空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

戦争の意味

2013年12月31日 10時45分46秒 | 思考試行

日本の歴史認識を、中国、韓国が目の敵にしている。といっても、日本の歴史認識が、まとまったものではないだろうし、意見も一つには集約できないから、安部首相の靖国神社公式参拝についてのものだろう。

拝むのは、石ころだって、鰯の頭でもなんでも構わない、人が何かを大事がっていることに、一々興味ももたないし、それぞれ勝手だと、日本の常識では、普通と考えるのではないか。

理由もなしに、戦争する馬鹿な国があるとも思えないが、国というのは、ツボにはまると、戦争でしか解決できないとする論理があったりするから厄介である。

個人の世界で、国を巻き込んで戦争に持ち込もうとは、普通は思わないだろう。それでも、子供を拉致されていることがはっきりしているのに、有効な手立てをとらない国に対して、場合によっては戦争も辞さないというぐらいの、焦燥感があったとしても不思議ではない。

要は、動機の問題であって、他国の弱点をついて、これを属国とし、その資産を食いつぶすねらいは、少し前まで、いわば自然のことであって、弱ければやられてしまってきていた。

アメリカや西欧諸国にいる黒人のルーツは、アフリカから奴隷として運ばれてきた子孫であることは、周知の事実。インカは、スペインに滅ぼされたし、残酷非道な行いが横行していたのである。

日本も自己防衛の論理があったにしろ、その内実は、西欧諸国に変わらない、弱肉強食論理を実行していたとみられても仕方がない。

人類は、過去について、もっと論議し、歴史を分析し、来るべき社会構造について、おおいに議論すべきだ。


多様性を認めることの大事さ

2013年12月30日 10時29分45秒 | 思考試行

自分の考えなり、価値観に関係する人々を同調させるのは、その人にとっては一番やりやすく、抵抗感がないことだ。

だが、押し付けられた方の、ストレスは大変になる。しかし、人間は慣れるということもある。自分の文化と違うといっていても、受け入れることによって、こちらの方がいい、なんてこともありうる。

強制されて、いつまでも抵抗感が続くようだと悲劇だが、世代を重ねるなかで、祖先の暮らしぶりよりも、今の方がいいということになることもあるだろう。

時の力関係のなかで、都合よく変化していく他ないが、どうしてもうまくいかなくて、イザコザが絶えず、結果として、解決にいたらず紛争が長引く場合もある。

大勢の人命が失われ、難民となり、解決への道が見い出せないシリアなどは、充分な準備もないままに、現政権に反抗してみたものの、力関係の拮抗で、かえって、問題解決が困難になってしまっている。

やるなら、きっちりと展望を見いだし、方針がしっかりしていないと、単純に混乱を持ち込んだだけになる。それでも、やむを得ない事情があったのだろう。これも、過渡的状態の人間という動物の生き様であり、如何ともしがたい。


無私の精神

2013年12月29日 11時10分12秒 | 思考試行

知識、情報は得たもののモノであって、与えた人は、いつまでも感謝してもらえはしないし、あとで、足らずを批判されたりする。

従って、技術を要する世界では、技術、情報を門外不出としたり、一子相伝などと、制約を加えてノウハウの流出を防ぎ、大切に、蓄積をしてきた。

受け継いだ者は、その伝統を学びながら、それを破り、そして離れる。そのようにして、技術を高めてきた。その過程で、伝統が潰れたり、変質して、滅失したものもあるだろう。

日本という国の文化伝統は、世界でも独自のものだと言われる。確かに、無私の精神などは、特徴的で、日本ほどこれを重視してきた国はないのではないかと思う。

吉田松陰は、幼少時の教育をうけるなかで、人の話をきいているときに、顔にとまる蚊をたたいたということで、はりとばされたという。集中せず、自分のことにかかずりあっている、無私の精神に反するというのである。

松陰は、若くして、この世を去っているが、その影響は、いまだに日本的な文化の底流に、色濃くある。もちろん、西欧的な考え方は、敗戦後、主流となりつつあるが、底流には、日本文化の精神が流れていて、そう簡単には廃れないのではないかと思いたい。

それが、ひとり日本国のためだけでは、勿論ダメであって、その精神があまねく世界にむくとき、その底力が発揮されると思う。


歴史認識をめぐって

2013年12月28日 22時12分20秒 | 思考試行

歴史認識というのは、誰が考えても、同じものになるのであろうか。地球が太陽を回っていることは、今や誰も反対しない。かつては、キリスト教会に、そんなことをいう奴は、異端者であるとして、殺されてしまうこともあったのである。(なんという横暴さ。)

国と国が戦争をするのは、どちらにも言い分があり、闘う理由があったのだろうことはわかる。それが、どういう思惑でなされたことなのか。第二次世界大戦にしても、太平洋戦争というのは、アメリカサイドの呼び方で、日本では、大東亜戦争と言っていた。

敗戦国日本は、大東亜戦争という言い方を、占領されている間、占領国に、この戦争の呼称を禁じられるのである。

瀬島龍三氏の「大東亜戦争の実相」を読むと、戦争に至る経緯が、必然ではないだろうが、仕方がないとしかいえないような、事情が語られている。一言で、軍部の独走とか、野心をもったものの侵略戦争であったとかは、いえないような気もする。

本気で戦争しようとは思っていなくとも、どうなろうとも戦争するしかないと、追い込まれていく事情が見えるのである。その結果、何の罪もない人々が死ぬこととなり、多くの悲劇がうまれた。

この事実から、日本は、たいへんな罪を犯した、二度とこんなことはしないと誓え、歴史認識をチャントせよ、と言われても、釈然としない本音というものがあることは否めない。

それは、敗者が抱かなければならない、悔しさの根源なのだ。そうです、自分が悪かったのです。二度とこんなことはいたしません。そういう他はないのである。なにしろ負けちゃったんだから。

それで、悔しかった人々はどうしたのか。経済で、この悔しさを晴らそうと、考えを切り替えた風がある。そして、属国となり、ポチとなっても、主人のいうルールのなかで、必死に頑張ってきたと思われる。

我が日本は、そんな努力のなかで、変質してきた。イイモノを捨ててきた。捨てたほうがいいものも多いけれども、捨ててはいけないものまで捨ててきたのだろう。そして、捨てずに持っている、本音を出したのである。世界中から理解されない、靖国参拝を安倍ちゃんはやってみせた。

多くのことを語らねばならない。多くの事情を語らなければならない。民主主義といいながら、未だ付け焼刃であって、身にはついていない実情。力の強いものが正しいとやはり考えている。あるいは、世界が民主主義をまだ実現していないのだ。

 


文系、理系について

2013年12月27日 06時29分18秒 | 思考試行

理系の方が、遥かに頭がよく、現実に具体的な生活に影響する仕事をしていると思う。管理的な仕事が、無駄とはいわないが、それでも、邪魔をしないで、理系の努力を補佐していれば、その成果は絶大である。

子供の頃、近郊電車によく乗ったものだが、どんどん進化していっている。静かになり、乗り心地もよくなり、快適である。

身の回りの家電類をみても、生活は一変している。これらは、主には、理系の仕事である。文系の仕事も進んでいるのだろうが、その背景には、理系の頑張りがある。

だが、支配者は文系がなる。理系は専門バカとみられたり、任せるととんでもない考えのものがいるなどの見方があるかもしれない。

人間、バランスも大事である。理系文系、両方を兼ね備えた人でなければ、政治家にはなってほしくない。数学ができないから、文系になった人は、コンプレックスがあるか、なければ尊大になるか、どこかイビツなところがある。

文系は、謙虚になって、理系に、学ばなければならない。そのままにして、少なくとも尊大になってはいけない。理系も文系の考えを無視してはいけない。かれらに騙されてはいけない。


操作が始まっている

2013年12月27日 06時11分06秒 | 思考試行

小生のような、それこそ「大海の一滴」に過ぎないブログも、「監視」されているようで、何らかの操作があったようだ。というのは、ブログの閲覧数等(pv,ip)が極端に減ったり、増えたりしたのである。

さっそく、検索してみると、同じ現象を、詳しく記事にしている人のブログがあった。小生とは違って、かなり多数の読者がおられるようで、広告収入等もある人だが、状況をグラフにして、その人為的な、不自然な増減を示されていた。

何事も、詳細に物事の分析をする人がいるもので、とてもかなわない。だが、感じておられることは、小生と同じで、人為的な操作の存在である。

インターネットのブログの世界は、無名の「大海の一滴」が、何事かの情報を発信できるところに魅力があるのであって、これが、操作されるようだと、もはや、幻滅もいいところである。

これも特定秘密保護法と関係しているのかもしれない。関係があると思うと、その連中の許可の範囲内でのみ、活動が可能ということであり、現に中国などの為政者は実行しているわけで、薄らわらいの指導者連の顔が浮かぶ。

こちらも、いつの間にか、高齢者の部類に入って、もうかなりの時日が経過しているが、「若いモノ」が、間違えないように祈るのみである。

多様性、自発性、に関与するような愚挙はしないことである。こういう連中こそ、社会を歪める元凶である。諸悪の根源である。これらを監視し、選挙であれ、何であれ、可能な方法で抵抗しなければならない。

 


方向が変

2013年12月26日 10時38分06秒 | 思考試行

特定秘密保護法が、どこから出てきたのかが、朝日の記事に掲載されていた。そもそもの提案が、やはり治安関係の官僚からで、それに政府首脳が、ついていった、という進み方であったことがわかる。

首相が、最初からやろうと思っていたのではなく、支持率が高くて、議会勢力があるうちでなければ、こういう法律を成立させることができないと考えた官僚が、動いたということである。

この法律の成立の結果が、どのようなことになるか。みんなが心配するような、昔へ逆戻りして、民意抑圧の世界がくるのか、先のことは、もちろんわからないけれども、方向としては、民主主義的ではないのは明らかである。

南スーダンから、自衛隊を手を引くという動き、北挑戦の動き、人類の行く末が、危ぶまれるような状況のなかで、管理、支配のための道具立てに邁進しているようでは、方向が違っているとしか思えない。

日本の民主主義は、先の大戦で敗戦してもたらされたものであり、本当に国民の力で実現したものではない。それを反映して、労働法の分野など、労働基準法などみてもわかるように、中小企業などの経営者は、まともにこれを守ってはいないし、労働者サイドも、その内容を知らないといっても過言ではない。

有給休暇などは、使える雰囲気もない。それどころか、仕事があるかどうかが問題というなかで、力関係をまともに反映して、使い捨ての経営者までいる始末である。こんな状態を放置していて、なにが法治国家か、といわれても仕方がない。

 


クリスマスイブがどうした

2013年12月24日 17時04分46秒 | 思考試行

という感じの町の様子。年末のあれこれの仕事に追われて、忙しくしごとをこなし、医者へ行き、薬局ヘ行きと、やっと、仕事の大筋に目安がついた。まだ、やらなければならないことがあるが、適当にしておこうかと思う。

今年をふりかえってみて、個人の生活としては、徐々に老化の気配があり、いかんともしがたいが、現実的な対応をいよいよ考えざるをえない状況がせまってきていることを実感する。

だが、結局は覚悟の問題であって、それなりに設計図をひいておけば、少々出来が悪くとも、どうってことはない。力がなくとも、自分なりに、世のため人のため、の気合をもちながら、ぼちぼちやっていくしかない。

来年になれば、放送大学の単位認定テストが待っている。くりかえし、基本のところを読み返しているが、化学記号の氾濫に閉口しながらも、これを整理してくれた先達の努力を思う。何度も読み返していると、徐々に馴染めてくるから不思議である。

繰り返し読み返すなかで、原子のくっつき方で、物質の性質がかわり、さまざまに変化する仕組みが理解できてくる。何か新しい視野が開けてきそうな予感もある。エッチらオッちらやっていける幸せを感じつつ。


嵐に立ち向かうには

2013年12月23日 10時26分52秒 | 思考試行

景気の循環は、どのようにして起こるのか、明確に将来を読むことは困難である。見通しは、経済学者や専門家といわれる人々によっても、見解が全然違う場合も多い。自信たっぷりに所見を述べられているが、その検証を詳しくした話をきいたことがないが、期間を定めて検証してみるのは、意味があることではないだろうか。

日本のような生活を、世界中の人がすることは、地球資源の状態からも無理とされているらしい。好景気だけを目指して、走り続けることを是認していいとは思えない。だが、政権党の政治家からは、そんな発言は聞けない。考えてもいないかもしれない。

そういうことを真剣に考える人は、変人扱いとなる。変人といえば、小泉元首相が、原発をゼロにと主張している。原発は、以前からあるわけで、福島の事故を受けて、始めて気付いたのだろうが、気付いて直ちに、そのように行動をはじめているのは、立派なことである。

経済のことを思えば、脱原発が言えないと現安部政権は考えているようで、経済界もそのようであるが、正論がなかなか通らない実態が続いているなかで、人類社会が、真っ当に相協力し合って、環境問題を克服し、共存共栄にむけて努力できるようになって、嵐に立ち向かいたいものである。


嵐のような一日

2013年12月22日 09時13分17秒 | 思考試行

タレントグループの嵐は、大人気で、それぞれ個性があって、ようやく、顔と名前が一致してきたというところだが、それでも馴染みになると、親しみもわく。彼等の登場する番組は、ついつい見てしまう。

コンサートのチケットがとれないほどの人気という。何でそんなに人気があるのかは、それほど理解できない。大野君の和やかで、少しとぼけた感じであるとか、松潤の男前度、二宮君の芸達者ぶり、もうひとりのゴメン、名前が出てこない翔君だったか、少しニューハーフを思わせる繊細な感じと、知的な感じを漂わせる桜井君。

それぞれにいいのだが、石原裕次郎とか、中村錦之助とか、とはもちろん違う。これが時代というものだろう。

嵐のような一日というのは、年末を控えて、遅まきながら、年賀状の作成に取り掛かったのだが、印刷の仕方がわからない。複合機の設定に昨日、販売店から技術の人がきて、設定を終わったのだが、この設定自体も簡単ではないらしく、悪戦苦闘の様子であった。

やっとこさっとこ、設定出来たところへ、連絡がはいり、修理依頼が続々きているとかで、慌ただしく立ち去った。

さて、この新しい複合機で、早速年賀状を作ってみようと思い立ったのだが、置いていった説明書には、それらしい手順が全然わからない。相当の時間を空費したあと、ようやく見つけた「お客様相談なにがし」の電話番号だが、これが、土曜日もやっているのだ。

ここへたどりつくまでが、大変だった。他の相談電話は、土日祝日はやっていないとあるし、この土曜日もいけるというのは、ここにしかない。なんで、全部に書かないのか、わからないが、相談件数を抑えるためなのは明らか。とにかく、電話することにした。

ところが、これが大当たり、実に親切であり、まあ、的確である。まるで、そばにいるように、教えてくれる。内容は、初めての人には、絶対不可能といえるぐらいに、手順が複雑である。こんなのどこにも手順を書いていないのは・・・、小言をいえば、スムースに謝ってくれる。

誰もが、そう思うのだろうし、必ずいわれる文句なのだろう対処が鮮やかである。

なんとか、年賀状のウラはすんだが、少しカールがついて、表書きのほうがうまく紙送りができない。そこで、以前からあるリースの機械で挑戦してみることにした。これもハガキ印刷には使っていなかったのである。

この手順も複雑だった。結果、うまくいった。スピードも違う。安物の機械ではないのである。さすがであるが、何年、この能力を寝かせてきたのかと唖然とするばかり。というわけで、午前10時からの設定から、なんとか、年賀状作成まで、丸一日がフットンダのである。

 


北朝鮮と日本

2013年12月21日 20時39分42秒 | 思考試行

一人に、すべての権力を集中しなければ安定を欠くとでも考えているのだろうか。金正恩の支配体制固めのために義理の叔父も粛清された。

かつて、日本も天皇を頂点として、不敬罪があり、天皇の名において、権力を集中させて、思想統一をして、戦争に邁進してきた。天皇制が、怪しくなるのは、先の大戦の敗戦以来のことであって、栄枯盛衰はあるものの、天皇制は、安泰であった。

金体制と天皇制と、どこが違うだろうか。運用の仕方によるけれども、権力の集中といいう意味では、大差がないようにも思う。人間的ではないように思う。

君が代を国歌とし、日の丸が国旗となってから、橋下クンは、教員を監視させ、国歌斉唱のとき、起立しない者や、国歌を歌っていない者に対して、処分をしてきた。

何という愚かなことをするのだろうか。現実に教員の職にありながら、こんな踏み石で職を奪われる恐れも出てきた。教育者としての誇りどころか生存権さえ奪おうというのである。

何のための国歌、国旗だろうか。弾圧のための道具に過ぎない。馬鹿げている。

人間、相互に縛り合うのは、いい加減にやめなければならない。いつまで、こんなことをしているのだろう。弁護士の資格を持つという橋下クンだが、ホントに賢いのだろうか。つまらん奴だ。


繋がるには

2013年12月20日 08時02分15秒 | 思考試行

災害の多い日本では、どうしてもこれに対処しないわけにはいかないから、助け合いの習慣が根付いているのだろうか。

阪神大震災、東北の災害と、そして東南海地震も近いといわれるなかで、日本国民がお互い助け合っていく姿は、災害はたいへんだけれども、本当に素晴らしいことだと映る。

自己利益にのみ走らない性向が、あたりまえのように思っているところがある。なかに、むき出しの、利己的な考えを実行しているものがいれば、これは、違和感をもってみられる。

ところが、最近では、金儲けに熱心のあまり、人を踏みつけにし、使い捨てにし、なんとも思わないブラック企業が珍しくない。

儲けた金をどうしているのか。海外に蓄財か。これをあぶりだそうとする動きがようやく始まるような話がでているようだ。

この際、徹底的にやってほしいものだ。そのなかで、本当に、みんなが繋がることが実現できるとすれば、いいことではないか。


無駄の連続のようにみえて

2013年12月19日 07時45分40秒 | 思考試行

きっちりと物事に取り組んでいたなら、できていたことでも、いわば「手抜き」をしていると、身につかないというか、勉強したといっても、その大半が記憶に残らずじまいという、様相を呈している。

忘れることには、そのかわりに自信があって、嫌なことには、こだわらずにおれる傾向がある。これはいいことであると思っているが、映画をみても、本を読んでも、一度だけだと、情けないほど覚えていない。

大江健三郎さんの読書というのは、キチンと記憶がなければ、読んだとはいえないとあったが、ご母堂から、そう言われていたらしい。大江さんは、読書をそう定義しているのである。

この定義に従えば、小生の場合は、今まで、一冊の本も読まなかったことになる。だが、それでも痕跡ぐらいは残っているかもしれないと思って、自分を慰めるのだが、如何せん人の能力差があることを認めないわけにはいかない。

といいつつ、この忘れるということで、映画など、何度みても発見があり、筋など頭にはいっていても、退屈せずに見られるのは、有難いことでもある。「ショーシャンクの空に」など、何度みても面白くて、WOWOWあたりで、よく見た。

塗り物など、一挙に仕上げ塗りではなく、うす塗りをして、乾かしたあと、何度もその上に塗り重ねて仕上げていく工程があるようだが、これと似ているような気もする。

 


信仰について

2013年12月19日 00時00分05秒 | 思考試行

科学の業績は、宗教が力をもち、人々をしばりつけ、迷信に追い込んできたなかで、さまざまに、自然を、ものごとの真理を、解明し、宗教がもちこんだ、多くの迷信をうち砕いてきたことである。

しかるに、科学的な推量、推察を信仰と同列にとり扱う人もいる。たとえば、宇宙の始まりがどうであったかについて、今の現状から、ビッグバンがあったと推量したとして、これを信ずると扱い、宗教の信仰と同列にみるのである。

ビッグバンを、立証することは、困難であり、宗教と同様だというのである。小生は、ビッグバンは現在宇宙の広がっていると現状から、時間を逆回りさせると、最初は一点から始まるということになると推量するのは、有りうる推論であり、神がいるとかいないとかの問題とは、全然違うと思う。

信仰心がある人は、勿論神の存在について、確証があると断言する人もいるだろうが、神の存在について、わからないけれども、いると「賭けている」人もいる。賭けているから信仰なのだという。

神がいるかいないか、わからない。解らないから、仕方がない。いると賭けることもできない。しかし、その中で、だからといって、何をしてもいいとも思わない。自分の価値観をたよりに生きていくしかないのだが、宗教者の価値観にも無関心ではない。

宗教者の謙虚さを、神がいるかいないか、わからないという立場からも、人間社会の一員として、理解し評価し、共に行動するのである。その信仰者のいい面は評価するのである。だが、賭けることの副作用についても、無関心ではない。


悲劇の連鎖

2013年12月18日 11時27分35秒 | 思考試行

都合の悪いことが起こると、それが要因、原因となって、あらたな都合の悪いことが起こる。何か問題があれば、その時に反省するなり、原因の追及をして、今後はこのようなことのないようにしよう、となれば、その問題がいいほうに作用して、よりよい生活へと向かうことができる。

ところが、これを運が悪かったとか、自己反省すべきところをスルーしたりすると、また同じ失敗を積み重ねることもある。そうなれば、悪循環となり、すべてがうまくいかなくなってしまうこともある。

ストレスの多い生活は、健康にも影響が出てくる。どこかで、線引きして、切り替えなくてはならない。ところで、自民党政府は、いよいよ、本来の姿勢をいよいよ鮮明にしてきている。かつての敗戦前の日本に立ち戻ろうとしている気配が濃厚である。

中国の動きが、刺激となって、いよいよ本格的な動きを示し始めている。地球全体がおかしくなっているさなかに、人間同士の低レベルの問題が、無視できない状況になってきている。北は狂っているし、深刻な問題が起こっても不思議ではない状況になってきた。

こんなとき、われわれ庶民がやることはないだろうか。デモに参加してくれている皆さんに感謝しつつも、直接行動はできなくとも、何かやれることはと思う。こうして、つぶやくことも必要かもしれない。日常の会話のなかでも、困ったことだと、言い交わすのもいいかもしれない。

安部クンの奥様が、家庭内野党として、頑張っておられるとか、奥様も大したもんだが、安部クンもなかなかやるじゃないか、の気分になる。「粛清」が始まったりしたら論外であるが。