空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

強欲を排除しよう。

2009年01月30日 23時33分39秒 | 思考試行
人間社会の行く末は、どうなっていくのだろう。いや、受身ではなく、主体的にどうしていけばいいのだろう。

現実を見、あらゆる人智の限りを尽くして、その方向性を示すべきときは、来ている。そして、その姿が、形をなして、見えてきている。それは、経済の世界同時不況の現況が、その引き金を引いた。

その方向は、誰が考えても、当たり前の、あるいは、今までだったら、単なる空想と言われることだったかもしれない。

しかし、実は、すでに多くの人が、その水準に達しているにも関わらず、一部、強欲な人びとが、その実行を、妨害し、害悪をながしている。

その実態は、今まで、秘匿されてきた。強欲者の似非慈善行為に、人びとは騙されてきた、あるいは、知ってはいても、対抗する術を持っていなかった。

しかし、徐々に、その真実は明らかとなりつつある。

強欲が暴かれ、その真の醜い姿を晒して、人が生きる方向性を示す、反面教師の役割を示し始めている。

大いなる人智を結集して、強欲を排除する処方箋を示すべきときが迫ってきている。アメリカのオバマだけではなく、したたかな、人智を活かすチームが、世界のあちこちに発生して、その実行を準備する。

宇宙に関する知識は、人類の生きる方向の遠い先までの、課題を鮮明にしている。今は、直ちにということではないが、いずれは、という課題を提示している。この愛すべき人類の努力、到達を理解しない、強欲な人びとをいかに、改心させるのかに、どういう手順、工程が必要なのか、現実に、準備を開始するときがきている。




29日の「おみやさん」に感動した。

2009年01月30日 22時57分37秒 | 思考試行
29日の、「おみやさん」に、感動した。テレビドラマで、こんな風に、感動させられたのは、初めてかもしれない。

文通友達の青春、それと殺人事件、筋立ては簡単なのだが、そこに、多くの人生の本質にせまる大事な要素が描かれる。

自己評価についての問題や、人とのかかわりについての、新しい発見、それによって、人生にかかわる気分が変わってしまう実例。

善意であり、誠実なのに、根拠のない自分をネガティブに見てしまう傾向からの、脱却、解放を示唆するラストシーンに、つい涙ぐんでしまった。

テレビドラマや、映画、演劇およそこういう創作活動に生きる人びとは、感動を呼ぶ作品を作ることに生きがいを感じているのだろう。このドラマは、見事に成功していると思った。達成感があったのではないだろうか。

この作品は、明らかに、感動を呼んだ。国生さゆりの演技が、いい。特にラストシーンの、人生に絶望しかけていたところから、真の人生の喜び、信じあう人との出会いに、右手がワナワナとフルエルところなど、印象的であった。

そして、自身を臆病で、と自己卑下する犯人に対して、本当は、強くて、誠実であることを、事実から見抜いて、それを指摘するおみやさん。ドラマの運びが、自然であり、真実味があり、誠実に生きる人が救われるという、勧善懲悪の基本線もすがすがしいのである。


二日酔いの顛末

2009年01月28日 15時38分16秒 | 思考試行
久しぶりに深酒をしてしまった。翌日は終日横になり、ひたすら胃の内容物を出しまくり、水を飲んでは出すというテイタラクであった。もう年もトシだし、若いというか、人間出来ていないことを痛感させられた。

家内はインターネットで、対策の情報収集をしてくれて、これを実施。一時は救急車の話もでるほどであったが、まる一日の苦行で漸く峠を越えた。

条件が揃って、気分が高揚し、リズムができると、こんなことがある。要注意である。

それにしても、今回はひどくて、いまだに、あれだけ毎日少しだが続けていた晩酌をする気になれない。今日で、5日目である。こんなことはかつてなかったことである。

大げさに言えば、人生観の転換ともいえる。死ぬ苦しみというか、夢ウツツのなかで、不快感につかまれ、苛まれながら、突如襲ってくる衝動的な、吐き気と、そのあとの人間とも思えないうめき声を連発する。当初は、ナジルのみの家内も、さすがに、背中をなでたりする。

なんともかんとも、エライことであった。なぜこんなことになったのか。同窓会の延長戦で、3次会にまで発展、最後にタガが外れて、小さな居酒屋のなじみの店で、トコトン「ツクリマショウ」の連発を受けてしまったことであった。

遠来の参加者もいるので、同窓会は、例年のごとく、昼から始まっていたので、結局丸12時間は飲み続けていたことになる。アホカといわねばならない。

在学中は、ほとんど交流らしいものがなかったのだが、卒業以来、その付き合いは逆に深まりつつある。カラオケにいっても、声の出し方に、遠慮なく、シナンの声がはいるし、歌にまつわる自身の、恋の馴れ初めの思い出が語られる。

それぞれの人生の中で、今や、この同窓会は、ただただ、飲みかつ食い、近況を語り合い、しゃべくりあうだけなのに、これが、すばらしい刺激となっている。

喜びの源泉

2009年01月24日 09時06分01秒 | 思考試行
人間にとっての生きがいとは何だろうか。生きる喜びといっても良い。人を蹴飛ばし、利用し、自分の経済的成功、名誉、地位、財産を得ることだろうか。相対的な自己優位を誇るところに真の喜びがあるのだろうか。

そうではないと思う。人や、生きとし生けるもの、の役にたって、自分の役割を確信したときに、真の喜びがあるのではないか。どうも、他者とのかかわりの中に、真の喜びの源泉があると思う。

それは、行動の振る舞いに現れる。ニコヤカにポーズをつける必要などない。やるべきことを淡々とやるまでで、その中に、自然とこぼれる微笑が美しい。意味不明のご機嫌な表情は、何かを隠している仮面にすぎない。

政治家の表情の中に、他者への奉仕の気概があるのか、ないのか、それが問われる。いつも、その原点を忘れない政治家の登場が望まれる。それは、一人政治家だけではなく、すべての人間にとって大事なことだと思う。

オバマ氏の登場で、アタリマエの値打ちが、出てきたと思う。聴衆が感動して涙しているのをみて、それこそ、こちらが感動した。アメリカの成功を祈りたい。それは世界にとっても有益なことである。

新鮮なオバマの視点

2009年01月23日 10時08分06秒 | 思考試行
オバマ大統領は、早速動き始めた。これをみると、問題意識がどこにあり、それをどう実行するかという流れがよく見える。

それに比べると、日本の場合、政治がどこへ向こうとしているのか、誰が主導権を持っているのか、判然としない。さまざまな力学で漂流していて、真に、国民なり世界にむけてのビジョンがみられない。

政治家たるもの、それが主眼であって、単なる名誉、権力志向であってはならないはずである。どうしたいのか、熱いビジョンがあるはずで、それを出してほしい。流れのなかで、右顧左眄している様子は、アメリカと比べると、本当に見劣りする。

勤勉であること、強欲でないこと、オバマは就任演説の中で訴えた。そこには、名言や、受けネライの発言はない。まさに、当たり前のことを言っていた。そのあたりまえが新しい。

庶民が考えるあたりまえとは何か。贅沢や名誉や権力や、そんなものはどれも必要のないものである。つつましくても、家族が健康に暮らしていけること、それがあればいいのである。それさえ、許さないような経済至上主義が、人類の最終到達点とは到底思えない。

政治家の関心が、庶民の暮らしに、そこにない限り、人々の苦しみがなくなることはない。オバマの視点はそこにある。それが、あたりまえでありながら、新鮮なのである。

オバマの演説をきいて

2009年01月21日 10時24分03秒 | 思考試行
やはり、感動的であった。黒人始めての大統領である。期待したい。言うことがすべて、腑に落ちる。政治家はこうありたい、という見本を示してくれた。一部、少し気になるところがあった。といっても、同時通訳の声での判断だから、原文をみないとわからないけれども、「共産主義」の文言が出てきて、それは、「敵」にあたるような文脈であったような気がした。その部分を除けば、あとは、当方の考えることと見事に一致した。同感なのである。こんな政治家をみたのは、明らかに始めてである。

演説内容が、困難にふれ、実態にふれ、国際社会のなかでの立ち位置にふれ、差別にふれ、思想にふれた。短い時間のなかで、課題を鮮明にした。解りやすい。国益を声高に叫んだりしていない。共生の理念が見える。

それにしても、国民の歓迎振り、元大統領達、政党の政治家の振る舞い、など始めてみて、それも印象的であった。華美に亘らず、儀礼的でもなく、セレモニーのあり方について仰々しいものではないのに、実質を感じた。さすが、アメリカである。困難から立ち上がり、新しい時代を切り開いて欲しいものだ。オバマ大統領は若いけれども、落ち着いて、着実な改革をすすめそうである。

日本の政治家もこうありたいものである。そういう意味では、共産党の志位委員長も、オバマと同列にいるような気がする。民主主義のなかでの、新しいビジョンを示して、なかば、「常識的」になっている共産党は「別」ではなく、誤解を解いて、きちんとした姿を解ってもらえるように、示していくべきである。

始めに書いたように、オバマ氏も共産主義について、ある種の「誤解」があるように思う。それを解くには、過去の「実験の失敗」を、明らかにして、新しい目指す姿を示すことにあるし、行動であろう。ビラまきだけではなく、現実の社会のなかで、理念に基ずく運動が展開されなくてはならない。系統的な救民運動も必要であろう。

ともあれ、世の中、まだプロセスの段階であって、完成品には程遠い。仕事は山ほどある。それにしても、光が差し込んでくるのではという期待を抱かせてくれた。
バラク・フセイン・オバマを注目していきたい。

村上龍と共産党志位委員長の対談をみて

2009年01月20日 10時08分21秒 | 思考試行
昨日テレビで、村上龍と志位共産党委員長の対談の番組をみた。いま、派遣切りが横行し、共産党の勢いがいいというので、番組となったらしい。「蟹工船」ブームのなかで、若い人の入党が相次いでいるという。

確かに、我慢の限度を越えて、資本が儲けを充分蓄えているにも関わらず、シャニムニ労働者をきりすててくる資本の論理には、村上龍も問題ありとみて、志位委員長との番組を企画したとしている。

まあ、それほど、深い話にはなっておらず、サワリだけという感じなのは否めないが、小説家として、共産党が政権をにぎっても、自由に小説が書けるだろうか、と訊いていたのは象徴的であった。勿論書けますよ、の返事だが、そのポイントは重視しなければならない。

世間の常識では、ソ連の言論弾圧や、自由のない社会主義社会という宣伝が行き渡っており、それが、共産党の政権が現実に期待できない状況を生んでいる最大の原因と思われるからである。権力争いの陰湿、粛清と、閉鎖的なイメージが強い。

これに対する、充分な弁明というか、効果的な反論がされていない。あるべき社会の姿なり、共産党の、人を大事にする考え方を出していく必要があると思う。

今の共産党の目指す政権構想は、「民主主義の一形態であると思われる社会主義」のようなイメージを持っているのだが、そうではないのだろうか。ただ、儲けるだけが資本主義とはみんな思っておらず、そこには、自由といういい面もある、と思っているのではないか。そうした自由をどのように保障するか、ということは、共産党の課題として、正面から検討しないといけないと思う。

共産党政権下での、個人の自由とはどういうものになるのかについて、束縛的でなく、しかも、お互いの生物学的な自由について、どう保証するのか、安心できるイメージを出していくべきであると思った。それは、日本共産党の新しさを示す絶好のテーマではないかと思った。

映画「禅」をみて

2009年01月19日 08時14分50秒 | 思考試行
端正に作られた映画であった。中村勘太郎の道元がすっきりしていて、イヤミがないのである。ただ、おりんが何故、簡単には入門が許されないのか、それが、臨終間際になって、どうして、ようやく認めたのかとか、時頼に対しては、丁寧であったりと、一部抵抗感があるのだが、全体としてみれば、よくできているといえる。

いつも、思うのだが、ボロボロの状態のときの真実味と、それなりに成功して、仏具や袈裟や、仏像、建物など、いろいろ付加されてくると、真実の道からどんどんずれて行ってしまう、という感じがある。

道元が、白い毛を房にした仏具を、振ったりするシーンなどは、まさに、そんな気分にさせられた。大伽藍がそれ自体権威の象徴であることは、否めないのだが、本質はそこにはなく、思想そのものにあると思うが、それが、前面にでてこないし、それを描くことは、非常に難しいのだと思う。

エライ坊さんを描いた作品は今までにもあったが、そういう意味で成功した作品を知らない。だれを主人公にするかが大事なのかもしれない。一休さんや、良寛さんなどはその意味では、適役かもしれない。

真に、仏教思想の根本に触れる作品を見たいものである。

やりにくい人

2009年01月18日 21時06分06秒 | 思考試行
自分のことばかりで、周囲への思いやりに欠ける人がいる。子供のときならいざ知らず、いい大人になっているにも関わらず、関心は自分のことばかりである。

すぐには、気づかないのだが、少し観察していると、割りに簡単にそれが解る。そして、このての人は、自分ではそうであるとは思ってはおらず、それを指摘されたとしても、あまり反省することもなく、また、簡単には直らない。

かといって、放置すると、周囲にとって、気分の悪いことが起こる。最近の若者達の、特徴というわけではなく、むしろ、年配層にその傾向が強いように思う。自分の位置について、周辺とのかかわりを理解する力がないような人がいる。

こういう人と、つきあうのは、なかなか骨が折れる。こういう人は、また、弁が立ったりするので、世話をしている側が、まるで、下男か下女かといった扱いをされたりするので、精神的に傷つけられることになる。

そして、自分の利益、評判には敏感なものだから、事情を知らない人からみれば、よほどの、しっかり者と思われるように心がけており、その人を縁の下で支えている人をコケにして、逆に加害者に仕立て上げかねないし、また、なんの世話もうけていないかのごとくに、表現したりするのである。

表現が、いちいち変なのである。どういう頭の構造をしているのだろうかと、不思議に思う。いいぬけ、すりかえ、・・・そこには、愛がない、感謝がない、テクニックにたけたコンジョワルの姿がある。

会社は株主のものか

2009年01月17日 11時20分21秒 | 思考試行
株主が、経営に文句をつけて、自分の配当を増やすように努力せよという。そのためには、長年の慣行であろうと、現在のシステムが壊れようと知ったことではない、短期的に最大の配当を受け取りたいという一心で、経営陣に迫る。これに従わない経営陣は、退場を余儀なくさせる。

こういう構図で、株主が経営陣に迫ると、経営陣はなす術もなく、株主の言うとおりの社員リストラ、代理店手数料の切り下げを断行する。また、代理店制度そのものも、改変し、金融機関に顧客を振り向ける傾向を助長する。

それらを、特段の説明もなく、その意志をもって、着々と実行する。嫌がらせ、針小棒大に、何かの口実を見つけては、イヤケを誘い、自らの意志を貫徹するべく行動する。そこには、なんでもありだが、世間の表立っての非難は避ける。

環境問題にコミットしているフリをする。その実、書類は次々様式変更をして、古いものはどんどん破棄して平気である。みるからに、不健康で、不誠実で、表面だけはキレイにみえるようにしたいらしい。そこには、公の役割を考えてはいない。こんな連中は、いつまでハビコルのだろうか。

アメリカの経済危機は、こういう連中が作り出したのだが、これがどのように収束していくのか、眺めていくしかない。

株主は、資本を出すだけで、なんにもしないのだから、こういう連中が有利になるという構造はあまり健康な事態でないことは、自明である。本当に働いている人びとが報われるようでなければ、世の中闇である。

j自主判断

2009年01月16日 11時14分53秒 | 思考試行
損保会社の若い女子社員の態度が気になる。会社の上司からの命令、言いつけは、絶対と思っていると公言して憚らない。ここに、非常な危機感を覚える。損保が民法の根拠規定に関係しているといっても、そんなの関係ない、上からの指示の言うとおりにやるまで、と断言する。

こういう連中が増えると、世の中暗くなる。自分の考えというのは、上司の言うことには絶対というのだから、なんの、迷いもためらいもない。健康そのものとみえる。

だが、これが、勿論不健康なことは、解る人にはわかることであろう。こんな簡単な価値観に、ドップリ浸っている連中は、いわゆる勝ち組であったり、成功者といわれる連中には多いと思われるが、その実、本当の人生を知らない、そこの浅い、つまらん人生を送ることになるのだと思う。

力学がいろいろ働く中で、表面はともかく、心の中で、あれこれと悩みながら生きているのでなければ、味がないというものである。この機微が解らない連中とは、話もしたくない。

あれこれ、思うから、勉強も必要だし、従うとみせて、実は反対意見があるものだから、それなりの工作もするのである。今の世の中が、すべて正しく、問題がないのであれば、それは、素直に上のもののいうことをきいていればいいのかもしれない。

しかし、それは、いつも検討していなくてはならない。背景には、自分の判断が存在しなくてはならない。そういう姿勢の中で、進歩が生まれるのではないか。といって、いつも、反対ばかりというのではないし、学ぶ姿勢も重要である。学ぶためには、素直でなければならない。だからといって、盲従はいけないのである。

八千草薫さん

2009年01月15日 22時40分59秒 | 思考試行
テレビで山田太一のドラマをしている。八千草薫さんも登場している。もう78歳になるとある。(パソコン調べ)若い。あれだけの台詞を覚えて、演技をする。ドラマの筋より、そちらの現実の方がドラマチックだったりする。

もともと、ドラマには、あまり興味がないほうであったが、現実だけでは、深い人生の味わいは無理で、そこに芸術家の仕事があって、現実とは違う実学であると今は思うようになっているのだが、いつも、乗り切れるとは限らず、よほど興にのらなければ、みることは少ない。

もっぱら妻の感想を聞いて、あとで見ようという態度である。それでも、いいというか、次々と、ドラマが作られ、提供される。全部は見切れないわけで、本当に贅沢なものである。

八千草薫さんは、日本的な感じがする人で、みんなが好感を持つといっても過言ではない気がする。谷口監督と結婚して50年連れ添ったという。谷口氏は3度目の結婚というから、八千草さんの素晴らしさがわかるというものである。

アクがなく、常識的で、賢夫人、そして明るい感じがする。最近の若い娘さんに、こういうタイプの人はいるのだろうか。電車の中で、化粧に余念のない女性を見ていると、そういう望みを抱く方が無理というものだろうか。

ちょっとした事で変な方向へ

2009年01月14日 10時21分11秒 | 思考試行
今、政治の世界では、定額給付金の扱いを巡って、補正予算と切り離せ、いや離さないとやり合っている。与野党共に、給付金以外は異論はなく、採決可能という。マスコミは、定額給付金を別にして、やれるところをすぐやればという。そうすれば、麻生内閣の支持率は間違いなくあがるだろうという。

これから、事態がどうすすむかわからないが、離合集散のあと、大連立などとなって、憲法改悪に足並みを揃える事態だけは、避けたいところである。今、政治家を志している若い保守側の議員は、間違いなく、自前の軍隊を持ちたいとしている。一般庶民は、戦争なぞしたくないに決まっているが、それでも、少しの扇動で、簡単に、国粋的になるのは、目に見えているから、要注意である。

平和ということの重要性を、重視しない傾向は恐ろしい。利己主義と戦争でもなんでもやりかねない心情の蔓延を直視して、地に足をつけた考え方、世直しを考えていかなくてはならないと思う。

それにしても、ちょっとした匙加減で事態が大きく動くというような、不安定さを感じさせられるのは、いささか居心地が悪い。しかも、本質的なところで、とんでもない方向へ行きかねない現状は不安である。

風邪をひいて

2009年01月13日 11時11分50秒 | 思考試行
昨日突然に、鼻水が出て、「風邪状態」になった。鼻がつまって眠れないし、薬のせいで眠たいし、ノドが痛いし、散々である。

それでも今朝3時頃にトイレに起きて、以後は口呼吸で行くことにして、なんとか睡眠はとることができた。鼻の下がヒリヒリして、唇も荒れているが、気分は大分楽になった。

ちょっとしたことで、体調は変化する。快調を持続することは難しいし、何故、そのようになったのかの原因が不明で、そのあたりに、生存することの苦しさを感じる。今日は、日差しもあって、いい天気なのだが、体調がこんな具合だと、そのよさも感じられなかったりする。

一昨日、家内と出かけた際に、レストランで隣の席にいたカップルが、食事がすんで、立ち上がりながら、この寒さでは、外で寝ている人はタイヘンやなあと、ジャンパーを着ながら話していた。派遣業法のために、人為的に作り出された事態を、多くの人が心悩ましている。

暖かい家にいて、少し体調を崩しただけで、大騒ぎしている自分に比べて、それこそ、もっとタイヘンな状況にいる人びとがいる。

年越し派遣村がなかったら自殺していたという人もいたという。為政者の責任が問われる。政治災害と言われ始めている。今度の選挙は、まことに重大である。

国、宗教

2009年01月12日 12時39分21秒 | 思考試行
今は、国境があって、その秩序のもとに人類が暮らしているのだが、いずれは、その意味が変わってくるのだろうと思っている。個人にとって、ふるさとであるとか同一言語を話すとか、共通のことで、気持ちが通じ安いとか、そういう現象があるけれども、存在を保証するということになれば、殺し合いをしてまで、そうしなければならないというのは、まさに異常であり、こういった状況を解消しようとするのは当たり前と思う。

そういう目で見ると、イスラエルのガザ地区に対する爆撃のニュースは、つらいものがある。軍事力に差があり、とてもパレスチナ側が散発的に反撃していることに対する報復という域を越えている。皆殺しにするつもりなのか。それは、かつてナチスがしたこととダブってくる。共生ができないのは何故だろう。

一神教の厳しさを言う人がいる。自分以外の宗教は認めない。存在も認めないとするならば、皆殺しもやむを得ないという。馬鹿げた宗教観である。こんな宗教は、存在を続けるわけにはいかない。歴史は、かつての魔女裁判であるとか、宗教の限界を知り尽くしているはずだが、充分検証されていないと思われる。事態の本質を明確にして、こういう状況から脱却したいものである。