人を圧倒したり、恐怖に陥れたり、相対的に有利にたとうとしたり、優越感にひたりたい、という気分のままでは、幸せとはいえない。富と権力をうるために、一流大学を目指し、その後についても、ひたすら競争の連続。なにを目指しているのかといえば、上に書いたようなことで、あるとすれば、それが実現したとしても人生の勝利者といえない。
突き動かされて、どうしようもない衝動で芸術の世界を生きる人がいるとすれば、彼は幸せだろうか。生きているうちから、経済的にも恵まれる人は稀で、これもまたたいへんな生き方かもしれない。しかし、それ以外選択肢がないとすればそれはしかたがないし、その芸術の力は、他の人々に大きなプレゼントをしているかもしれない。
優秀な頭脳をもち、選び放題で、職業を選択したという人の話を読んだことがある。周囲の状況に、左右されないで、自分の信念のままに生きられる、として裁判官になったという。その実態は、どうだったろうか。その後、その人は政治家になっている。
最初から、トップではないから、さまざまに妥協があり、常に信念のままにということではなかったろう。それでも、誰かの意志どおりに動かされるほかない人に比べれば、良かったと思えるのかもしれない。
結局一方的に、自らが世間に向かって、どのような態度でのぞむのかにかかる。利他的に、考え行動する人は、利己的にふるまう人に比べて、はるかに質的に人間らしい暮らしを生きていると思う。経済的には恵まれないとしても、それが幸福感の中心を占めているわけではない。もっと多様で、豊かな世界がそこにはある。