空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

共存共栄はどこへ。

2008年05月31日 09時55分55秒 | 思考試行
金がなくなれば、生活に困る。たくさんあればあるほどいいのか、といえば、それは、大抵は、人を泣かし、犠牲にして、得られたものであって、その成果をほこり、富の力を背景にして、不必要な、見得をはり、人をないがしろにして喜ぶといった病的な、陰惨な風景が展開される。

こうしたもてるものと、持たざるものとの格差を、是正しないで、人間らしい社会生活が得られるとは思えない。金をもうけることに、カンカンになっている様子は醜い。

だが、昨今は、もてる者が、持たざるものの、賃金であるとか、手数料とか、ギリギリの生活の糧にしていたものを、ルールを変え、なりふり構わずに、切り下げ、自らの儲けをさらに、増やそうと画策してきている。

こういうことは、まったく許せない、機会があれば、必ず復讐してみせる、とやられた方は、考える。そのために、どうするのか、不必要にためこんだものを、吐き出させる手段はなにか、政治的に、そういう仕組みを作る、こういう連中を追い込む方法はないものか。それは、その気になれば、ある。そういう仕組みは、税制であるとか、いくらでもできる。

そういう世論が多数をしめるならば、政治的に解決可能である。

政治に目覚めて、人が人をくって生きることが、正当な事ではないことを常識とする人びとが、どんどん増えてほしいものだ。

実は適用モレではなかった!?

2008年05月30日 08時40分56秒 | 思考試行
雇用保険のさかのぼりについて、対処方法を、アレコレ考えてきたが、事業所から、意表をつく報告があった。金庫の中から、対象の書類が出てきたと、自白の報告があった。

やれやれであるが、手続きをしたかどうかがわからなかった当方の管理の甘さがあるわけで、いずれにしても、膨大な、ショウもない書類作りが無駄になったということである。

それでも、助かった。少なくとも、賠償の話にはならない。ただ、もう一件ある。この人は、まだ退職の意思は示していないが、これがあるかどうかである。

従って、あまりデカイクチをたたくわけにはいかない。事業所も完全に任せきっているのだから、こちらが、ヌケテイタなどといわれると、途方にくれる。

社保庁の年金騒ぎと、まったく同様の話しである。 

その都度、手を抜かずに、やるべきことをやっていくことが、結局は大事であって常に、そのようにしていれさえすれば、何の問題もないのである。

自分は何をすればいいのか、何を約束しているのか、家族を泣かせないためには、何を我慢し、それを、忍耐ではなく、喜びとして、選択として、自然体でおれるかどうか、そして、やるべきことをキチンとやる、意識的な行動が大事なのである。

人間だから、ミスはある。他人にきびしく、自分に甘くなり勝ちで、その方向で言い訳をさがすようなことにはならないように、気をつけないとね。

試練の波をのりこえて、進む決意を固める。

2008年05月29日 09時40分11秒 | 思考試行
一晩考えて、といっても、放送大学の選択式のレポート問題をときながら、テキストを読みながらであるが、結局は、きちんとしたデーターを要求して、企業から資料を提出してもらい、その上で、行政にむかうこととした。

朝一番にその旨、事務員に伝えた。ファックスをして、様式を示した。

基本的に仕事量が多すぎるのかもしれない。夫婦で相談して、現状分析をする。

あとは、建設業の許可申請がある。これも、問題がある。副本がないという。

ために、二日間かかって、筆写に行く羽目になった。勿論、一日でできることではあるが、最初の日には、時間が無いために、後半部分のみ筆写したのだが、やはり全体の筆写が必要であることを、担当官からきいて、急遽そうしたのである。

何事も、慣れないことには、仕方がないが、もうヤメヨウカというときになって、試練の波が押し寄せてくる。

それは、それなりに、逃げないで対処する。これも、できないことではない。一つずつ片付けていく。

雇用保険の適用モレが出た。時効でさかのぼれないと宣告された。

2008年05月28日 21時10分42秒 | 思考試行
ついに、大きなミスをやらかした。雇用保険の適用もれである。企業は、きちんとお金を徴収し、それを国に納めてきた。にも関わらず、手続きができていなかった。手続きモレの、さかのぼりは、2年で時効という。もう5年近く経っている。

だれの責任か。これは、明らかに、事務処理を委託されていた、社会保険労務士の責任である。集金にいくだけの手数料という安いものであっても、当事者に損害を与えたことは疑う余地はない。国がどこまでも、さかのぼってくれれば、いいのだが、立証しても、時効で2年前にしかさかのぼれないという。

もう手続き済みであると錯覚していて、長年月が経過してしまっていた。どうしょうもないのだろうが、実態をまとめて、真実をまとめる。とにかく必要と思われる資料作りをする。出勤簿もない、賃金台帳も出し惜しみをする。やりにくい相手の事務員である。在籍して、保険料を納めてきたことを立証して、なんとかできるところまで、さかのぼってくれれば、なんの不都合もないのだが、そこに壁がある。

とにかく、行政は、時効の一点張りである。

ミスは一瞬であるが、事態は継続している。途中でチェックの機会はない。けっこうヒドイ事態になってしまった。労働者は、ただ、なんの効果もない保険料を納めてきたことになる。単純なミスであるが、企業側からみれば、もし、労災事故が出たらどうだったのか、など、不信感が吹き出てくる。勿論、労災事故には、対処できると答えるが、不信の波紋が、次々に押し寄せる。他にも、雇用保険の継続期間によって、補助金であるとか、助成金のことなどもあり、いかんともし難い問題が生ずる。

いままで、コマゴマと手続きをしてきたが、全部、何もしなかったかのような、扱いとなり、安い定額の手数料の、ほとんど全部吐き出すことになりそうである。

しかも、あまりに、手数料を安くしていたものだから、それを喜ぶというのではなく、相場であると思い込んでいるようで、今まで、なんともカルク見られていたということを、今回のことで、はっきりと思い知らされた。従って、ミスに対しては、容赦のない抗議のマナザシと、叱声がとんでくる。

ふんだりけったりであるが、自分で招いたミスであり、時効があるかぎり、救いの手段はなく、どうしょうもない。

行政との関係で、善処できたら有り難いのだが、そのことで、困る人は誰もいないのだが、ルール一点張りは、行政の得意とするところである。理屈も何も無い。

年金の時効が撤廃された。国のミスを是正するためにそうしたのだが、これは、英断である。ただし、その効果はまだ、そんなに動いていない。だが、そう決めている。年金がそうで、雇用保険はなぜ時効を生かすのか。技術的には、恐らく何の問題もない。なんとかしてほしいものだ。

一応、賠償保険にも加入しているが、保険を使うほどのことでもなく、また、業務原簿の記載にも不備があり、保険が適用できるかどうかは微妙だろう。

それにしても、チェック機能が働かないのは、単独で仕事をしているからと言える。複数で、相互に、確かめ合いながら、協力体制をくんで仕事をしない限り、防ぐことはできないだろう。

もう、年齢のこともある。潮時ということか。趣味なり、楽しみの世界に移行せよということかもしれない。

時代の波のなかで。

2008年05月27日 09時37分06秒 | 思考試行
人間は常に変化していく。勿論人間ばかりではない。およそ、すべてのモノが、変化していく。その流れの中に、すべてがある。

システムが徐々にあるいは、急速に変わる。

近所の古くからある、カーペットを作り、販売していた家が、最近すっかり更地となってしまった。

時代の波に飲み込まれてしまったということだろう。

時代の波にあわせながら、対応しながら生きていくほかないのだが、その中で、精神的には、あるものは捨てたくない。

それは、単純な金儲けを志向して、一直線という考え方を、ヘンだと思う精神である。

意味のあることをして、金儲けは解るが、単純に金が欲しいだけというのは、それでは、不健康だと思うのである。

小生も、バナーというものを張ってみた。自分でいいと思うことを宣伝して、それで何らかの収入になればいいかと思ってやりかけた。

その道中で、すさまじい連中がいることを知った。本心のところ、はっきりと金儲けを前面に出している。そのノウハウを、商売のタネとして、儲けている。

金は必要である。しかし、適当であればいいとすべきところ、テクニックを駆使して「不労所得」の獲得を誇る。

法律の枠内、リスクの有無、要因の分析をしながら、インターネットの仕組みを最大限に駆使する。どうやら、本当に、儲けているようである。

これから、どうするのか、彼らが新しい金の使い方を実践してくれることを望む。

貧しい人びとを救い、人類史上に貢献する新しいシステム構築に、乗り出して欲しいものである。その財力と、知恵を使って。

公正な競争を。・・・損保業界

2008年05月26日 09時04分45秒 | 思考試行
 意気込みどおりにできればいいのだが、とうとう、昨日はレポートに着手できず、結局は、先送りになってしまった。

 損保の仕事が意外に時間がかかる。郵送するものが多く、テキパキやらないと、すぐたまってしまう。

 今日も、損保がらみの仕事があって、けっこう忙しい。

 手数料もへらされてきていることだし、理不尽なコンプラ騒ぎもあり、いい加減イヤケがさしてきているのも事実だが、今までの経緯があり、お客様がついてきて くれていることを考えると即断できない。

 違う条件の保険会社が出てくれば、と思う。日本の場合、みんな公正な競争をしているとは思えず、相互に、呼吸をあわせて、代理店政策をするものだから、本来、もっと力があってしかるべき代理店が、コメヤラレた状態となっている。

 条件は際限なく、切り下げ可能で、これが、ひいては顧客の利益も奪っている。代理店を知っているけれども、どこの保険会社に入っているかを知らない人がけっこういることを、保険会社の人はしらないのではないか。

 代理店が、仕事をやめるとなると、既契約は、そのまま同じ保険会社で引き継ぐことは、けっこうタイヘンかと思う。

 競争原理が働かないようにしている分野というのは、業界全体が、不健康で腐臭がする。保険料の設定など、本当に適正だろうか。

今日こそ、レポートを送るぞ。・・・放送大学

2008年05月25日 09時11分12秒 | 思考試行
 放送大学のレポートを送らないといけない。6月6日が到着期限となっている。あわてて、教科書にかじりつくも、今回は4時間分しか、講義をきいていないので、科目によっては、けっこう苦労しそうである。 問題は、中味を熟読しないと、解けない仕組みになっている。

 それにしても、学者の先生はよく勉強している。理詰めに話しがすすむので、爽快でもある。

 放送大学は、開かれた大学である。入るのは簡単である。当ブログのバナーをクリックされて、是非資料請求をされることをお勧めする。コースもいろいろ用意されている。

 勿論無料である。開講科目の説明から、大學のしくみの詳しい案内がとどく。あなたの人生を、より、豊かにすることは間違いないと思う。

 このところ、小生は私事に追われて、一年間休学状態であったが、今学期復帰して主に生命科学分野の科目をとった。放送教材(大阪の場合、天王寺に学習センターがあって、視聴できる。)が、DVDになっており、画面がきれいであり、音質もすばらしい。

 放送でも、やっているので、録画等すればいいのだが、小生は駆使できていない。

 やる気さえあれば、学べる環境があるということで、ナンダカンダ言っても、世の中進歩しているなと実感する。今朝がた、レポートの半分ぐらいできただろうか。今日は、仕上げてしまおう。

人生観ができた?!

2008年05月24日 09時10分56秒 | 思考試行
 人生の折り返しにはいって、数年?たって、ようやく、人生を眺めなおすことができるようになってきた気がする。

 遅いなあと言われても、自分の人生を落ち着いて考え直す機会がなかったのか、考えようともしなかったのか、いずれにしても、当面のことに追われて、過ごしてきたように思う。

 ところが、このブログを始めたことから、少しずつ様子が変わってきた。とても、実生活では話すことはできないことも、ここでは、話すことができる。とはいっても、節度は守っているつもりである。

 そういう中で、自分を振り返り、過去のアレコレを思い返してみると、それなりの必然性と、タラレバの思いもないといえば、うそになるが、どうしようもない実態として、とらえることができる。大事なのは、これから先と思うしかない。

 そして、その思いで、森羅万象を眺めていると、風景が違ってみえてくる。いくばくもしないうちに、人生を去るものとして、これから、生きようとする若者達のために、なにか役に立つ話でもしなくてはの思いもある。

 だが、それは、各人が自分で見つけるほかないものであって、そのためのヒントというか、きっかけに過ぎないのである。そのことに、当方が義務感をもたなければと思うのは、それこそ傲慢というものである。

 今朝も「砂の女」を、ラストから、逆さに丹念に読んでみた。この作品は、本当に素晴らしいと思う。見事に、普遍的な人生観にいたる道筋を示していてくれる。筋立ての素晴らしさ、フィクションでなければ、書けない舞台のなかで、人生を語っている。

 こういうことを書けることも、小生の人生にとって、なにか意味があると思っている。

金を動かすだけで儲けるのは社会を害している。

2008年05月23日 09時44分03秒 | 思考試行
 現状をよりよくしようと考える場合、具体的に検討し、その実行のためには、意志の統一もいるだろうし、その地道な努力なくして、成功しないのではないか。

 手っ取り早く、権力を使ったり、武力を使って、権力者の意思どおりにするのは、その意図がどうあろうと、民主主義とは相容れない。

 必ず思わぬ反作用があり、場合によっては、途轍もない失敗に終わり、多大な困難に人びとを巻き込む。
 
 問題の矛盾が頂点に達したときに、果実が熟すように、事が展開することもあるが、その矛盾の中味が充分に認識されているときには、その流れを止めている者は、退場を余儀なくされる。

 しかし、改革と称して、長年に亘って、積み重ねてきた成果を、目茶苦茶にしてしまったのが、今の新資本主義といわれる流れではないだろうか。

 ただ、金をアチコチへ動きまわすだけで、正常に稼動している企業を、解体し、売り飛ばして、巨額の利益をはじき出し、その企業は、捨てられる。

 なにがあったのかといえば、理屈がいろいとあったけれども、事態は簡単で、金を動かした者が、不当な利益を得ただけである。こういうことでは、社会全体としてみれば、害になる存在でしかない。

制約の中での、楽しみ、喜びを。

2008年05月22日 09時35分24秒 | 思考試行
 義母は、完全に寝たきりの状態に入ってきた。頭は明晰だが、耳が遠く、会話がしずらいので、どうしても、自分の世界に閉じこもりがちになる。さりとて、あまりいろいろと干渉されるのは嫌いだから、その辺の塩梅が難しい。

 妻に対しては、ほとんど無表情であるが、当方には、笑顔で接するように心がけているのがわかる。食事のときなど、なるべく、簡単でもいいから会話を交わすようにしているが、やはり、体は相当シンドイらしい。どうにもこうにもシンドイ、どうにかしたい、と思うほどだ、という。

 去年亡くなった父も、まったく、同じことを言った。どういうシンドサなのか、解らないが、すべての意欲を奪ってしまうようだ。食欲も変わる。今は、ゆで卵が主食で、ピーナツもすきである。あとはオカキの類である。

 もう、おなか一杯といいながら、ピーナツは?と妻がきくと、食べるという。夫婦で笑うのだが、ご本人は、もはや、論理ではなく正直に反応しているという印象がある。 先輩の様子をみて、我々の将来をどうしようという参考にしている。

 床ずれがついにできてしまった。肺が片方ないので、どうしても、横向きも一方向でしか眠れない。姿勢を変えるのが難しいのだ。それと、痩せていて、肉がないことも原因という。

 床ずれの薬もいろいろ種類があって、昨日、ヘルパーの看護師さんが、新しい薬を持ってきてくれた。今日は医師が来る日で、昨日に電話があった。傷口をみてくれるという。

 在宅の介護は、見守る側がどういうこころ構えでおれるかが、事の成否を決めるように思う。まったくのフリーにはなりにくいが、しかし、工夫すれば、その条件のなかでそれなりの、楽しみや喜びは可能なはずである。

 それなりの、リズムができれば、「砂の女」の主人公のように、いろんな可能性があるなかで、現状をきちんと受けとめて、この状況を一番のものとして、選択できるのではないかと思っている。

どうなるのか。損保業界。

2008年05月21日 17時37分37秒 | 思考試行
 格安の労災保険の上乗せ保険がある。これは、中央会という組織に入っている企業だけが、その保険に入ることができる。商工会議所の会員企業などが対象である。他には、協同組合の会員企業などである。

 どうして、何らかの組織された企業でなければならないのか。その趣旨が、よく解らない。代理店も直接募集にあたる代理店だけではなく、ピンハネする元締めの代理店もいる。保険料は、通常価格の40%も値引きされている。

 当然第一線の募集代理店には、その手数料はとても意欲を燃やして取り組めるものではない。しかし、顧客の立場にたってみれば、安くて、しかも、補償内容に変わりはないタテマエであるから、いくら、手数料が安くても、顧客のためには、とりくまざるを得ない。

 募集要項は、締め切りの3日前に送られてきた。印字がされていない申し込み書であり、募集代理店がすべて、作成しなければならない。代理店が、顧客のことを考えるから、やらざるを得ないのだが、保険会社も、ホンネは真剣に取り組みたくないのかもしれない、であれば、代理店が投げ出すのを待っているのかもしれない。

 しかも、会員企業であることの資料、告知などを、要求する。手間がかかるのである。会社は、座して、すき放題をいってればいいのだが、本当に企業をまわり、実務についているものは、モレのないようにしないと何度も、無駄足を踏むことになる。

 にも関わらず、必要な要求資料を、最初は言わずに、一昨年は、後出しで要求してきた。結果、企業を2度訪問させられた。今年も、その可能性があるので、事前に、こういう資料がいるのではないか、と指摘したところ、ありました、てな具合である。

 営業社員も、実は、よくは知らないのである。これを意識的にやるとすれば、問題だが、そこまでは、思いたくはない。しかし、動きがおかしい。投げ出したいのであれば、保険会社が投げ出してほしい。代理店としては、生きていけなければなげだすほかないが、死なないかぎり、生きているのだから、実は、際限がないのである。

 

生きがいの発見へ5・・・具体的には。

2008年05月17日 09時20分36秒 | 思考試行
 生きがいの問題を考えるとき、具体的な生活の態度、ノウハウも重要であると思う。仕事をするにしても、学習するにしても、段取りは重要である。どんどん捗るということだと、本人は勿論、周囲も助かるし、ますます、やりがいがうまれ、好循環となる。

 そのために、今、脳が注目されていて、その仕組みや、性質というか、管理手法の研究がすすんでいるようである。下記に、ご紹介した本も、医師がすすめる脳の管理方法というような性質がある。

 具体的に、脳を管理することで、日常生活が改善されると、これは、生きがいにもつながってくる。あまり、意識していなかった家事の役割であるとか、机の上、カバンの整理とか、目をどう使うかなど、医師の立場から、具体的な提案がなされている。

 小生も最近、自転車を多用するようにしていて、今、足にミガ入っている状態であるが、たしかに、体の調子、感じ方が変わってきている。人間は動物であり、やはり、動くことが大事であると思う。近くに、長居公園があるのだが、自転車で走ると、木のニオイがし、人びとも活気があって、これは、なかなか気持ちがいい。いままで、なんでやらなかったのだろう、と不思議に思う。

生きがいの発見4

2008年05月16日 20時41分37秒 | 思考試行
 老人が、悩んでいる。それは、多分に、経済的なことが多い。それがなければ、恐らく悩むことはないのではないか。少なくとも、生きていけるだけの、最低限の資金があれば、なにも悩まない。それが、長寿の証であり、価値観の勝利である。

 しかし、その老人から、経済を奪えば、やはり、悩まざるを得ない。世をはかなんでということになってしまう。そんなことにさせるのは、現役の恥である。最低限の生きる条件さえあれば、彼らは、明るく生きるノウハウをもっている。せつな的な、人生観を嗜める豊富な知恵がある。

 これを生かさない手はない。学ぶべきである。この楽観を。老人は、積み重ねのなかで、無形の財産をもっている。なにもないようにみえて、その存在そのものが、財産なのである。その一つひとつの動きが、財産なのである。それは、今の若者達の行く道なのである。

 自分の将来の、実例をみているのである。こうはしたくない、これは学んでいこう、豊富な実例を、自然の姿として見せてくれる。当然ながら、こちらの対応の仕方によって、老人は反応する。こちらの対応が、老人の反応につながること、これが、大きな学びである。そこから、得る事の豊富なこと、人間の実態の、実例なのである。そこへと、みんな行くのである。