歴史を学ぶにあたって、過去の経緯は、今のくらし、そして将来の暮らしにどう関係するのであろうか。
韓国は、日本によく過去のことについて、もっと謙虚であれとか、謝れとか、国家間で解決済みとなったことでも、それは前の政権の話であったので、無効だといいい始めたりしている。
これでは、日本は、際限なく、謝り続けなければならないことになる。いつまでも、過去のことを言い募るのは、どうかと思うが、そこに論理的な事情があればともかく、なんでもかんでも、恨み骨髄というのでは、もつれた糸をほぐすことはできない。
韓国の様子は、どんなに、謝ろうが、賠償をしようが、とにもかくにも難癖をつけてやろうという姿勢が明らかなようにみえる。
そして、今回のレーダー照射事件で、明らかなウソをつきとおし、さらに、難癖をつけてきている。これは、歴史問題ではなく、今の問題である。これでは、もはやつきあいようがない。論理の通らない相手とは、話ができない。
歴史から、何を学ぶかといえば、過ちがあったとすれば、何なのか、どこに問題があったのか、そこから、改善すべき点を明らかにし、将来をよりよくしていくことにある。
アメリカにはいま、国民の程度が疑われるような、分断がみられる。宗教の悪い影響がみられたり、あまりにも狭い視野の国民がいたりして、そういった国民の意見にのった政策を実行したりしている。
トランプ大統領に、「選良」の要素がみられないのは、世界に危険をもたらしている。国民一人ひとりが、しっかりしなければならない時代である。