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空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

自分がしていることを、他者からされたらどう思うか。・・・の視点

2008年11月30日 07時30分55秒 | 思考試行
自分がしているように、他者からされたとしたら、どう思うか。

医師で、親しみの心算であろうか、足を高く組み、言葉遣いも、上からの物言いで自己評価もさぞや高いのであろうというのがいる。

これは、見苦しい。医師は、謙虚にすればするほど、かっこよくなると思うのだが、人間の性というものだろうか。収入とか、立場で相手より優位性があるとみていると自己顕示したいもののようだ。

こういう直接的なものでなくとも、制度や、給与や、その従業員の生殺与奪をほしいままにしている世の支配者たる社長連中の、従業員の扱いは、どうだろうか。

冒頭の、立場にたって検討してみて欲しい。自分は、努力してこうなった、そうしてこなかったものは、このような劣悪な条件だって、飲まざるを得ないのだ、という感覚の人が結構多いのではないか。

自分がしているように、人からされたら、タマランと思うかどうか、反省してもらいたいと思う。人の立場にたって考えることができれば、大人である。それができない、ガリガリ亡者がいるから、世の中おかしくなる。


「繰り返し」の美をみる。

2008年11月29日 08時25分57秒 | 思考試行
繰り返し、同じことを練習する。同じ本を何度も読む。解っている心算のことも、あらためて、考え直す。できることも、繰り返してやっていないと、できなくなることもある。

そういうことの大事さを、教えてもらうテレビ番組があった。

どうしても、できないということは、諦めることも、解決の手段であるが、なにもかも追いかけるということではなく、これと決めたら、トコトンやってみることが、道を作る。

バレエの森下洋子さんが、テレビで紹介されていた。毎日、準備運動から始めて、何度も何度も、練習しているという。

団員が、訪問したアナウンサーを、どう見てもオーバーとしかいいようがない歓迎をする。不自然なのだが、それでも、繰り返し練習して、作り上げるバレエの世界では、日々新たな気持ちで真摯に取り組まなければ、成立しない芸術だから、歓迎ということも、表現すればこういうことになるのが、自然ということかもしれない。

何度くりかえしても、そこには、新鮮な世界があるのだろう。そのなかに、普通にはありえない人間群像の、魅力が溢れている。


原則重視・・・できなければ引退

2008年11月27日 16時38分17秒 | 思考試行
仕事について、なんだかペースが落ちてきたような気がする。年齢のせいもあるかもしれない。もう定年はすぎている年齢なのだから、当然といえばそうなのだが、自営業的な仕事で、誰からも辞めろとは言われることがないものだから、自分で引き際は決めなくてはいけない。

自分では、まだまだいけると思うのだが、前記に述べたとおり、冷静に考えて、能率が以前に比べて落ちてきたかなという実感がある。
そして、ミスが出てきている。つけなければならない帳簿につけモレがあり、済んだと思っている処理が終わっていない、とか、そんなことが出てきている。これが、衰えということかもしれない。

取り返しがつく、といえば、そうなのだが、一瞬のミスが致命的というような仕事ではないので、やってこれてはいる。だが、処理をしたかしないかは、重要な問題であり、これは、注意が必要である。大変な事態を引き起こす可能性がある。原則的な仕事の手順について、再考をしなければならない状況である。

受注した仕事は、細大洩らさず記録する。その進捗状況が把握できるようにする。書類の流れを、証拠だてる記録がとりわけ重要である。これを手抜きすると、何がなんだかわからなくなる。原則重視で今一度、気分を入れ替えて、仕事に取り組んでいこうと思う。さて、それができないようであれば、潔く引退するしかない。

好機到来

2008年11月26日 08時41分48秒 | 思考試行
生活の便利さというのは、振り返るとすさまじいスピードで進んできている。子供の頃は、便所は汲み取りだった。冷蔵庫なんてないし、洗濯機もない。掃除機もない。テレビもない。電子レンジ、パソコン、当然ない。車だって、個人が持つようになるなんて想像もできなかった。

町の高速道路網なんて、マンガの世界にあったことで、本当に実現するとは思えなかった。飛行機で海外旅行なんて、夢の夢であった。

今、こういうことが実現して、人びとは、どう変わったのだろうか。

人間の質は、どれ位良くなったのだろうか。昔のフイルムが、紹介されることがある。上品な感じがあるのである。

言葉遣いの差もある。それよりも、言葉の出所が、ココロが違うように思うのである。思いやりとか、心配りとか、そんなものが、もっとあったような気がするのである。

これらは、価値のないことだろうか。そんなことはないと思う。経済的に、世界同時不況を迎えかけている今、基本的な、人間とは何かを考える好機を迎えているのではないだろうか。

バリュー将棋ソフト作家に感謝します。

2008年11月23日 11時56分51秒 | 思考試行
この将棋ソフトの素晴らしさは、驚くべきものである。しかも、無料である。

将棋の好きな、まことにお人よしの方が提供してくれているのだが、その気のいいこと。人生に大きな希望を与えてくれている。

レベルに応じて、コンピュータ側の能力を変える。そして、途中、どちらが優勢かも教えてくれるのだ。

そこで、中盤、こちらが不利であっても、いけると判断して進めていくも、形勢はわれに利あらずとなったときには、待ったも可能で、適当な所まで戻すこともできるのである。

そして、初手から、見直すこともできる。ものすごい道具である。

これで、長時間をかけて、試行錯誤をくりかえし、ついに上級レベルに挑戦し、勝利を得ることができた。この喜びたるや、ものすごい快感である。

ソフトは終盤、最後のあがきを見せてくれる。もう、当方の勝ち筋が外れることはない。それでも、最後の最後までやってくる。そこも快感なのである。スマートに素晴らしい指し手をしていたのが、ほとんど意味のない絶望的な手になる。勝利の快感が押し寄せてくる。

将棋の面白いところは、一方的にすすむだけではないことである。

双方が、同程度、互角ですすんできて、必ず、先行き不明の領域に突入する。

そこで、お互いが、皮を切られ、肉を切られ、骨を切られるかどうか、といった局面がでてくる。

そこからも、選択によって、いろんなコースがうまれる。最終場面まで、複雑な道程をたどるのである。

コンピュータの場合、ミスがない。こちらの思惑が、ギリギリの不明の領域で彼を越えない限り、こちらの勝利はないので、そこが面白いのである。

冒険しないと勝利はない。肉を切らして、骨を切る場面が必ずでてくるのである。
相手も必死、こちらも必死の場面があるのである。

何度待ったをしても、モンクを言わないし、いくらでも付き合ってくれる。従って、いつもなら弱気になるところがダメモトで、これは、無理だと思う手も試してみることができるのである。そこに、思いがけない発見がでてきたりする。

それが、成功したときの喜び、これこそ将棋の面白さである。ホントにすばらしい道具を与えていただいた。

感謝しております。あなたも、間違いなく人生の恩人です。

まっとうに・・・の方向

2008年11月23日 11時06分41秒 | 思考試行
時代の変化は、誰にも止められない。それでも、その方向がどこへ行くのかの、方向性はコントロール可能だろうか。

声高に、結局人生は、金、地位、名誉だと言っている同級生が中学時代にいた。

どこか違うと思って、反論したのであったが、バクとして、自分では明確な答えはなく、高校時代に、人生は、結局学び続けて、探し続けることに意味ありとして、結論とした。人格成長をキーワドにした。

結果として、なにもかもペンディングの人生を続けてきた気がする。

この間、明確な目標というものは設けず、あるいは、設けられず、フレキシブルにきた。

今、中学時代に、明確に金、地位、名誉といっていた同級生は、地方で、本社からの出向という形と思われる社長をしていたようである。

一流大学をでて、大企業に入社、そして、今がある。彼とは、大學入試の合格発表に、同行して以来あっていない。

こちらは、大學へは行かず、就職したので、話が合わなくなったということもあったのであろう。

インターネットで名前を、検索すると、前記の事情がわかった。エライ時代である。長年あっていなくても、おおよその人生の軌跡がわかってしまう。

これからは、まさに、正直に生き様を晒して、生きるということになる。ウラやオモテや、使い分けは不可能である。

ということは、人類の歴史は、大いに変わることになりそうである。より、まっとうになっていってほしいものである。

人間、その本質。

2008年11月22日 07時51分54秒 | 思考試行
人間の暮らしのなかで、きれいごとではすまないことがある。というか、それを含めて、人間のくらしなのだが、エロとかグロとか、汚いもの、忌むべきものという扱いをうける分野がある。

性犯罪は、とりわけ、非難の程度が高い。しかし、人間誕生のためには、性行為は必須であり、誰もが否定できない事実である。しないことが上品という扱いがあって、そういう欲望をもたない人を尊敬する傾向がある。いわゆる聖職者は、性行為から離れて、その代わりとして、厚い信頼を勝ち取るという風潮が、いまだにある。

性行為そのものは、愛情の裏づけを、かならずしも必要とはしない。愛情の伴った行為と、そうでないものとの差異は、どのように考えればいいのだろうか。ビジネスであったり、神聖なものであったり、破廉恥なものであったり、状況で変わるのである。

インターネットの世界になって、およそ人類のしていることは、すべて、その気になれば、知りうる状態になった。そして、この種の、従来は、決して目にすることができなかった情報が、氾濫している。

性行為そのものを商品化することは勿論であるが、そのもの事態に抵抗なく、純粋に快楽を、楽しむという人びとが、多数いることが、知られるところとなった。

人間の本能的な動物としての欲望を、善悪の抵抗感なく、おいしいものを食べるかのような、感覚、そこには、罪悪感などはない。まさに、健康そのものである。  
むしろ、我慢をしている人や、聖職者が不健康であり、不自然であり、無理をしているのかもしれない。

このように、タブーとされている性行為を楽しむ人びとは、少ない数ではない。おびただしい数である。それでも、全体からみれば少数なのだと思うが、案外それは普通のことになっていたりしているのかもしれない。

翻って、自分の生活で考えれば、とても実行する勇気はない。旧来というか、ある種のシバリにあって、そうすることで生じる危険、恐れのほうが強いという価値観に支配されている。

家庭や、日常生活の破壊につながる危険を感じているのと、選択として、それは、なんとなく、真には健康といえないのではないか、という刷り込まれた価値観があるようにも思う。

明らかに、混乱を生じさせ、秩序を乱すことには、抑制をかけながら、快楽の世界を、適当に、健康に楽しんでいる人びとは、相当豊かな人生を過ごしているということかもしれない。

地球文明の進展を図る

2008年11月22日 06時55分54秒 | 思考試行
相互の関係を、意識しながら生活することは、煩わしい反面、合理的な側面もあるように思う。

一人では生きていけないのであるから、当然ながら、協力ないし共同ということは避けられない。

個人がそれぞれ、お互いを思いやることが自然な文化と、言わなければわからない、言っても協力するかどうかは不明で、何らかのパワーなしには進まないという文化との対比を考えれば、どちらが、省力的かは自明である。

思いやる力が必要であり、しかも、それが不要の場合も、それを受け取る度量も要求される。

必要なとき、不要のときの見極めは、通常困難のため、常に有用として対処し、常に相手の好意に感謝する心が必要である。こういう文化の特徴は暖かいといえる。

それぞれが、競争だ、吾が吾がと主張しあわなければ捨て置かれるという、低レベルの文化と対比して考えると、それは明らかであると思う。

アメリカでは、少しでも黒人の血が入っていれば、黒人といわれ、差別されてきたのであるが、その黒人が、ついに大統領になった。

時代は変わったというか、新しい段階にステップを踏み入れたということである。

歴史を振り返り、人類は何をしてきたのか、どこへ行くのか。

今こそアメリカを、ほめたたえ、そして、反省させ、アングロサクソンの行状も、天下に明らかにさせるときがきた。

多様な、人類の文化財産をいかして、地球文明の進展を図っていく時がきたと思う。

尼さん料理家の話

2008年11月21日 09時55分01秒 | 思考試行
今朝のNHKテレビで、大津市の尼さんが出ていた。39歳のとき、交通事故に会い以来利き手と、足が不自由になっているが、その後83歳になる現在まで、精進料理をしてきているという。

庭、料理、そして、この尼さんの毒舌が、このお寺の魅力という。

この人にときめき、という番組名であるが、料理をしている現場も紹介され、なるほど、厳しい叱責の声が飛んでいる。難しそうな尼さんだが、話はさすがと思った。

大体、宗教家というよりは、人生の達人という感じであって、生き方上手を感じた。達観している人は、すばらしい。

こういう生き方、考え方こそ、人類の宝であるし、共通の財産だと思う。

生死をさまようような事故や、大病の経験が、本当の生きる喜びを知るきっかけとなり、感謝の気持ちをもって、生きていく力となっている。

料理を作るについても、真心こめてやっていること、それがなければいい仕事はできない、という。

そして、精進料理を作りながら、ステーキが好きだという。尼さんも人間やでーという。

人間の可能性、肩の力の抜けた人柄に、仏教のいい面をみせてもらった気がする。

時代は変わる。謝るのなら今のうちだぞ。

2008年11月20日 18時16分02秒 | 思考試行
世の中はどの方向へ行くのか。儲け主義の破綻、新しい哲学が生まれる条件が整いつつあるように思える。

本当に人生を考え直してみると、効率や、他人との比較に生きることの空しさに人は気付くのではないか。

オバマの当選で、明らかに、何かが変わりつつある。黒人が奴隷として、売られ、人種差別を受け続けてきた。

宗教の後進性のもと、無用な争いが今も絶えない。

これらのことの解決が、すぐそこまで来ているように思う。

バカなことを、いつまで続けていくのか。庶民が気付いて、真にまともな世の中にしようと決意したときに、いままで、人を自らの儲けのための手段としてしかみていなかった連中が、ひれ伏して、その誤りを詫びなくてはならない。

真面目に謝るのであれば、こころ暖かい庶民は許してくれるだろう。さもなければこういう連中は、落ちる所まで落ちるしかないことになる。

これは、自然の流れであり、当たり前の帰結である。

いよいよそういう時代が来たということではないか。

年金テロ・・・マスコミの役割

2008年11月19日 17時56分43秒 | 思考試行
元年金官僚、家族が殺され、傷つけられた。年金テロと言われているが、どう考えても、こんなことをして、世の中良くなるはずがない。ではどうすればいいのか、問題を解明しなければならない。

こんな短絡的な考え方をする人を生み出した背景には、マスコミの報道ぶりに大きな責任があると思う。真剣な問題分析、対策、啓蒙が必要なのに、なされていない。本格的な取り組みがなされれば、冷静な対処が可能なはずである。

年金は、複雑な仕組みになっている。その条文をナマで見たことのある人は、驚くに違いない。簡単に解るような代物ではない。制度も複雑で、どのように、この計数が決められていったのか、そのプロセスを解説できる人は、恐らく、普通の一般人では不可能と思われる。

年金資金が、ハコモノに使われて、無駄遣いということで批判を浴びた。そこには、地元有力者、建設業者、政治家が絡んでいて、簡単に年金官僚のせいにだけするわけにはいかない事情があった。

そこで、このような事件がおきると、やりきれないような気分になるのだ。くりかえしになるが、本当に問題の本質をつく、解説なり、処方箋が知りたいものである。年金は制度として、現実にあるのだから、問題解明をマスコミはきちんとしなければならない。まさに、マスコミのやるべき仕事である。取材能力が試されている。

いまこそ、マスコミに頑張ってほしいのである。思えば、報道機関というのは、後追いで取材するのだが、問題が起きたときに、識者にアプローチして、問題の解明をし、解りやすく国民に提供し、状況の改善のために大きな力を発揮することになる。各社競争で、世のため人のために奮闘してほしいものである。

弱者の展望・・・読み誤りのヒント

2008年11月14日 11時56分47秒 | 思考試行
漢字を知らないということは、本を読んでいないということで、基本的には勉強不足を意味する。

政治家に、勉強が必要なのは、弱者の痛みをしり、政治に生かすことであって、そのためには、本も読まなければならないし、勉強もしなければならないということである。相対的に、自分自身の有利なポジションを得るためだけとすれば、かなりさびしいことである。

そうは言っても、資本主義社会、競争社会にあって、努力の動機は、自分自身の栄達であっても仕方がないところもある。しかし、そのなかで、社会の矛盾をしり、世の中を良くしようと、進歩していくところに意味がある。

ただ、親の世代の地盤、看板、カバンを受け継いで、神輿にのって、利益集団の代弁者を努めるだけなら、部下連中にまかせて、鉄砲撃ちでもやりながら、楽しくマンガを読んでやっていけるということか。

漢字を知らないという意味は、考えると結構深い意味がある。

カンチガイとか、読み誤りではすまないところがある。それも、常識レベルのものであれば、明らかにその人の、暮らしてきた状況が、目に見えるようである。

オバマ氏のような人は、そう簡単には得られないようにみえるが、実は、世間の本当の常識にかなった政策をする人が、実際の政治に関われて、現実の諸問題に対処できればいいのであって、それは、案外容易なことかもしれない。人がそれに気付けば。

特定の利益集団の代弁者となりはてて、弱者切捨てをいつまでするつもりか。弱者も、実力をつけて、バカな政治を転換させる日が、もうそこまでせまっているのかもしれない。

新聞記者同士の友情?・・・似ている麻生首相の読み誤り記事

2008年11月13日 08時54分49秒 | 思考試行
新聞の記事が、似ていると、ライターが誰なのかと気になる。同一人物が書いたとしか思えない内容である。

それが、今朝の新聞にあった。日経と赤旗の、麻生首相の読み間違いというか、漢字を知らないのではと思わせるような、読み誤りを指摘する記事なのだが、記者から質問があって、それに麻生首相が答えたかたちなので、似たような記事になるのは解るが、運び具合とか、別人が書いたにしろ、あまりに、似ていて、相談して書いたか、それとも、元の原稿があって、それを、同時に書いたという風にしか見えない。

新聞記者同士の、「付き合い」があるのだと思われる。

とすると、厳しい競争関係というのは、意外にないのではと思ったりする。新聞は他社に抜きがけて、ニュースを獲得して、読者を得ていくものだと思う。さすがという、独自の取材をしてほしいものである。

記者同士が、分担して、競争しないで記事を回しているとすれば、興醒めである。真相はどうなっているのだろうか。

対策

2008年11月12日 08時28分32秒 | 思考試行
投げ捨てることはしない。観察して、いい方向を目指す。

そのことによって、「改善」できればとは思っている。しかし、それは、期待してはいない。

何度も試み、結果として、逆効果になっている。期待などすれば、こちらがおかしくなる。

やるべきことを淡々となすのみである。その中でも、機会は見つけようと思っている。諦めきってはいない。

母の実像

2008年11月12日 08時17分03秒 | 思考試行
相手をリスペクトしない。感謝していない。自己都合のみ関心があり、相手の都合を考えない。傲慢か卑屈か。口先だけの言葉になっている。心がない。言葉の省略、ヘンな使い方による誤解を生じさせる。相手を低くみて、高めに出る。

感謝すべきところで、「ゴクロウサマ」という具合に、逆に相手を見下す言動をとる。お客が来ると、日常とは違う態度をとる。必要もないのに指示をしてみせる。態度が横柄になる。積極的になる。かぶせて喋る。さらに、そこへ差別を持ち込む。

自慢が好き。若く見えることを誇りにしている。自己宣伝がうまい。事情を知らない他人を感心させることが得意。あてつけをする。知らない振りをする。無視をする。

正面きって非難すると、当初は怒ってみせた。が、形成不利とみるや言い訳を始める。それは、いつか他者への悪口の材料になる。気難しい、いじめられる、ぐらいの話になる。他者に同調してもらう術を使う。

そして、「改善」を口にしても、2乃至3日もたてば、元の木阿弥である。チョット油断して、思いやると、たちまちのうちに、つけあがってくる。それが当たり前かのような態度にでてくる。

子供達が小さかったとき・・・を接頭語にする。しかし、よくよく聞くと、それは該当しないケースがある。してもらったことを覚えていない。自分から、プレゼントはしない。不要なモノを払い下げるのみ。常に、なにを人にさせようかと準備している。

自然には関心なし、デパチカへ行くのを希望する。