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空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

水はどこへ流れる

2018年01月31日 09時34分06秒 | 思考試行

シンクの水はけがわるく、流れない。家内は、ストレスいっぱいで、相当に機嫌が悪い。結局は、大元からの点検が必要となって、基礎をわり、調べることとなった。

水は介しょから、下水管に繋がっている。途中で詰まっているのかもしれない。いや、つまっているのは明らかであるが、どこがということははっきりしない。

最悪、家の真下をパイプが通っていなくて良かった。もし、家の真下を通っているようであれば、床をはぐらなければならないところであった。

風呂とトイレは、別系統になっているようだ。台所は別なので、それを考えればいいということになった。

さっそく、隣家にも話しをして、早速、ガリガリ始めている。ともかく、根本的な修理をしなければ、いけないということになったので、ひとまずは、安心だが、実際にはどうなっていくのか、まだ、結論がでていない。

工事にかかってくれてる人も、確定的なことはいえず、日程的にも結論は言わない。どうなるかは、検査の結果次第だが、思わぬ出費が発生することとなった。


手続きの煩雑さやこだわりからの脱出

2018年01月30日 11時43分15秒 | 思考試行

住所を変えたことで、あちこち手続きが必要となる。免許証や登記関係、社保関係、すぐにすればいいのだが、日常のあれこれに振り回されて、思うようにはいかない。

今までの、あたりまえも捨てなければならない事態にもなる。こうなれば、なにもかも捨てにかかる覚悟も必要な気もしてきた。

死んでしまえば、みんな邪魔なものにすぎないのだから、友のいうとおり終活を意識しなければならない。

そう切り替えれば、簡単なことであり、大事に思ってきたものも、あんまり意味がなく、捨ててしまえば、軽くなる。

背負うから重いのであって、捨てれば軽くなるのだ。有馬稲子さんは、老人ホームに入るにあたって、たくさんの洋服やら、多くのモノも人にあげたり、捨てたりされたことを書いておられた。

自分もそういうときを迎えたのだなと、実感する。モノをためこめば、それだけ、身辺が煩わしくなる。どんどん捨てればいいことなのだ。


恥を知らない政権

2018年01月29日 23時14分10秒 | 思考試行

いよいよ復活は不可能か、自浄能力がなく、言抜け、やり過ごし、肩透かし、まともに議論には応じない。しかも、自民党が野党時代に、議会の質問時間の割合を八割対二割と、ゴリ押しで決めさせといて、自分たちが政権につけば、この時間では不公平と言い始めて、値切りにかかっている。

そして、結果、値切った。どうせ、質疑なんて切り抜けさえすれば、議席の数で問題ないのだから、どうってことないという考え方であるが、少しでもその時間を削りたいという本音である。

少選挙区制は、わずかな支持率でも、多数の議席を占める詐欺的制度である。そして、なんだって多数決だ。これは、民主主義に明らかに反する。民意を反映しようとか、民意の真相を知って、政治に生かそうとはまったく考えてはいない制度である。

支配者が、支配に便利のいいように考えている制度である。野党が政権を取った場合には、この民意を無視するような制度を是非改めるべきである。

本当に、一人ひとりの国民が、政治を真剣にかんがえ、自らの生活を考える土壌を作らなければならない。無関心こそが、政治の腐敗を招き、その結果は、国民に悪影響を与えることになる。


そう簡単にはいかないはずが、なりそうな雰囲気にある

2018年01月28日 20時04分07秒 | 思考試行

どう考えても、変だし、理屈が通っていないし、無茶苦茶だと思えるのだが、なんとなく周囲がそれを咎めない。それをあたりまえとしてしまう傾向があって、堂々としていられると、それが不思議なことに、通ってしまう。

こんなことでいいのだろうか。アメリカのトランプ氏が、果たして、大統領の任期を務めることができるかどうか、といえば、おそらくは、何らかの力が働いて、もう時間の問題ではないかと思いたい。

誰が見ても、といっても、普通にモノがみえる人の目ということだが、トランプは、大統領として明らかに不適当な人材である。早くやめさせなければ、世界に、いろんな害悪が撒き散らされることになる。

もっとも、トランプの上をいくのが、北朝鮮の金正恩だろうし、もっとほかにも、政治の世界に、いてはならない人が大勢いるだろうが、世界に与える影響という意味では、トランプの方がその影響が大きいといえるだろう。

日本の首相も、やはりおかしい。論理がたっていない。こんな人物が長期政権につきさらには、日本を戦争のできる国にしょうと躍起になっている。今や、議会は改憲勢力が三分の二を占めているのである。危うい状態になっている。この状態を覆せるだろうか。そう簡単にはいかない。今のままでは、そうなってしまうだろう。明らかにおかしいのに、そうなってしまうのである。恐ろしいことだ。


肩透かし、とりあわない、応えない、議論しない、それで議会?

2018年01月26日 10時53分49秒 | 思考試行

従来からそうであるが、国会の議論で、とりわけ自民党政権は、おおむねこの姿勢で、やってきた。特に安倍首相は、確信犯である。絶対に怒らない、気色ばんだりしない、ぬらりくらりをアッサリと肩透かしを連発する。

これでは、議論とはいえない。それでも、少選挙区制という民意を反映する気のない制度のもとで、議席だけは、いかにも大多数の意見であるかのような数字を奪い取り、それを背景として、自分の思い通りに政治を動かそうとしている。

戦争をできない国として、戦後、やってきた日本が、まさに、アメリカの子分として、必死に戦争のできる国となり、昔の大日本帝国の復活を願っているのか、まずは、戦争のできる国を本気で目指し始めている。

ものには順番がある。まずは、自衛隊の合憲化をはっきりさせる。そのあとは、そのあとがある。今は、ともかく、合憲化だと安倍さんは考えている。その道は、明らかに、戦争のできる国へと確実に近づく。

すでに国民弾圧のための準備、言論封殺の準備もととのえてきている。自分たちに協力するもの、忖度するものには、人事で、経済で、報償を与える。いよいよ雲行きが怪しくなってきた。


やっと電話をとめた次は?

2018年01月24日 12時52分17秒 | 思考試行

引越しの始末をつけるのに、時間がかかっている。なにもかも、やらなければならないといっても、優先順位というものがある。日常のあれこれに振り回されて、なかなか片付かない。

それでも、放っておくと、基本料やら、何もしなくても、口座振替だから勝手におちていく。かなり損をしているのは確かだが、愛着と相まって、なかなか踏み切れなかったりした面もある。

たとえば電話番号。昔のお付き合いの関係から電話がかからないと、申し訳ない気もあって、最後まで残していた。ようやく、今日解約の手続きをとった。

今はフリーダイヤルで、今混み合ってますの録音メッセージをさんざん聞かされ、待たされて、その上、担当者にダイレクトにつなぐためか、何度も選択ボタンを押さなければならない。

昔は良かった、と言いたくなるような、回りくどい手続きだが、何度も本人確認をされて、おかげで新しい電話番号を覚えた。住所なども、板についてきた。

復習が何よりで、これなくしては、何事も覚えられない。悪いことばかりではなさそうだ。


やるべきことをキチンとする?!

2018年01月23日 14時53分17秒 | 思考試行

それができれば、言うことはない。そんなことはできないと考えた方がいいかもしれない。そこそこできたら、良しとしよう。なるべく、自分には厳しく、他人には寛容でありたい。

よくよく見れば、人様には助けてもらってばっかりだ。恩返しを常に考えておかなければならない。自分一人で生きてきたつもりでは、本当に人生の醍醐味はわからないだろう。

今日は、法務局へ相談に行ってきた。法人を解散しようとして、登記の相談に行ったのだが、結構費用がかかる。こうなったら、前向きに、存続させて新しい方向を目指す動機ができた。

その方が、当面の負担が軽いのである。だが、長い目で見たらどうなるか。精算してしまえば、すっきりして後腐れもないのだが、ここは思案のしどころだ。

それにしても、目的変更、住所移転などのことで、7万円もかかる。廃止となれば、もっと、高くて14万円ほどかかるのである。「会社というのは金がかかるんです。」とは、相談に応じてくれた、担当相談員の言葉である。


思いやりについて

2018年01月22日 00時09分01秒 | 思考試行

国なんてものと、本気でとりくんでしまうと、大きな間違いをするのではないか。まだまだ、セクトであるとか、組織のためにという、価値観を持っている人がいることは確かであるが、それが、混乱の元であり、紛争のタネだと思っている。

生物であるかぎり、自己保存本能があることは否めない事実であるが、何かのために身命をかけることが個人としての生きがいになりうることは、自己というかけがいのないものを捨てるという行為が難しく、覚悟が必要であり、本能にさからうわけで、よほどの強い意志がある証明のように見られるからであろう。

強い個人、強い意志、それこそが生きた証であり、後々の世に残る個人としての振る舞いだと考えるのかもしれない。

そもそも、人間はどこまでも、他者との比較において、優れていて、強い者でなくてはならないものだろうか。そうではないと思う。それこそ、他者への貢献であったり、奉仕であったり、思いやりのなかに、本当の喜びがあるのではないだろうか。

多様な人がいて、思いやりとか、他者のためになど考えもしないが、好きなことをしていることが他者のために、真実役立っている人もいる。そうなると、何か一つで完全ということになるものはないのかもしれない。思いやりのように見えて、それが、人の為にはならないことだってありうるからである。


落ち着かない日々のなかで

2018年01月21日 00時27分48秒 | 思考試行

ゆったりと過ごす毎日という具合にはなかなかならない。日々やるべきことがあり、また、課題が残っている。生きていることは、それなりに常にやるべきことがあり、欠かすことのできないことがある。それが、なくなれば、それは即、生きてはいないということであって、生きているということはそういうことだ。

同窓会があって、一年ぶりに顔を合わせた。みんないろいろ抱えながら、表面上は元気にやっている。それをみるだけで、何やら励まされるから、それは、おたがいにそうなのだろう。はやくも、来年の出席を宣言しているものがいる。

参加者は、ほぼ、常連化しており、それほど新鮮味がないのだが、短い時間なので、くみつくせない魅力があるのだろう、毎回それなりに、楽しい会となっている。

今年のメインは、従来のような病気の自慢ではなかった。それぞれが、どのように楽しい毎日を過ごしているか、という話しになったようだ。それはいい傾向だ。


淡交がいい

2018年01月19日 00時14分23秒 | 思考試行

人と人とのつきあいは、濃淡いろんなあり方があると思うが、生まれる時も死ぬときも、結局は一人であって、誰かとなにもかも一緒というわけにはいかない。

もちろん生きていく最中というのは、一人で生きていくことはできず、多くの人の助けを得ながら、また、自身も人のためにはたらきながら、過ごすのだが、その最中においても、個をキチンと持って、そのときどきの選択をしなければならない。

その際のみずからの姿勢が、誰かのいうがままとか、誰かに追従ばかりであるのは、かなり寂しいことである。若い頃は致し方ないとしても、時期がくれば、自己判断で行動したいものだ。

と書いたものの、最近は若い人も自分の意見を、結構主張しているようではある。先輩が飲み会などに誘っても、簡単に断るとか、昔とはかなり様子が違うようだ。他方では、仕組み的にいいように使われていても抵抗するとか戦うとかはせず、世の中の仕組みについて、真剣に考えるという姿勢には欠けているように見える。

結局は、人と人との関係は、淡交がいいような雰囲気である。


リスクをとるかとらないか

2018年01月18日 17時05分42秒 | 思考試行

何かことを起こすということは、リスクを伴う。たとえば、家を新築するとすれば、ローンを組むことになる。そして地震が起きて、全壊したとすれば、地震保険をかけていたにせよ満額はでないから、新たに家を建てるとなれば、2重ローンとなる。大きなリスクである。

借家など建てて、お金を借りるとすれば、果たして借家人が入るかどうか、そして同様に地震が起きた場合のこと、家の老朽化に伴う補修のこと、借家のメンテナンスなどなど、多くのリスクをかかえることになる。悠々と家賃収入でやっていけるなどと軽く考える訳にはいかない。それでなにもしないのも、選択のひとつだけれども、それはそれで、なにも得ることもなく、退屈な人生かもしれない。

まあ、選択としては、冒険すれば、リスクがあるけれども、なにかしら、人生に参加して勉強もするということかもしれない。それを傍からとやかく言っても仕方のないことであって、人生、それぞれ、その人個人のものであるということだ。


要領がいいというか調子のいいやつは・・・

2018年01月17日 13時24分27秒 | 思考試行

親類づきあいにおいて、法事の時など、坊さんへのお布施であるとか、お花だとか、そのあとの食事会とか、主宰の方では、粗供養と称して、すべての所帯に、中心となるものを配る。粗供養購入の際の紙袋を使って、それぞれが持ってきたお供えを分け合うという行事をする。坊さんのお経は、いつもの月参りと違って、長いし、お布施もそれなりのはずむこととなる。

まあ、いろんな経費がかかるのだが、それを忖度して、法事の参加者は、お金を包んでくる。こうしたことは、長男家族の役割とされてきたのだが、最近ではもうかなり崩れているだろうし、そうした行事も行われなくなってきているかもしれない。

我ら夫婦には子供がいないために、相続にあたって、「本家」をついでも後継がないわけだし、家も広いから、あまり適切ではない。そこで、子供のいる弟妹かぞくに引き継ぐこととした。仏壇、墓のこと、長男家族のしてきたことを弟につたえ、住み慣れた家屋も弟妹に譲り、我ら夫婦は身の丈にあった小ぶりの家に移る段取りだ。

弟妹が、「本家」を継ぐと思っていたが、当方の思惑ははずれ、家を取り壊し、土地資産を活用して、借家を建てるという。

当方は、後々を考え、経費もかけて、いろいろ手をいれ、継続して住めるように考え、多少のリフォームをすれば、バッチリ住めるはずだと思っていたのだが、今住んでいるところに、愛着があるとして、そういう結論にしたいう。

事業活動をしようというわけである。多額の借金をして、借家業をし、ローンが終われば、将来は帰って住むことになるかもしれないという。

遺産分けをしたわけだから、文句をいうつもりはないし、反対もしない。ただ、長男夫婦が、いかに、耐えてきたかとか、経費をいろいろ負担してきたとか、そんなことには、まったく関心があるようには見えない。

なんのために、家を改修したり、修繕したり、してきたのかというこちらの思いをく汲むという風情がない。法事を機会に、不動産関係の登記もすませ、若干の知識もあるので、登記費用も印紙代だけ負担させ、権利関係の書面も交付した。

まあ、とにかくはこれで済んだのだが、家を継ぐにあたって、今回の法事を主宰するように言い、それなりの「覚悟」でいたようだが、結局は、なんの準備もできないようだし、こちらとしては放って置くわけにも行かない。

すべては、こちらで段取りをし、スーパーで食事会の材料を買ったり、したが、食事会の最中は、弟が持つかのような「姿勢」を保ちつつ、結局最後は、帰りがけに、肝心なことを忘れていた、オネエサンお昼の費用とか・・・、とってつけたように支払いをするかのようなカッコウをする。いいよ、こちらでするつもりでいたからと家内が応える。素早い返事で、すみません、で終わりである。

こちらは、これから買い込んだ本の整理や、家具類を捨てることや、あれこれ、まだまだ未整理のこともあるが、ともあれ、少しずつやるべきことをやるのみだ。

 


礼を重んずるとは

2018年01月16日 18時18分39秒 | 思考試行

それは、相手を尊重することであると思う。礼を失するとは、相手に対して、無視したり、態度が不遜だったり、いろんな形態があるが、今回の相撲協会と貴乃花親方との関係で、貴乃花のとった行動が、礼を失するとして話題となった。

常々、相撲協会のあり方に不満があって、その憤懣がこの度、でてきたとの説もある。確かに、貴乃花の態度、もの腰は、普通ではないように感じられた。

大横綱と言われた力士がとる態度ではなさそうだ。では、どうすればよかったのだろうか。協会のあり方について、意見があるのなら、はっきりと意見を述べて、取るべき行動の説明の場面があってしかるべきではなかったか。

協会ペースで話しをすすめるともみ消しされるとの懸念があったとされるが、はっきりと、発言すべき時点があったのではなかったか。

協会やモンゴル力士との間のことについて、明確に問題を出すことが問題解決の好機となった時期があったのではないか、あれだけマスコミに騒がれ、もはや協会側も、もみ消しなどできない状況のなかで、なお、拗ねたような態度をとり続けたのは、普通とは思えない。誰にもわかる正々堂々とした態度をとるべきだと思う。


正々堂々がよろしい

2018年01月15日 12時11分07秒 | 思考試行

正しいと思うことなら、卑屈になる必要はない。姑息な手段を弄していると、それなりの態度、物腰になるのではないか。

人物が評価されるのは、その人の品性である。品が悪ければ、良い評価はできない。白鳳の張り手や肘打ちは、勝つためには手段を選ばないという、汚さを感じる。横綱に対しては、対戦者は失礼にあたるとしてか、張り手や肘打ちなど、決してしない。

誠に不公平というか、本当に見苦しい風景である。批判を浴びて、白鳳は昨日の初日は、張り手などはしなかった。注目を浴びて、さすがにやれなかったのだろうが、相撲そのものは、結構押し込まれて、辛うじて勝ったという体で、横綱相撲には程遠い姿であった。

もはや、普通に戦えば、こうなるとわかっているから、今まで汚い技を使ってきたのかな、と思った。

勝ったあとも、ちょっとカッコをつけるような、ステップみたいな足取りでこれも品がない。こうなるとやることなすこと、なんでも批判されることになるのかもしれない。

そういえば、モンゴル相撲は、完全にお互いが組み合って、白鳳のような卑劣なことができないようになっている。あらかじめ、不正をさせない仕組みになっているのだ。これだと、勝ったものは、本当に強いということになる。それなら、納得できるのだが、面白みも少ないかもしれない。


戦争をさせないという覚悟

2018年01月14日 13時03分16秒 | 思考試行

どうしても、戦争をさせてはならないという決意が充分ではないと思われる。テレビ討論を聞いていると、各国の思惑やら、事情が話されるが、戦争をどうしてもさせないためにどうするか、のような観点は見られない。

そこには、この時には、武力行使にアメリカが走るのではとか、北朝鮮が暴発するかも、といった具合に、考えられる想定の話、予測がでてくる。

どうしても、戦争をさせないためには、どうするのかという思考態度はみられない。アメリカや、中国、韓国、北朝鮮にどう向かうかの、姿勢の問題である。国益のためには、戦争も辞さないという姿勢が当然と考えていることが裏面にみえる。

国益のみを考えるならば、戦争やむなしの行動選択がでてくるのだが、そこで、人道上の問題から、どうしても戦争だけはすべきでないという姿勢が欠落してしまうのは、平常からの戦争に対するありうる選択として是認しているからだろう。

人類は、なかなか学ばないようだ。