テレビ報道だけ見ている人々ばかりだと、県議会議員全員の不信任となって失職した知事が出直し選挙で当選することは考えられないだろう。陰謀があったとして、いな、あったとしても県民の全員をだますことは不可能になっていることを意味する。議会がとった、知事の処分を県民は受け入れなかった。マスコミは今回の事態を受けてどう考えているのだろうか。今後どのようにこの事件を報じていくのだろうか。まことに興味深い。
国の行政から、睨まれるのを恐れ、さまざま制限を受けていて、本当に真実を追求していく姿勢が報道機関全体にみられなくなり、そのことを国民が理解し始めたのかもしれない。インターネットのなかで、見たことのない情報が流れる。国民がそれに反応する。もちろんそうではない人もいる。日本も分断が始まるのだろうか。
真実を話すことは、力の源泉である。真実からいろいろ条件を配慮して逃げていると騙せている間は、それで通るけれども、いつまでもそうはいかないことが実現できれば、人の世は、明らかによくなる。真実が覆い隠され、権力が好き放題やれる世界は、住み難いことは明らかだ。
それにしても、まるでドラマである。不信任になって、斎藤さんは駅前に一人で立った。これはなかなかできない。石を投げられるかもしれない、殴られるかもしれない、よほどの覚悟がいる。そのなかで、事実はどうかと、調べ始める人がでてきた。その人はインターネットの世界から動き出した。
ボランティアが動き、はじめ一人だったのが、マスコミが報じないなかで、事態はどんどん変わり、とうとう不信任で失職した元知事を当選させてしまった。投票日前日の演説会には、大勢の人がつめかけていた。この勢いは生きた動きである。そして、当然ながら、インターネットなど知らない人もいるし、「常識」として、議会の動向に素直に反応した人もいる。正反対にほぼ同数の人々がいる。
県民全体が同じような意見を持たないという現象である。マスコミとインターネットが対立するのではなく、補完できるような関係性がうまれないことには、お互い受け入れないという不幸なことになる。どうなっていくのか、今後を注視したい。
私は、実は、あまり関心がなく、このように事態が進んでいることを知らなかった。まさか、斎藤知事が被害者であるとは思いもしなかった。いな、本当に被害者だったのかどうか、議会の議決がどのようになされたのか、できることならば、徹底的に調べあげ、明らかにすることを望みたいが、もはや老齢のガンと心不全の私に出る幕はない。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます