空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

何に対して本気となるか

2012年02月29日 09時39分02秒 | 思考試行

人を圧倒したり、恐怖に陥れたり、相対的に有利にたとうとしたり、優越感にひたりたい、という気分のままでは、幸せとはいえない。富と権力をうるために、一流大学を目指し、その後についても、ひたすら競争の連続。なにを目指しているのかといえば、上に書いたようなことで、あるとすれば、それが実現したとしても人生の勝利者といえない。

突き動かされて、どうしようもない衝動で芸術の世界を生きる人がいるとすれば、彼は幸せだろうか。生きているうちから、経済的にも恵まれる人は稀で、これもまたたいへんな生き方かもしれない。しかし、それ以外選択肢がないとすればそれはしかたがないし、その芸術の力は、他の人々に大きなプレゼントをしているかもしれない。

優秀な頭脳をもち、選び放題で、職業を選択したという人の話を読んだことがある。周囲の状況に、左右されないで、自分の信念のままに生きられる、として裁判官になったという。その実態は、どうだったろうか。その後、その人は政治家になっている。

最初から、トップではないから、さまざまに妥協があり、常に信念のままにということではなかったろう。それでも、誰かの意志どおりに動かされるほかない人に比べれば、良かったと思えるのかもしれない。

結局一方的に、自らが世間に向かって、どのような態度でのぞむのかにかかる。利他的に、考え行動する人は、利己的にふるまう人に比べて、はるかに質的に人間らしい暮らしを生きていると思う。経済的には恵まれないとしても、それが幸福感の中心を占めているわけではない。もっと多様で、豊かな世界がそこにはある。


虚構と真実のはざまで

2012年02月28日 20時29分36秒 | 思考試行

ドキュメンタリーと小説のちがいは、片や、真実を追及するのに対し、片や、脚色やあり得ないこと、空想などを付け加えて話しをつくることにある。それで、小説は、意味がないのかといえば、ドキュメンタリーとは違う効用があるのは間違いない。

すべて、ドキュメンタリーばかりであると、なんと味気ない人生になるだろうか。映画や演劇がもたらす効用というのは、実生活にない感動をもちこんでくる。そのことによって、人生に彩りと生きる糧となっている。

昨日、「さゆり」というハリウッド映画をみた。「ある芸者の記憶」という意味の原題がついている。日本語も時折でてくるが、外国語として出てくるにすぎない。

あくまで、英語劇なのである。最初は違和感を禁じえない。渡辺謙さんや、役所コウジさん、工藤ユキコさん、桃井カオリさんらの日本人俳優も英語でセリフをはなす。主人公は、日本人ではなく、見たことのない女優さんである。

物語は、芸者の一代記である。ほとんど、真実から取材したと思われる。外国人にとっては、本当に珍しいものに見えたものではないだろうか。映画そのものは、最後までみれば、当初の違和感はなく、さすがに、いくつかの部門でアカデミー賞をとっただけのことはあると感心させられた。

国際的な力をあわせて、出来た作品である。映画芸術の意味を知らされた。


実行すること

2012年02月27日 08時57分52秒 | 思考試行

昨日、ちょっとした修理をした。以前から、課題としていたものだが、その手順や方法について、考えをめぐらしていたものの、実行には至らないできた。なにしろ着手するとなれば、面倒が先にたつ。

それほど、日常生活には関係がないので、放置してきた。昨日思い立って、考えていた手順で実行に踏み切った。まずは、道具作りである。高枝バサミの先の刃の部分を掴めるように改変し、次に、考えていた手順にはいる。

もう何度か、実行しているのだが、うまくいったと思っても、取り付け方が不充分で、位置が変わっている。これでは修理の意味がないので、二箇所でとめるようにすることをアイデアとして、あたためていた。

改造高枝バサミで、そのものを回収する。そして、二箇所のとりつけ用の針金(ステンレスにしている)を、ブツにまきつける。余裕をもたせて、しかし、はずれないように工夫する。

そして、もとの位置へ、移していく。重力に抗して、空間にブツが浮かぶ。物を、とりあえずの位置におき、階下へ。下から、針金を引っ張り、半固定する。再び二階へ。改造高枝バサミで位置の調整を完了して、再び階下へ。

バランスをとりながら、針金を張り、固定する。完成である。頭の中で、いろいろシュミレーションをしていたので、意外にスムースに仕事はすんだ。そして、今朝は両太ももの筋肉が、快くいたい。


建造物と人間

2012年02月26日 09時24分19秒 | 思考試行

仕事というのは、一瞬にして済むものは、少ない。大抵は、長年の習練が必要であったり、技をみがいて、あるいは、試行錯誤をくりかえしながら、完成をめざしていく。

ヨーロッパの重厚な石造りの建造物や、彫刻などの美術品をみると、特にそのような人間の努力の積み重ねに思いをいたすことになる。ただ、そのなかにいる人間となると、黙って威厳を持った態度でいれば、それらしく見えているとしても、内実は、これらの造形物の水準に、伴わないように思えてしまう。

権威であるとか、衣服であるとか、いろいろ飾り立てても、揺れ動く頼りなさは、蔽うべくもない。仕事の成果は、かくも生身の人間の実態を、明かにし、暴き立てる。感心するよりほかないではないか。

人間をふくめて、自然というのは、まさにあるべくしてあるように見える。人間の営みによるキズを加えながらも、大きな法則のままに、推移していく自然。

舞台となる膨大な時間のなかで、人間の認識世界は広がり、その終末までの見通しまで、たてている。浅薄な科学知識であってもその確からしさは、理解する。そのなかで、今をどう生きるのか。われわれの世界のなかで、個としての認識世界を広げて、生きる喜びの発見のための仕事ができないものか。


橋下大阪都構想について

2012年02月25日 09時04分17秒 | 思考試行

コンビニで、偶然「体制維新ー大阪都」の新書版の本をみつけて購入した。堺屋さんと橋下氏の対談もはいっていて、大阪都構想が、何を言いたいのか、おおよそのところを把握した。

このように、体系的に意見を聞いてみると、やはり説得力がある。選挙で勝つ要因がきちんとある。単なるワンフレーズの劇場型政治家ではない。仕組みを変えないと、今のジリ貧状況から、脱出はできないという思いに圧倒される。

橋下氏の仕事ぶりは、組織運営のうまさが抜群であることと、その決断が政治の役割を踏まえたものであり、議論をしながら、決定までの道筋が明確でわかりやすいことである。そして、実行するのに公務員の力を充分に使っていることである。

民主党が、政権交代したものの、官僚組織との関係や、参議院選挙でのネジレのために、その成果をなかなかうみだしにくいのに比べて、大阪府での成果や、大阪市での改革のすすめぶりは、まことに鮮やかである。

本のなかで、政治の役割と、行政の役割をふまえて、行政のプロたる公務員の使い方が、スマートであり、そのやる気をうまく出させていることである。それは、まさに、組織の特質を知っていることから、出発する。民主党が官僚の仕事をとりあげたような形になったのとは、全然違うのである。

そして、思想調査のような問題について、撤回も速やかにするし、今朝の朝刊では、維新の会の議員の口利き問題で謝罪とある。変更したり、謝罪することにはこだわらないのである。間違ったら正せばいいのである。それは好ましいことである。

この本を読んで、彼は、決して独裁ではないし、時代の要請に沿う新しい政治家であると思った。

 


検察の改革はどのようにする?

2012年02月24日 09時41分18秒 | 思考試行

小沢氏が元気になってきた。刑事被告人だから、まだ本格的にということではない、というが、なかなかどうして、朝日朝刊のトップ下に写真入りで登場したかと思えば、今朝は、大きく紙面を、まるまるしめる特集のインタビュー記事がでている。

国の行く末を嘆いてみせ、橋下氏をもちあげて、まだまだ政治の世界で自分がやるという意欲を漲らせている。検察の取調べが、彼を救ったような形になっているのが、皮肉である。

検察は、強引な取調べを慣行的にしてきたようで、だれも抵抗できない最終パワーをもっていると自負してきた。戦中の共産党に対する無茶苦茶な弾圧をはじめ、数多くの冤罪をうみだしてきた。

裁判官は、一旦検察が起訴したものを、無罪とすることは、できないという検察支配が続いてきた。では、検察は、今日の状態からどうすればいいのだろうか。

すべては、公開すればいいのではないか。取調べのすべての記録を徹底する。今は、多くの技術がある。これを駆使して記録する。公平な取調べを貫徹する。

そのことによって、検察の真の役割が貫徹できると思う。小沢氏の問題にしても、彼がいかにして蓄財が可能だったか、その財力で、多くの秘書軍団を動員して、議員を作り出してきたのか、この背景には何があったのか、すべての取調べの経緯が記録されていれば、「隠しどり」でアタフタすることもない。

検察の改革は、決して難しいことではない。公平公正であればいいだけのことである。


ドラマの面白さ

2012年02月23日 19時13分50秒 | 思考試行

現実から取材することもあるけれども、まったく架空の場合もある。現実は、そうは面白くなくても、ドラマとして、脚色されるとそこに魅力的な世界が出現する。

ドラマをみることによって、感動し、心を揺さぶられる。それが、生きる糧ともなり、刺激されて、新たな認識の世界があらわれることもある。ドラマの存在意義、役割がでてくる。

朝のドラマ「カーネーション」は、有名な女性デザイナーの一家と周辺の人々がモデルとなって、登場する。大阪の南部岸和田が舞台で、ダンジリが登場人物たちの「精神的」なバックボーンとなっているサマが表現される。

ことばづかいといい、ドラマに、大阪岸和田の雰囲気がでていて、生き生きしている。ドラマは、明かに現実とは違うのに、説得力があって、本当に面白い。

すさまじい姉妹ケンカが展開される。ケンカしながら仲がいい。エネルギッシュな人々の懸命に生きる姿は、感動的である。俳優陣の努力や、キャラクターが大きな役割を果たしている。ウソとしっていながら、ドラマをみて、泣いたり笑ったりしている。人間というのは、本当におもしろい存在である。


老後のくらし

2012年02月22日 12時27分51秒 | 思考試行

もうすでに老後なのかもしれないが、本人としては、もう少し先の話のように思っている。今は、なんとか現役に近い仕事をしているし、さしせまって困難なことはないから、そう思っているだけで、いったん事があれば、直ちに、困ることになる年齢なのは明らかである。

今後のことは、施設に入るとか、あるいは、助け合って生きる方法とか、具体的なことを考えていかなければならない。スムーズにいつ死んでもいいような状況を、準備しなければならない。

まごまごしているうちに、そんな年齢になってしまっている。まだ、親がいるので、どこか、自分の問題として考えなかったキライがある。ケアしていることで、どこか、まだまだの気分があった。

その親も徐々に、体力の減退をみせる。その日は、あきらかに近づいている。まあ、どちらが先かは、わからないのであるが、順番みたいに考えているところがあって、猶予があるかのように思ってしまっている。

いつのまにか、時がすぎている。残された時間を、どのように使っていくのか、これからが、大事である。

あせらず、少し先のことまで、計画しながら、見すえながら、その日その日を、しっかりと生きていこう。


競争しか知らないのはチョイトさびしい

2012年02月21日 10時52分57秒 | 思考試行

受験戦争を勝ち抜き、就職戦争を勝ち抜き、出世競争の中で、大抵は、おおかれすくなかれ、挫折し、年金生活へ。年金額でも競争?もう競争しなくていいだろう。というか、もう、どうにもならない状態だ。

商売でも競争、国同士も競争、地域で競争。恋愛も結婚も、競争がある。

競争しないと、生きてはいけない構造のなかで、みんな生きている。適当な線引きがあって、いい塩梅のところで、競争原理が働いていればいいのであるが、なかなかうまくはいかない。望みはかなえられないことがおおい。

生きていくことは、なんとたいへんなことだろう。行き過ぎたり、足りなかったり、境遇の違いによって、随分差ができたりする。不合理、不条理がある。

それで、競争がなければいいのかといえば、恐らく、それでは、生活自体が成り立たない。生きてはいけない。であれば、競争の渦のなかに、単に、飛び込むのではなく、そのなかで、自分なりの方針をたてて、泳いでいくことだ。どこで、競争するのか、負けるのか、負けるが勝ちということもある。

その境遇のなかで、変化し、対応し、譲り、頑張り、健全な状況を目指して、生き抜いていく試みを続けるほかない。あっさりと諦めるのもよし、ガンバルもよし、臨機応変に、したたかに楽しく、味わいながら、感動しながら、課題を持ちながら泳ぎ続ける。単純化しないのが生きるコツかもしれない。

 


橋下ブレーンの数は多いか

2012年02月20日 09時10分30秒 | 思考試行

何か仕事をするのに、適正な人数はどれ位か。それは、やり方にもよるし、経費などの制約もあるだろう。橋下ブレーンの特徴は、やりたい、と思う人が集まるところにある。

経費は、かかっていないし、改革しようとする熱意がある。そして、アンケート事件のようなことも起こる。ここで、橋下氏自身が止めてはいないところに注目する。ブレーンの案を基本的に実行する構えであり、任せる姿勢がある。失敗があっても、それは自分の責任とする構えがある。

既成の官僚組織を変えようというのだから、人数は相当必要だろう。人数云々の話しで、この動きをとめようとするのは、おかしい。仕事の中味が問題である。

民主主義が本当に根付いているのかといえば、実態は、弱肉強食の世界であり、不公平、理不尽、既得権益の温存、がはびこっている。民意重視を強調しているが、どこまで実行できるのかは、このブレーンの働きが決める。要はその実行の中味が重要である。

今までの、政治の動きと違うので、たしかに、エネルギーを感じる。アンケートの中止は、方向転換の可能なところを見せた。アンケートには、危険性があり、そこを過小評価しているきらいがあったが、ギリギリ察知して中止した。

やるべきことを、やっていく、そのための統治構造を作りたいのだろうが、実行する中味がよければ、それは自ずとついてくるはずである。統治機構がその邪魔をするのであれば、そこで、せめぎあいをすればいい。


神がいるのかいないのか

2012年02月19日 16時38分27秒 | 思考試行

神がいるとして、生きるのがいい、という考え方がある。それで、都合の悪いことはないという。そうだろうか。モラルは、神がいてもいなくても、確立させることは可能だと思う。いや、やはりできないか。

神って一体なんだ。キリスト教や、ユダヤ教、あるいはイスラームの神のことか。多分そうに違いないが、この神は、イスラームからみれば、みんな同一の神であって、違いはないことになるのだが、現実の宗教派閥は、さまざまに分かれているから、とても同一の神をなかよく「あがめている」という風にはみえない。すさまじい競争なり、闘争がある。

そんな闘争を目の前にして、神をあるとして考えた方が都合がよい、などとなんでいえるのか不思議である。自然な気持ちで、あるのかないのか、そんなのわからない、というのが正直な気持ちである。

それこそ、目の前で、奇跡を連発されれば、みとめざるをえないだろうが、今までにそのようなことはなく、むしろ、神はある、といいつのる人をみれば、「信仰の弊害」をさえ感じる。

仏教と称する宗派のなかには、信徒となれば、そうとうな「自信」をつけて、不遜な人をみかける。困った信念をお持ちの方も多いようで、いささかつきあいづらい人もいる。

総じて、宗教にはまりこんでしまうと、しばられるというか、固定観念があって、見えない部分ができてしまうように思うのである。


なんでも言ってみようではないか

2012年02月18日 11時54分31秒 | 思考試行

姿、形を示して、発言すれば、必ず何らかの反応がある。ストローマンと言われるかもしれない。いいではないか。話し合いをすればいいのである。マスコミが意図的にストローマンになるのは、好ましくはないのはわかるが、その「発言」によって、その偏り具合がわかるし、意味がある。

橋下氏は、さかんに自分の意見を出している。これはいいことだと思う。また、ヘンだと思えば変えればいい。今度の思想調査について、さっそく凍結ということになった。

相当数の回答があって、それ自体に意味があるのだが、処分をチラつかせて強行されれば、回答せざるを得ないという事実がはっきりと出ている。だれも回答しないということだって、考えられるのに、回答があったこと自体に効果があったといえる。圧力に弱い実態!

最後まで行かずに、橋下氏も了承したという。変更をすること自体に意味がある。都合が悪いとみれば変えなくてはならない。強引にすすめてしまうよりもいいと思う。

何もしない、行動を始めないのは、まずい。何か言い、はじめる。行動する。事情に応じて変化していく。何もしないことも、実は何かしているのだが、それは、それでいいとしても、基本は、はっきりと動くことではないだろうか。

 


思想調査のこと

2012年02月17日 10時45分08秒 | 思考試行

橋下市長の「思想調査」が問題になっている。何重にも憲法違反であることは明らかで、これが弁護士の資格を持つ人のやることかと思う。選挙で勝てばなんでもできると思っているようだ。

ヒトラーも、選挙で権力を得、あの大暴虐を繰り広げた。選挙は万能ではない。その人自身が、どういう思想をもっていうるのか、選挙民は正しく見抜かないと、とんでもないことになる。

日の丸や、君が代を使って、支配権力を強化しようとする考え方の浅薄さ。長年の努力や、思想や、人間としての尊厳を簡単に奪っても平気な感覚。要注意人物であるとみて、対処しなければならない。

思想調査は、市役所に勤める人だけにとどまらず、「誰から」とか、「誰へ」という質問からは、当然一般市民にも広がる話であり、それを職務命令でやっているのだから、ひとり市役所の公務員だけではなく、問題になるのはあたりまえの話である。

権力を利用して、やりたい放題をやる。これは、古今東西、権力者の性向であって、逆らうものには弾圧というのが常套手段である。橋下氏は、その道をたどろうとしている。

 


ギターの調弦をして

2012年02月16日 10時33分24秒 | 思考試行

ながく放置していたギターのコードに挑戦してみようと思い立った。ジャジャーンとかきならすのが、夢で、そのためにはコードを覚えなければならない。

そのまえに、調弦しないとというわけで、これも昔に買っていたギターの本を紐解くと、チャントのっている。5弦をラに設定。以下5弦の5フラットをおさえて、4弦の開放と同じにする。3弦は4フラットだ(2弦の開放とあわす。)が、あとは5フラットと開放の比較をする。最後に6弦5フラットと、5弦の開放を比べる。6弦の方を調弦する。これで終わり。

そして、ドレミファとやってみると、なんとか格好がついている。いよいよコードを覚える段取りが出来た。さて、モノになるだろうか。今日のところはここまでにする。これだけでも指先が痛い。

この本をながめていると、多くの曲が掲載されている。楽譜とコード、そして歌詞である。知っているのもあるが、歌詞をちゃんと知っているわけではなかったから、読んでみると発見がある。

歌詞の意味を読み取れると、よくきく歌にどれだけ励まされたか、という話がよくわかる。ほとんど意味を認めていなかった自分に気付く。いい歌が多い。深い人生にたいする見方がある。それを馴染み深いメロディーで歌う。すばらしい!

本当に知らなかった世界である。新しい世界である。さて、コードを覚えられるだろうか。


映画「麒麟の翼」は名作である

2012年02月15日 21時17分07秒 | 思考試行

今日、映画「麒麟の翼」をみてきた。映画の帰りには、書店に立ち寄り、原作を購入した。原作はもちろん映画よりも、内容的には、材料が多いけれども、この映画の脚本がすばらしい。キレがあって、展開がうまく処理されていて、本当に感心した。まちがいなく名作である。

内容的にも、単なる娯楽作品ではない。推理とか警察とか、そのことが主眼ではない。人間的な生き方の問題につながる話である。極端な悪人などいない。むしろ善人ばかりともいえる。しかし、そのなかに「悲劇」のタネが発生する。

日常生活で、大切なものを見失ったとき、大事にしなければならないものを、いい加減に処理したら、その結果がどうなるのか、真面目に真摯に、真実に向かうことの大切さを、真正面から見すえている。

青臭いだの、似たようなことをいう輩がいるとすれば、それが、悲劇のタネであることを知らなければならない。人間社会が、よりよくなるために、生きていくために大事にしないとならないものが提示されている。

今の弱肉強食的な、政治を展開してきた連中や、富の獲得のためには、平気で人を道具として扱って、平然としているような連中が溢れていること、これらに対するプロテストでもある。

それでいて、エンターテイメントなのである。すばらしい映画作品である。