空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

メマイのなかで

2009年07月31日 10時39分21秒 | 思考試行
家内もそうだが、小生も、どうかしたときに、メマイが生ずる。血流が悪くなっているのか、循環器系統が、注意しないと、不調となる。

毎日のウオーキングも始めた。かれこれ一月近くになる。生活のなかで、リズムになってきているので、それほど、大変ではないのだが、膝の調子とか、腰がとか、直ちにその影響があって、メンテナンスが必要だ。

人間、動物であるから、動かないとロクなことにならない。ジッとしていると、使わないだけで、衰えがきて、そのままネタキリになってしまうこともあるという。

使えば、有用だとして、それなりの進歩もあるようで、生を享けた以上、キチント生ききりたいものである。死ぬまで、しっかりと生きていこうと思う。大した才能もないが、少しでもなにごとかの役にたっているとすれば、それで了としよう。

相対的な優劣ではなく、自分なりのペース、考え方で、行くしかない。変な方向へはいかないように、チェックをかけながら、楽しみながら、学びながら、社会参加をしていこうと思う。

世の中、どうやら、変化の季節を迎えてきている。一人ひとりが、しっかりしなければならない時代である。池田サンや、小泉サン、かれらのペースにはまっていては、いけない。一人ひとりの人間を大事にする常識を、政治の世界に持ち込まなければならない。

あたりまえの「誓い」の値打ち

2009年07月30日 09時10分03秒 | 思考試行
約束は守る、そうすれば、信頼は得られる。約束すれば、違えることはない。こういう人にあえば、嬉しい。そうして、大抵の人は、そのようにしている。約束すれば、守ってくれるのである。

ところが、事情の変更と称して、簡単に前言を翻す向きもある。政治家は特に油断ならない。公約なぞ、破られるためにあるものだ、ぐらいに考えている。真剣な約束とは思っていない。小泉クンがその適例だ。

郵政民営化がすべてであるかのように、大芝居をうって、若者達を苦しみのどん底につきおとし、貧富の差をもちこみ、非人間的な世相を作り上げた。酷薄無情を絵に描いたような政治手法であった。

日常生活において、誓いをもっていることは、生活に芯を与える。小生の場合は、家内を裏切らないことを、自らの誓いとしている。それは、ある種の束縛であり、正直にいって、常に、それを念頭においているわけではない。動物的な、心の揺れも自覚するときもある。だが、誓いをもつ。そのことによって、混乱や破綻の可能性は確かに減じている。

思うままに、行動したとしたら、そこに見えるのは、修羅場であろう。裏切りによる、家内の悲しみは、明らかである。であれば、ここは、誓いをたてて行こうと思う。本当は、言葉にして、家内に伝えることが正直というものであろうが、それは、不言実行としたい。もしか、裏切った場合の、ショックの度合いの計算ではなく、それは、自らの誓いとして、チャンと守りたいと思う。

なくなった父は、生涯において、どういう誓いをもっていたのか不明であるが、小生の思うような誓いをもっていたとしたら、やり遂げたといえる。だれも、そのようなことを評価してはいない。しかしながら、小生は、仮定のことであるが、父を評価する。今の生活は、父の、おかげで成り立っている。

関心の目が、可能性をひらく

2009年07月29日 07時40分42秒 | 思考試行
財源が問題になっているようだ。自民党は、民主党のマニュフェストに、猛然噛みついている。しかし、彼らの時代に、作った借金について、どう応えるのか。彼らが作った800兆円にのぼる借金について、触れもせず、これでは破綻する、というのは、鉄面皮である。

野党の側からいえば、政府、政権内部、官僚のもつ情報、これらの詳細が解らない面もあり、外部からの観察にとどまるのであるから、改善しようにも、不明の点が多いのは確かだろう。それでも、徐々に力をつけてきているのは、見て取れる。

自民党は、財界の側にたち、庶民を犠牲にして、ここまで来た。これからどうするのか。人間の生き方の問題である。人をけとばしてでも、自らが相対的に有利となることだけを、追い求める考え方を、これ以上野放しにすることは、人類的にもうまくない現象がでてきている。

友愛・・・この方向は、希望が持てる。金、権力、名誉・・・これらが、人生の成功の尺度であっては、あまりに、寂しいことである。時代によっては、致し方のないときもあったとは思える。だが、いつまで続けていいものでもない。

やはり、より高次に進歩しないと、その存在すら危ぶまれるのである。その結果は、どんな風になるのだろうか。それを知るためには、今までのことを、詳しく分析する必要もある。

何がどうなっていたのか、どうしようとしていたのか、事の真相を明かにする仕事がある。これをおろそかにして、いい対策は生まれない。隠し事に対して、庶民大衆は、鷹揚にすぎていたのではないか。関心の目を、みひらくことによって、その暮らしは、おおいに変わる可能性がある。

白状するなら今のうち・・・囚人のジレンマが始まる

2009年07月28日 08時15分18秒 | 思考試行
ばれそうになって、一斉に、今まで言わなかったことを、あちこちで、言い出している。いずれにしろ、真実を言わない評論家など、なんの意味もないのだが、政官業の癒着だけではなく、マスコミも言論界も、同じように体制に組み込まれて、どこかの意思どおりに、適当に、動いてきたのだから、それが、中途半端にしろ、バレバレになるとあっては、今から、白状しておかなくては、あとではヤバイというところだろうか。

選挙の投票日までには、まだかなりの日数がある。なにが起こるかわからない。今回変わった動きといえば、宗教がらみの政党がでてきて、創価学会の「成功」ぶりをみて、その気になったのか、それより力はあるんだと、東大出の教祖夫婦がやる気まんまんである。

文藝春秋8月号に、取材記事と教祖にインタビュー記事が掲載されている。教祖には「霊感があって」、というところは、胡散臭いが、金集めは上手らしく、自信満々である。供託金など、ゴミの話と豪語する。こういう確信ある態度が、創価学会とも共通する。

権力、力のあるところは、自分達に都合のいいようにしてきた。最近は特に、「強きを助け、弱きをくじいてきた」ので、さすがに、怒った労働者が、若者が「蟹工船」ブームを起こした。シチュエーションが同じだから、共感するのは当たり前である。真実をしらなければ戦えない。まだ充分ではないにしろ、そんな動きはかつてなかった。

いままで、動かなかった真実を知る動きが、始まった。評論家どもが、いままで、どのようにしてきたんか、知っていたのか、しらなかったのか、白状せざるを得ない状況が、でてきたということだろう。大いに、真実が大衆国民に広められる状況になりつつある。隠すものは、はっきり悪者であることが明らかになるからである。

だれかが先にばらせば、あとのものは追従者でしかない。あとの者が厳罰をくらうことになる。「囚人のジレンマ」がはじまった。

このまま亡びては、もったいない。

2009年07月27日 10時58分13秒 | 思考試行
植物の世界にも、競争があって、光をめぐって、また、土のなかでも、物質を出して、お互いを牽制しあったりしている。たたずまいは、静かで、穏やかなようにみえても、生存競争は展開されている。

そして、昆虫や、他の動物、また植物同士との助け合いの一方、植物にとっては、害としか思えないものにたいしては、これを回避するための、手立てをしている。驚くばかりの仕組みである。

そして、植物によっては、特定の他の生物、虫、魚などとの、取引のみで生存を確保しているものがいて、明確に、「相性」が存在している。合わないものとは付き合わないのである。

時代の波のなかで、植物も変遷をしてきた。地球の歴史のなかで、植物の発生というのは、ほぼ4億数千万年前ということであるが、46億年の地球の歴史からみれば、まだ始まったばかりともいえる。そのなかでも、栄枯盛衰がある。

そして、人間に至っては、つい最近になって、その存在感を増してきたにすぎない。人間社会も、さまざまな言語、習慣があって、多様な暮らしをしている。そしていまだに争いの種がつきない。

こうしてみると、生命を有するものの、競争や争いは、ごく自然なことなのかもしれないが、人間は一味違うはずである。このままでいいはずがないと思う。

地球上の生命は、形こそ違うけれども、おおもとは一つといえる。したがって、いろんな事象のなかに、いろんな共通項があって当然なのだろうが、ここまで分化してくると、本当に不思議なことである。

そして、こういう事実を明らかにし、知ってきた人間のすばらしさにも、感嘆する他無い。さらに伸ばして、なんとか共生できるようにならなければ勿体ない。

近づくテスト・・・放送大学の効用

2009年07月26日 09時29分10秒 | 思考試行
放送大学のテスト(単位認定テスト)の日が近づいて、テキストを読み込み始めている。勉強するのは、主に、この時期になる。いつまで経っても、テストがなければ、やる気が出ないという感じである。

今度受けるのは、3科目である。内2科目が合格となれば、また、卒業となる。

以前アフリエイトを、ブログ上でしていたのであるが、ブログのスタイルを変えたトタンにすべては消えてしまった。このなかで、放送大学の宣伝もしていた。結構クリックしている人がいたが、資料請求までする人はいなかったので、残念な気がしていた。

卒業となると、チョットした感動があって、少し自分を褒めてやりたくなるのが、ミソなのだ。これを勧めるのだが、知り合いで卒業まで行くのは、今までいない。

競争ではなく、まさに、自分だけの評価であるから、デキフデキは、他人の知るところではない。気が楽なのである。そして、利害には何の関係もない。

それにしても、専門家というのは、たいしたものである。その成果を、全部とはいわないにしても、幾分かのエキスを教えてもらうのは、まことに、贅沢な気分である。

放送大学は誰でも入学できるし、やめるのも簡単である。小生も、休んだ時期もあるが、かれこれ17年ほどになる。はっきりした効能はないのかもしれない。それでも継続していると、常に時代の最先端を、見せていただいている感覚があって、いつまでも、現役の気分が変わらないのである。

「世の中が変わる節目やね」・・・一海さんに同感

2009年07月24日 08時09分29秒 | 思考試行
嬉しいことは、自分と同意見の人にあったときであるが、一般的には、少数のときに、特にそのように思う。周囲が、自分の意見と、明かに違う。ところが、自分と同じような考え方をする人がいると、ホッとする。

赤旗新聞をみていると、そのようなことが多い。今朝の赤旗一面には、神戸大学名誉教授の一海知義さんの「発言09」をみて、まさに同感と思った。

冒頭、「日本には、全地球的視野をもち物事を決める政治家がほとんどいない。北朝鮮問題でも、ミサイルを発射するなら先制攻撃だという議論になる。もっと大きな、30年、50年先といったレベルでものをみていく政治家が育ってほしいですね。政治家に必要なのは、長期的視野と温かい心。根底には、現実にどれだけ国民がひどい目にあわされているかをリアルに見る目が必要です。」とある。

すっきりしているではないか。そのあと、弱者の力になる勢力が伸びてほしいとして、「発言」が続く。

以前に、創価学会の人から、頼み込まれて、聖教新聞を3か月と限って、購読したことがあった。記事の中味が、赤旗とは、大違いである。創価学会の人びとも、赤旗を見たことはあるだろうか。その違いを知ってほしいものだと思う。

小泉センセイは、他党の政策を見ますか、と聞かれてそんなモノはみない、と応えているのを、テレビで見た事がある。そんなもんだな、と思った。共産党の志位さんは、もちろん他党の政策はみてますよ、と同じときにそう応えている。

モノがみえているかどうかは、大変重要だと思う。見なければ、進歩はできない。いい方向へ、進むことは困難である。一海さんは、歴史は、必ずいい方向へと進むだろうという。これが大事だと思う。ヘンテコな政治家が大勢いるけれども、一人ひとりが、リアルに物事をみるようになったときに、その方向は、きっといい方向に向かうに違いないのだから。

政治を一人ひとりのために・・・重大な選挙

2009年07月23日 09時28分57秒 | 思考試行
ようやく国会が、解散となり、来月末の投票日までの、長い考慮期間が、与えられた。国民はこの国の進路をよく考えて、その意志を決定しなければならない。

今までを、振り返って、政治はどういうことをしてきたのか。国民の目が、どう向いてきたのか、これからの国の進路を決める重要な選挙である。

本当に、国民のことを考えて、政治は行なわれてきたのだろうか。利権集団の争い、そのための、弱者切捨てが、平然と実行されてきた。

小泉劇場政治は、完全なまやかしであった。若者達は、大変な苦しみにあっている。彼らが、どう自分達が扱われてきたのか、はっきりと知らなければならない。これを、若者達自身の問題としてとらえ、自らを痛め、傷つけてはいけない。若者達は被害者である。

政治家は、若者達を粗末に扱い、なおかつ、その境遇のヒドサを、彼ら自身の努力の足りないことにした。とんでもないサギ師のような言辞を弄している。

非正規労働という、罠のような仕組みを導入して、いったん、ここへはまり込むと、絶対に這い上がれない構造を作った。小泉が、それを可能にしたのは、郵政民営化のみを口実に、劇場選挙を展開して、議席をかすめとり、財界、資本の要求をかなえて、若者達をこのような目に合わせたのである。

一人ひとりを大事にすることが、政治の役割である。まだ、人類の歴史は、始まったばかりともいえる。政治の世界も、厳しいチェックをして、一部利権者のためのものではないことを、国民が意識して、変えていかなければならない。

展望・・・国民は馬鹿ではない。

2009年07月20日 06時46分48秒 | 思考試行
韓国では、大統領になることは、その後タイヘンなことになるということであって、必ずしも、幸せな、上り詰めた成功者とはいえない。

権力が集中するので、親族などがこれを利用して、利権を漁ることになる。それを、現役を退いたあと、暴かれて、犯罪者の謗りを受けるという段取りである。

日本の場合も、上りつめれば、蓄財して、ナンヤラ御殿を築いて、子々孫々その栄華の恩恵に浴すことになる。ただ、合法的にうまいことをしているのだろう。

そのため、教育パパやママが、必死にわが子の教育に熱心になるという寸法である。勉強の時期も、限られていて、高校入試、中学入試、小学校入試、幼稚園入試から始まる。大學ブランド、資格、特技、なんらかのパスポートをもたないと、この国では生きるのが難しい。

それは、どこでも同じかもしれない。だが、その時期が終われば、ほとんどの人は、勉強をやめてしまうのかといえば、最近はそうでもない。いくつになっても、向学心を燃やしている人もいる。

放送大学あたりを覗くと、年配の人が、大勢いる。生涯勉強できることは、現代の特長であり、これは、いずれ、成果が明かになるような気がする。

マンガばかり、読んでいる首相が、化けの皮を剥がされ、そのオボッチャンぶりが、天下にしめされる一方、真摯に真実にせまる広範な、第一線の研究者の仕事にふれるとき、世界の進むべき方向は、自ずとでてくる。課題は明確である。

権力欲とは無縁の、有徳の士が、リーダーとなって、国ばかりでなく、世界を視野にいれる活動を現実のものとする政治家が、いずれ、続々と生まれてくるに違いないと思っている。国民がそういう水準になってきているから、政治家も、そうならざるを得ないのだ。


川上弘美さんの「ぬか床のごきげん」から

2009年07月19日 08時17分09秒 | 思考試行
自然との関わりが、問題になり始めて、人間活動は、野放図に展開することができなくなってきた。地球上にあるものは、すべて、自然であり、人間も自然であるのだから、人間の構築物も、自然の産物ともいえるのであるが、全体のバランスを考慮しない、自分勝手なふるまいの結果、人間そのものの生存条件を奪ってしまう段階になったということである。

小生の子供時代を考えると、車社会が到来するとは、とても思えなかった。それが、今や、車社会からの離脱の動きさえある。ものごとの変化が激しく、人心の荒廃も著しく、ひょっとしたら、人間社会は、モタナイのではないかという危惧さえうまれてくる。

今朝の日経新聞の文化面(ラストのページ)に、芥川賞作家の川上弘美さんが、ぬか床の話を書いている。まさに、自然の力と人間の営みの話になるが、ぬか床には、野菜をいれないと機嫌が悪くなるということである。

これは、示唆的である。多様な、世界の交流のなかで、始めて、お互いを生かしあえる状況ができる。生き生きした社会というのは、このぬか床の世界にも共通すると感じる。元気で、健康な社会を作ることは、こうした気付きが不可欠なのではないか。

多様な文化、考え方、これらが、共存し、お互いを認め合うなかで、全体が健康に生き生きと、暮らせるのではないか。他者を認めず、多様性を容認できない偏狭さは、全体の、ご機嫌をななめにしてしまうように思う。

刑法犯に時効は必要なし。

2009年07月18日 17時05分51秒 | 思考試行
時効をなくすことは、犯罪者のニゲドクを許さないという意味では、当たり前のことだと思う。科学技術の進展で、いろんなことが可能になってきた。物証が、昔には、思いもつかぬことが可能となり、足利事件のような冤罪事件が、キチント対処できるようになったことは、すばらしいことである。

オーム事件の時にも、被害者でありながら、警察の思い込みによって、犯人にされかけた人もいた。マスコミもこれにのって、被害者に大変な思いをさせている。時効制度をなくすと、冤罪事件の場合、無実を立証する証人がいなくなってしまうことがあるという弁護士もいるが、そのケースは、事件そのものが冤罪であれば、そもそも犯罪の立証そのものが不可能であり、論理的には成立しない。

それよりも、犯罪をおかして、逃げ切るということ自体を許すべきでないと言う方が世のため人のためには、いいのではないか。そして、殺人に限らず、刑法犯については、時効は必要ないと思う。悪いことをしたのは、事実であるが、もはや時効であるなどと、犯人が主張できることは、不思議でならない。

特に、破廉恥罪など、許してはならない。

自分自分の地獄の世界

2009年07月17日 08時07分16秒 | 思考試行
まずは、攻撃という構えの人がいる。自分の都合からしか、ものごとを見ていない。こういう連中とつきあうと、常に、こちらの立場と、都合を最優先に考えていないと対処できない。とんでもない言いがかりに対して、黙っていると、その暴論を認めたことになってしまう。

ただちに反撃して、それがツボにはまり、相手が納得する姿というのは、それまでのこちらの善意のすべてが無駄であったと思わされるぐらいの素っ気なさである。こんなヤツに善意で対してたのかという思いに浸らされる。

自分のことばかり、人のことは、なにも見えていない。プロセスや、相手のことを考えることがない。これでは、相互の助け合いというのは、困難である。こういう考えが、今や広がりつつあるのだろうか。上品そうにふるまっていた人が、急にそういう態度になったときに、本音をみたというか、寂しい思いにさせられるのだが、本人の心象風景というのは、どんな風なのだろうか。

ガマンしているのだろうなあ、うまく行かないことが多いだろうし、不満で一杯の気分だろうし、喜びの世界も、豊かなものとはいえないだろう。こういう世界も地獄といえる。

秘密と素直

2009年07月16日 08時20分44秒 | 思考試行
いろんな分野で、その実態が明らかになってきている。神秘のキワミであったことも公開されてきた。インターネットの世界では、およそ知りたいと思うことは、なんでも知ることができるような時代になった。

それは、例外がない。いくら、表面を取り繕ったとしても、本質が知られてしまう。ちょっとした芝居が有効だった時代から、真底の真意が露見する時代になったと言える。

人にいえない秘密といっても、当人は誰にも知られていないと思っているだけで、結構周囲では、知らない人はいなかったりして、当人には、そんなことは知らないというような顔をしているだけかも知れないのだ。

こうなると、本人も、どうやら、自分が秘密にしたいと思っていることも、みんな知っているのかも、という認識でいるほうが正解だろう。その秘密が、あまり誇れることでなければ、それなりに、謙虚な姿勢が必要だろうし、そうすることで、デカイ顔をして、顰蹙を買うということはなくなる。

だが、それもシャクであるなら、いっそ開き直って、それが人間じゃとやるのもいいかもしれない。なにも隠し立てする必要はない、として、自らの信ずるところを行くのみとするのである。過去は過去である、今からどうにもできないのだ、と割り切る。

これからの時代は、ますます素直であれ、と言うことかもしれない。それでいいと思う。

庶民の暮らしを体験して欲しい。

2009年07月15日 09時02分43秒 | 思考試行
「逆転の発想」の具体的な例として、なにがあるだろうか。早死にしてしまった若者の親達の嘆きを、慰めるのに、人生は苦にみちている、そんな苦労をしないとすれば、それも、幸せではないのか、などと、ああいえばこういう式の、屁理屈なのかもしれないが、それなりに、説得力が生ずる。

自民党の都議選による惨敗で、逆転の発想を使えばどうなるのだろう。今までヌクヌクと特権の胡坐をかいていた人びとが、普通の人になり、庶民の苦しみを体験することになるのだろうか。とすれば、これは、非常にいいことではないか。

相当な蓄えがあり、簡単に庶民の暮らしのレベルまで、落ちてくれるかどうかは、定かではないが、もし、そうなるのであれば、自民党にとっても、悪いことではない。庶民の暮らしを知って、本当に政治の何たるかを考えるチャンスとなるのであれば、それはいいことである。

庶民が求めるレベルは当たり前のことばかりであると思う。つつましい当たり前の要求にことえる政治を、やってほしいだけである。

一度は、落ちてみてほしいものである。そして、庶民の暮らしについて、肌身で知ってほしいと思う。

期待 寄付 乖離 懐疑

2009年07月14日 23時16分38秒 | 思考試行
いよいよ選挙が決まりそうであるが、それでも、すんなりそうなるのかどうかは、解らないという。日程を決めるのに、それぞれの思惑が働いている。

政治とはなんだろうか。報酬をもっと下げれば、やる気のある人はいなくなるのだろうか。汚職が始まるのだろうか。権力をもつことは、ある種の人間にとって、命をかけても得たいものなのだろうか。そんなに魅力のあることなのだろうか。

庶民の暮らしと縁の無い、「華麗なる一族」の子弟が、争いあう。東大や、その他の一流大学をでて、エリートコースを歩んで、今の地位を築いてきた連中たち。その割には、頭がいいとも思えない。疑いの気持ちがわきあがる。

いやまてまて、そんなはずがない。顔を売り、自分の時間を犠牲にし、ひたすら選挙民のために、国のために、そして世界平和のために、頑張ってきた。その選良達の争いである。恐らくは、高い理想と庶民の預かり知らぬ、世界があるはずだ。

情熱をこめて、気のいい庶民のために、ひたすら頑張ってくれているのである。なにやら、胡散臭い事情があって、オヤブンが国会の証人喚問などされたくないために、なんでもかんでも与党でいなければならない、と考えている党もあるのだが、それは、それとして、多くの政治家は、国民のために、その命をかけて頑張っているのである。と期待したい。

そうなら、庶民を戦争の方向へなどと、考えるだろうか。憲法9条を変えるとは、戦争ができる国にしようということだ。そう考える政治家がなんと多数であるという。地球環境だって、科学技術の進歩で、人間の仕業でおかしくなってきているというのに、どうやら、本当に、効果的な対策がうててはいないようだ。

くるしい生活のなかで、追いつめられた人が大勢いる。自殺者が年間3万人もこえる国だ。世界では、もっと悲惨な状況がある。それでも、そこを直視せず、こんなブログなど書いているヤツもいる。

どうしたらいいのだろうか。だれか、一人ひとりの処方箋を示してくれと言いたい。自分の身内からしか、政治献金がなく、それを迂回して、体裁を整える人も出てきた。お金が余っているのだから、姑息なことはしなければいいのにと思う。そんなお金があるのなら、貧乏な人びとが、安心してくらせるシステムに寄付してくれよ。