生きているということは、何がしか、やることがあって、動くということだろう。まず、食べなければならないし、食べると排泄がある。眠くなると、起きていることができない。寝るとなると、条件がいる。そのための準備も必要である。
とにもかくにも、やることがいっぱいあって、ジットしているわけにはいかない。刺激がいろいろあって、これにも対処しなければならないし、そうしなければ、生きてはいけない。
そして、そんな風に活動するなかで、人間は何がしかの喜びを感じて、生きている。だが、いじめをする人間がいて、生き難くする輩もいる。いじめに、喜びを感じているはずもないのだが、錯覚しているのだろう。こうした歪んだ考え方にもさらされつつ、生きるということは苦しいものでもある。
ただ、心がけや、知恵や、学びのなかで、手段を得たり方法をゲットして、これらのいじめをかわしながら、逆に、これをエネルギーとしながら生きていけるならば、それも楽しいこととなる。それには、周囲の協力も必要である。助けを求めよう。得られるまでトライしよう。諦めないことだ。
苦しいなかで、死ぬまで、楽しく生きる術を身に付けて、共存していく知恵をみんながもてるようになれば、すばらしいではないか。