空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

具体的な対策をマスコミは提案し、行動せよ。

2008年12月31日 08時11分15秒 | 思考試行
大方の人びとの感じているとおり、やらなければならないことを放置している政治、財力と権力をもっている連中の存在が明らかになり、その真実の姿が見えてきた。

マネーゲームに、興じた者達のせいで、混乱の極に達しようとしている。

誰の目にも、こんなことは許してはならないというような、強者に都合のよい政治を続けてきた連中。マスコミ。経営者。官僚。特権労働貴族。・・・

本当に、人間同士がどう暮らしていけばいいのか考えていない。

最低限の生きる補償もできないような状況をつくっておきながら、空いている宿舎を開放しないトヨタ、これは典型である。

すさまじい内部留保。その力は、一人ひとりの労働者の力の蓄積である。それをだかえたまま、当面の困難を理由にして、生活さえできない状況に労働者を追い込み、そしてこの寒空に、平気で放り出す。
これは、ただごとではない。

マスコミは、現状の報道もそうだが、取材から、対策についても言及しなければならない。

どこがネックなのか。当面の対策に協力して、野宿を余儀なくしている人びとにどうするのか、食事はどこへ行けば、とれるのか、なければ、誰がどう手配すべきなのか、直ちに具体的に動くべきだ。

そして、それを報道する。周知する。スタジオで単に状況を嘆いている場合ではない。具体的に動かなければならない。

引退の時期の判断

2008年12月30日 06時39分59秒 | 思考試行
もう30日である。いつも、正月休みに、日頃できないことを、と考えていてはいるのだが、結局はさしたることもできずじまいになって、バタバタと日常生活に戻っていく。

年末年始は、まとまった思案をまとめるつもりでいても、無理なのか。決意だけではなく、日頃できないことをしようとしても、いつも果たせたことがない。

そこで、今年の年末から、目標をたて、「計画、行動、点検」を実践するべく、具体的に課題をノートに書き出して机の手近なところにおくことにした。表紙が透けて見えるノートで、最初のページが、外から見える。

書いたものは、上に積み重ねる形にしてあるので、常に1ページが最新となる。やるべきことが、一目でわかる、明確になるという工夫である。

もう、すでに始めているのだが、相手のあることは、なかなか進まなかったり、忘れてしまいたいようなことが、いつまでも残るので、課題の切捨てという作業も入れることになるかもしれないと思いかけている。

どうでもいいことになってしまったら、切捨てるのである。

それにしても、明らかに仕事を片付けるスピードが落ちてきているかもしれない。課題がどんどん増えてくる気配がある。

課題をあげては、切捨てているのでは、こんなノートは作らないほうがいい。そうなったときが、現役引退のときということかもしれない。



どうする

2008年12月29日 07時48分39秒 | 思考試行
「社会主義」と資本主義がせめぎあっていた当時には、社会主義には、大きな期待が寄せられていた。資本主義は必ず滅び、社会主義が次代の仕組みになる、と結構おもわれていた。

ゴルバチョフがでてきて、様子が変わった。社会主義の中に、新風が吹き始めて、新しい変化がでてきたと期待された。

だが、結局は、ゴルバチョフのおもいは潰えて、ついには、ソ連がこけることとなった。「社会主義」は破綻したということになった。

東ドイツもなくなり、社会主義を標榜していた国々で相次いで、政変が起こり、資本主義の完全勝利となった感があった。

社会主義社会の非効率性、閉鎖性、陰謀、粛清、・・・事実、実態が知らされる中で、もう、資本主義しかないという雰囲気となった。

壮大な実験は、完全に失敗した。そういう、理解となった。

北朝鮮をみても、まさに「社会主義」の失敗例として、あげることもできる。非人道的、非論理的な国情、政情は、誰の目にも明らかである、とみえる。

そして、今回の大不況。

強欲資本主義の終焉と言われている。マネーゲームの破綻。金を動かすだけで、巨万の富を得る。その影で、働いても働いても、絶対に貧乏から抜け出せないようなシステムを平気で作り、そして、それを合法化してきた。

今になって、セーフティーシステムを作っておくべきだった、などと、そんな気があたかもあったかのように、いう向きもあるが、本音はどうだろうか。

儲けることに、係りきりで、社会全体を考えることはない。自分の儲けだけが関心事であって、そんな頭からは、コスト増になることは、論外であったに違いない。

さて、これからどうするのか。社会主義がだめで、資本主義がだめとなるとどうすればいいのか。

どうも、背景には、人間の文化、宗教、属性、哲学が絡む。人間の質が問われている。人間性の限界が登場する。個々の人間の資質が、社会の質を決めていることがいよいよ、明確になってきたようにみえる。

そして、システムの中味の設計図が、どう描かれるのか。

それは、具体的な今の現状から、問題点を炙り出し、それをどう解決するのかという、手直し、改変の繰り返しで可能なのか。

それとも、大きな枠組みの変化が必要なのか。

なすべきことをなす

2008年12月28日 00時05分09秒 | 思考試行
どこの分野も、なすべきことは、解っていて、当然それをやっていかなければならないことは知っているのだが、理由をつけて怠けているだけなのではないか。

雇用主は、全体としての把握、管理が必須であって、その上で利益を追求する。労働条件などは、世間の相場をみながら、決めているのだろう。

その際、労働基準法などは、事業主は、その存在は知っているにしろ、それを遵守する姿勢は、一般にはないし、関心もない。労働条件などは、単に、世間の相場をみているにすぎない。

労働行政の、積極的な動きが見られないことから、企業がそれを恐れているという実情にはない。

それと、企業が社会的存在としての役割を認識していない。労働者や仕事に従事する具体的な人間に対する配慮がなく、視野狭窄の状態である。

日頃の生活にも事欠くような劣悪な条件を、労働者につきつけ、それが、力関係から、全体の相場になってしまうと、格差はますます拡大することとなる。

それは、勝ったと思う人びとに対するしっぺ返しとなって、いつかは、悲劇の原因となる。現実に、勝ち組を誇る連中の人間としての程度は、低いし、醜い。

やはり、人間は、人間的に成長しなければ、人間社会の健全な継続は計れないことを知らなければならない。

自分さえ良ければ、を憂う

2008年12月27日 07時43分15秒 | 思考試行
自分さえよければ、では世の中成り立たない。そんなことは当たり前と思っていたが、今や、そうではない。

大企業の経営者は、少し赤字になるからといって、期間工や派遣労働者の首切りを平気でやる。

内部留保がたっぷりあり、自分らの報酬は、たんまり取っているにも関わらずである。

問題は、自分さえよければ、を貫徹していることにある。政治家は、彼らのために派遣法を作ったことを、隠さない。そうしなければ、海外に行ってしまうから、というのが理由である。

海外の劣悪な条件に合わそうとして、善良な国民をクイモノにすることをためらわない。

そうすれば、若者達は、結婚さえできない。子供ができないとなれば、人類は存続さえできない。なにと引き換えにして、こんな状況を作ったのか。

自分の儲けだけではないか。

自分さえよければ、を振りまいて、そんな世の中にしてしまえば、結局は自分のためにさえならない。

みんなが、存続することはできない。

そして、そんな所に、本当の人生なんてあるわけがない。

目を吊り上げて、儲け一筋、人をクイモノにすることだけを考えている者達が、多数をしめ、それが、正しいと思うのであれば、そんな人類は、消えてなくなっても致し方がない。

もう辞めちまえばいいんだ。

素直に真面目に・・・ひがみ、不真面目

2008年12月26日 09時53分25秒 | 思考試行
素直であることや、真面目なことは、人が伸びていくためには必須のことに思われる。

誤っても、正すことは可能であるし、姿勢がちゃんとしていれば、努力の効果も上がる。

ひがんだり、不真面目であれば、人との関係を築くことは、困難になる。しかし、その中には、それが、深みになったりして、あるいは、味わいのようになったり、素直で、真面目なものにはない魅力があったりする。

それぞれ理由があって、そういう性格が作られているのかもしれない。そう考えると、いちがいに、どちらがいいとも言えないかもしれない。

それでも、基本としては、真面目で素直であれば、人として好ましいのは、当然である。付き合う人が、楽なのである。

しかし、素直で真面目で、仕事に対して、ミスを許さないという性格は、場合によっては、辛いものがある。

人間ミスをするものとして、努力はするが、ミスをすることに、拘泥しない人は魅力がある。度量が広い人には、周囲の人間は救われる。

そういう中で、ミスをしない関係が生まれてくれば理想であるが、なあなあの世界になるのとは違う緊張感というのは、本質的な素直さや、真面目さが背景にある。

もう引退するころになって思うのは、遅いのだが、それでも、まだ人生は続く。これからの人生、いかに生きていくかを考えていなければならない。




大不況の入り口で

2008年12月25日 08時20分34秒 | 思考試行
株主配当を増やし、内部留保もありながら、首切りをする。これは、労働者を単なる部品として扱っていることを、あらためて明確にした。

何のための、生産か。儲けることしか考えていない。

強欲から離れられない。これでは、世の中暗くなる。そんな世の中に魅力はない。自殺者が毎年3万人を越えている日本の状態。人の痛みを理解しない勝ち組連中。

人間、助け合い、協力しあって、共生していかなくては本来の喜びにいたることはない。困っていること、人があれば、当然ながら、すばやく動かなければならない。

車を買うなら、「いすず」にしようかとも思う。トヨタが共産党の志位委員長と会っている。内部留保をくずしてまで、期間従業員の雇用を継続するつもりはない、という。どういうつもりか。何が、世界一だ。

この寒空に、労働者を放り出して平気だ。こんな連中とは付き合いたくない。いすずは、充分とはいえないまでも、解雇を撤回している。勇気ある決断である。

競争は、必要な部分もある。しかし、何もかもというのは、やりすぎだろう。今回の大不況が、どういう道筋をたどるのかは不明であるが、それでも、新しい段階へと、すすむキッカケになるのではという期待もある。

金持ちの、汚さ、醜さ、こんなにあからさまになるとは思いもしなかった。こういう連中が、どういう行動をとるのか、みんなよく見ておくことだ。

一方では、心ある弁護士等、救済のために相談コーナーを作って奮闘している。こういう動きこそ、救われる。世の中捨てたものでないと、思わせてくれる。


感動・・・失敗は成功の元にしよう。

2008年12月23日 17時52分05秒 | 思考試行
テレビで、淀川工業高校と佐渡指揮者、ケミストリーの演奏会、そして、1万人の第9の合唱の取材番組を見た。

感動的である。これだけの人びとが、演奏に参加している。この姿をみていて、人類の到達した、ある種の高みを感じる。

ここには、戦争であるとか、強欲資本主義、儲け本位、人を踏みつけにするとか、浅ましい、人間の側面を痛烈に批判するナニモノかがある。

欲の塊と化している人びとには、是非、観てもらいたいものである。

そして、今日は、スーパーへ妻と買い物に行った。掃除道具他を買いにいったのだが、年末にそうしようと思っている人が多いのだろう。掃除道具の売り場が充実していて、いよいよ年末の雰囲気がでてきた。

経済が、来年はタイヘンになるだろうと言っている。そんなことがあるとは思えないほどの人出であり、売れ行きも盛況にみえる。

いざとなれば、人間食べていければ、生きていける。最低限の暮らしだけは、確保できるように、政治がキチント対処するように望むばかりである。バカなことをして、元も子もないようなことだけは、しないでくれといいたい。

最低限の暮らしすら守れないようなことをするから、政治は信頼されないのである。こんなときにどうすればいいのか。政治は、的確に行動してほしい。そうできれば、アメリカのせいで、世の中良くなったということになるかもしれない。

失敗は成功の元にしたいものである。

NHK有難う。よくやった!・・・厚労省、医師会は認識を改めよ

2008年12月22日 06時23分46秒 | 思考試行
昨日のNHKの医療崩壊をテーマにした特集番組は、圧巻であった。医師の偏在、必要なときに、医師がいない。たらいまわしの末に、犠牲者が続出してきている実態。田舎では、医療崩壊が特にすすんでおり、都会でも、救急現場の医師や、小児科、産科など、医師の偏在のために、非人道的な、過酷な実態があり、一方、生命に関係なく、医師の時間も自由にとれ、しかも報酬も高くとれるという分野には、医師が集中しているという。

誰がみても、ヘンな状態である。これをどうするのか。厚生労働省の医政局長、医師会、勤務医、開業医、患者、取材記者、そして、地方の行政官僚、などが、方策を話し合う番組である。

問題の所在や、各国の取り組み、医療現場の取材テープ、統計、奈良県のたらい回し事件で、県が真剣にこの対策に取り組んでいくプロセス。医療現場の実態そのものが、なんにもわかっていないことが明らかにされていく。

番組のなかで独善的な医師会、厚労省の無策、無能ぶりが目立ってくる。医師が、自分の都合ばかり考えて、行動し、役所もこれに迎合するなかで、今の事態がすすんできたことが明確になった。

これは、医師会、厚労省が仲良くなっていることに、問題がある。厚労省は、当然ながら、公共性の立場から施策を考えるべきであり、医師会は、会員の利益を追求するとなれば、ぶつかるのが言わば自然であるが、医師の独善的な要求を、受け入れているような厚労省では、対立するわけもなく、そのシワヨセは国民に押し付けられる。

この図式が、誰の目にも明らかになった。医師会の代表も、流石に、認識を変えるべきと発言していた。厚労省の役人は、国民の負担を増やさないと、のようなピントはずれの発言も飛び出し、いかに実態を把握しようともせずにきていることを暴露されて、その顔は、歪んでいた。

本当に、確信をもって、医療行政に取り組めていない実態が明らかになった。これも、小泉元首相が始めた、解りやすく毎年2000億の切捨てとか、きめ細かな配慮もなく、一言ですむような、政策ともいえない乱暴な仕儀が、事態の背景にある。

こういうヤクザのような政治家を産み出した国民の側にも責任があろうが、それは情報を持たない庶民にとっては、無理な相談であり、その意味では、NHKの今回の仕事は、画期的な素晴らしい仕事であったと思う。

きめ細かい取材、方向性が見えるまでの問題の所在の徹底、根拠薄弱な、言い訳、イイヌケを許さない準備が光っていた。

厚労省、医師会は猛省するほかないだろう。また、世の中全体として、金がすべてとか、弱者を踏みつけにして、設けるのが当然という低劣な考え方の蔓延が、この背景にあることも見えてきた。医師になる動機が、金オンリーであるならば、まことに寂しいことである。

公共性という言葉の重要性が、問われたことも印象的である。独善、功利、儲け主義がはびこるなかで、問題解決のためには、結局公共性について、考えるという至極当然な方向が明らかとなった。


ビッグイシューを読んだ。

2008年12月21日 15時38分47秒 | 思考試行
ビッグイシューという雑誌を、家内が買ってきた。道路端で、ときどき見かける失業した人びとが、販売しているものである。表紙に300円のうち、160円が販売者の収入になります、と書いてある。

小生も、この雑誌のことは、知ってはいたが、買ったことはなかった。家内に先を越された感じで、少しへこんだ気分を味わった。そして、ビッグイシューを見て、自分の今までの考えと、そして、今まで買わなかったことの矛盾が明らかになった。内容が、実にしっかりしたものだったのである。

本気で、困難な人びとに対処する自分の気持ちがあったのか、と問いかけると、自分自身が、実行力の弱さに、はっきりと気付く。現に、このように貧困との戦いに立ち上がっている人びとの関わりを、避けてきた自分を知ったわけである。

おそまきながら、寄付を無理のないところで、始めたいと思う。自分のすべてをなげうって、などとは考えないが、やれるところで、やっていこうと思う。こういう取り組みは、いろんなところでされているのだろうが、全部につきあうことはできないことだけれども、明確な意識を持って、参加していくべきだろうと思う。

そんな動きが、弱者を利用し、踏みつけにする傾向を打破し、そういう方向を許さないことになっていくと思う。少しの力でも、合わせると大きくなる。

たしかに、サギ的なものや、ニセモノも多い。それらが、こういう運動の邪魔をしている。しかし、そうでないことを知っていたにも関わらず、一度も買ったことがないという事実が、自分自身の弱さの現われと見えたのである。

雑誌の内容がすばらしい。ためになる。商業主義とは違う世界がある。一度、是非購入されることをお勧めする。

同志が増えている。

2008年12月20日 08時43分39秒 | 思考試行
徐々に、同志が増えているような気がする。蟹工船ブーム、地方自治体の動き、首切りをした大企業の周辺部から、本音の怒りの声に、漸く重い腰をあげざるを得ない状況が生まれてきた。

そして、現金バラマキ政策の本質を読み取り、馬鹿げたネライを見破る、統計の数値、明らかに、今までとは違う傾向が出てきた。

イラクの記者の、靴投げ事件は、戦争の責任が誰にあるかを、明らかにした。怒りがどこにあるかを、あぶりだした。

日本の場合も、アメリカ一辺倒の、ポチ小泉が、郵政劇場選挙で、大量の議席を掠め取り、言い出したことは、自衛隊は軍隊ではないか、憲法はおかしい、ととんでもないことを言い出した。

そして、憲法改悪のための手続き法を、ついに通してしまった。実際には、危ない所には行かない連中がきめたことである。善良な若者達も、兵隊になることを、覚悟し始めた。このまま、エジキになってしまうのか、と心配したが、やはり、憲法9条を守ろうとする動きが、チャントでてきた。

戦争の残虐さ、悲惨さ、実際に犠牲になるのは、一般庶民であって、ビジネスで戦争を考えるヤカラ連中のタクラミを、アチコチで、暴露し始めている。この動きは健康である。

そして、これは、今や、確かな方向として出てきているのではないか。一部の富裕層のための政治から、多くの庶民のための政治に当然ながら、舵をきるべきであって、その流れは、いよいよ本流になろうとしている。

今は、その前夜の趣がある。迷信に振り回される人びと、カリスマにせ宗教人に踊らされている人びと、まだまだ病根は、あるけれども、彼らの行動力は、それなりに、粉飾された口実(題目としては、正当)のもとに展開している。

指導者の思惑の外れたところで、エネルギーが生まれているように見える。本当の狂信的な連中は、指導部の一部ではないかとみる。とすれば、今は、踊らされている人びとは、いずれは、期待を裏切られ、真実を知ることになるだろう。そうなれば、彼らもまた、同志たりうる。

認識の仕組み

2008年12月19日 08時51分12秒 | 思考試行
我が家は、古くて、昔の離れがある。今は、住む人もなく、空家になっている。その窓に、人影が動く。昔は、人が住んでいたから、なんだか懐かしい思いが湧いた。

その人影は、こちらの台所で、朝食の準備をしている妻のもので、かなりの距離があるが、光の加減で、映りこんでいるのだ。

光の経路は、どういう具合になるのかは、考えてみようともしないが、簡単には判然としない。とても、関係はないだろうというところで、動いているように見えるこの現象は、なんだか示唆的である。

ないものが、あるように見える。見た人は、見たと確信しているし、それは事実なのだが、実態ではなく、幻影にすぎない。

人の意見の違い、自明のことと思われることでも、簡単に理解されない迷信の類は、恐らく、このような現象を介在しているように思う。

事実と幻影、本人にとっては、事実であっても、違っていることがあるという実例である。

そうは言いつつ、我々が見ているという感覚は、実態そのままではなく、体の器官を駆使して得られたものであって、いわば、すべては間接的なものであって、錯覚といっても、正しいものだといっても、本質は、そういうものだと知っておくことも必要で、要は、肩の力を抜いて、ものごとに対していくということだろう。

ちょっといい話

2008年12月18日 17時31分18秒 | 思考試行
いい話をラジオで聞いた。ご主人を亡くされた奥さんが、なかなか立ち直れない。心配した娘さんが、旅にでもと誘う。そして、鎌倉へ。タクシー乗り場で並んでいると、なんと、亡くなったご主人に似た人が運転するタクシーが、離れたところにいる。あのひとになればいいな、と思っていたら、その人の車が、丁度前に止まった。

親切で、優しく、奥さんを、気遣って、ゆっくりと観光案内をしてくれた。親子共々大喜びで、3日間、その運転手さんを指名して、行動をともにした。奥さんはすっかり元気をとりもどして、それから、10年、今も文通しているという。
娘さんは、亡きお父さんのプレゼントではないか、と思っている、と言う話である。

これに同じような話で、関西で流れている「探偵ナイトスクープ」というテレビ番組で、プロ野球選手に、よく似ていたお父さんが亡くなり、その選手に会わせて欲しいという親子の依頼があった。本当に、よく似ていたようで、まるで、亡くなったお父さんに会ったかのような、感動の場面が展開した。

こういう話が、なぜ人を感動させるのだろうか。生前の、それぞれのお父さんが、家族にどんなに慕われていたかということだが、癒されて喜ぶ家族の顔、悲しみを乗り越えていく姿に、思わず涙ぐんでしまった。


庶民をバカにする者をのさばらせるな

2008年12月18日 08時13分18秒 | 思考試行
明らかに、人の役に立って喜ばれたら、それは、自分にとっても、喜びである。それを知っているか、知らないかで、人生の深みが変わる。

人は、お互い助け合わねば生きていけない。従って、それをキチンと把握し、理解していれば、自分さえよければということにはならない。

自覚していれば、その振る舞いは、そのようになって、社会は、健全な状態を維持できると思うが、基本的には、そうではない人びとの存在が、事態を厳しくしているし、これを無視するわけにはいかない。

こうした人の存在を、熟知して、ことに対処するほかない。そこで、さまざまな準備が必要となる。法律しかり、警戒心しかり、強制的な暴力装置もいる。

教育や、社会の成熟が、これらの問題をいずれ解決していくに違いないと思うが、その道のりの遠さは、いわゆるエリートとされる人びとに、多くの問題の発生源があるように思う。

実質的に、社会を動かしている力があるのだから、彼らがどう考えるかが、重要なのである。庶民が力をつけるということは、彼らが独善的な考え方をすれば、直ちに罰せられ、その報いを受けるということである。

庶民を馬鹿にし、軽くみ、道具としてしかみない者を、のさばらせてはならないのである。

問題解決のために、大胆な全体政策が必要

2008年12月17日 10時57分09秒 | 思考試行
さすがに国の反応が出てきた。みのもんたの「アサズバ」にハローワークを統括しているという官僚が登場した。若い、官僚である。京大卒という。

しかし、少し話を聞いていると、がっかりする。やはり、縄張り根性でガンジガラメになっている。発想が霞ヶ関のものであり、そこから、一歩も出られない。

みんな、徹夜で、仕事をしているという。頑張ってはいるのだが、それは、この際主要なことではない。センターがないことが重要である。彼らは、センターではない。

今朝も電車できたという。カバンを席の側において、まるで、とても高級官僚には見えない。これで、全体の作戦を統括しろといわれても、無理である。それができる体制、能力は明らかにない。大胆な発言がない。枠にはめられた中での、仕事をしている。

大事なことは、全体をみて、作戦をたてることである。それには、どうしても、俯瞰できることと、そして、そのプランを立案できることである。それが、できなければ、持ち場持ち場の狭い発想しか持ち得ない。

それでは、問題解決にはならない。若い官僚の話を聞いて、ますますその意を強くした。結局は官邸が、主導権をとって、やらなければできないことだが、マスコミは、彼らを補完して、具体案をだしてやることも必要であるし、広報期間としての役割もはたすべきである。

要素としての、大事なことは、問題の分析と、その対策の根幹には、人を大事にするハートがいる。それがあれば、血の通った対策がでてくるはずである。ハートが具体策に反映されて、有能な人材を活用することにもなる。いまこそ、大胆な有能な人材の力を、集中して、世直しをする絶好の機会である。