをたてるのではなく、この冷静さを学ぶならば、多くの、困難を回避し、トラブルも避けることができるのではないかと思う。

それにしても、サッカーが、こんなに面白いとは思っていなかった。90分が、短く、そして、なんと絶妙な時間なのだろう。肉体の限界、精神力の持続、リズム、これらが、相互に関係して、そして、結果について、双方が、もうこれでいいだろう、という気分になれる。

守るか、攻めるか、姿勢が試される。技術だけではない要素。サッカーから、多くの示唆を受けたように思う。肩の力を抜いて、課題に立ち向かうこととしよう。



また君に恋してる・・・

2010年06月23日 10時25分02秒 | 思考試行
なにを隠そう、カラオケの練習曲に選んだのは、これだった。出だしがうまくいかなくて、まる三日、今朝、寝床のなかで、ついに掴んだ、という感じになった。

朝の、寝床のなかで、妻にむけて、披露する。いけた。ジョウズ、ジョウズと妻は、合わせてくれた。

随分と時間がかかるものだ。新しいことをするのは、エネルギーもいるし、根性もいる。もう覚えられないかと、思いかけていたころだったので、今朝のトライは、やってみてよかった。

やはり、努力の効果はあるということである。今度カラオケに誘われたら、軽く、挑戦しようと思う。低く出て、力まずに、のびのびと、歌ってみよう。

昨日だったか、ラジオをつけたら、偶然、なじみのイントロが流れた。ビックリした。坂本冬美さんの声が流れ始める。細部にわたって、耳を澄ませて聞く。これも、挑戦中だからこその、集中である。

本当にうまい。実に、丁寧に歌っている。これは、何事にも通ずることであるなあ、と感じ入る。それにつけても、拙者の仕事ぶりは、どうなんだ、と自問自答してみるが、すぐにやめる。

もう遅い。といいつつ、まだ生きているのだし、やはり、心がけることは、チャントしていかなくてはね、「出来る限り」。

ということで、あまり、追い込まないで、やれるところで、やっていくしかない。「人には厳しく、自分には、甘くか、」という声が聞こえてくる。そういえば、放送大学の読み込みは、すすんでいない。

利他と利己

2010年06月22日 10時17分18秒 | 思考試行
利己は、結局のところ、自分のためにならず、利他は、逆にまさに、自分のためになっている。不思議なことに、利他を心がける人は、すばらしい人生を送り、周囲の人のみならず、多くの人に、希望や生きがいや、感動を与え、自らも、豊かな人生を送ることになる。

利己は、富をなしても、それは空しく、周囲の人々を、失望と困難と、悲しみに苦しませ、本人もまた、金の力で、偽の幸福感を持つものの、その空しさに、ココロの底では、気付いている。死ぬまえに、感想をきけば、人生はつまらない、というだろう。

自然の振る舞いは、どうだろうか。とりわけ、動物の世界は、弱肉強食であることは、疑いないがしかし、限度をこえない。越えたときは、滅びるほかない。植物の世界でも、日光を求めて、すさまじい場所取りが行なわれている。与えられた環境から、自己保存の、方策をとる。方向を変えて日光を求めて、枝を伸ばす。変形を厭わない。無理とみれば、小さく生きる術を探る。

生きとし生けるものは、必死に努力をしている。利己とみえるが、そこには、限度の塩梅がはたらき、根こそぎ利己ではない。そういう種別は、生存の継続ができない。

人間は、知恵を持ち、産業革命以降、格段の繁栄を謳歌し、今や、地球環境に影響を与えるまでに、増殖してきた。ある分野では、先の先まで、見通すことも、可能となりつつある。そうした中で、日常生活についても、メスをいれて、個々人の生き方についても、深い考察が必要となってきている。

基本の姿勢が大事になってきている。個々人の考え方が、社会に影響をあたえ、仕組みに反映される。いろんなあらわれから、変化の兆しを掴み、また、変化をあたえるべく、ささやかな力を、出していこうと思う。

畳の上の水練

2010年06月21日 08時20分47秒 | 思考試行
カラオケのために、練習を始めて、何と、メロディーが覚えられないことかと、慨嘆しているのだが、それでも、続けていると、声をださずに、頭の中では、いけるかな、というところまで来た。

ところが、口に出そうとすると、頭の中で、できていたのに、違うものがでてくる。まさに、畳の上の水練状態である。だが、いままで、頭の中に、浮かべることさえできなかったのだから、それは、わずかに、進歩してきたと思うべきだろう。

努力の成果とみると、これは、ステップの一段階であろう。いままで、多くの「歌」を覚えてきたのだが、まったく意識していなかったことで、こんなステップがあるとも思っていなかった。

おそらく、頭の中で、できた後で、歌えるようになっていたのかどうか、ほぼ同時位だったのかもしれない。頭の中で、できれば、それは、すぐに口にでるという具合ではなかったか。

意識することもなく、次々と新しい曲を覚えていたのが、今や、こんなに打ち込んでいるのに、この状態である。これが、年ということだろうか。

見方を変えると、それは、楽しみの期間が長いことを意味する。簡単に覚えられたら、つまらないなんて、負け惜しみだろう。ただ、いそがなければならない話ではない。

ともあれ、実態は、受け入れるほかない。いつの日か、持ち歌にできるように、努力を続けるのみである。

カラオケ対策

2010年06月20日 07時10分57秒 | 思考試行
たまに、カラオケに誘われて、そのたびに、準備がないことに悔やむ。それで、ついに、「持ち歌」作りにのりだした。

練習すれど、なかなかメロディーが覚えられない。伴奏をとめると、とたんに不安定になり、他の曲を聴いたりすれば、たちどころに、その「本命」の歌が、完全に消え去り、出だしもアウトとなる。

何度も聞き、歌手と共に、口ずさむ。くりかすうちに、少し光明が見えてくる。いけた、と思っても、それは、ぬか喜び。

まだ、ホンモノではない。すぐ、どこかへ、飛んで行ってしまう。

こんなことを、夫婦でやっていると、不思議なムード。これも、歌の効用である。「歌はすばらしい」

昔、音楽の先生に、君達、いつか必ず、好きになるときがきます、といわれ、みんなで、「ナレヘン、ナレヘン」と言ったことがあった。

その風景が、くりかえし思い出される。先生の予言的中である。

たいへん申し訳ないことを、言ったものである。先生の、そのときの様子は、確信をもってというより、悔しい、という感じが強かった。

先生、本当にすみませんでした。

先生の悔しさが、なかなか歌を覚えられない、呪縛となっているのかもしれない、なんて思ってしまう。伸び伸びと、歌ってみたいものだ。

巨大マネーとの戦い

2010年06月19日 13時08分34秒 | 思考試行
国家予算に匹敵するほどの、マネーを集めて、投機行為をする集団がある。巨大なマネーが、市場に入り込むと、為替取引にも大きな影響を与える。

マネー自身は、利益を求めて、動く。巨大マネーを持つものは、働くわけではない。弱者のわずかな金も巻き上げるようにして、富が富を呼びこむ。

弱者は、最低限の水準まで、落とされる。国際競争の口実のもと、世界の最低水準を目指して、弱者は、追い込まれてゆく。

強者は、競争に参加するもよし、止めるもよし、選択の余地がある。慌てることはない。資本の論理を振りかざし、弱者を切捨て、資本主義社会は進む。

その結末はどうなるか。弱者は、いつの日か、立ち上がらなければならなくなる。この不公平を、糺すのは、弱者が原動力である。選挙があるところでは、わずか一票の選挙権を行使するだけでよい。

もっとも、弱者の味方であると思われる政党に、投票する。それは、マスコミ受けしない政党だろう。差別され、異端扱いされているだろう。その政党を支持するといえば、公言すれば、差別を受けるかもしれない。

その政党自身は、もう充分市民権を得ていると思っているかもしれないが、実態はそうでもない。創価学会とは、わけが違う。言うことはない。言えば、ソンをするだけである。うまくしないと、反革命だって考えられる。今は、黙って投票するだけだ。

チャクチャクと、弱者は、立ち上がる準備をしなければならないのだが、当面は、この政党を伸ばすほかない。何も、騒ぐことはない。

ただ、投票するだけである。最初はそれだけでいい。組織に入ったり、上滑りの運動なんかに、関係する必要はない。単純に、黙って投票するだけである。

世論調査という、マヤカシのスパイ活動には、まともに答える必要などない。ウソをつく。そして本質的な弱者の味方に、取りあえず投票する。当面、それだけでいい。

それが、弱者の巨大マネーに対する、唯一の闘争手段である。

映画「孤高のメス」をみて

2010年06月18日 16時39分26秒 | 思考試行
あまり、ヒネルこともなく、気持ちよく、いい映画をみた、という気分である。格別に、スリルとかサスペンス満点というわけではない。

しかし、あと味がいい。大學から、派遣されて、きている医師が、いずれも、しようもない医師像になっている。

こんな実態が、果たしてあるのだろうか、と思いつつ、医師へのお礼の話は、結構当たり前のようで、そうしないと、差をつけられたりするから、金がものいう現実はあるのだろう。

大學から、抗議等はないのだろうか。一応フイクションと字幕をいれているから、これでオッケーなのだろうか。

人間のやる気、の大切さを、真正面から、とりあげているので、文句のつけようがない。

世のすべての、人びとが、このような心構えで、暮らしていきたいものである。

手術場面では、臨場感があって、ホンモノの手術とどこか違うところがあるのだろうか、と思った。よく研究されているのだろう。

堤真一扮する外科医が、女性には、まったくと言っていいほど、関心がない。これが、話をシンプルにしている。仕事を通じての、人間関係の理想がみえる。そこへ、演歌をからませる。真に、医師の本分に徹底しているから、物語がスッキリしている。

久しぶりに、映画をみて、スカッとした。が、ドロドロしていないと、何か物足りないのも事実でそれだけ、こちらが汚れているということか。

集中力と「分散力」

2010年06月17日 07時43分25秒 | 思考試行
すべてのことをしようとすると、力が分散して、結局は何もできないことになるから、集中しなければ、モノにはならない。

移り気で、何をしても、身が入らない。次から次へと、転職する。興味の対象も、どんどん変わる。

こういう人間は、役立たずであろうか。そうとも思えない。こういう人は、世間的には、成功しないだろうし、なんとか、生業を得ているとすれば、そこでも、目立つ存在ではない。

人生にどういう意味づけをするかと、いう難しい問題に立ち至ることもない。興味のままに、生きていくのだから。

となれば、それは、それなりに、健康であるともいえる。

自身の人生を振り返ってみて、それなりに、その場その場で、充分ではないが、仕事をしてきて、何もまだなし遂げたという実感がないなかにいることを、思う。

単に、生存してきたに過ぎない。それでも、人命救助を、軽くしたこともあった。そのおかげで、何度も助けられたこともあった。

かすかな、誇りというか、貢献したという実感もある。しかし、思い返せば、多くの命を奪い、消費してきた。収支は、合わない。

誇るほどのことでもない。

目立ったこともできず、ただ生きる。そのうち、そのうち、と思っているうちに老いがくる。だが、分散しているから、興味の対象がつきない。

そこだけが、いい所といえるだろうか。

対策・・・戦うこと。

2010年06月16日 10時31分19秒 | 思考試行
問題に対して、どう解決していくか。そのときに、何が問題であるかのとらえ方について、考えるとき、ある人にとっては、なんの問題にもならないことが、ある人にとっては、不満で、問題だということがある。

とらえ方であって、種々の要件を考えて、有難く思える人と、問題を見つけて、不満タラタラの人もいる。「感謝」を知らない人は、特に、後者の立場になることが多い。

自分のことばかりで、他者のことは、考慮しない。こういう人は、ある意味、進歩の原動力になることも多いので、あながち、全否定はできないのだが、当事者にとっては、ワガママな、まことにやりにくい相手であることは、間違いない。

ストレスを周囲に与えて、平気な顔をしている。利己的な態度は、その人を、結局は、自分自身の人生を、つまらないものにしてしまい、人生そのものの魅力も、充分には味わえずに、暮らすこととなっているのではないだろうか。

感謝の心をもって、利他的に行動することを、心がけている人は、結局は、温かい、感動することの多い、豊かな人生を過ごしている。たとえ、貧しくとも、豊かなのである。

同じ生きるのなら、こうでありたい。そのなかで、自分のことばかり、言っているような人は、どうしても、周囲に迷惑をかけることになる。周囲のさまざまな、ココロ使いに気付くこともなく、その人たちに、失望とやるせなさを、ぶちまけている。

そういうことに気付かないことが、最大の問題なのである。こういう人に対して、どうすればいいのか。通常は、敬遠して、近づかないことだろうが、身内であったりして、そうは出来ない場合は、深刻である。

であれば、やはり戦うしかない。その理不尽なことを、主張し、ぶつけるよりない。「戦う」ことが対策である。それが、お互いのためなのである。犠牲者になってはいけない。

今の世の中、属人的なことではなく、社会の仕組みについても、富裕層の考え方ですすめられている。まさに、弱者切捨ての利己主義であるから、問題は、普遍的だといえる。ここでも、戦うことが、唯一の対策である。戦わずして、勝ち取れないのである。

人気の源泉

2010年06月15日 20時46分45秒 | 思考試行
映画俳優であるとか、歌手、舞台俳優、スポーツ選手など、人気商売といわれる職業がある。同じように、顔の造作があり、そう大して変わりがないと思われるのだが、エライ人気があって、それが、大きな富を生む源泉になっている。

周辺に、ビジネスが生まれて、産業になる。普通の人間と、どこに、差異があるのだろうか。ハリウッドの映画スターの生活ぶりは、庶民の羨望の的であり、彼らの、その生活スタイルが、また、人気の源泉であったりする。

特別な人間は、特別な暮らしを、というわけである。映画のスターだけではなく、スポーツ選手、歌手、ゴルフ、などなど、各界にスターはいる。いずれも、高額な所得を誇る。

普通のサラリーマンなど、及びもつかない。

特殊な技能を有することが、その人気の源泉であることが多いものだから、ゴルフ選手など、幼少期から、トレーニングが、実行される。

石川遼選手など、その典型である。高校生であるにも関わらず、もはや、普通のサラリーマンの生涯年収を、はるかに上回る収入を得ている。

その特殊さが、人気を生む。付随するメーカーが、関連してビジネス化して、商売にする。
本質的なことではないが、余裕のある暮らしの中で、新しいビジネスが生まれているのだ。

マスコミに登場して、多くの人びとの親近感を獲得する。これこそ、人気の源泉である。庶民の暮らしのなかでも、親近感を持たれることは、財産である。人に好かれるということは、大事なことなのである。ゴマカシではいけないのだ。

誠実で、感謝をわすれず、謙虚で、利他的なのである。大いにマネようではないか。世の中少しは良くなるに違いない。


場末のスナックにて

2010年06月14日 08時14分55秒 | 思考試行
集まりがあって、その帰りに、恒例のようになっている二次会に行った。二箇所、幹事は、コマを持っているが、一箇所が、まだ店を開けていない。

どうやら、コチラの方に行くつもりでいたらしいので、足が鈍りかけたところを、小生が、もう一つのところで、いいではないか、みたいなことを言ったもので、そうなってしまった。

なぜ、もめるようになっていたのか、事情を知らない。幹事の態度からは、どうやら、相当の事情があったようである。

店の主人は、気付いていない顔をしている。

お客の層は、歌謡教室の生徒、「先生」らしく、みんなシラナイ歌を歌う。ウマイ。言葉がはっきりしていて、ビブラートをきかすオッサン。力強い。

この客層も、幹事は気に入らない、ようだ。

小生は、ここへは、一人では来れないし、幹事もそうだ。にも関わらず、ここにいる。

人生の妙。そして、小生にとっては、それなりに居心地がいい。こういう世界もあるのだ。

Tumikasane

2010年06月13日 07時27分47秒 | 思考試行
kono burogu mo tumikasanete suujidakeha sugoi kotoninatteiru.

hontouni konnani takusanno hitoga miteirutoha totemo omoenai.

mou 8mannin mono hito ga mitakotoninaru.

sonnahazuwanai,

tanni tumikasane no naseru kekka dearu.


* * *

kansan ha douyara heiki de housin henkou wo surumitaidearu.

jijyouga kawareba henkou suru.

kirikaeru kotoha itami wo tomonauhazu daga douyara soreha

karejisin taiken sitekitakotodearukara sonnakoto niha nareteiru no darou.

iidehanaika suki nisitekure.