自民党が総裁選挙をやることとなって、野党も黙ってはいられないとなり、政策協定が結ばれた。これで、総選挙が俄然意味のあるものとなってきた。争点が明確になり、国民にとって、政治を考えるチャンスが巡ってきた。
安部一強政治が何だったのか、振り返り、国民の暮らしが、今どうなっているのか。展望が開けているのか。充分に検討できる機会がやってくる。
自民党の党内で今、誰を総裁にするのか、それぞれ、信条を述べあい、妥協し、引っ込めるなど、思惑が飛び交っている。桜を見る会や、公文書改竄事件について、再調査するのか、しないのか、こんなことも誰を総裁にするのかに関わってきている。
岸田氏は、調査を「やる」と言っていたはずなのが、「やらない」に変わった。河野氏の原発廃止についての意見も「今日明日のことではない」と、トーンダウンした。
支持を受けるために、候補者の妥協が始まる。そうしたときに、野党と市民連合がそれぞれの主張をそろえてきたことは、大きい。政治の何たるかを、国民自身がつかみ、自分の意見を持つことができる機会となった。政治に国民が関心を持つのに、自民党の総裁選挙が、総選挙の直前であるという得難い機会である。彼らが何をしようとしているのか、国民はしっかりと見なければならない。
資本主義の歪の、貧富の格差が広がり、国民が幸せであるためになにが重要なことなのか、単なる自由競争では、社会に相当な不合理な事態が放置されている。改善すべき点が誰の目にも明らかになってきている。改善がなされる絶好の機会になる。
岸田氏は、このことに言及している。自民党のなかにも、そういう声があがってきている。菅首相は、就任当時にまず「自助」を言い出していた。かなり状況が違う。本当に国民が幸せになるとはどういうことなのか、今こそ検討されなければならない。
与党と、野党との接点も出てくるのではないか。与党と野党にわかれて、どうしようもないということではなく、政治のあり方が、国民が主人公であることに本当に立場をすえることができるかどうかが問われている。いよいよ国民自らが、しっかりと自分の意見を持ち、主張し、政治家に国民が主人公であることを認識させ、実行させるときである。