空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

助け合いの効力

2011年03月31日 10時06分14秒 | 思考試行

どうも人間の本質は、助け合いの中で、本当の生きがいや、やる気がでるものではないだろうか。個人の能力を高めるのも、それは、単純に自らの利益のことだけというよりも、そのことにより、より人の役に立つということができるところに、その動機なり、努力の源泉があると思いたい。

確かに、競争の意味で、あるいは、くやしい思いをしたことをバネにして、努力するケースもある。ただし、その結果として、その見返すばかりが、その人の喜びではないはずである。復讐の気持ちで始めたことが、結果的には、真の人間の喜びに転化することも考えられる。

それなら、プロセスには、いろいろあっても、その方向が、お互いの助け合いに向くようであれば、それでいいわけで、そこに至って、人間らしい、豊かな世界が実現できるのではないだろうか。

このたびの災害は、日本のみならず、世界の関心も集めている。他人事ではない、という感じもでてきている。人のものの考え方にも影響を与えるのではないか。

アメリカでは、保険制度を巡って、弱者を救うということについて、非常に冷淡な勢力の存在があって、それが、結構強い。こういう動きをみていると、まだまだ人間の不幸は続くとしか思えなかったが、今回の災害で、なんらかの変化が生じないだろうかと期待する。

カダフィの勢力が強いのは、金の力であろう。金にしか信頼をもてず、そこにしか生きがいをもてない人が、いかに多いか。そこから、脱却できるかどうか。実は、人類は、圧倒的にその世界に住んでいるわけで、この事態もまた、人類の行く末を示している。


どうするかの選択

2011年03月30日 11時05分20秒 | 思考試行

被災のあと、どのように生活をたてなおすか、どういうプランを作るのかが、大きな課題となっている。

すべてといっていいほど、街のすべてが、破壊し屈されて、今は、どこから手をつけたらいいのか解らないという現状であるが、ゼロからの出発となれば、まったく新しい観点から、新しい街づくりも可能ということでもある。

自治体では、さっそく、プラン作りに着手しだしたところもあるようだが、こういう方面の専門家に限らず、創造的なプランがあってもいいのではないだろうか。広くアイデアを集めたいものだ。

社会制度や、ものの考え方にも大きな変化が起きそうである。この機会に、たくさんの教訓や、進歩があれば、災害を転じて、人類の財産となすこともできる可能性もある。

その意味では、昨日のチャリティサッカーゲームは、実にいい試合だったようだ。観客も大勢詰め掛けて、多くの力の存在が、被災者のみならず、世界を激励したし、当の選手自身も激励されたことであろう。

助け合う姿は、本当に美しい。感動的である。

政治の世界は、そうはいかないようだが、基本的姿勢として、イジワルなことではなく、真摯に議論を交わす場にならなければいけない。議員の皆さんは、いつまでも、エライさんであってはならない。

そんなに、エラクないことは、みんな知っている。ただ、懸命に国民、世界の人びとのことを考えているかどうかである。そういう政治家は、エライ。

そうでない権力亡者は、その正体が知られてしまえば、政治の世界から退場してもらうことである。そういう連中の時代は、終わったのである。


自民党の救いがたいアホぶり

2011年03月29日 14時13分39秒 | 思考試行

何故、福島原発を視察しに行ったのか!ときたもんだ。もしか、行かなければ、この一大事に、見に行かないとは、何事、と言うつもりだろう。

こんな質問をしているようでは、自民党は、もはや、国会を構成する議員集団としての資格はない。

普通に、協力する姿勢で臨み、心を一つにして、復興へ向かう、ということでこそ、普通の人間である。

このような質問をするヤカラは、もはや、相手にしてはならない。これが、彼らの本質なのである。競争原理をうたい、弱者を切り捨て、強者が自由であれば、それでいいという考え方である。

本当の困難にあっても、これが、彼らのホンネなのである。助けあうということを、本当にしらないようだ。これが、長く政権党としていたのだから、その間、なにがあったのか、キチント総括しなければならない。

彼らがした、すべての行為について、検証しなければならない。そこに、彼らの思想が現れているはずである。それが恐ろしくて、ムチャクチャを言っているのかもしれない。

彼らと、手を結んで、イイオモイをしてきた連中もいるのだろう。それらが、ヘンテコな動きをしているフシもある。

福島原発も、一握りの技術者だけの問題ではないようだ。すべての国民のことを、本当に、真剣に考えているのかどうかが、これから試される。

心を尽くして、相互に助け合い、なすべきことをなす。これしかないなかで、自民党の雑音は、選挙で鉄槌をくださなければ消えないだろう。


報道と救援態勢

2011年03月26日 08時54分13秒 | 思考試行

報道は、実態を伝えるべく、あらゆる所へ出向く。そして、救援態勢も、すべてのところを対象に、くまなく組まなければならない。

ところが、救援態勢が総合的に、効率よく展開できているのかどうかの把握が、報道を見ていると把握できない。

どこに、司令塔があって、どのように情報がそこへ集まり、どのように必要な手立てがとられているかどうかが解らないのである。報道と救援態勢の連携が、感じられない。

救援本部と、取材陣との連携があるのかどうかであるが、報道されたものを見て対策が取られていることもあるようだ。ただし、システム化しているようにはみえない。

救援本部の情報収集と、その判断の報道。そして、救援態勢の効果的な整備は、密接な協力関係が必須であろう。どこで、何が足りないのか。なにが急がれるのか。そういうシステムは、必要である。

今回の災害で、いろんな教訓が生まれるだろう。日常的な対処がどのように取られる様になるのかが問われている。


助け合いにこそ人生の真髄あり

2011年03月25日 10時01分58秒 | 思考試行

人をけとばし、利用し、そのことでもって、自分の利益とする。これもかまわないという価値観から、何が生まれるだろうか。

このたびの大震災で、人びとがどういう行動をとり、この困難な状況から立ち直るかと考えるならば、当然の結論がでる。

人は、やはり助け合わねば、生きてはいけないのである。

この状況で、円高が続いている。復興にむけて、円が必要となるから、円を買い占めているヤカラがいるというわけだ。

マネーをしこたま動かせる勢力がいる。この存在は、何を考えているのだろう。世界を自分のルールで動かし、自分の支配態勢を確立したいということだろうか。

個々人にとっては、大層な資産や、食料は不要である。恐るべき巨大な資本を有する者が、支配の覇権を、争そうことによって、そのとばっちりを弱者が受ける構造が、問題になる。

貧富の格差。小泉政権が、アメリカのポチとなって、日本の助け合い構造を崩壊させ、格差は、顕著なものとなってきている。いまや、日本の良さが崩れようとしている。

富者と貧者、すなわち現代の貴族と奴隷を作り出した。

こういう構造は、無くさなければならない。人類の課題でもある。

伊藤計劃氏の「ハーモニー」は、こういう問題にもきりこんできている。なにもかも管理された世界の息苦しさは、人間的でないけれども、それ以前の、奴隷と貴族の関係は、最悪である。


目に余る偏向報道、イジワルぶり

2011年03月23日 11時40分03秒 | 思考試行

民放テレビのmbs、tbsは、特にヒドイ。彼らは、明かに、民主政権をこころよく思わない勢力の下請け行動をしている。

とにかく、そのイジワル加減は、ハンパではない。不愉快になるので、見ないようにしてしまう。それではいけないと、批判的には見るが、生理的に受け付けないぐらい不快である。

mbsのスミは、おどやかな作り笑顔をしながら、その本音は、けっこうヒドイものがある。民主のこきおろしに、懸命である。

出演者全員というわけにもいかないが、スミの醸し出す雰囲気にながされている、傾向がうかがわれる。そのようにして、風評を流すのである。

ナニサマと言いたいほど、見識があるかのようによそおい、「ヒトコト」を述べる。あたかも、庶民の代表的意見であるかのように。悪質である。

報道機関は、影響力があるといっても、信頼をなくせば、それでおしまいである。どうやら、そのときが近いのかもしれない。

いつまでも、国民をバカにしていると、しっぺ返しを受けることとなるだろう。


いろいろ見えてくる実態

2011年03月22日 10時20分08秒 | 思考試行

未曾有の大災害。これに、どう対処するのか。日本のみならず、世界にとっても、大きな問題を提起された。

どうしても、助け合わなければ、生存ができない。それは、「国旗」とか、「国家」とか、そういう問題ではない。

生身の人間が、どうして生存していくのか、という、もっとも原初的な課題である。ここに、本質的な、問題が、つぎつぎと提示されてきている。

朝日新聞が、当初、新聞の見出しに大きく、「政府の後手後手」云々というのを出した。これは、何ともいえない不快感を、催させた。記事とは、関係ないようにみえた。

みんな懸命に、頑張っているなかで、何と意味のない心無い見出しにするのか。ここに、政権党に対する、へんな動きをする勢力の存在をみる。

こういう連中は、本当に、災害のなかで、苦しむ人びと、それを見て、心配し、できることをやろうとする人びとの、まともな心を知らない連中である。

これが、従来の支配者の共通する心情ではないか。彼らは、自分達と、その身内だけのことしか念頭にない。自民党は、菅さんの提案を蹴った。政権の延命に力を貸すことになるという。同列である。

いまは、そんな時期ではないだろう。全力で協力すればいいではないか。彼らの本音は、そこにはない。口では協力といっても、実際には、何か不手際はないか、とイジワルな目で見ているのである。

この視線こそ、国民とは違う「エリート」の視線である。いま、この時期に、どういう行動をとるのか、これが本音を示している。

助け合うという最も基本的な、人間らしい、生き延びるための手段。そこには、ドラマがある。本質がある。いま、それが、展開されている。見逃してはならない。

自民党が本当に政権をとるためには、本当に国民のことを考えるようにならなければならない。はたして、それが、できるだろうか。今、それが試されている。


危機管理と国民

2011年03月12日 14時33分18秒 | 思考試行

大きな災害で、驚くばかりであるが、それでも、混乱を最小限にしながら、パニックを起こさないで、行動する政府、国民、自治体、及び、報道は、しっかりしている。

与党、野党の区別なく、足の引っ張り合いをするような、馬鹿もいない。

とんでもない災害だが、これに対処するなかで、多くの、教訓が生まれるのではないか。また、そうでなければ、ならない。

禍福は、まことに近しいと考えたい。

誰が、という世界ではない。それぞれが、力を発揮して、新たな水準へと進歩していきたい。

財政的にも、必要な計算をして、募金を提起したらどうだろうか。目標額を設定して、提起できれば、なお良い。小生はもちろん応じるつもりである。

こういう人は、大勢いるに違いない。企業も、多くのダブツキ資金があるかのように言われている。この際、全力をあげて、この危機に立ち向かおうではないか。


文藝春秋4月号の「これが私たちの望んだ日本なのか」について

2011年03月11日 10時05分33秒 | 思考試行

「警世の紙つぶて日本の叡知125人」の副題がついている。

何が叡知だ!といいたいようなものもある。自分の専門から、無責任な発言もある。著名な人物ばかりであるが、指針を示すようなものは、総じて少ない。

西川善文氏は、あからさまに、自公を応援しているが、意趣返しの雰囲気濃厚で、政権交代の意味なんか一顧だにしない。こういう人物が、銀行のトップをやるんだな、と認識を新たにした。

救いは、いくつかある。金子氏の「餓鬼化現象」は、正に同感である。モンクを言う顔を餓鬼という表現は、ああ、そう言うんだと感心した。

それと、柳田邦夫さんの「命を大事にする国を」に、大いに救われた。日本にも、慧眼の士がいるのだ。公平な、説得力のある見識。125人のラストに登場する。この特集は、この一文がなければ、まったく意味がない。逆に言えば、この一文があるから、他の文も意味を持ってくる。みんながみんな、良いとも言えないし、悪いともいえない。

だが、明かに、駄目なものがある。それを示してくれるのが、柳田さんの一文である。これがなかったら、文藝春秋は、もう二度と買わないぞと、思ったかもしれない。

 


かつての活動仲間が、不遇になっていた。これも菅さんのせいにするの?

2011年03月10日 23時19分32秒 | 思考試行

文藝春秋4月号を見た。菅さんの社民連時代の仲間だった田上等氏と偶然であった記者が、今や、ホームレスになっている田上さんを取材した。

人生の岐路がいくつかあって、菅さんからも何度か、秘書に・・・とか、誘いがあったようだが、プライドが邪魔したのだろうか、断っている。

それにしても、高学歴で、親も政治家で、運動家であったわけだから、その境遇は、あまりに対照的ではある。

市民運動を、真剣に取り組んでこられたのだが、人に騙されたり、打つ手をまちがったり、結局、ホームレスになったという。本当に、人生はいろいろである。

生活保護は、受けないという。捨ててある本を、古本屋へ持ち込むのが、収入を得る手段であるという。

プライドが、生活を破壊している。助け、助けられる、その関係を持ちたいものである。困ったときは、助け合えばいいではないか。


今日は、東京大空襲があった日

2011年03月10日 10時19分28秒 | 思考試行

ニュースで、NHKが取材を東京都に申し入れたら、都が断ったという。わずか、2,3時間の空襲で、10万人以上の人びとが亡くなった日である。今日は。

朝早くのニュースだったが、アナウンサーが、その顛末を述べる。「平和祈念館」を建てるとして、遺品を都が集めているのだが、死蔵しているという。遺族にとっては、貴重な遺品であるが、平和のためにと、都に預けたものである。

都議会で、この祈念館の建設が決まらずに、遺品が死蔵されている。もう10年になるというニュースである。

三月十日は、まだまだ、寒い。98歳になる一人暮らしの女性が、そのときの経験を語る。墨田川に入ったときに、夫は、寒さに凍え死ぬ。そして、背中におぶっていた子供も、気付いたら亡くなっていた。そして、自分は何故、死ななかったのかと考えて、子供に背中を守られていた、それを語る。

そのときに、子供さんが着ていた服を遺品として、都に預けていた。それを、返してもらい、今は、民間の展示施設で展示しているという。

今は、皆さんに見てもらえるので、感謝していると、笑顔で話している。すばらしい、ニュースであった。

本当に平和を望むのならば、やることはいくつもある。石原都知事の、酷薄ぶりが見える。戦争勢力の本音がここにもある。

 


「虐殺器官」を読む

2011年03月09日 07時45分55秒 | 思考試行

作者は、すでに故人となっている。すごい、作家である。サイエンスフィクションとか、ミステリーの分野の作品ということになるらしいが、人類の行く先を暗示していて、新しい世界をみせてもらった。

今の国会の様子をみていると、この作品にみられるような、国民不在の思考方法が、顕在化しつつあることが、よくわかる。

西田議員のような質問や、その後の展開を見ていて、その酷薄無情の自民党の体質がよくわかる。公明党もそうだ。共産党も、残念ながら、こういう事態を機械的にとらえてしまったところに、大きな失望感を覚える。

柔軟で、のびやかな感性。新しい展開を考えないと、人類の将来は、まことに危うい。

「虐殺器官」は、多くの示唆を与えてくれている。わずか35歳の生涯であるが、大きな仕事をしたと言える。この新しさに、学ぶことは多い。政治家諸侯も、是非読んでほしいものだ。

小生は、書店で、いわゆるヒラヅミになっていたので、何の先入観も持たず、本の帯をみて、購入したのだが、みんな良いものは、よく知っているということを、本当に頼もしく思う。

いいものが、チャント売れている。国民は、みんなバカではないのだ。


マスコミは、ヘンである。

2011年03月08日 08時46分05秒 | 思考試行

変、偏、・・・程度が悪い。彼らの日常生活はどうなっているのだろうか。

さぞや、お金をジャブジャブ使って、「健康的」なことだろう。

ひょっとすると、いやしい、つまらない、しょうもない生活ではないのか。金にモノをいわせるセレブの生活をして、ウソばっかりの人生。

自己利益ばかり、弱者のことなど、なんの関心もないのだろう。

コメンテーターも、勝手なことを言っているが、そこにも、真面目な香りはしない。

かれらの、生活ぶりも知りたいものだ。

自民党、公明党、・・・

こんなのに騙されている人が、どれだけいるのだろうか。公明党の連中は、はやくも、クチコミの選挙運動を始めている。

地方選の候補者の名前を、口に出し始めた。なんという、組織力。従順な、「確信」ぶり。彼らは、どこへ行くのだろうか。根本のところがおかしいのだが、はっきりした指摘がされていない。

これも、ペンディングの課題の一つである。

 


人種は、二種類?いや三種類?

2011年03月07日 10時49分07秒 | 思考試行

意地悪な人、良い人、どちらにもなる人。

どうやら、三種類ぐらいは、ありそうな気がする。

前原さんはどうみても、カッコいい!脇の甘さもいい。脇の固いヤツなんて、なんの魅力もない。しかしながら、あんなにオトコマエで、言うこともいいし、まちがいなく、政界の至宝であろう。

スッパリと決断する。西田君とおなじ京都選出だが、真逆の、京都らしい粋さもある。

しばらくは、また、充電すればいいと思う。

その間、報道姿勢を見ると、赤旗は若干問題がある。「故意でなければ、問題ではない」ことには触れておらず、イジワル路線に入ってしまっている。

市田さんは、真相究明がどうたら、こうたら言っている。

苦学して、成長してきた前原さんと、焼肉屋のオバちゃんの話である。共産党らしい言い方があるのと違うだろうか。

センスが少し悪い。

スジを通しながら、粋な考え方を提示してほしいものである。それにしても、事件が起きると、さまざまな風景が見えてくる。

どうなっていくのか。世間は、馬鹿なのか、かしこさんになれるのか。地球は狭くなり、あちこち問題だらけである。

いま、我々は、そこで生きている。さて、生存を続けることができるだろうか。自分達で選択しなければならない。どうやっていくのかを。


前原さんの責任はあるのだろうか

2011年03月06日 11時07分22秒 | 思考試行

西田議員のあの表情は、何だろうか。善人だろうか。悪人だろうか。正義の味方だろうか。

どういう種類の顔とみたらいいだろうか。

前原さんはどうか。苦学して、努力してきた人らしい。顔つきは、ハンサムだし、目元涼やかである。

今回の事件も、悪質かどうかといえば、何らの問題はない。実際に、在日の人が、献金している例は、いくらでもありそうな気もする。

あえていえば、陥れることも可能な規定である。だれも、そんなチェックはしないところであるし、規定も故意でなければ、問題ではない、としている。

小さいころから、付き合いがあった在日のオバサンが、献金をしてくれていたという。それが、外国人から、政治献金を受けてはならない、というルールに違反しているという。

オニの首をとったように、口汚く吼えまくる西田議員の顔、口振り。これが、自民党の議員だ!!

それに従う公明党!

まだまだ、人類は、大変なプロセスを経ないと、一人前には、なれない現状にある。少しずつ、いい方向へと行きたいものだが、なかなか大変である。

まずは、最近の世相は、スジが悪くて、直視するのが辛いけれども、これが、現実であるとみて、改善の方向を目指して、努力するほかない。