どうも人間の本質は、助け合いの中で、本当の生きがいや、やる気がでるものではないだろうか。個人の能力を高めるのも、それは、単純に自らの利益のことだけというよりも、そのことにより、より人の役に立つということができるところに、その動機なり、努力の源泉があると思いたい。
確かに、競争の意味で、あるいは、くやしい思いをしたことをバネにして、努力するケースもある。ただし、その結果として、その見返すばかりが、その人の喜びではないはずである。復讐の気持ちで始めたことが、結果的には、真の人間の喜びに転化することも考えられる。
それなら、プロセスには、いろいろあっても、その方向が、お互いの助け合いに向くようであれば、それでいいわけで、そこに至って、人間らしい、豊かな世界が実現できるのではないだろうか。
このたびの災害は、日本のみならず、世界の関心も集めている。他人事ではない、という感じもでてきている。人のものの考え方にも影響を与えるのではないか。
アメリカでは、保険制度を巡って、弱者を救うということについて、非常に冷淡な勢力の存在があって、それが、結構強い。こういう動きをみていると、まだまだ人間の不幸は続くとしか思えなかったが、今回の災害で、なんらかの変化が生じないだろうかと期待する。
カダフィの勢力が強いのは、金の力であろう。金にしか信頼をもてず、そこにしか生きがいをもてない人が、いかに多いか。そこから、脱却できるかどうか。実は、人類は、圧倒的にその世界に住んでいるわけで、この事態もまた、人類の行く末を示している。