親類づきあいにおいて、法事の時など、坊さんへのお布施であるとか、お花だとか、そのあとの食事会とか、主宰の方では、粗供養と称して、すべての所帯に、中心となるものを配る。粗供養購入の際の紙袋を使って、それぞれが持ってきたお供えを分け合うという行事をする。坊さんのお経は、いつもの月参りと違って、長いし、お布施もそれなりのはずむこととなる。
まあ、いろんな経費がかかるのだが、それを忖度して、法事の参加者は、お金を包んでくる。こうしたことは、長男家族の役割とされてきたのだが、最近ではもうかなり崩れているだろうし、そうした行事も行われなくなってきているかもしれない。
我ら夫婦には子供がいないために、相続にあたって、「本家」をついでも後継がないわけだし、家も広いから、あまり適切ではない。そこで、子供のいる弟妹かぞくに引き継ぐこととした。仏壇、墓のこと、長男家族のしてきたことを弟につたえ、住み慣れた家屋も弟妹に譲り、我ら夫婦は身の丈にあった小ぶりの家に移る段取りだ。
弟妹が、「本家」を継ぐと思っていたが、当方の思惑ははずれ、家を取り壊し、土地資産を活用して、借家を建てるという。
当方は、後々を考え、経費もかけて、いろいろ手をいれ、継続して住めるように考え、多少のリフォームをすれば、バッチリ住めるはずだと思っていたのだが、今住んでいるところに、愛着があるとして、そういう結論にしたいう。
事業活動をしようというわけである。多額の借金をして、借家業をし、ローンが終われば、将来は帰って住むことになるかもしれないという。
遺産分けをしたわけだから、文句をいうつもりはないし、反対もしない。ただ、長男夫婦が、いかに、耐えてきたかとか、経費をいろいろ負担してきたとか、そんなことには、まったく関心があるようには見えない。
なんのために、家を改修したり、修繕したり、してきたのかというこちらの思いをく汲むという風情がない。法事を機会に、不動産関係の登記もすませ、若干の知識もあるので、登記費用も印紙代だけ負担させ、権利関係の書面も交付した。
まあ、とにかくはこれで済んだのだが、家を継ぐにあたって、今回の法事を主宰するように言い、それなりの「覚悟」でいたようだが、結局は、なんの準備もできないようだし、こちらとしては放って置くわけにも行かない。
すべては、こちらで段取りをし、スーパーで食事会の材料を買ったり、したが、食事会の最中は、弟が持つかのような「姿勢」を保ちつつ、結局最後は、帰りがけに、肝心なことを忘れていた、オネエサンお昼の費用とか・・・、とってつけたように支払いをするかのようなカッコウをする。いいよ、こちらでするつもりでいたからと家内が応える。素早い返事で、すみません、で終わりである。
こちらは、これから買い込んだ本の整理や、家具類を捨てることや、あれこれ、まだまだ未整理のこともあるが、ともあれ、少しずつやるべきことをやるのみだ。