自分で、解っていて、屁理屈をこねるとすれば、自覚できているから、まだましといえる。だが、本気で、理屈にならないようなことを言って、恬として恥じないとなれば、これは、始末に悪い。
中国の、ものいいは、上品でなく、強引であることは、本格的に歴史の勉強をしていなくとも、解る。日本の学者や、識者が述べていることは、ウソを言っているとはみえない。
それに比べると、中国、韓国の学者らの言い分は、無理がある。学者同士ならはなしが通じ合うと思うと、そうはいかない。ここが、問題である。
真摯に、真実に近づこうとする努力をしなければ、人間の進歩はない。歴史問題も何があったかを、真正面から調べなければならない。日本は、本当にそういう態度で、事にあたってきたのだろうか。
都合優先で、変な論理を展開してきたことはなかったか、原発問題でも、人智の限りをつくしても扱えないものか、それとも、もうやめた方がいいのか、おそらくは、今現在は、最終処分のできないモノがどんどんできる危険なものである限り、もう止めるしかないではないか。
技術ができてから、再開すればいい。それが論理というものだろう。むちゃくちゃはもうやめよう。となるはずで、国民の大多数は、そういう意見ではなかろうか。しかし、実際は、そのようにはならない感じがある。
ここが問題である。本当の支配者が別にいるのである。そうではなく、国民の本当の意志の体現をめざすべきである。そこに、ほんものの政治があるのではないか。
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