空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

変な口実に騙されてはいけない。

2008年03月31日 22時46分18秒 | 思考試行
 このブログを始めた動機は、とにかく戦争をしない国であることを守りたいということが主眼であった。

 しかしながら、戦争をしても仕方ないか、という雰囲気が一挙に高まった時期があった。工場ではたらく青年が、そうなったら行くなどと言い出した。その工場のおかみさんが、「あんな北朝鮮にやられたままになるの?」などと言う。

 北朝鮮に攻め込まれたら、どうするのか、そしたら、みんなで抵抗すればいいではないか、アメリカの言うとおりに、世界中どこでも出かける、かれらが言うとおりに戦争することと、リンクさせたらアカン。憲法9条を変えるということは、これは、どこでも、なんでも戦争が可能となるのであり、そんなことは、庶民にとって、大きな悲劇をもたらすだけなのに、北朝鮮が口実になって、世論を作り上げてしまう。

 議員というのは、普通の人ではない。少し常識外れが多いのではないか。戦争を是認する連中が今や、三分の二いるのである。危ない状態が続いている。庶民の健全さが、平和を守る。それが、最後の砦である。特殊な考え方が、あたりまえになっている連中を、おかしいと、はっきり指摘していかなければならない。

変化、決意

2008年03月31日 09時26分02秒 | 思考試行
 桜が、咲いた。そして、今日は月末。集金に出かけなければならない。このところ、一人で寝ているので、思いついたときに、ベッドサイドの本のページをくることが多い。それが、結構面白くて、義母が来たときの一つの新しい楽しみになっていることを発見した。

 家内は、相当神経を配っていて、当初はかなり負担であったようだが、それなりにペースをつかんできてはいるようだ。それでも、負担は確かにあるので、それも日一日と変化し、そのたびに気を揉み、心配し、そして、覚悟していく。

 義母は、こういうケアをした経験がないので、家内の心情は、本当には、理解できないと思われる。どこか、娘がしてくれるのは、当然と思っている風も見えることがある。以前に、小生が家内のいないときに、それとなく、質問したことがあったが、はっきりと、施設などには入りたくない、と明言する。そこには、介護をする者への思いやりは見られない。我々夫婦は、子供もいないし、(いても今はみんな一緒かもしれないが、)最後の身の振り方は、今から考えているのだが、そういうことには、頓着なくすごしている。少し羨ましい気分はある。

 目の前にいても、変化ははっきりとしていて、衰えは隠せない。徐々にではあるが、はっきりと食欲が減退してきているようだし、映画もなかなか最後まで、見終わることができない。途中で寝てしまう。

 少し前までは、「良かったですねえ。」と短評がついて、それなりの反応があったのだが、それも急速になくなってしまった。しっかりと、とにかくみていくことにしよう。

探究心を忘れずに

2008年03月30日 21時52分53秒 | 思考試行
 何が人生において、重要であろうか。それは、一生をかけて探し続けるものかもしれない。しかし、ある程度こうではないか、というものは、ある程度生きてくれば、つかめているのではないだろうか。小生の場合は、どうだろうか。西田哲学にふれたことは、その発端であった。高校生時代に、国語の教師の推薦もあって「善の研究」を読んで、人生は、真善美の追求にありと、わかったつもりになった。その後、左にふれた時期もあった。そして、今また、西田哲学に戻ったような感じがある。

 どうやら、人は純粋に自分の利益になることばかりをすることが、真の喜びではなく、他人のためになったとき、役に立ったとき、そこに真の喜びがあるのではないか、と思うようになった。人は誰にも、迷惑をかけずには生きてはいけないし、また、人の役に一切たたないで生きていくこともできない。しかしながら、どうかすると、執着するのは、自己の利益のみになり勝ちで、逆に自己利益を、意識しないと結構、イイヨウに利用され、オヒトヨシだとバカにされ、コケにされ、なめられたり、貶められたりするので、それもいかにもバカらしくて、油断できない。

 また、人のためにしてきたつもりでも、それを減殺するような、タクラミをする者もいて、気がヤスマラナイときもあったりするのである。本当に生きて死んでいくまでどのように推移していくのか、楽しみでもあり、煩わしくもある。

 できるだけ、楽しい人生にしていくために、観察する見識を養い、一方では、人生を探究し続ける心を、失わないようにいていきたいものである。

楽しみのトライ

2008年03月30日 10時05分57秒 | 思考試行
 何はなくとも、平和で真面目にしていれさえすれば、普通に暮らせる、世の中であればいいのではないだろうか。

 人より優れていなければとか、より多く儲けるだとか、そういう考え方が主流になると、これは、競争関係だから、ギクシャクするのは目に見えている。

 協力して、共に生きるということであれば、競争なんかする必要もない。ただ、自分の能力を生かし、それが人の役にたつということで、チャント報酬も得るのだから、それで生きていける。たくまずして尊敬も得ることだろう。

 古き日本には、そのような精神が結構あったのではないだろうか。民族とか国とか、何らかのセクトを前面に出すと、うまくいかないと思うが、その本質をいかして、お互いに切磋琢磨することは、それは、それでいいのだろう。

 今日から、gooブログアドバンスに申し込んだ。従来あまり関心をもっていなかったが、何事もトライする姿勢を持つようにすることを心がけたいと思っている。どんな風になるのか楽しみである。

相当ヘンだなと感じたこと。

2008年03月29日 22時26分24秒 | 思考試行
 テレビを見ていて、不思議に感じたことがある。歌は確かにうまいと思うのだが、そのファンの様子があまりに、熱狂的すぎるのである。涙して、あなたのおかげで人生変わったなどと、若い歌手に両手をさしのべるのである。

 司会のアナウンサーもビックリしている。こんなにその歌手が人気があることを知らなかったらしい。小生は、ブログでその若い歌手が、ある「宗教」に属することを知っていたから、同じ宗教の同志として、さも有りなんと思ってみていたのだが、その歌手自身、その「宗教」に関して、何らかの活動をしていることを公にはしていないのだと思う、しかしながら、多分その「宗教」の内部的には、周知の事実であるのだろう。まさに同志的な結びつきが体現されているのである。

 だから、そうではないかと調べている人にとっては、彼がそうであることを知ることは、そんなに難しいことではないのである。別に、その宗教団体にぞくすることは、非合法というわけではないのだから調査は困難ではない。そして、彼の属する宗教団体と密接に関係する政党は、今をときめく、政権を持つ連立与党なのだから、現実的に力もある。

 それは、しかしながら、恐ろしいことではある。彼らは気脈を通じていて、独特の「同志的」な結びつきをもっている。それをみている何も知らない人にとっては人気があるのだな、ぐらいにしか見えない。

 そのように見ると、テレビに多くの、その宗教団体に属するタレントが出ているのである。別に、特定の宗教に関するアレコレをだしてくるわけではない。だから異様な感じはしない。ただ市民権というか、馴染みはできる。それがネライかもしれない。

 科学的に考えると、宗教というのは、大抵の場合、人為的なもので、人類にとっては、いわば過渡的なものに思われる。それは、奇跡であるとか、不思議とか、理屈では解き明かせないとか、いうような要素が含まれるからである。証明不可能なことが、認められたりするからである。

 人間同士の営みのなかで、少々大胆に言うとすれば、必ずしも、どうしても必要なものとは考えられない。解らない、証明できない、というものは、そうであるものとして、扱うのが、ケンメイな常識人の考え方ではないだろうか。

 宗教は従って、イイカゲンなものであるならば、健全であるけれども、熱心ないしは真剣となれば、それは、危険度を増すといえるのではないだろうか。若い歌手に、老年期にさしかかる婦人が、涙を流さんばかりに、あなたに救われたなどと言っているのをみると、猛烈なイワカンを感じるのである。

 宗教団体が真剣に、自らの存在を確固たるものとするために、金に糸目をつけず、マスコミ対策、言論界に対する工作を、意図的にしているとすれば、どうだろうか。世間一般に、こうしたことが、見えていればいいのだが、いわば公然と批判するものがいない状態を作るために腐心しているとするならば、それは、やはり不健全と言わざるを得ないのである。

愛国主義より愛「地球」主義

2008年03月28日 11時43分50秒 | 思考試行
 国と地球は、両立しないことがあるだろう。愛国の名のもとに、地球破壊が進めば、これは愛国どころではない。どちらが大事であるか、分かりきったことである。こんな簡単なことが分からない連中が、文部科学省だけではなく、政権をにぎる人々のなかに、ウジャウジャいる。

 地球がダメになれば、愛国どころではないので、しっかりしてほしいものである。言い訳をいくらしても、結果的に地球がだめになれば、何もかもパーであってそのときになって、反省しても、もう遅い。それは、それで、人間が滅びるだけのことであるから、大した問題ではないとの見方もないではない。

 まさか、経済重視の人々がそのように考えるとは思えないが、結果的には、やけを起こして、全人類を滅ぼしてやりたい、と考える人と同一ということになる。言い訳をたくさんして、そういう結果をもたらす可能性が、明らかになっているのであり、もう少し広い視野をもってもらいたいものである。

 だいたい、弱者のことなど念頭にない考え方が、ものごとの間違いの始まりである。儲けばっかり、人はたんなる自分の道具にすぎない、という考え方では、全体がうまくいかないのである。

失政の責任

2008年03月27日 09時09分47秒 | 思考試行
 やるべきことをやり、やれば迷惑をかけるようなことは極力やらない。それで、大抵の判断はつく。新東京銀行の場合はどうなのか。石原都知事が、「お詫びします。」と言ってはいたが、退くも地獄、進むも地獄の状態であるという。どこに経営困難の理由があったのか。都知事側の経営陣へのプランのオシツケがその原因であるという意見もみられる。きちんと原因が究明されているのだろうか。

 経営の難しいのは、新たに400億円を投入しても同じではないかと思うのだが、再建計画自体が何か画期的なものがあるとも思えず、ただただ税金の垂れ流しとなれば、眼もあてられない。本当に、都民の側にたった政治をしているのだろうか。

 一方では、非正規雇用のために、悲惨な暮らしを余儀なくされている人々が大勢いる。このような事態に、さすがに、金儲け亡者たちもやりすぎ多と思ったのか、社員化をすすめる動きがでてきているが、大体において、法律で、今まで禁じていたことを解禁したために生じたことであって、この間犠牲になった多くの若者たちにどう詫びるつもりであろうか。人の一生にかかわる失政といえる。

爆笑問題の京大でのパフォーマンスをみて

2008年03月26日 09時03分07秒 | 思考試行
 あれか、これかではなく、あれもこれも、であり、白か黒か、ではなく、グレーもある。多様性を容認しなければ、人生楽しくない。といって、楽しければいいのかといえば、いつも楽しいというわけにはいかない。苦労があるから、楽しみも倍化するのであって、光と影のようなものか、両者はそれぞれが、その存在を支えているようである。

 爆笑問題が、テレビで、京大の教授連と学生を集めて、独創力をめぐってパフォーマンス(討論会)をしていた。支離滅裂になりそうで、それでいて、西田哲学の話がでたり、学生の感想にもあったが、禅問答めいていて、なかなか面白かった。それは、何か結論めいた信念があるのだろうが、いきなり核心の話をするというのではなく、その周辺をドタバタしている感じであり、そして、何やらネツがあるので、引きこまれるのである。結構背景は、健康であり、健全なのである。

 みんな独創力はあるのだ、といいたいオオタのたとえ話はよかったし、女子学生がそれに反応するのが、新鮮であった。人はやはり、人同士で話し合うことが必要だなと思った。

上品であった。

2008年03月25日 09時02分05秒 | 思考試行
 黒澤作品を三本借りてきた。まず、「悪い奴ほど良く眠る」をみた。印象はまことに純情だということである。みんな、精神的に若い。台詞の一つひとつが、今では出てこない言葉である。悪く言えば、子供みたいな感じがする。よく言えば、上品で、純粋で、まさしく「純情」なのである。

 我々世代には、たしかに有った世界である。悪党の底のしれなさが、現代につながっている。登場する悪党が、これは、今どこにでもいるような、普通の人に思えてくるから、恐ろしい。現在のわれわれは、人間が相当悪くなっているようだ。

 そういえば、森鴎外の小説を読んでいたら、人さらいとの会話の場面で、あまりの上品さに、驚いたことがあった。小泉八雲が帰化するぐらいの、日本のよさがあったのである。今、アメリカ流の競争原理を押し付けられ、ヘンになりつつあるように見えるけれども、根本的なよさは、世界に誇ることができる普遍的なものがあるように思う。

 

正解の実例を増やす。

2008年03月24日 09時29分13秒 | 思考試行
 みんな一瞬を、2度とはない人生を過ごしている。毎朝同じようではあるが、それは、初めての経験の朝であり、時間である。風景は同じであり、退屈な感じがしないでもないが、正確に二度と同じことはないのである。それは、考えると不思議である。

 それでも、毎日のくらしは、同じことのように錯覚しているから、安心していたりする。今日と同じに明日がくると、信じて疑わない。というか、考えもしていない。地球のリズムのなかで、身を委ねて生きている。

 環境問題、政治、経済、・・・多くの課題をもちながら、人類は生きていく。あたりまえと思われることが、なかなかできない。一つずつ、着実にしていくほかないのに、指導者の水準が、あまりにも低すぎる。人間の水準を、どうやってあげていくのか。それは、一見して、バカといわれる人の生き方が正解に近いと思うし、それが、正解の一つの実例であるのだが、バカでない人の正解実例というのは、市民権が得られていないというか、一般的ではないのだろうか。疑心暗鬼で油断なく周囲を観察しながら、チャンスとみれば、人を蹴落としてでも、自らの利益を確保し、キュウキュウとしているように見える。

 正解の実例を増やし、それが、チアフル(快適)であることを、経験すれば、もう少し世の中進歩するのではないか。

新入学

2008年03月23日 11時22分34秒 | 思考試行
 今年は源氏物語ができて以来、1000年になるという。すべて読んだわけではないが、谷崎訳の最初の部分だけ読み始めた。今まで何人もの作家が訳出している。どこにそんな魅力があるのだろうか。

 そこには、古いだけではなく、時代を超える普遍的な中味があるからには違いない。キレイゴトではなく、人間の本質が描かれているのだろう。そこには、ただ、生まれたままの人間が描かれているのではない。その時代のなかで、一流の人品をもつ人々の世界である。どこまでも自由といったものではないから、自ずと品がある。

 識者は、こういう文学作品を持つ国に誇りを持てというが、まずは読んでみないとその真偽はわからない。この機会に挑戦してみたいと思う。

 放送大学から、教科書を送ってきた。いよいよ新学期である。科目は自然科学系の3科目である。今回は、まじめに取り組みたい。

 「生命と金属の世界」まえがきに、生体中の微量金属の話題がまずあがっている。地球の環境に影響される生命の一人として、講義に期待している。
 
 「分析によって知る世界」分析科学で培われた知識と技術が実社会でどのように活かされているか・・・

 「生物界の変遷」40億年近くかけて進化してきた生物の変遷がとりあげられる。

 久しぶりに、新入学の気分を味わっている。

久しぶりに電車で神戸へ。

2008年03月22日 17時23分46秒 | 思考試行
 世の中変化している。今日は、神戸でお客と待ち合わせする。この27年間同じ喫茶店である。代理店としての最初のお客様であり、研修生代理店として、社員が同行してくれて初の契約をした。とにかく初出社当日のことであり、「こんなことは滅多にないのですよ。」とクギをさされたことをおぼえている。社員の言うとおりに領収書をキルのみであったが、後のことを思うと、ラッキーなスタート。それでも先行き不安な気持ちであったことは忘れられない。以来毎年の行事で、続けてきた。ところが去年、渋滞のため、当方が遅れてしまい、会えずに、郵便で更改手続きをしたのだった。今年は、遅れるわけにはいかないということで、電車にした。久しぶりに電車に乗ると、停車駅が特急にもかかわらず、増えている。改札の風景が様変わりで少しまごついた。毎年、自動車保険の更改のみで会うだけであるが、毎年、アセをかくのである。最初の不安な気持ちがよみがえるようである。阪神の地震があり、お互い年金世代となり、それぞれの人生をお互い眺めあいながら、年月を重ねてきた。しかし、こういうビジネススタイルはいつまで続くのだろう。口座振替にしないと、手数料を下げる、ということは、お客との面談は不要と考えている風があり、効率ないしは、代理店手数料を節約して、株主の配当にセヨ、ということであればこれは、代理店側に、逃げ道はない、潔くシヌまでよ、ということである。それとも、だれかが手作りの営業スタイルの良さを生かすような会社をおこすのだろうか。

 

ポイント、おまけ、・・・楽しみのありか。1

2008年03月21日 08時08分44秒 | 思考試行
ポイント、おまけ、が流行っている。昔から、雑誌の付録や、キャラメルのおまけで売り上げを伸ばしている会社があるが、昨今は、何でもポイントで、小生の商売の一つである、損保代理もまさにポイント付けである。

事務所があればどう、パソコンを使い、ホストコンピュータと接続していればどう、売り上げ額(キョセキというのだが、挙績とでもかくのだったか、ともかく売り上げである。)でどう、更改契約を満期前何日前にしているか、平均して10日前をきれば、他の要因をクリヤしていても、クラスは4級になります、テナ具合に、他に保険金支払いの率もあったかもしれない、書いていて、これは、問題だなと思う。

そのようにして、結果として、ごくごく一部の代理店は、手数料を伸ばしたところもあるという。大部分は、軒並み手数料を切り下げられ、吸収されたり、廃業したり、トンデモナイ一方的な、保険会社の「方針」の前に、なすすべもなく、まな板の上の鯉状態である。アワレ。

それで、全体としては、相当の経費節減ができているらしい。その成果はドコへ行くのかといえば、どうやら、外資の株主という。そもそも、彼らの要求に屈して保険会社の「護送船団」がカジを切ったのだという。そうかもしれないと思う。日本的な、お客も会社もそして従業員も、みんな良くなるように、という普通の考え方から、真逆の競争原理をいれ、よき、習慣をぶち壊し始めたのである。