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空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

対人関係

2010年01月30日 10時24分25秒 | 思考試行
生きる上において、もっとも大事なことかもしれない。これがうまくいかないと、人生は到底成功したとはいえないだろう。何か創造的な仕事でもしていて、ただ、結果的に人とはつながっているのだが、具体的な生活のなかでは、人との付き合いがない、という場合はあり得るように思う。

それでも、大きくいえば、人についての関わりがあって、それは、本人の認識の有無に関わりがない。うらみつらみ、だけであっても、その仕事が、人との繋がりを強くする効果があるかもしれない。

共に生きている存在として、できれば、前向きでありたいところだが、そうでなくても、構わないということになる。要するに、どうであってもいい。なんでもあり、なのである。これが本質ではないだろうか。解釈すれば、どうとでもできるのである。

悪が、どうしょうもない悪が、刑務所の中で、聖書に触れ、悪人のくだりがあって、切り捨てられてはいず、そこから立ち直ることが出ているのを観て、それにうたれた「悪」が、牧師になって、活躍しているという話がある。聖書に書いてあることは、あたりまえだろうと思うのだが、それが、こんなに悪の心を掴んだということが驚きである。

人間、あらゆる可能性がある。対人関係について、もっと、研究しなければならないが、主には、結局主体的な問題で、自分をどう解放するか、にある。他人との関係ではなく、自分の立ち位置が、主体的にとれなくては、成功しない。これが、対人関係の盲点になっている。


生き方の問題

2010年01月29日 12時41分51秒 | 思考試行
人間生を享けた以上は、死ぬまで生き続けなければならない。そして、どのようにして、生きるのか、いきいきとなのか、苦しみながらであるのか、楽しみながらであるのか、外の条件に振り回される生涯なのか、自分で、こうと決めて、覚悟の人生であるのか。まさに、各人各様の生涯をすごすこととなる。

多分は、一度しかない人生であるから、どうせなら悔いのないしっかりした人生を過ごしたいものである。だが、一方では、他人の人生なんて、どうでもいい、という姿勢が明確な人がいる。自分は努力したから、この位置にいるのであって、そうしなかった人は、然るべくその位置にいると割り切っている。

経済の仕組みにのって、法律やら、考え方を、共生ではなく、アメリカ流の自由競争の名のもとに、日本の世の中をめちゃクチャにしてしまったのは、まさに、小泉首相であった。アメリカのポチとして、どんな弱みがあったのか、かれこそ、国民生活を潰してしまった元凶である。

酷薄無情というしかない。人生を大切に考えるならば、あのような残酷なことはできないはずである。その病気を、直して、建て直すためには、もう一度原点から考え直すことが必要である。

細川氏の姿勢

2010年01月28日 10時31分42秒 | 思考試行
日経に、元首相の細川さんの「私の履歴書」が連載中である。理想ともいえる第二の人生のくらしぶりが、生き生きと展開されている。

今日の内容は、陶芸の道に至った成り行き、友人の個展をみて、ご自身がやる気になって、雑誌をみて、気に入った先生をみつけ、弟子入り志願をして、一年半も、その先生のところに寄宿してワザを極めていく話である。

白洲正子さんとの、付き合いがきっかけのようで、ご本人が認める通りのこだわりぶりが凄い。弟子入りした先生も、面白い。野人と書かれている。現代にも、こういう人がいるんだ。弟子入りする人も凄いが、先生も凄い。

こうしてみると、おそらく個人の生き方としては、満点といえるかもしれない。だが、そこに、不満がある。こういう人は、政治をこころざし、首相までしたのだから、そこで終わりではなく、人間社会への関心を、持ち続けてほしいのである。

世の中の不合理に目を向け、これに対する「こだわり」を持ち続けてほしいのだ。それが、不満である。このこだわりの強さを貫徹すれば、今は、権力をもたないが、元権力者としての仕事があるのではないか。

庶民に対する温かい目がないような気がするのである。もう自分の世界にはいって、何が悪いかと、やるべきことは、やったのだ、という満足感に浸っている。それも、いいのはいいのであるが、何か不満を言うとすれば、そのことである。

作った陶器を、莫大な金額で売りさばき、それを世界の貧しい人達に配るとか。それは、安直な思いつきか。それはともかく、自分の世界のみにとどまらないで欲しい気がするのである。


政治資金規正法からみえる世界

2010年01月27日 06時54分45秒 | 思考試行
国会は、くどいぐらいに、政治と金の問題をエンエンとやっている。まともな神経であれば、イヤになって、投げ出すところであるが、投げ出させようと、あの手この手と、質問攻めをするのだから、いやらしいことこの上ない。

同じことを、なんどもやる。嫌気を誘う。言い方に気をつけないと危ない。神経をすり減らすような、キキカタをする。

国民生活を考えない、なんとも思っていない姿勢が、体質の、その奥に潜んでいたのが、今や、その本体をさらけ出している。ハダカである。その分わかり易い。自らのことを、自分で知らしめているのだから。

庶民は、自分が、そうすべき時には、そうするという、大勢としての信頼がある。みんなが、一方向へ向かうときには、危ないけれども、自由に、発言している分には、健康なものである。

ところが、特殊な世界、狭い世界になると、おかしくなる。日本にとって、政治とは何だろうか。まだまだ、狭い世界であり、庶民との関係性は、遠いのだろうか。これからは、権力の構造が変わり、あり方がかわり、狭い世界の閥が跋扈する、という状況は、徐々になくなっていくと期待している。

特殊というのは、文化であるかもしれないが、それは、普遍とはなりにくい。そこへ、固執すると、うまく機能しない面もある。政治の世界は、特殊である。庶民との接点がない。

政治資金規正法のマヤカシを、キチンとするためには、政治資金は、自由とするか、それとも禁止するしかない。禁止すれば、政治家へのなり手はなくなるだろうか。

自由とすれば、利権争いは蔓延し、庶民はいよいよクイモノにされるだろう。禁止となれば清廉潔白な人が、政治家を目指す。自らの価値観が、奉仕の観点での行動だから、そうなると、みんなが、そのような価値観になるということだろう。

政治資金問題との決別

2010年01月26日 10時49分40秒 | 思考試行
何をするのにも金がいる。今の経済社会では、金の力がモノをいう。そのために、人は振り回されて、一生を過ごすといっても過言ではない。

鳩山サンのように、ほっといてもお金がジャブジャブ入ってくる人は、そうはいないだろうが、そういう人達は、大いに、寄付やボランティアや、奉仕活動をしてほしいものである。

国が、大きな借金を抱えている。それを、何とかするためにも使って欲しいと思う。また、世界には、ハイチのような貧しい国がたくさんある。助けるべき対象は、山ほどあるのだ。

大いに、そういう風に、その力を使ってほしい。コチトラは、漸く食えるかなという水準だがそれでも、寄付活動はそれなりにしている。金持ちは、もっとど派手にやってもらいたい。それをやらないようでは、カッコ悪いね、ということにならないものか。

着るモノや、貴金属や、バッグなんぞに大金をかけるぐらいなら、弱者にその手を差し伸べて、あったかい気持ちを出して、幸福を与え、そして、そうできる幸福を味わってほしいものである。

そうなると、政治家は、もっと違うモラルに、厳しく自己を律することになる。政治資金規正法などという、マヤカシのザル法の抜け穴を探し回っているようでは、話にならないということだ。

始まりの始まり

2010年01月25日 06時43分04秒 | 思考試行
民主党政権ができて、変化が明かに始っている。事業仕分けなどもそうだが、具体的なことだけではなく、意欲も違う。そのうちの一つの例をあげよう。長妻さんの年頭所感を、専門業界雑誌でみた。

通常、厚生労働大臣としての、年頭所感というのは、課題をズラズラと当たり前に書いていて、そこに、あまり熱とか、やる気とか感じることはない。

ところが、長妻さんの場合は、とにかく、量的に、まず長い。そして、憲法から説き起こして、取り組む姿勢の根拠から始る。さらに、現状把握の重要性を述べて、課題にいたる。

こんな大臣の年頭所感は、見たことがない。立派なものである。言うだけならできるというものではない。まず、やる気がなければ書けないという性質のものである。

もし、うまくいかないとしたら、その犯人は誰かというのは、すぐ解る。サボタージュを決め込む官僚組織が、浮かび上がることだろう。そんな官僚組織のままで、いくとするなら、これは、不要だということになるだろう。

やる気をだして、世のため人のために、力をだすことによってしか、物事はうまく行かない。それが、どこから始るか。今、その時がどう始るのか、みんな見ているところではないか。

弱者に、目がいき、そこに政治の手当が行なわれることは、相対的に、今まで、弱者を踏みつけにしてきた連中への、風当たりが強くなることを意味する。それは、仕方がない。その仕組みが暴かれて、その不当性が明確になってきたのだから、彼らは、猛省して、共生の立場に立つことである。

奴隷制社会を、いつまでも続けてはいけない。正しい方向を、見つけ出し、踏み出すことである。

欺瞞対欺瞞

2010年01月24日 12時14分20秒 | 思考試行
そもそも政治資金規正法というのが、ザル法であることは、常識である。政治資金団体経由なら、企業から直接でなければいいというのは、一体何だ。そして、その団体のウラには、利権と結びついた企業と、政治家の取引があるのだから、こんなのは、何だというほかない。

そして、その書き方がどうのこうのと、厳罰なんだといっても、そもそも人間はミスをするものだし、本人以外の第三者の形をとれば、トカゲの尻尾きりで、何とでもできる。

利権と政治との、関わりは、本来切ることなんてできない。であれば、企業、団体献金なんて認めるからおかしいのであって、政治家は、まさに、奉仕者として、利権や、権力を目指している連中ではいけないのである。

この世の矛盾であったり、悪があるなら、それを糺すという姿勢が求められる。だから、尊敬に値する仕事というのである。利権や権力を求めて、私腹を肥やしたいというならそれは、ビジネスであり、商売である。

政治はそうであってはならないのは、当然である。自民党は、いまだに企業、団体からの献金をやめるのは無理、などといっている。それで、グチャグチャと質問をする。大体政党助成金なんぞいれたのは、何だったのか。

欺瞞対欺瞞の話である。

国会論戦をみて2

2010年01月23日 09時09分57秒 | 思考試行
民主党政権になって、国会論戦が良くわかる。今までは、「言語明瞭、意味不明」という討論がエンエンとやられてきただけで、これでは、誰も関心をもてない。

今回はそうではない。鳩山サンの言動がどうのこうのというが、人間そんなに言動が、確固としたものではない。いろいろ言っている中で、真意というものが見えてくるわけで、一言でどうのこうのというのは、アホだ。

軽くて、結構ではないか。撤回せよといわれれば、大したことでなければ、撤回すればいい。何を拘ると言うのか。人間、重さがどうのこうのといっても、脅迫したり、強圧をかけたりする以外にそんなものは、迷惑である。

背景に、なんせ「友愛」があるのだ。鳩山さんに好感を持つ。それにしても、民主党は、みんな伸び伸びしている。言いたいことをいえばいいのであって、閣内不一致は、プロセスのなかで、いろいろあっても、道中は当たり前のことである。

結論として、一致すればいい話である。この伸び伸び加減もいいではないか。

それから、赤嶺さんの質問を、「赤旗」でみて、感動した。基地問題は、経過からみて、アメリカの横暴から始っている。これが、新聞報道では、解らない。実際に中継を見た人は、よく解ったことだろう。

自民党のポチが、何をしてきたのか、旧悪が本当に明らかとなってきている。

国会論戦をみて

2010年01月22日 08時41分25秒 | 思考試行
自民党の若手の議員の、政治資金規正法を巡る質問の仕方をみていて、くどいばかりで、本質にせまれない、気味の悪い思いがした。

谷垣議員の質問は、彼の人柄がでていて、まだしもであるが、あとの若手二人の議員は、人間とも思えない、酷薄無情の意地悪人間にしかみえない。

鳩山サンは、本当に金持ちの人なんだな、と思う。自分の金について、まったく心配しなくとも、周囲にカバーしてくれる態勢がある。まさに、華麗なる一族である。

だが、鳩山家自体というより、石橋家の財力が、その背後にある事情であって、政治で資産家になったわけではないことが明らかとなった。

たしかに、庶民感覚とは違う。だが、その志が、理想に向いて、「友愛」であるならば、それは、金持ちの階層にいる人の「理想」とも言える政治家である。

自分達の財産、有利性を守るために、汲々とするのが、ある意味自然であると思うが、そうではなく、国民の側にその視線がむけられていることに、不十分であることは否めないにしろ、好感を持つものである。

野党になった自民党は、やはり、イジワルをするしか道がないかのようである。かつての自民党が富裕層、官僚、・・支配階級のための政治集団として、国民をクイモノにしてきた流れが、どのような推移になるのかを見極めていきたい。

順位付け

2010年01月21日 05時59分48秒 | 思考試行
人が集まれば、何らかの順位付けがはじまる。順位をつけないと、物事がすすまないという側面もあって、それは、みんなしてきたことである。だが、これが、結構トラブルの元であり、紛争のタネとなる。

充分お金を持っていても、その集団の中で、一番でなければと思うらしい。学校の成績も一番かどうかは、大問題であるようだ。オリンピックはその最たるもので、金、銀、銅と世界で3番までしか評価されない。

頑張るタネでもあり、その結果の影響から人は、順位にこだわらざるを得ない。だが、客観的にみて、トップグループは、そんなに差があるわけではない。金持ちは、そのグループにはいるというこは、みんな目茶苦茶持っているということである。

順位という、そんなところに、いつまで拘るかということを問題にしたい。チョットした、考え方の変換で、世の中がグンと良くなるとすれば、どうだろうか、大胆に、その世界観、価値観を変えてみては。順位ではなく、世の中をどうすればよくなるかに、関心を変えるのだ。

民主党が今、小沢幹事長の件で揺れているが、今までとは様相が違う。検察との問題で、旧来の仕組みが明らかになる効果も出てきている。基地問題では、アメリカの横暴ブリに自民党が、唯々諾々と従っていたのが、民主の場合は、結果的には、そうなっていない。

アメリカが、力で世界を引っ張りまわしてきた。自民党政権は、これに盲従し、特に、小泉ごときは、完全ポチとなって、国民を格差社会に放り込んでしまった。

このアメリカのトンデモナイ実情を炙り出す効果が、鳩山首相の発言の軽さで、でてきた。こうなると、軽さの効果もある。重々しいばかりが能ではない。カン違い、失敗、謝る、いいすぎ、いい足りない、いいではないか。それが人間である。なにしろ、芯が「友愛」なのだ。プロセスはいろいろあっていいのである。

犯罪撲滅のために総論待望

2010年01月20日 06時17分50秒 | 思考試行
犯罪が、何故起こるのか、その置かれた環境、そうしなければ生きてはいけない条件、病気、裏切り、愛なき世界、共生している社会の中で、起こる犯罪は、社会のどこが不備であるかを、如実に示してくる。

その対処は、原因を究明すれば、自ずと出てくるだろう。厳罰とか、取り締まりとか、ではなく、別の対策があるはずである。原因を明確にしないと、対策の完成度は高くならない。ハイチの地震で、国情が明かになった。その背景に何があるか。

アメリカのすぐ側にあって、その影響下にあって、何ということだろうか。放置というか、搾取の対象でしかなかったのではないか。他人を道具としてしかみない富者の行いの結果である。世界は、まさに過渡期であって、処方箋が明確にされなければ、いつまでも悲劇が続く。

理念が、充分に検討されていない。各論は、進んでいるのだが、総論がなおざりにされている。人間が生きていくのは、現実に各論部分であるから、総論は、夢であったり、現実化できない空論として見られがちである。

しかし、各論の背景に、思想がなければ、それは危うい。人間社会の味わいは、そこから出てこない。人生劇場のなかで、さまざまな悲劇があって、そこから、深い反省や、対策が搾り出されてくる。この背景のなかで、産み出す総論である。

こういう総論は、従来、宗教家に求められてきた。今や、科学技術の進歩のなかで、それは当然、彼らの役割ではない。彼らに出番を与えてはならない。そう直感するのだが、大きな法則的な存在が、現実にあって、それを無視するわけにもいかないのである。

検察の役割

2010年01月19日 06時41分11秒 | 思考試行
検察が、エコヒイキをしたんでは話にならない。まだ、政権をとって間が無いこの時期に、しかも、前政権の負の遺産の整理の真っ只中で、形式的な間違いを、取り上げて、大仰に騒ぎ立て、マスコミを動員して、小沢氏との全面対決に持ち込んだ。

彼の問題は、アメリカが背後にいるとは思えないが、小沢氏も中国への思い入れが強い。田中角栄もアメリカに発端があった。アメリカの属国であることを、是とする政治家は、監視しないで、少し毛色が変われば、これを目の敵にするという感じがある。

何らかの力学が、検察に働いている。前の、内閣官房副長官が、自民党には手がまわらない、と言って、その通りとなった。自民党には、その後、彼が言うとおり、手は入らなかった。ダミーを通して、政治献金を受ける構造はまったく同じであるにも関わらずである。

その「予言」通りになるところが、まことにオゾマシイ。人脈、系列、背後に流れる都合というものがある。これに外れたものは、なんとしても叩き潰すというところだろう。この方向性が、正しいかどうかは、歴史が知るのみである。

検察は、本当に悪い奴ら、それは、ヤクザであったり、身内の犯罪であったり、やりにくい所をやってみせなければならない。「検察のウラガネ」という本を出した元検事もいた。警察内部にも、変な慣習がある。身内には甘いのである。

マスコミのインチキ

2010年01月18日 08時57分37秒 | 思考試行
マスコミは、戦争協力をした実績があり、ときの有力者と結びつく。ナンミョータレントが跋扈して、この時期、意をうけて、チョロチョロと動き出した。

庶民は、この時期にすべてを学ぶべきである。エライさんらが、何を考えているのか、庶民をどうみているのか、ということが出てくる。

小生は、相当期間エライさんの若かりしとき、狭い職場で同僚であったときがあった。その後特急でかけ上がったエライさんと、本省のエレベータでばったり会った。その時に、知り合いに会ったという感じの反応をしたところが、ものの見事に無視された。

これが本質である。こういう連中は、関係のない下っ端など、口をきくのも煩わしいのである。マスコミは、世論誘導の道具となり、情報リークの下請けをする。マスコミが、世のため人のために動くという本旨を貫けるかどうか、それは、力関係である。

検察の意を受けた対応をしなければ、出入り禁止となる。記者にとっては、死活問題である。こういう力学も働いている。

政治資金規正法のまやかし

2010年01月18日 08時28分45秒 | 思考試行
政治資金規正法は、実は、企業献金が自由にできる本質を持ちながら、形として、それを不正のないようにしているというカッコウをしているだけのことである。この本質を見逃すほど、国民は馬鹿ではない。

大体こんな法律で、企業と政治の癒着が防げるとは、誰も思わない。政治家は、政治には金がかかるといい、個人献金を誰もしてくれないといい、企業献金をできるようにしているにすぎない。

企業は、普通の人間、庶民を人間とは思っていない。普通のまじめな国民というのは、「シモジモ」であって、もともと彼らにとっては、道具にすぎない。

これが結びついて、政治資金規正法ができているとみえる。企業からみれば、こんな法律がなければ、献金などしなくてもいいのだろうが、企業のためには、法律もいる。庶民をクイモノにしているのだから、それなりの仕組みもいる。献金して、自分らの言い分が通るのであればそれでもいいわけだ。自分らに都合のいい法律を作らせるという必要がある。

エライさんと話したことがある人は知っていると思うが、彼らは、本当に庶民など、屁とも思っていないことを知っておかなければならない。検察も、このエライさんなのである。彼らが何を考えているか、ときにとんでもないヤカラになることもあるのである。


何を目標とするか。

2010年01月18日 00時26分00秒 | 思考試行
人より相対的に、「優れたい」「負けたくない」 これは、動物としての本能だろうか。それは、常にそうであるとは思えないが、基本としては、まったくないとなれば、いけなくて、少しはあったほうがいいようだ。

評価が、低かったりすると、なにくそという気持ちを起こす。これが、エネルギーとなって、前進のバネになるのである。

今日、テレビで、旭山動物園の動物の魅力を引き出す工夫が、紹介されていた。ただのアザラシだ、と言われて、悔しい思いをした園長が、工夫する。

アザラシの筒状の水路を、上下する様を、子供たちが、歓声を上げて喜んだ。

この展示を工夫した動物園の園長が、心配から喜びへと表情が変わっていく。その安堵の表情は、本当に感動的である。真剣に、とりくみ、そのネライが、見事にあたったのであるから、その嬉しい気持ちは良くわかる。

動物達の能力の素晴らしさを、見せる。これがうまくいったとき、動物も気持ちよさそうにのびのびとする。それは、みる方にも、その気持ちよさが伝わる。動物園だけではない教訓がそこにはある。

およそ、人の関わるところすべてに関係する姿勢であろう。こういう姿勢を、モノにしたいものである。