空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

選択

2009年06月30日 08時38分09秒 | 思考試行
選挙が近くなって、いろんな動きがある。権力を求めて、人気を取り合う。国民がこれに、どう対するのか。自分の代わりに政治を行なわせるのだ。

人は、その周辺の人の影響を受ける。創価学会の場合でも、親がそうだったからという理由で、信者になっている人がいる。これは、理解できる。ここからどのように、自立するかが問題である。

子供の頃から、親の振る舞いをみて、その価値観に染まったのだろう。その言を聞くと、批判する力がない。自分の頭で考えていない。流れできている。

それは、キリスト教が中心の欧米でも似たような現象がある。広い視野から、価値観が形成されているとは思えない常識があって、厳しい対立構造が普通のような、空気がある。

どの価値観が正しいとか、有利であるとかは、その時代の空気が決めるのだろうか。戦争へと駆り立てられた時代は、いまでも地域によっては、現実として続いている。

原爆を2発も落とされ、大空襲で、数十万の人が殺され、それでも60数年経てば、時効とでも言うのだろうか。

戦争ができる国にしたいというのが、政治家達の夢のようである。自民も民主も、基本的には、そのように、考えている。

非常に危険な状態である。選挙で、なにが争点となろうとも、その底流の流れをみなければならない。戦争をしないさせない国にするには、国民の明確な、意思が必要である。

眼力をつけよう。

2009年06月28日 13時09分38秒 | 思考試行
中央集権か、地方分権か、そのいずれでもなく、国民主権でなくてはならない。誰が最も大事にされなければならないかといえば、それは、国民である。地方の役人も、中央と同じく、自分の裁量となれば、ヘンテコな方向に行くのである。

要は、国民の姿勢であり、その認識である。

為政者の本音は自分達と、その周辺の利益に関心があって、国民はバカな人間どもにすぎない、これは、使い捨てにすればいいのであって、どう生かさず殺さずでいくか、としか考えていない。場合によっては、犠牲者が出ようと、平気の平左である。

それが、今までの支配側の感覚、もはや、これではいけない、そういう兆候がでてきてはいる。それでも、人のいい国民は、役にも立たない信仰や、利害関係に踊らされている人は、まだまだ多い。

頑迷で、理屈は受け付けない。誰かさんの言うことならば、二つ返事でいうことを聞く。こういう人が、いる限り、世の中は、なかなか変われない。芝居仕立ての、企みに、簡単にのってしまう。

戦争にも行きかねないし、命も捨てる。こんなことでは、話にならない。深い世界を知ってほしい。大事にしあう人間世界を作るためには、どうしなければならないか、真剣に考えるときである。

マイケル・ジャクソンの死に思う。

2009年06月27日 06時36分10秒 | 思考試行
マイケル・ジャクソンの死は、大きなニュースとなっている。人生のすべてが、明かにされる。生い立ちが紹介される。

小生のように、ほとんど、彼を知らないのに、どういう曲がヒットして、いかに彼が人気者であったか、それが、どのように新鮮で、魅力があったのか、などが、その死によって、始めて理解できたという人もいるだろう。

たしかに、考えられないような、シャープな体の動きは、才能というしかない。歌声も変わっている。顔つき、体、声、物腰も、新しい。

といって、それがどうした、という感じが拭えない。燃えるような、感動というのはない。これが世代というものなのだろう。ナジミもないし、思い出もない。

恐らく、悲しむ人達は、彼らの青春と色濃く関係するのだろう。彼の、体の動きを一生懸命練習もしたという。なつかしく、そして、直接の体験がある。

そして、彼らの熱い語りが、小生世代の心を揺すぶってくれる。そして、マイケル・ジャクソンのようなタレントが歩んだ道をきいて、そこに、自分達の世代の大事な知恵が活かされていないことをしる。

何故、整形手術をしたのか、とか、もっと、基本的なお勉強が足りないではないか、とか思ってしまう。そういう基本が、できていないための、悲劇として総括することになる。


役割・・・優劣からの解放

2009年06月26日 10時59分08秒 | 思考試行
競争原理、市場原理が、どこまでも追求されると、はずみで、どこかに富が集中してそれが、ずーっと続く。

金持ちの家に生まれると、教育もそれなりに受けて、苦労知らずに人生を過ごす。その子弟もそうなる。

悲惨な環境に生を享けると、犯罪でもしなければ生存できないという状況におかれてしまう。戦争でも起これば、真っ先に兵隊にならされる。それ以外に生きる道はないからだ。

優劣を競うあまりに、少しの差を大きく考えたり、そのことで、人生に大きく影響させるのはどうかと思う。優秀な能力を有するということは、それだけ、人に貢献できる可能性を有すということで、歓迎すべきことだが、価値観として、それを自分自身の生存が有利とのみ考えているようでは、いけない。

能力の欠ける人には、保護を受ける対象となるが、それは、やりがいを人に与える対象でもある。生きがいを人に与えるのである。立派な役割ではないか。

テレビでお馬鹿キャラを売り物にしているタレントがいるが、それは、非常に魅力的でもある。こういう人が、いるから、相対的にできる連中もヒカルというものでむしろ、純粋さ、楽しさ、には不可欠な存在である。

それぞれが、能力を発揮して、共生する。これこそ、これからの人生観の中心にならないと、人類の存在そのものが、継続できるかどうかという事態を迎えている。

一人ひとりが、大事であって、名誉博士号がドウノコウノという連中は、その行状をきびしく点検されるべきである。

優劣意識、排他主義、差別主義、固定観念、・・・これらからの解放は、人類の課題である。


多様性、フレキシブル性、そして平和。

2009年06月25日 06時23分23秒 | 思考試行
政治家が、庶民の暮らしに影響を与えるのは、小泉改革で、富裕層、投資家のみが儲かる構造、一たび、労働者が、派遣業についたなら、浮かび上がる事のできない構造が、法律一本で、できてしまった例があって、これが、今度の選挙でどうなるのかが焦点の一つになっている。

庶民がこのことをどう見るかである。比較的高齢層が、年金等で余裕があっても、若い人びとは、総じて、ひどい環境におかれて、将来の見通しももてない状況に追いこまれている。  

経済団体のトップも大した哲学もなく、儲けしか頭に無い。地球は、今や狭くて、相互に関係している。イランや、イスラエル、アフリカ、中国、北朝鮮みんな関係している。これらを、頭において、政策を立案しなければならない。

民主党はそうなっているのか、自民党との対比で、今、上げ潮の感じがするけれども、小泉と同じ間違いをする可能性もある。それは、庶民の本当の味方がどうかは解らないことである。なにより、憲法9条に対する姿勢が、やはり、普通の国になりたいというのが、本音だからである。平和を真剣に考えているかどうか。

自然界の様子は、多様性、複雑性に満ちている。そして、この複雑性が、全体の調和を保ち、存続の条件になっている。バランスが、とれていなければ、どんどんへんな方向に、崩れていくことになる。

政治の世界も、一色に固まるというのは、うまくないのかもしれない。多様な、フレキシブルな形態でなければ、バランスがとれないのではないか。それは、人智をこえた相互関係の積み重ねのなかで、化学変化を生じて、そのなかで、微妙なバランスを得ることができるのかもしれない。

大きな観点として、全体のバランスが考慮されなければならないし、配慮が必要である。自然界の、多くの種、環境への対応ぶりなど、大いに参考になる。こうした姿勢のもとに、具体的な政策を練り上げなければならない。金持ちの言うことばかり、聞いているようでは話にならない。

池田氏の名誉博士号授章広告に思う。

2009年06月24日 09時00分43秒 | 思考試行
創価学会の池田名誉会長が、北アイルランドのクイーンズ大学の名誉博士号を受けたと、今朝の日経広告に出ていた。

北アイルランドの歴史をみれば、宗教を巡って、また植民地としての過酷な歴史を続けている国である。

その深刻さ、過酷さは、言語に絶する。どういう経緯で、授章に至ったのかと推測するに、「金一封」としか思えない。彼が、なにか学術的に貢献しているとはとても見えない。

日経新聞も、経営のためなら、こんな広告を平気で受け入れている。この実態も見ておかなくてはならない。マスコミ買収の一環であることも見ておかなければならない。

人間社会の中に、こういう低劣なものが混ざりこむと、周囲が迷惑する。人を惑わし、自ら以外は、勲章をもらったりすると、竹入氏のような目にあわせる。こんな人が、オヤブンの宗教団体の本質は、明らかであるが、それが日本では、政教一致で、なんと、政府与党に連なっている。

このへんな団体の本質を、きっちり取材して、明かにすることは、マスコミの使命だと思うが、それが、できないように、さまざまに、買収工作が展開されている。

しかし、こういう広告が出ることによって、「問題」の所在を忘れさせないでくれていることは、「墓穴を掘る」という言葉も想起する。

政治は利害関係の継続ではない。仕組みをよくしていかなければならない。

2009年06月23日 08時31分25秒 | 思考試行
何故、政治家の場合は、世襲がいけないのだろうか。政治家はあくまでも、権力の行使者であって、普通の職業ではない。俳優や、その他の商売とは違う。人心を集めて、権力を行使するのだが、そこには、常に、全体に対する姿勢と、個人との関わりが色濃く関係する。一定の利害関係が、世代を越えて、継続されることになれば、時代の変化に取り残され、大きな弊害が続くこととなる。

現実に、大阪府の場合をみると、橋下知事の活躍ぶりと、太田前知事と対比すれば、一目瞭然である。彼女は、二世かどうかは知らないが、官僚上がりの太田知事の場合は、二世政治家に共通する、官僚の飾りとしての、旧来の知事と変わらない仕事ぶりであった。支配側の論理に添うだけなのである。

政治家は、やる気と、個人の力量が問われるのである。利害関係に囚われることによる社会の受ける損害は、たいへんなことになる。

橋下知事の、地方での動きの活発さは、世襲で得られたものではない。やる気のある者が、その芽を摘まれないためには、世襲は制約されなければならない。世の中を本当に良くするためには、政治は、決定的な意味を持つ。これは、全体の仕組みのことであって、個人の権利の問題ではない。政治家として問われる資質は、能力とやる気の問題であり、職業選択の問題ではないのである。

学閥、財閥、縁故、しがらみ、こうしたことで、世の中ガンジガラメになっている。こういう力は、背景にあって、すべてを支配する。政治の世界とも、もちろん繋がっている。

支配される側のマジョリティは、この仕組みのなかで、よりよい仕組みをめざしていかなくてはならない。そのためには、眼を見開き、実態をみぬかなければならない。自分達の真の代表を政治家にしなくてはならない。

昔の人はエライ。

2009年06月22日 15時55分13秒 | 思考試行
古い映画を買ってきて、見ると、流石に、相当のガマンがいる。世の中進歩するんだな、と解る。

今、常識とされてることが、そうではない時代だから、悲劇が喜劇にみえるし、喜劇となっているのも、何が面白いのかと、意味不明に思ったりする。

昨日、テレビで平塚八兵衛の、伝記ドラマをやっていたが、一昨日に続き、二夜連続であった。力の入った作品で、この人も最後は、時代の流れのなかで、退陣する流れとなっていた。

人間的な深いところで、犯人ともつながり、当人のプロ根性も相まって、時代が構成されていたのが、よく解る。今は、そうはいかなくなったという流れが、残酷に表現される。

進歩か退歩か、たしかに、昔のほうが、人間的であったと思う。生きるのに、技術が必要であった。今は、機械がよくなり、道具も進歩している。個人の実力としては、ハダカであれば、あきらかにひ弱になっていると思われる。

精神的にも、集中力や、根気など比べ物にならないのかもしれない。「剣岳」もそうだが、昔の人は、偉いといわざるを得ない気がする。

これに学んで、今の世をなんとかセナイカンと、思わなくては、いけない。

「剣岳」見たがな。

2009年06月21日 08時03分30秒 | 思考試行
映画「剣岳 点の記」を劇場でみた。久しぶりの大入りで、席が最前列の端しかない。家内は、かなり不満そうであったが、こちらは、迫力と言う点で、有利かな、などと思っていた。

が、さすがに、画面の歪は、大したもので、修正してみることになり、少々疲れるところもある。それでも、この盛況ぶりは、真面目な日本人が、こんなにいるというヨロコビを禁じえない。

ただし、予想どおり、若者の姿が、見事に見えないのである。これが、教育の成果であろう。未来に生きるためには、先達の仕事ぶりは、なんらかの刺激を与えてくれるとは思わないのか、それとも撮影秘話が、実写撮りで、苦労の連続だということを知っていて、そんなシンドイ映画は、ゴメンということなのか、それとも、これから増えるのか。新しい世の中を作るためには、その姿勢が大事であると思うのだが。

明治の暮らしの中の、いいところ、悪い所を見抜いて、今の世に、活かしてほしいものである。涙が、片目からコボレル。

異常を言われて以来、胸のあたりにモヤがあるような気がするし、視野を点検してみると、右目の「力」が足りない感じで、左目の方がしっかりしているようだ。まだ検査の日まで、日数があるから、しばらくは、中途半端な日が続く。涙がこぼれたのは、正常と思われる左の方だった。

帰途、書店で、早速、文庫本を買う。駅構内の小さな本屋さんだが、新田次郎さんの文庫本がヒラヅミになっていた。「今日は、何冊め?」と聞いたら、店員の顔が、一瞬で、ほころんで、ワカリマセンといったが、ポスターはあるし、一番目立つところに本がおいてあるし、店員自身が、関心を持たざるを得ない状況であることは確かで、反応はそれを物語っていた。


ヤカラとの対決

2009年06月20日 08時58分37秒 | 思考試行
いろんな要素が渦巻く世の中で、とんでもないモノを踏んでしまうと、世の中の表舞台から、去らなければならなくなる。

北野誠が、ラジオでチョット言ったら、それが大事件だそうで、なにやらワケのわからん内に、探偵ナイトスクープも降ろされて、昨日は、新探偵の田村が登場していた。

誰がなにを言ったから、生存権を奪われるような事態が起こる。これが自由を標榜する社会の実態である。

力の強いヤツが明かにいて、そいつが世の中を支配している。必ずしも、公平な、いいやつではなさそうである。

こういう連中が、世の中に害悪をもたらしている。

存在が、明らかになっているにも関わらず、隠蔽されている。こういう例は、どうやらたくさんある。小生、この世に生を享けたのは、こういう連中をいかにして、やっつけるか、ではないか、などと、夢想し始めている。

世間の多くの人がそう思い始めたときに、悪事千里を走る、である。知らない人まで、そのことを知っており、その行状は、アウトラインが知られており、そのヤカラが、もしか、目前に現れたとき、ああこの人かと、特定できるまで、知られてしまっている。小生もその例を知っている。

当該のヤカラは、いつの日か、この世かあの世か、でチャント、辻褄が合うようになっているようであればいいのだが、そうではないのかもしれない。それで、そういうヤカラは、なんの恐れもなく、思い切り自分の都合で、他の連中を利用し、使い捨てるのである。

チョット異常が・・・と言われて

2009年06月19日 16時00分15秒 | 思考試行
人の命は有限だけれど、これが、無限ということになると、とても耐えられないと思う。永遠の休息、というのも必要ではないかと感じる。そうは言いつつ、ちょっとそれが、現実味を帯びると、心理状態は、平静ではなくなる。

徐々に、人生に疲れるというか、物理的にもシンドサを感じるようになり、好奇心が少なくなって、楽しみを見つけるのに困難さを覚えている自分に気付く。

そこが、自己だけでなく、他者に対する愛情が欠如していることの故と、感じたときに、人は自己だけでは生きていけないという、事実を突きつけられる。

他者への、愛情を持ち続ける人は、仕事が、彼を、彼女を、離さない。倒れて、命尽きるまで、生き続ける。

奉仕ばかりの人生のようにみえて、ご本人は、そうは考えてはいない。こういう人のお陰で、人生は、豊かな色彩を持つ。生きる喜びを体現しているこういう人が、感動を呼び、生まれてきて良かったと言わせる。

異常なしの連続だった一年に1回の検査で、異常ありとなって、とたんに、風景が違って見える。人間いつかは死ぬことを、本当に覚悟しておかないと、慌てる。生きるために、いろいろしてきたけれども、これからは、どう死ぬかも、考えなくてはならない。どう死ぬかは、どう生きるかということでもある。

せっかくこの世に生をうけたのだから、偉人達のようなわけにはいかないが、肩の力を抜いて、今後のことを考えていこう。

民主党の政治姿勢

2009年06月18日 09時32分06秒 | 思考試行
人の話を聞かないというのは、致命的である。今朝のテレビで、みのもんた司会で自民党と民主党の代議士4人が、昨日の党首討論を受けての論戦をみたが、自民党の世耕氏が特にひどい。

相手の話に、かぶせて自分の言いたいところを言う。こういうやり方は、いい加減やめてほしいものだ。話にならなくなるし、不快になる。

政治家同士の話というのは、テレビなどの場合、常にみる光景であるが、真剣に討論して、国民の判断を求めるという真摯なふるまいを示してほしいものだ。

自殺者が年間3万人をこえる日本の状態。世界で先進国といわれながら、その生存環境は苛酷である。富の配分、配慮ができていないことを数字が雄弁に語る。

ここにメスを入れようとしているのが、民主党というのならば、それでいいのであるが、本当にそうか。

まずは、官僚が、自分達の権益を守るためにキュウキュウとしているなかで、広い視野で問題解決にあたるには、どうすればいいのか、こことの対決姿勢が、民主党にはみられる。官僚マルナゲの自民党との対比が明らかである。

その民主党も、共産党には、連携を呼びかけない。今の共産党を、何故排除しなければならないのか。建設的であり、平和の姿勢もしっかりしている。これを排除する理由が語られていない。

友愛をいうならば、共産党とは、かなり近いものがあるはずである。排除するのは友愛を徹底しない姿勢が、背後にあることを意味するのではないか。

日本の出番

2009年06月17日 06時55分06秒 | 思考試行
日本という国は、世界の中で、特異であると言われる。一神教の信仰を持つ国が多くて、いまだに、宗教での対立が、争いの根源となっている地域がある。

日本の場合は、そこまではいかない。多神教的な、ゆるやかな宗教観を持つものが多く、本気で信仰している人は、慨して少ないと思う。

もともと、証明できないことを、あれこれしても仕方がないとする常識が、浸透しているのではないか。

占いであるとか、宗教であるとか、あまり深く入り込むことは、健康ではないという感覚がある。

そういいながら、保険をかけるように、お宮参りであるとか、法事であるとか、お祭りとかの行事をする。

そんなに思い込んでいるわけではない。習慣として、一族郎党が集まる機会と捉えているのだろう。

それで良いと思う。そして、日本の場合は、アメリカに原爆を二度も落とされ、人口の集中している都市に、無差別爆撃を受けている。にも関わらず、今や、忠実な部下として、ポチの役目を、歴代政権はとり続けてきた。

国民も露わな怒りをブツケルことはない。その底流には、深い怒りがあるのかもしれないが、若者達の間では、アメリカと戦争したことを知らないというムキもあるというから、タイシタ怒りではないのだろう。

この国民性は、世界に広げられる価値があるのではないか。一神教的な価値観から多神教的な価値観への転換、日本文化の中にある、相互扶助的な価値観は、明らかに、世界に広げられる立派なものであると思う。

憾みや、怒りの激しいことは、あまり良いとはいえない。日本的な、考え方が、特異であるといわれるとする現状は、日本がもっと、世界にでなければいけないことを意味する。

考えながら

2009年06月16日 17時44分10秒 | 思考試行
考えること、そして、行動すること。そのなかで、生活の設計もしなければならない。全体の動向に目を配る必要もある。なかなか、これが見えない。

余裕があれば、見ることもできるのだが、なければ、当面のことに追われてしまって、埋没してしまう。

あまり、目先のことに囚われすぎると、視野狭窄となる。視野を広くするには、考える習慣をつけたい。

考えることなしに、ステップを上がる事はできない。行動しながらも、考える時間は、意識的に持つようにする。

自分の価値観が、正当かどうか確かめながら、進む。ずるい人もいるだろう。それは、観察しておけばいい。

一時的なものかもしれない。あるいは、本質的にそうなのかもしれない。それは、自分との関係で常にリンクして考える必要はない。時に、敬遠することも必要である。

いろんな罠を仕掛けられることもある。それは、大抵の場合、欲であったり、自分の価値観を曲げなくてはならないことが多い。

妥協することによって、あるいは、ずるいことをして、得をする、といったことである。

その誘惑にどう対処するのか。かたくなに、行くのか。妥協するのか。時にフラフラしながら、しかし、根本のところで、しっかりして生きたいものである。


「どうして?」の必要性

2009年06月15日 08時02分13秒 | 思考試行
「どうして?」、と考えることが、何故重要だろうか。

「どうして」は、リサーチのスタートである。

なんでも調査できるものは、調査しないと、成功は覚束ない。闇雲に、走り回っても目的地には、到達できない。

それは、積み重ねの人生のなかで、体験を積むなかで、思い知ることになる。見えることは、努力すれば、見えることもある。

月へ行くには、その手順を尽くさなければならない。自然の法則を知らなければならない。

政治の世界だって、同じだろう。政治が、人間の暮らしのみならず、生きとしいけるものに関係するから、それにあたるものは、そういう視点、視野が求められるのだが、そうしている人は、案外少ないのではないか。

真剣に、「どうして」と考えるのは、どこの分野でも必要で、人間にとって、必須の習慣でなければいけないのではないか。