空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

どんな罰であろうとも

2013年11月30日 07時48分55秒 | 思考試行

人を制御するものは、最終的には個々人の意志にある。心神耗弱状態であろうと、確信犯であろうと、単独で行動する場合は、その個々人の考え方であり、感性であり、衝動である。牢獄につながれていない限り、どう動くかを、察知して、事前にコントロールすることは、不可能だろう。

事件が起きたときには、なぜ、そのようなことが起こったのか、その背景、動機、心理状態、など詳しく分析されなければならない。その事件から、個々人が、学び、社会が学び、改善への足がかりとしなければならない。でなければ、悲劇の尽きることはない。

見過ごされ、なんの反省もされないのであれば、こんな人間社会は、存在する価値もないといわねばならない。およそ、利己的な人々をみれば、本当に、立腹し、復讐を考える人が出てきても不思議はない。そして、どうやら人間には、ある種のアンテナがあって、それを識別することは可能である。

いくら隠しているつもりでも、それは、滲み出していて、見るも無残な姿を呈してくる。そうなれば、ビジネスでの力がいくらあろうとも、人間社会においての、真の喜びに遭遇することは、不可能だろう。格好だけつけても、駄目であって、どんな厳罰を用意しても、事件を止めることはできない。

といっても、理想社会を作ろうとしても、それ自体に矛盾がある。揉め事の一切ない世界なんてものはありえないし、あったとしたら、必ずどこかに無理がある。錯覚があり、ミスがあり、常に判断には、誤謬がつきまとうのであるから。


あるがまま

2013年11月29日 16時33分39秒 | 思考試行

無理しても仕方がない。あるがまま、なるがままで行くことにする。このところ、介護の方に、少々エネルギーをとられているのだろう。今までは、簡単にこなしていた仕事が、一々、引っかかって、結構、手間がかかるようになってきた。

さすがに、引き時がせまってきたことを自覚せざるを得ないのだけれども、それでも、踏ん切りがつかずに、いままでやってきた。

ちょっとしたことで、その機会がきそうな気もする。何かで、ミスをして、これはいかんと思わされるか、じぶんでも自覚できるぐらいに、能力の減退を感じたときには、これは、いい機会とみて、撤退することになるだろう。

長年の顧客が亡くなったという電話が入った。また、たいへんな事務がはじまる。役所より融通がきかない保険会社とのやりとり、契約者への書類集め説明、等々、なかなか簡単にはいかないのである。

それで、こういう機会に、途中で仕事を投げ出すことはできないから、なんとかやり遂げると、まだいけるなんて気分が出てくる。

流れの中で、しっかりと周囲を観察しながら、無理をせず、だが手抜きせずあるがままに、行こうと思う。


ストレスを発散させること

2013年11月28日 00時00分05秒 | 思考試行

ストレスをためると、ロクなことはないようだ。怒りたいときには、怒る。それが重い心臓病にかかった人について、退院時に調査したところ、怒りっぽい人の方が、再発しにくいという結果がでたという。

怒ることで、ストレスを発散しているらしい。怒りをうまくコントロールして、ストレスにしなければいいのだろうが、ただただ我慢ではストレスが溜まるということのようだ。

健康と精神状態が、大いに関連していることは、今や明白となっている。同じ状態に遭遇して、片や嘆きに打ちひしがれ、片や平気のへいざという状況は、よく見られる。

それが、健康にも影響するとなれば、精神状況をどのようにコントロールできるかどうかは、人生の質に関わる。どうせなら、気持ちよく、人生をすごしたいのは、誰しも望むところだが、マイナス思考に陥らないのは、それなりの努力も必要だろう。

何事が起ころうとも、動揺することなく、焦ることもなく、心の重心を定めて、しっかりと生きていきたいものである。


相手によらず楽しむ

2013年11月27日 08時36分56秒 | 思考試行

相手が誰であろうと、楽しむことができる人がいる。これは、すごいことである。相性とか、好悪をこえて、楽しむことができるということは、多くの悩み、苦しみから解放されていることを意味する。

概ね、理不尽な人というのは、自分のことばかりで、他人を思いやることは少ないのであるが、それでも溺愛の対象があれば、様子がかわる。その「思いやり」は、真の思いやりではなく、受けた側にとっても、その副作用はおよび、結局のところその人に害を与えることになるのだろうが。

それは、人に限らない。国家もそうだろう。周囲の国家に理不尽な要求を突きつけて、勝手に線引きをする。過去に、散々他国に蹂躙されたものだから、まるで意趣返しのように、居丈高になってきている国がある。

そもそも国家なんてものは、必要かどうかは議論があるところであるが、現在、国家が、ある以上は、無視できないし、それは、機能も有している。といって、変えようのない普遍のものでもないから、国家同士が工夫しあって、その関係をよりよきものにすべきだが、自己本位の立場を主張するのみの国家については、いずれ、協調できないのだから、制裁を受けるしかないこととなる。

そこで、個々人がどうするかであるが、日本のように、戦争しないと宣言し、武力をもたないとし、紛争解決のためには、話し合いしか手段のない聖職者のような国家にとっては、どこの国とも楽しめなければならないから、個人としても、そういう考えかたでいくのが正解だろう。

相手国の理不尽さに、怒り心頭で臨めば、やることは、戦争しかない。だができない、しない、と選択した以上は、やるべきことは、何だろう。相手を軟化させる技量が必要であって、失敗すれば、相手方の奴隷になるほかないのだが、そうなれば、戦争でない戦争をやるか、奴隷になるかである。

頭を使って、方策を考えなければならないが、相手によらず楽しめる価値観がもてれば、解決可能であるかもしれない。


つじつま

2013年11月26日 10時58分28秒 | 思考試行

いきなり、話が変わって、つじつまがあわなくなってしまうのには、当然の理由がある。それは、話を変える方に理由があって、たとえば、ウソをなんとか気づかせないようにするために、話を合わせようとして、結局つじつまがあわなくなるという場合である。

それが、バレてしまえば、真実が顕になるのだが、そうなったからといって、別にどうってことはないのだが、そのことで、人は、自分がノケモノになっていたことで、傷つけられたと思い、憂鬱になったり、人を恨んだりしたり、疑心暗鬼に陥ったりするのである。

人間、お互い一人では生きていけないにも関わらず、その中での位置関係によって、自分ひとりでも生きていけると誤解する向きもでてくる。金の力、権力のまえにひれふす人々を見慣れているうちに、その力を絶対だと思うようである。そして徒党を組んで、自分たちの利益を守る。中国共産党なんて最たるものではないだろうか。

実際に無視されたり、悪し様に扱われたことのない人には、想像がつかないだろうが、こういう現場に居合わせたときの、やるせなさ。人間なんて生きていく価値があるのだろうか、思ってしまう。

今日辺り、特定秘密保護法の審議が一段とすすみ、いよいよ採決間近の雰囲気となってきた。世の中どう変わるか、これからが見ものである。しっかりとその変化を見ていかなくてはならない。


神はいるのかいないのか

2013年11月25日 08時07分17秒 | 思考試行

それは小生には解らない。いるようで、いないようで、どちらともいえない。キリスト教などは、イスラムもそうだが、神がいるとして、信仰するとは、神の存在を、確信しているということだろう。あるいは、信仰している人も、いるかいないかわからないが、いる方に賭けているのかもしれない。

小生は、その賭けもできない。賭けるものではない、と思っているフシもある。従って、道理の根幹がどこにあるかといえば、自分の価値観なのだが、これとて、プロセスの段階であって、その都度迷いながら、ウロウロと選択を繰り返しているにすぎない。

絶対の自信なんてない。信仰している人からみれば、それでも神をも恐れぬ者として、不遜な者になるのかもしれない。こういうことにならないように、子供時代から、しつけることによって、洗礼してしまえば、いやでも神との付き合いが始まる。逃れられないが、それでも決まってしまえば、案外それでいいのかもしれないが、どこか違うという気もする。

神さんのおかげで、悲劇もたくさん生じているのだ。


3年後をみとけよ!

2013年11月24日 11時13分18秒 | 思考試行

というしかないかもしれない。多くの人が、自民党の秘密保護法に懸念を表明し、反対している。議会で多数を占めたら、やりたいことをどんどん進めようとしている。議会をニッチもサッチもいかないようにして、マスコミを動員、財界、官僚、とも意を汲みあわせて、民主党政権を打破し、それで、この始末である。

民主主義とは、真反対の考え方を推し進める。中国がヘンテコなのも利用の対象である。もう戦争もやむなしぐらいの気分でいるのかもしれない。真剣に事態に対処しようとしているかどうかが、問われている。議会で多数を握っている以上、何だって議決できる。

修飾し、化粧し、ごじゃがごじゃ言いながら、国民の手をしばり、法に基づき、彼等の支配を強めようとする。世界のなかで、日本がどういう位置を占めていくのかが、決められていく。

尖閣の影響は、どこまで出てくるのか。一触即発の可能性も出てきた。国の論理からいけば、衝突もありうる。国民がいかに平和を望み、戦争を嫌っても、自衛ということになれば、やらざるを得ない。国家の論理が動き出す。

憲法9条を有しながら、戦争の可能性もゼロではない。文言を解釈の違いに持ち込み、闘うことは不可能ではない、とするならば、中国の出方によっては、ここぞと一線を越える可能性も出てきたのである。さらに、憲法9条を改悪するならば、戦争への道は、より簡単になる。秘密保護法も生きていくるテナもんである。


尋常であること

2013年11月23日 11時30分38秒 | 思考試行

貧富の差については、努力したり才能の有無など、発生原因によって当然と思われる場合があって、それで、何が悪いのかとなる。

人それぞれで、環境のままに、自堕落に生活すれば、それは自業自得ということで、その状況をなんとか変えようと努力しないのは、問題だとする。

いろんなケースがあるだろうが、努力しても、報われないケースもある。たとえば、アルバイト生活ばかりで、低賃金にあえぎ、生活に追われて、技術を得る機会もなく、その状況から抜け出すことが困難な場合である。

これはお気の毒である。意欲があれば、救う道があってしかるべきだろう。そういう仕組みが随所にあってほしい。

人を蹴落としたり、競争するのは好きだけれど、人を救うことにもっと、意欲をわかせてほしいものである。やる気になってやれば結構楽しいのである。

現実に、こうした運動を展開している人々は、みんな輝いている。自分のことばかりに熱心な人というのは、その顔つきに現れる。尋常ではない顔つきだよ、その顔。


新しい気持ち、気分で

2013年11月22日 00時00分05秒 | 思考試行

ブログ設定を変えることができた。スタッフさんに問い合わせをしたところ、一度質問がきて、こちらの対応を聞いてこられた。

お答えして、すぐといういわけではないが、翌日には返事がきた。早いものである。早速、ブログ設定を変更してみた。できるではないか。いや、すばらしい。

ルールがあって、それに従えば、できるのである。いろいろと、細部にわたって、仕組みがあるものだから、勝手にトライしても、そのルールから外れていれば、思う通りにはいかないのだ。

世の中、ルールが適当かどうか、それが問題である。人類の歴史は、いわば、まだ始まったばかりなのかもしれないし、ひょっとしたら、もう末期なのかもしれないが、せっかく、ここまで、仕事を重ねてきて、本の100年前と比較すれば、本当によくなってきているところも多い。

この状態で、終わりにするなんて勿体無いことである。なんとか、少しでも良くしていきたいものだ。


現役をいつまで続けるか

2013年11月21日 10時08分54秒 | 思考試行

気力の問題で、その気をなくせば、直ちに現役生活から退場となる。ちょっとしたミスが最近続いているのが、気になっている。単純ミスだが、これは、指標でもある。自分を厳しくみて、チェックしなければならない。

仕事は、命に関わるようなことがないとはいえ、それでもミスをすれば、厄介な仕事が増え、後始末がたいへんである。自分だけで、フォローできればいいが、関連して、あちこちに迷惑がかかる。

そうなれば、現役でいることが、自分のみならず、周囲に影響することも考えなければならない。とはいいながら、まだまだ、やれることはあるわけで、なおかつ、仕事を抱えていて、これを片付けなければならい。

それが、次々と出てくるから、現役生活が続いているともいえる。何も仕事がなくなれば、これは、現役引退は当然だが、流れとして完成しなければならない仕事がある限りは、今の生活を続けることになるだろう。

それにしても、あちこち手を広げすぎたかもしれない。集中を欠き、効率よく力を発揮できていない可能性もある。今からでも、集中できる課題を発見したならば、という機会を狙っているが、もう遅いか。


人間が人間を食い散らしていいのか

2013年11月20日 09時58分13秒 | 思考試行

労働法が改悪されて、非正規雇用がはびこり、日本の貧富の格差は、目をおおう惨状を呈してきた。真面目に努力し、実力を蓄えてきた人も、ちょっとしたことで、非正規雇用に放り込まれると、なかなかそこから抜け出すことができない。

一方で、人を食う構造の支配層に位置すると、よほどのことがないかぎり、その状況が維持される。まことに、不合理、不公平な事態が現出する。

社会構造がどのように変化していくかについては、どういうイメージを人が描くかにある。そういう明確なイメージが一般化すれば、価値観もそのようになってくる。人が人を食ってよい、という考え方から、助けあいが普通になれば、世の中相当変わるにちがいない。

人間関係においても、仏頂面をしているのと、温顔でいられるかどうかの差は大きい。それは、感謝できるかどうか、にかかっている。格好ばかり気にしたり、世話になっていることについて、感謝できなければ、成長は見込めない。

「いい人はいい」 子供時代の国語の教科書にでてきたことばであるが、これは至言である。いい人になろうではないか。辛辣で、したたかで、しかし、心の奥底では、いい人になろうとするのである。


人類をどう生き延びさせるか

2013年11月19日 17時25分46秒 | 思考試行

このままでは、人類滅亡への道をひたすら走り続けているようだ。たしかに、いずれ、太陽は膨張し地球さえのみこんでしまうほどになることは、科学的に説明できるという有限の存在であり、人間はそこまでわかる水準になっているにも関わらず、その有限のはるか手前にて、滅亡の危機にある。

キリストさんが生きていた頃から、まだ、わずか二千年を少し超えたばかりの短い期間にしかなっていない。人間らしい暮らしぶりには、いまだ到達しているとは言い難い水準にしかないにもである。

とてもではないが、人類は「長生き」できそうにない感じがある。韓国大統領の言動、中国の状況、中東の争い、キリスト圏と、イスラム圏の反目。利権をめぐる激しいたたかい。利己的な富裕層。環境が破壊され続けているにも関わらず、確たる改善の一歩が、国家レベルで踏み出せていない。

最近の雲行きの怪しさについて、何度か述べてきているが、本当に空の様子は異常である。青空と白い雲、そして黒い雲が共存している。こんな空をみて、為政者は、変だと思わないのだろうか。

地球を生き延びさせるには、どうすればいいのか、国家的な規模で、具体的課題としてとりあげてほしいものだ。そして、国際的課題にすべきである。


結論

2013年11月18日 07時30分44秒 | 思考試行

どう生きるか。フィリピンの状況は、悲惨だが、これが世界の常識だという。本当だろうか。日本が例外だとすれば、日本のやる仕事は、たくさんある。

引っ込んでいいる場合ではない。世界に飛び出して、やるべきことをやらなければならない。恐らくは、もっとも基本的なことに違いない。

誰でも、食えない、生きていけないとなれば、当然今回のようなことになるのかもしれない。それが集団でとなると、最悪である。

日頃の対策が何にもできていないことになる。政府や自治体も、能力がない。信頼がない。そこで、いきなり、弱肉強食の生存競争が始まるというわけだ。

災害が災害を呼び、どのようにして収束していくのだろうか。殺人兵器を作るのに熱心なくせに、お互いを助けあうシステムをつくれないようでは、人類には未来はない。

自然災害は、これからも起こる。異常気象を引き起こした人間が、自業自得の混乱を招いている。さあ、これからどうする。人間さんよ。


化学のことから

2013年11月17日 08時20分38秒 | 思考試行

物質が、元素の組み合わせで出来ているのは、不思議である。しかも、通常の化学変化では、できない物質が、人間の体の要素になっている。

おそらく、人間だけではないのだろう。すべては、宇宙の成り立ちに関連する。今の地球上では、できない化学変化がかつてあって、そのことによって、現在の生物が存在している、というのである。

人間は、そのことを突き止めている。すごい人間もいるもんだ。そして、真に理解できないまま、それはすべての人間の共通理解事項になっている。知らない人間も大勢いるけれども、知ってはいても、深くはしらないから、さほど変わりはない。

おおくの人々の研究、好奇心、積み重ねで、人間は膨大な事実を知り、それを知ろうとする者には、可能にしている。この積み重ねられた業績は、とても一人の人間がすべて享受することはできない。

それでも、人間の数は多い。すべての分野に、研究者はおり、業績が引き継いでいけてるのだろう。と思いたいが、そうでなければ、どうなるのだろう。

そんな映画があったが、最近の状況は、それが可能かどうかを疑わせるような事例も多い。そうなれば、間違いなく、人間社会は滅亡だ。


もういいか

2013年11月15日 10時28分42秒 | 思考試行

などと、諦めてしまえばそこで、おしまい。まだまだ、と思えばこそ、努力もし、目的にむかってねらいをつけて、準備をする。

そのなかに、新たな発見もある。単純ではない。予想もつかない展開もありうる。そういう可能性が、人生にはあるような気がする。

といって、自分自身にそんな経験があるわけではない。しかし、それなりに、年金にまでたどりつき、どうやら老後の生活の目途がたったといえるようになったのは、まずまず成功といえるのではないだろうか。

欲をいえば、きりがないし、そこそこ、やっていけるのは、それだけで、充分幸せといえる。老いた母を介護し、妻とともに、分担しながらたまには、レクにも出かけることができる。

昨日は、清須会議を見た。なかなかいい映画であった。妻は途中寝たというが、自分は、退屈する場面などなく、面白くみた。

帰宅してから、織田家のことなど、インターネットで調べたりした。歴史というのは、結構残酷である。勝利したといっても、それはその時だけのことなのである。