空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

政治の季節到来…国民の出番

2021年09月09日 15時39分35秒 | 思考試行

 自民党が総裁選挙をやることとなって、野党も黙ってはいられないとなり、政策協定が結ばれた。これで、総選挙が俄然意味のあるものとなってきた。争点が明確になり、国民にとって、政治を考えるチャンスが巡ってきた。

 安部一強政治が何だったのか、振り返り、国民の暮らしが、今どうなっているのか。展望が開けているのか。充分に検討できる機会がやってくる。

 自民党の党内で今、誰を総裁にするのか、それぞれ、信条を述べあい、妥協し、引っ込めるなど、思惑が飛び交っている。桜を見る会や、公文書改竄事件について、再調査するのか、しないのか、こんなことも誰を総裁にするのかに関わってきている。

 岸田氏は、調査を「やる」と言っていたはずなのが、「やらない」に変わった。河野氏の原発廃止についての意見も「今日明日のことではない」と、トーンダウンした。

 支持を受けるために、候補者の妥協が始まる。そうしたときに、野党と市民連合がそれぞれの主張をそろえてきたことは、大きい。政治の何たるかを、国民自身がつかみ、自分の意見を持つことができる機会となった。政治に国民が関心を持つのに、自民党の総裁選挙が、総選挙の直前であるという得難い機会である。彼らが何をしようとしているのか、国民はしっかりと見なければならない。

 資本主義の歪の、貧富の格差が広がり、国民が幸せであるためになにが重要なことなのか、単なる自由競争では、社会に相当な不合理な事態が放置されている。改善すべき点が誰の目にも明らかになってきている。改善がなされる絶好の機会になる。

 岸田氏は、このことに言及している。自民党のなかにも、そういう声があがってきている。菅首相は、就任当時にまず「自助」を言い出していた。かなり状況が違う。本当に国民が幸せになるとはどういうことなのか、今こそ検討されなければならない。

 与党と、野党との接点も出てくるのではないか。与党と野党にわかれて、どうしようもないということではなく、政治のあり方が、国民が主人公であることに本当に立場をすえることができるかどうかが問われている。いよいよ国民自らが、しっかりと自分の意見を持ち、主張し、政治家に国民が主人公であることを認識させ、実行させるときである。


何を隠すことがあろうか

2021年09月05日 16時40分39秒 | 思考試行

 いろんな実態があって、事情があって、ものごとが進んでいく。隠しても不都合なことがあれば、なんとなく、その影響がでてくる。隠さなければならないような事情があれば、不可解なことが原因となって、徐々に、不都合なことが、表沙汰になってくる。

 「コロナ対策に専念したい」と言って、菅首相は総裁選に不出馬を決めたという。実際はそんなことではないだろう。出馬する気でいたことは明らかであり、党内の支持がどうやら得られないとみて、出馬を諦めたのが本当ではないのか。かっこうをつけているだけだ。

 自民党の総裁選挙が行われるとなって、安倍元総理のことが、また問題になりかけているようだ。それはあたり前のことである。いいかげんな解決などあり得ない。官僚の忖度は、彼の官僚に対する人事権の掌握の結果始まった。生殺与奪を握られて、官僚はすっかりおとなしくなってしまった。政治の顔色を伺うばかりとなった。

 権力には適わないことを、もっともよく知っている連中だから、それは仕方のないことかもしれないが、彼らが「主導権」を持っていた時代には、総理大臣が答弁しているときに、国会に詰めている官僚から、「そんなことは主計は聞いていないぞ」と野次がとんだという。

 役人が自信をもっており、政治をコントロールしていた時代もあったということだ。役人であろうと、政治家であろうと、権力を持っているものが強いという時代は、もう終わらせなくてはなるまい。どちらが権力を握ってもその本音が、健全でなければロクなことはない。

 国民、社会を、すべてのことを「良くするために」どうするか、の視点で政治家は動かなければならない。権力闘争にあけくれ、関心がそれだけという連中が誰なのか、はっきり見抜かなければならない。

 自民党のなかに、そういう健全な層があるのかどうかである。安倍氏の問題の再調査を言い出している候補者もいるようだが、はたして、立候補できるかどうか、そして、この国が、本当の民主主義を実現できるかどうか、は今度の総裁選挙でその方向性がでてくるような気がしている。

 議論をはぐらかし、まともに質問に答える気がない、そんな手法を自民党は長期政権のなかで、国会に、それ以外にも、持ち込んできた。議席の多数さえとりさえすれば、好き勝手にできる、と思いこんでいる風である。

 正体が明らかになった以上、あとは有権者たる国民の出番である。無関心であったり、よくわからないままに、平気でいるのは、民主主義の敵である。借り物ではない、自身の意見をもち、実態をよくみなければならない。政治が隠し事をしたり、インチキをすれば、ただちに、見抜く眼力をもたなければならない。その中でこそ、世の中がよくなる方向性がでてくる。

 


関心があれば、動くんだね。

2021年09月01日 11時23分21秒 | 思考試行

 いよいよ自民党総裁の任期が終わりに近づいて、政治の動きが激しくなってきた。総裁に立候補を表明している岸田氏が、自民党役員の任期について、意見を述べたところが、長期にわたって、自民党幹事長の職にある二階氏に注目が集まることとなった。

 それに対して、なんと、あのコロナでは、遅い、後手後手、と言われ続けてきた菅首相が、素早い動きをみせた。コロナでは、記者会見でも、なにやら自信なさげな様子で、記者の質問にも、まともにこたえず、決められたセリフをくりかえす人が、まるで別人である。

 争点つぶしともいわれているが、なんと「大恩」ある二階氏に、退陣をせまったという。エライ決断をしたものだ。それにしても素早い。関心のあることなら動くということだ。

 結局は、権力闘争となれば、真剣になれるということらしい。こんな人が政治をやる資格があるのだろうか。まさに慄然とする。

 ところが、こんなに真剣に自らの権力保持を考えている首相が、立候補すらできないかもしれないという。自民党重鎮がこのままでは、選挙で勝てないとすれば、首のすげ替えを考えているというのだ。

 長期政権で驕りの頂点にいるのだろう。より人気のある河野大臣を総裁にすえて選挙を戦おうとする可能性がでてきたという。そのためには、菅首相は邪魔となる。河野氏は、菅首相が総裁選挙に立つかぎり、出ることはできないということらしい。

 目くらましをくらって、国民はまたぞろ、国民のことなど、なんの関心のもない、貧富の格差を拡大させ続けてきた、自民党政権を選ぶのだろうか。

 非正規雇用が当たり前となり、若者は結婚もできず、日本の人口は減る一方であり、このままでは破滅の道である。こんな政治をいつまでも続けているようでは、日本はうかばれない。国民はもっとしっかりしなければならない。