空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

「化学」変化?

2011年08月31日 10時28分25秒 | 思考試行

野田代表の人気が順調のようだ。これは、菅さんの仕事を受けて、の化学変化とみた。いきなり野田さんだったとしたら、こういう具合にはならなかったのかもしれない。

菅さんは、自民党の非協力な姿勢に対して、ガマンし続け、ついに直接的なケンカをせずに、筋を通して「やるべきこと」をやった。どうしてもやらなければならないことを、自民党に「ノマセテ」退陣した。

ネジレがある限り、自民党は無茶苦茶な言いがかり、非協力が可能である。当面は、これをストップするが、今度の第三次補正、次の来年度予算審議以後は、まとぞろ、やるつもりのようだ。BSで、昨日石破氏が言っていた。

野党として、政権奪還のみが自己目的化していて、確たる主張があるわけではない。民主の国民第一、弱者に目を向けた景気対策というのは、それなりの方向性であるが、ことごとく邪魔をし、それをさせないことを仕事にしてきた。

そんなことは、政権をとったのだから、やらせるのが普通であろう。やってみなければ効果は解らないのである。ところが、参議院のネジレで話は変わった。もうなんにもさせない、の一点張りである。

そこへ大震災が起こって、事態は変わった。それを、ただただ、政権奪還をねらう自民党は、それでも邪魔をしまくるのである。被災者のことを考えているとはとても思えない。ネジレの時代にあって、いつまでも、何事もすすまなくするのは、国民のためにならないのはあたりまえである。その実演をしてみせた。

マスコミも、かつての「機密費の恩恵」にあずかってきただろう連中が、自民党の肩を持ち、理不尽な菅政権攻撃に加担した。それは、論理的にも筋が悪く、ムナクソが悪くなるほど醜悪であった。ああいえばこういう、なんとでもいえる悪口の連発。野次、犯罪者扱い、まともな話し合いに応じない。

これが選良か、エリート新聞記者か、学者か、キャスターか。キタナイ姿が、暴き出された。

野田代表が言うように、政策の優先順位は変わるだろう。そこで選択は必要である。ただし何をするにも野党の協力がなければ一切すすまない。そこが焦点になってきた。

マスコミもようやく言い出した。無視はできない。菅さんでは、ダメだ、復興できない、といい続けてきた「破綻」が明らかとなってきた。

誰が邪魔をしてきたのか、東電は、菅さんが退陣となって、昨日賠償計画を出してきた。もっと早く出せただろう。

国民が思ったことを言い出したとき、ウソやゴマカシをしてきた人々は、カダフィと同じだと思わなくてはならない。バレたら困るようなことをしていてはいけないのだ。


民主代表選のドラマ

2011年08月30日 10時28分06秒 | 思考試行

テレビで、代表選の演説をきき、第一回目の投票、続いて決戦投票と、すべてをみた。野田氏の演説は、他を圧していた。なるほど、噂どおりの演説上手である。

25年間、駅立ちをして毎朝演説をし続けてきたというのだから、その継続力は大したものである。

八方美人といわれ、右よりともいわれる。代表となって、さっそく自民、公明にあいさつにいくなど、意外にうまく、政権運営をしていくのかもしれないと思わせる動きである。

二律背反ともいわれる。小沢派をたてれば、野党の機嫌を損ねるし、その逆もいえる。人事に注目が集まるところである。

原発推進、増税、公務員の削減、給与の引き下げ、議員定数の削減などなど、その方向が国民生活にどのように影響してくるか。

第三次補正予算が成立すれば、自民党はまた攻撃を再開するとも言われている。野田氏は、攻撃材料が少ないともいわれる。注目していきたい。

 

 


福島県知事を叱る

2011年08月29日 11時00分57秒 | 思考試行

菅総理の提案に対して、事前の話がなかったと、福島県知事がカメラの前で菅総理に噛み付いた。

話は、いつも事前になけれはいけないとでも言うのか。はなしは、いつもどこかで始まる。それが、カメラの前であろうがなかろうが、話はいつも、始まるときに始まるのである。

現地まできて、大事な困難な話だから、退陣直近であるにも関わらず、菅総理は、来て話しているのではないか。

それにしても、菅さんが最後に「退陣の条件」を自民党に突きつけて、次へバトンタッチをするのは、彼でしか出来なかっただろう。菅さんのおかげで、キタナイものが暴き出された。

問題の所在が解らなければ、解決はできない。問題点が明らかとなって、国民がいかに騙されてきたのか、その経緯を含めて、明かになりつつある。

どういう世の中であればいいのか、いまこそ、はっきりと国民はその意思を示せなければならない。人任せ、流れにのるだけではなく、あるべき姿を、少なくとも地球規模で、人類の行く先を考えつつ、日本の政治を考えるのだ。

福島県知事は、何を考えて怒ったのか、チッチェーと言いたい。

 


映画「毎日が夏休み」をみて、イマを考える

2011年08月29日 09時15分29秒 | 思考試行

BSで、「毎日が夏休み」を見る。山田洋次監督の推薦する映画である。

会社をやめた義父と、登校拒否の娘と、妻、近所、学校、元の会社の人々、元の妻、・・・エリート社員だった義父と娘が、力強く生きていく。あくまで、コメディタッチで、深刻な話が、カルク取り上げられている。

イジワルな学校、イジワルな会社、イジワルな近所・・・・それをものともしない義父、娘

他人の気持ちがわかる、わからない、必要としていること、ガマンしていること、必要とされる喜び、・・・人間として、大事なことが語られる。

いい映画であった。そして、今の政治状況、マスコミの問題、との対比で考えると、ピッタリと映画の意義が出てくる。

まさに、民主党の代表選が今日行なわれるが、メディアの態度は、鳩山、菅政権をリーダーシップがなく、今度は、そんなことがないように、みたいなことをシレッと言っている。

問題の所在は、ネジレであって、この状態では、だれが首相になろうと、鍵は野党がもっている。復興復旧が遅れているのも、意図的な邪魔にあって、できないのは明らかである。

与党は、あくまでも協力を得られないと事がすすまないから、あからさまには抗議できない。そこをいいことに、自民党は言いたい放題でやってきた。少しでも支持率がよくなれば、解散しか念頭にない。

そのことを知りながら、首相のせいにするメディアの言い方は、「毎日が夏休み」の義父の元の一流会社の社員達と対比される。この「いやらしさ」である。多分、代表が変わっても、しばらくすれば自民党は、邪魔を始めるに違いない。ネジレを最大限利用するのである。

それに、マスコミは切り込まない。国民は、こういう状況下でどうするのか、事態をしっかりと見抜く目がなければ、騙され続けるほかない。しっかりしましょう。


菅さんは、最後まで仕事を続けている

2011年08月28日 08時03分52秒 | 思考試行

退陣が、本決まりとなり、首相としての仕事が終わろうとしている今のこの時期にあっても、菅さんは自分がやるべきだと思っていることに取り組んでいる。

昨日、福島県知事に「公開」で、中間処理施設のことで、言いにくい事情を伝えていた。従来の首相には考えられない光景である。

知事が怒っている。災害時に首相であったことで、菅さんがその矢面に立っているわけだが、この事故は、明かに、工作物を作った人間にかかわる人災であって、それとまともにとりくんでいる仕事は、いい加減な仕事をしていた連中の後始末である。

事故原因の当事者達は、ほとんど知らん顔を決め込んでいる。恥知らずとはこのことである。問題の根幹の原因の一端でも関与したと思える人は、それを言わなければならないし、きちんと詫びなければならない。

それをしないで、菅さんの仕事ぶりの検証をしたいなどと言う。検証だけならまだしも、あろうことか邪魔をし続け、マスコミ、官僚、民主党内部も含めて、菅さんを、「ワルモノ」に仕立て上げた。

退陣の記者会見での言葉は、立派であった。それに対して、記者席は、拍手一つない。こいつらは人間か。記者会見で、拍手などしないのは慣例のようだが、それは見ていて、まことに感じが悪い。人間らしい反応があってしかるべきだろう。

 


すべてが変化し、動く・・・菅さん以後はどうなるのだろうか

2011年08月27日 09時02分51秒 | 思考試行

すべては変化する。これには、例外がない。我々は、そのなかで生きている。

菅さんの政治がどうだったのか。退陣のあいさつでは、後の人の評価に委ねたい、という気持ちが吐露された。四面楚歌の状況下である。菅さんはまさに市民運動出身の政治家として、できる限りのことをしたといえる。そして、解散を狙う自民党の策略を何とか封じ込めた。

さて、これからどうなるか。海江田氏か前原氏か。どちらになっても、自民党が早期の解散を目指しているのは明らかと思われる。政権奪取しなければ政治をやる意味がない、と思っている。

とすれば、民主政権を攻撃する材料は無尽蔵である。具体的な問題に触れずに、ただただ解散を要求するとすれば、参議院で多数をしめる以上それは可能な選択である。しばらくは、協力姿勢はみせながら、少しでも異論があるとみるや、解散を目指す方向へいくだろう。

官僚マルナゲ政治か、利権誘導一部ありの与党か、それとも大連立?

心配は常にあるのだが中国やロシアの動きを見ていると、またぞろ憲法9条が出てくるかもしれない。力には力しかない、のはいわば常識である。議員のかなりの率で、そう考えている。これをいつでも変える動議がだせる、となれば世論誘導は当然可能だ。

「戦争のできる国」に変貌する道がでてくる。また「人間の条件」の世界が近づくのである。これを避けるのは、ある意味人間の理想を語ることであって、今の状況は「奇跡的」である。いろんなバランスの上に、ようやく保たれている。

戦争だけはしてはならない、この一点で政治がこれを貫徹できるかどうか、そのためには国民サイドの平和に対する強い意志が必須である。


BSで橋下知事の主張を聞く

2011年08月26日 10時09分41秒 | 思考試行

フジテレビ系列の番組で結構時間をとって、橋下知事の大阪都構想を知る機会があった。「地味」な問題で、仕組みを変える話だから、素人には「わかり難い」話なのだそうだ。聞いているとそんなに難しそうでもないように思うが、ともかくかなりの熱意を持っていることがよく解った。

司会者や、解説の学者、記者などの質問に、テキパキと情熱をこめて話をするので、説得力が感じられる。知事の顔は童顔なので、政治家らしくなく、しかもラフなシャツ姿で権威的ではないし、中央政界との関係を聞かれて、「自分のような若造」がみたいな話をして、問題にしない。応接によどみがなく、迫力がある。

大阪府知事というのは、そんなに軽いのか、と少し思ったが、それはそれで、実態を示しているのかもしれない。今の政界のあり方についても、鋭い批判をいれる。首相を「消耗品」扱いにしている政界に対して、憤りを感じている。今のままでいくと、日本が目茶苦茶になると本気で心配している姿を見た。

小泉劇場の体験があるから、迂闊には乗れないという思いはあるが、彼の場合は、相当準備があるようだし、なにより真剣さの度合いが違う。タレント弁護士の時代から見ているけれども、これはいいな、と思わされた。

小生は、仕事で大阪府に行くことがある。建設業の手続き等に行くと、相当変わっている。システムが変わり、便利がよくなっている。民間の力をいれて、今までと全然違う。これなどは、明かに、橋下知事の仕事である。彼の本気度の一端を示している。

 


「下町ロケット」一気に読む

2011年08月25日 09時11分17秒 | 思考試行

役所に手続きに出かけて、その帰り、書店に立ち寄る。「下町ロケット」を探すと、ヒラバにはない。店の奥まで移動するも見当たらない。そんなはずはない、と入り口付近に戻ると、棚に横に置かれていた。

ヒラバにない、それだけで見つからないのだから、先入観は恐ろしい。とにかく、ゲットして、早速バスのなかで、昨日の続きを読みはじめる。夕食前、後で、一気に読んでしまった。

企業小説の作家として、池井戸氏はすでに実績のある作家である。元銀行員で、今も中小企業の社外取締役をしているという。ビジネスの世界を描いているのはそうだが、それだけではない。

すっきりした筋立てで、きちんと生きている人間の生き様がすばらしい。儲け専一では決して味わえない感動がここにある。実際もこうであってほしいものだ。

途中で飽きるということがない。現実生活においてもこういう生き方というのは、参考になる。そうだ、貫徹しようという気分になる。いい小説である。

 


「下町ロケット」を途中まで読む

2011年08月24日 14時23分47秒 | 思考試行

直木賞授賞作品がオール読物に出ているので、散歩に行ったときに買い求めた。よくみると抄録とあり、なんと全文が掲載されていない。芥川賞の場合は、全部のっているのでこちらもそうだと思い込んでいた。

さすがに直木賞の場合は、実績のある作家が対象だから、思えば当然なのだが、オール読物は、ほとんど買わないので、知らなかったのである。

で、読んでみて面白い。早速、今日出かけるので、帰りにも買おうと思っている。

オール読物も決して無駄ではなかった。他の小説や随筆も、読み応えがあって、ついつい夜更かしをしてしまった。読書の楽しみが、出てきた。前後するが、選評とか授賞作家池井戸潤氏と東野圭吾氏との対談は本当に面白い。これは、雑誌ならばこそである。充分元をとった感があった。

曽野綾子氏の「夕食までの幸せ」もいい。もう80歳になられたそうだが、勉強になる。彼女は、キリスト教の信仰を持っているというが、如何にも、そうであるという感じがない。そこの本音の話はしないで、悪ぶっているところが、信者であることの表現なのかなと思った。

しかし、活動の拠点に教会が出てくるし、生活と深く関わっていることは間違いない。信仰者の生き方のサンプルであると思った。キリスト教と縁のない小生のようなものでも、違和感を感じない人である。

 


「空海と密教美術展」

2011年08月23日 10時56分29秒 | 思考試行

今朝の「しんぶん赤旗」一面のコラム「潮流」に、空海と密教美術展がとりあげられている。記事によれば、空海は8世紀から9世紀に生きた真言宗の開祖である。

今、東京上野の国立博物館で開催中とある。政党機関紙に宗教関係のことが取り上げられているのは、珍しいなあとおもいながら読み進めると、

「今、なぜ空海なのか。空海は、・・・地・水・火・風・空と人の心が障りなく溶け合う、自然と人の調和と共存をうたい上げ、・・・人を思いやり、まず人のためを考えて行動しようと、よびかけました。」

の文章にであった。そのあとに続けて

「そこに多くの人は、震災後、困難をしのぎ、助け合いながら復興に力を尽くす人々の姿を重ね合わせ、光と地、大気と水の豊かな自然の中に生きる重要性を見て取るのかもしれません。」

と結んでいる。

自民党が、震災が起こっても、政局のことばかりの考えで、菅政権をイジメまくり、邪魔ばかりして、被災者のことはまるで頭にないことを明らかにしたのと対比すると、政党の考え方の違いがよく出ている。

赤旗は、36万部あったのが、今、24万部までに落ち込んでいるという。まじめに、よく調べているし、いい新聞だと思う。奮闘してほしいものだ。

 


世界の動向をみると

2011年08月22日 09時57分21秒 | 思考試行

いよいよカダフィ独裁政権の終末が近づいているようだ。昨夜も寝つきが悪く、久しぶりにNHKラジオ「深夜便」を聞いた。

懐かしい明石勇さんが、ここにいた。エスペラント語の話が流れている。海外からのニュースであるとか、本の紹介とかいろいろあって、ゆったりと眠くなるまですごせた。

そこでカダフィの話を聞いたと思ったのだが、そうではなく、目覚めて朝のニュースで聞いたのだったか、トリポリにまで反政府軍がせまっているという。

シリアの独裁政権の命運も、もはや時間の問題のようだ。独裁政権の腐敗堕落が明らかとなって、抑圧されてきた民衆の怒りの前に、崩れ去ろうとしている。

いずれにしても、中東の動きは、新しい動向を指し示しているように思える。いつまでも、無理は続かない。あるべき方向へと動いているようだ。

日本はどうだろうか。原発について、陰謀、弾圧、抑圧、買収・・・あらゆる手段をこうじて、原発を推進してきた自民党が、今度の事故で示している態度をどうみるか。谷垣氏は、「事故後の対応がどうだったか、検証しなければならない。」などという。軽く「反省している」などというが、そこには重点はない。

報道、権力、財界、が結びつけば、ある階層の人間にとって、都合がよくなる政治が可能となる。弾き飛ばされた人々は、低賃金、結婚さえできない現実に追い込まれている。まじめに働きさえすれば、誇りを持って生きていける状況にはない。年金制度にも入れない。自民は、ここまで、弱者を追い込んできた。

こんな状況から、民主党政権ができた。弱者へ目を向ける方向が少し出てきた。それを「バラマキ」として、いま、自民党は、ことごとく潰そうとしてきている。参議院選挙で得票数では民主にまけていながら、議席配分で勝利したのをうけてのことだが、徹底的に民主政権を攻撃する。

地震対応についても、菅さんではダメだ、と言いつのり、必要な立法もさせない。協力するといいながら、実際は、意地悪くことごとく邪魔をしてきた。

中東と比べて、日本の場合は、どうだろうか。格差社会であること、そうすることを是認しているのだから、自民の方向は、カダフィに近い。当然弱者は怒るべきである。


「思った通り」だった

2011年08月21日 09時33分24秒 | 思考試行

「人間の条件」を、ついに最後まで見てしまった。やはりうすうす感じていたことになった。必然ということである。

昨夜はなんだか寝つきが悪く、さまざまに日常生活における不満がどういうわけか沸き起こってくる。戦争、軍隊、国家に振り回されることだけではなく、「悪い連中」の存在に梶は怒りを爆発させたが、そうとしか生きられない事情がつらい。

思えば似たようなことが多くある。悪のタネが、放置されている。そして、ワルの連中は、わかっていてあえて意地悪く捻じ曲げたり、悪意のきめ付けをする。

マスコミは特にその傾向が強い。正義の味方ではなくなっている。あきらかにスジの悪い旗振りがいる。これに従うタレント、評論家たち。信用ならない世相。

梶が怒った事象は、今も充満しており、これらと戦わなければならないわけだが、それは単純に怒りを爆発させておしまいとはいかない。

たゆまぬ準備をしながら、ボディブローをくらわせ続けなければならない。こちらはガードを固くしながらトレーニングを積みながら実力をたくわえながら弱点を自覚しながら克服しながら「正義」を目指すしかない。


「人間の条件」今夜最終第6部!

2011年08月20日 09時35分22秒 | 思考試行

連日の放送を追いかけて、ついに最終日を今日迎える。梶の強さは、普通ではないがそれでも普通といいたい。そうでなければ人間として生まれたのにさびしすぎる。

さて、今日の最終回、記憶が戻ってきている気もするがどうだったか確たる自信がない。今夜を楽しみにするほかない。それにしても、根気が続くようになっているのは我ながら驚く。かつてなら連載というだけで敬遠していた。

継続ということはそれだけのボリュームがあるので、短いものとはちがう迫力がある。真意がつたわってくる。それは、結構応用範囲が広い。忍耐と意志がいるけれどもその効果は違う。

たとえば、数学などは、途中を飛ばしたりすれば、スジが追えなくて興味もなくしてしまう。以前にも書いたが、マセマ出版の数学の本は、すごくいい!わかりやすくスジを追って説明してくれる。話が横道にそれるけれども、この本との出合いで、数学に興味をもつことができるようになってきた。コツコツとやっていくなかでモノになっていく。より味わいのある人生のために意外と効果があるのではないかと予感している。

ともかく「人間の条件」は今夜で終わる。ここまでみてきて、本当に良かった。いろんな題材が与えられた。これこそ芸術の効用である。ノンフィクションとは違う効果がある。

戦争は悲惨であるが、それがなければこういうドラマの世界はあらわれない。そして、起こってしまった以上は、これもまた現実であり、人間がしたことであって、貴重な教訓としなければならない。「戦争」は世界で、いまもなお続いている。

世界に平和をもたらす仕事のために、日本こそ憲法を武器にしてその役割を果たしていく「任務」があると思う。「梶」のような、そういう政府、国民となって世界に貢献していくべきである。

 

 


ツリー オブ ライフをみる

2011年08月19日 16時02分56秒 | 思考試行

ブラッドピットが出る映画ということで、協議成立、みることになった。すこし哲学的な雰囲気があるが、西洋の現代におけるいきづまりの状況もみえてくる。

冗長ともみえるストーリー展開は、息をもつかせずという具合ではなく、静かな音楽がながれるので、安心していると、どこまでいくかわからない不安感に襲われる場面もある。

だれにも思い当たる風景、状況もみえたりする。人生について、キリスト教だけしか眼中にない西洋の限界をみせられると、哲学的に、もっと深いものがほしくなる。それもこの映画の効能だろう。

宇宙、火山、生命の誕生・・・をとりあげるのなら、人類の歴史、とりわけ西洋がしてきたことにふれていないこと、対人間観が世俗か、そうでないか、の二分的な見方にとどまっていること、世俗のなかに、モラルの高い生き方の可能性など問題になっていないのは相当にさびしい。

家族関係にしぼった人間関係が、描かれているが、突っ込みどころがたくさんあって、みてよかったということになる。「そう考えているのですね。」という具合。


「人間の条件」の梶は普通の人

2011年08月19日 08時56分17秒 | 思考試行

昨日で、第4部まできた。原作を読んでいるのだが、詳細は覚えていないし、ストーリーも定かではない。こういうのは、読んだとはいえないのだが、それでも、雰囲気は覚えていて、「知っている」感じがある。

さすがに、映画のかたちでみると、大枠のことはよくわかるし、セリフの意味もとらえることはできる。戦時下の状況で、「普通の人」として、生きるとはどういうことか、まさに「人間の条件」が検討される。

過酷極まる状況に陥らざるをえない世界、説得力のある描写、日本はかつてこうだったという事実が展開する。

戦争の悲惨さばかりでなく、国としての状況がよく示される。戦争中、果たして梶のような人物がいたのかどうかは、解らないが、父親の戦争中の話をきいた限りでは、不可能と思われる。そこが映画である。

内務班の初年兵教育については、よく聞かされた。ビンタをとったり、とられたりの話。それでも、戦友会には、欠かさず参加していた。戦争に好んで行くものはいないだろうが、「人間を鍛えるには・・・」という、よくきくセリフがときどき出ていたのは事実である。

どこか、刹那的な考え方が身に染み付いていた。継続的な考え方をしない。赤紙一枚で、どこへでも引っ張られるという事実がもたらす残酷さに対応する考え方であったのかもしれない。