空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

移転にむけて

2016年04月30日 15時59分53秒 | 思考試行

いよいよ、引越しの準備を始める。もう、長いあいだに、モノもたまり、本などもすごい量になってしまった。

とても全部は、運びきれないが、厳選して運んで、いよいよ本格的に、これらの本も活用したいと思っている。ようやく読書の習慣が根付き、力もついてきたので、片端から集めてきた本を読んでいきたいと決意している。

いままでは、何かと、仕事に時間がとられてきたが、今後は、やり方を考えて、メリハリをつけながら、この本を活かす仕事をしていきたいと考えている。

昨日、久しぶりに映画をみた。「スキャナ」である。野村萬斎、宮迫博之のコンビがよくできていて、フィクションなのに、作り方がリアルで感心した。

そして、この映画をみる行為も、一連の人生の仕事に連結していることを感じる。無駄ではないのである。今、すべての行為が、全部関係してきているように思える。これが歳の効ということか。少し、老後が楽しくなってきたのである。


投資家という富裕層

2016年04月29日 08時38分56秒 | 思考試行

若い娘が、貯金一億七千万円あるという。職業は投資家。この金は、株式売買など、金融の世界で稼いだものである。

元はといえば、どこから、その価値が来ているのであろうか。コツコツ働いて、得られる報酬では、こんな金額は稼げない。

では、誰にでも、こんなチャンスはあるのだろうか。ややこしい、ちょっとモラルに反するようなこともあるのではないだろうか。

高い金利で、人に金を貸す。キチンと返してもらえば、これは儲かるだろう。銀行のATMの機械がならんでいる上には、カードローンの猛宣伝のポスターが並ぶ。

マイナス金利で、預金者には、金利はほとんどつかない。銀行は、金を貸し付けて、利息をかすめ取る。銀行が、新しい事業や、実業の世界に投資する努力をしているかどうかであるが、これは、あまりきかない。

銀行員は、事なかれ的であり、事業家をサポートする気概があるのだろうか。そんな気風はないといっても過言ではない。


本質

2016年04月28日 09時55分28秒 | 思考試行

肝腎なことを注視する。順番に優先すべきことから実行する。逃げない。

認識しながら、進める。

何事かやるのが、人間が生きているということである。なにもしないのであれば、それは、死んでいるのと同じ。

何事か、なんでもいい。なんでもいいから、はじめよう。動き出そう。

そこから、次がはじまる。

死ぬまで、生きるのだから、しっかりと生きようではないか。

たんなる、資産を増やすことや、金儲けばかりではなく、生きるということを、考えよう。


しっかりと焦点をしぼる

2016年04月27日 11時43分16秒 | 思考試行

問題にあたるとき、焦点をぼかしてはいけない。わかっていて、わざと肝腎なところを外してくるやり方がある。

事故があって、その責任を問うのに、焦点をぼかしてくる。焦点があえば、事故原因なり、今後の事故予防に役立つにもかかわらず、そこを曖昧にし、責任の所在を明らかにしない。

JR福知山線の事故の場合、まさにそうである。歴代社長の刑事責任は問えないということになり、では、あの事故はなんだったのかということになっている。

企業の犯罪ではないかという話も出てきている。事故原因があって、あの大事故があった。にも関わらず、誰も責任がない。というのは、それはおかしい。

今後事故を起こさないためには、どこに、事故原因があり、何を改善すれば、今後の事故が防げるのか、という視点がどうしても必要である。

「カーブの安全性について、社長は知ることができなかった。」など、本当の事故原因に、正直に迫っているとは、到底思えない。

真の事故原因は、なぜ若い運転手が、あのようなスピードで、カーブに突っ込んでいったのかということである。そこには、背景に、厳しい労務管理があった。そこを触れずして、何の事故原因かということである。


やはり仕事をしよう

2016年04月26日 10時50分18秒 | 思考試行

もう年だから、いい加減に引退しようかとも考えていたが、やることが次々と出てきて、そのタイミングが難しい。

もう、なにもやることがないとなれば、辞めやすいだろうが、「注文」があれば、それに応えるというのは、自然な流れで、そうなると、辞めることは、簡単にはいかない。

気分ということもあるけれども、健康の問題もあるし、そこらは、観察しながらタイミングを探るとしよう。

人はなにがしか、人の役に立つことで、生きがいを感じることができる。純粋に自分のことばかりで行動することは難しいが、それが可能だとしても、そこには真の喜びなど感じることはできないだろう。

気持ちとして、人の役にたとうとする気で仕事をすることが重要だということを、どこかで聞いたが、そのとおりと思う。結果はともあれ、自らの気持ちとしてそう考えて、できる限り、努力することが大事であると思う。


自己都合

2016年04月25日 09時50分13秒 | 思考試行

日本人は他者のことを考えて行動するという。自分のことは後回しにして、他者を優先するという考えが思考の底流にあるというのだ。

最近、そうとは言えない現象がでてきている。欧米流の自己都合を全面にだしてきて、相手の反応により、対応を変えるというやり方である。

強い者に弱く、弱いものには、強い。こういう連中とのつきあいは、弱肉強食の原理そのままで、わかりやすいが、底が浅く感じられる。

長い目でみて、このやり方は、人生の真の喜びを齎すことはなく、即物的な安っぽいモノになりそうである。

深味がなく、闘争のみが解決の手段と思い込んでいる。隙あらば、そこから攻撃をしかけてくるから、油断できない。基本的に自己都合でくるから、よくよく、その真意を見抜き対処しなければならない。

他者を思いやることに慣れていないから、日本的な文化に、知る人は知るで、えらい傾倒ぶりを示すものもでてくるが、それが、全体として、当たり前とはならないから、要注意である。

そして、こういう自己都合を全面にだしてくる傾向が日本文化の中にも、忍び込んできているということに注目しなければならない。


結局は身の丈にあった暮らしがいい

2016年04月24日 10時29分20秒 | 思考試行

大豪邸は、夫婦二人には必要ない、というか、それは苦痛のもととなる。大邸宅、城は、他者とともに暮らすことが前提となる。他国と戦争するために、兵を養い、従者を必要とする王侯貴族の建物である。

小さな暮らし、適当な暮らしのサイズこそ、それぞれの人にとって、心地いいのではないか。大きな庭があって、植栽があれば、それらはどんどん大木となり、収拾がつかなくなる。

暮らしのリズム、サイズ、サイクルは、それぞれの課題であるけれども、社会、地域、国家にとっても、大事なこととして、考えなければならない。

すっきりした適当なサイズ、人と争うのではなく、助け合って生きていく。今度の災害で、また、そのことを思う。原発の稼働を諦めない現政権は、違う価値観を持っている。

人を蹴落としても、その人の冨を奪ってでも、自らの冨とする、そんな価値観を助長し、押し進める、そこに幸せの源泉があるという。それは違う。その是正は、力関係でしかない。

貧者が、勝つためには、認識が必要であり、投票行動で示す。甘言、策謀、言抜け、これらから、自らの価値観をうちたてなければならない。


地球の歴史と災害

2016年04月23日 12時02分09秒 | 思考試行

地殻変動や気候変動、災害の数々、地球の歴史からは、何度も、生命の壊滅的な事象が起こってきたことがわかっている。

何万年に一度といっても、それはいつ起こるかわからない。恐ろしいといえば、それまでだが、それが現実である。起こってしまったことは、その現実を受け入れつつ、一つひとつに対処しなければならないということになる。

災害にあうなかで、人は、いろいろ学ぶことになる。おろかな民族主義、イデオロギー、国家主義、宗教戦争、・・・

当然のことだが、助け合って生きていく存在の人間が、その現実を知る大きなきっかけが、災害である。その意味では、災害の齎す、いい現象といえるかもしれない。

その渦中にある場合には、とてもそうは思えないが、何か事件があれば、正負の両面がでてくる。

相対的に優劣を競ったり、順位を競うことも、やる気をおこす源泉となるのは事実だが、そこへ埋没しているだけでは、まだまだと言える。息の長い、本質的な成長、進歩をめざしてコツコツと努力するほかない。


大変なときこそ学べるとき

2016年04月22日 11時56分33秒 | 思考試行

災害や困難なときこそ、日常気付かなかったことが見えてくる。問題点が浮き彫りになってくる。熊本地震は、今、そのことをつきつけてきている。

国、地方、財界、会社、それぞれどういう対応をとっているか、各政党の動き、マスコミ、そして被災者自身、周辺の支援活動。

如実にでてくる。言い訳は通らない。パフォーマンスは邪魔だ。本質が問われる。本当に国民のためになる気で行動しているか。

この一点で、物事がはかられる。マスコミの手をしばり、秘密保護をうたい、憲法をかえ為政者がやりやすい、構造を変えようとしている動きの最中で、この災害が起った。

国民は、考えなければならない。任せてはおけない。自分の頭で考え、誰が何を考えているのか、判断しなければならない。

誰がなにをし、何をいい、何を誤魔化したがっているのか。世界は、盲目ではない。日本の報道自由度が世界、72位と言う。否定できない事情がある。安部政権は、まことに危険である。

この災害時にそれを見抜かなければならない。


自分はこうした、それであとは知らねえ

2016年04月21日 20時16分48秒 | 思考試行

政府が、支援物資の総量をペーパーで流した。こんだけ大量の物資を流したというわけだ。被災地では、物資の配達、分配に苦労している。人手の問題、機材の問題、いろいろかかえてうまくいかないこともある。

それをなんだ!物資が、うまく回っているかどうかを心配しているとは思えない。政府はやることをやったよ、と言わんばかりのペーパーである。

被災地は、現実の対応を求めているのであって、役割分担をそれぞれがどうしているかではない。被災者を、心から心配し、どうすればうまくいくかの観点がない。

決定的な落第点である。本音がすけてみえる。自分はやることをやった、あとは、そこの担当者がやればいい、てなもんだ。

こういう役人根性が、事態の改善を邪魔し、物事をうまく進めるための障害となる。災害はこういう実態を、残酷なまでの明らかにする。

人を支配し、差別を持込み、人をクイモノにする連中の感性である。よくよく見ておかなければならない。本気で被災者の身になって、とりくむ姿勢がないのである。カッコをつけているのである。

誰が、本当に被災者のことを考え、行動しているのか、よくよく見なければならない。パフォーマンスに騙されてはいけない。


災害が教えること

2016年04月20日 11時08分46秒 | 思考試行

困難な状態になって、初めて気づくことがある。人間が一人では生きていけないこと。工夫しなければ、ならないこと。恰好ばかりつけていたのではいけないこと。

人は人同士、本当に助け合わなければ生きてはいけないこと。一部の人間が、すべての富を独占するようなことがあってはいけないこと。

口先ばかりで動かないのは、本当に役に立たないこと。人間が効率よく動くためには、中心的な役割をもつ人が現れないとうまくいかないこと。協力しあって、やっていくためには、命令ではないこと。みんなの心を合わせることが必要であること。

そのためには、本当にみんなでやっていくための、考え方、哲学が必要であること。こういう大変なことのなかで、人間の真価がでてくること。

霞が関の役人の権力意識は、こういう時に、邪魔な存在であること。そこには、国民に対する、真摯な態度がないこと。国民を「下々」と思っている実態。

そうしたモロモロのことが噴出してくる。誰が何をしているか、こういうときに、よくよく観察しておかなければならない。金で金を儲ける手合いのなんと薄汚いことか。


動かないと動物である人間は不具合が起こる

2016年04月19日 11時40分57秒 | 思考試行

動けなくなれば、自然の摂理はどう働くかといえば、ただちに、死亡への道を準備するように見える。それは人間本体の意思とは無関係に、生理的にそのように動くように見える。

車のなかで、車中泊をしていた人が、エコノミー症候群でなくなっている。なんども、警告されているにもかかわらず、現実に、そういう方がでてくる。

かつては、サッカー選手が飛行機で、そうなったことで、有名になった。危険性があるといわれることは、このようにして、必ず生じているようにみえる。

災害がやってくるのは、明らかであるのに、その準備となると、とりわけ大規模な準備となると、予算の関係もあるが、後回しになってしまっている。

そして、臨機応変に動く体制づくりができていない。これは、単なるやってみせているフリではうまくいかない。本当に、効率よくリーダーシップがとれなければならない。

かっこ付けの「指示を出しました」は、なんの力にもならない。次々と状況の変化に応じて、対策は必要である。その点、民主党は、よくやっていた。熱意があった。

当時、自民党は、その足をひっぱりまわしていた。邪魔ばかりしていた。

今どうだ。そこにリーダーシップがない。無能集団と化しているようにみえる。本当に、やるべきところが動いていない。そのシステムがない。パフォーマンスだけではだめなんだ。


地震の続くなかで

2016年04月18日 09時20分21秒 | 思考試行

何度も、こんな災害が起きて、その都度対策の不備が言われる。地震は、すべての動向が解明されないし、人知の限界を超える。

となれば、対策が大事である。その根底は、人と人との関係、どういう社会を作るかにかかってくる。日ごろからの助け合い精神のあるところと、ないところでは、全然違う。

行政の仕組み、法律構造、都市、町、村の設計。避難設備、等々、やるべきことは具体的にどんどんあがる。

余震が長く続いている。震源の浅いことが原因とされているが、このような形態の地震は過去にもあったとされる。いずれにしても、長期に続く中で、対策の整備が急がれる。

同時に、長期にわたる、本質的な対策こそ、本当に考えられなくてはならない。政治の役割、災害対策の具体化には、日常の活動をどう考えるのかが、重要である。

日常的な災害対策は、平時に徹底的に行わなければならない。物質的なことばかりではなく、ソフト面でもそれが実行されなければならない。


準備の必要性

2016年04月17日 12時09分38秒 | 思考試行

日頃の準備が重要だということが、また、わかった。困難を、何度もくりかえして、体験するなかで、人間だんだん賢くなっていくことが必要である。

災害のなかで、何を学んだか。避難所、食料、トイレ、・・・いつも困ることはわかっている。だったら準備しておくべきではないか。

テレビで、清水邦明氏が、トレーラ車のことをいっていた。日ごろから、準備しておくべきではないかと続ける。当然である。

為政者の側の、アイデアのなさ、真剣に考えていない実態が、暴露されてしまった。総理大臣が本部長でというやり方への批判もあった。これも当然である。

パフォーマンスにばかり、頭がいっているから、本質を外れる。そのことをズバリと言い当てている。これからは、このように、本質をついた考え方が、当たり前になるだろうし、そうならなければならないと思う。

いつまでも、反共主義であったり、競争だけが、善だと思い込んでいる、欲ボケ主義から脱却しないと、問題の解決にはあたれないということである。


本当に助け合う社会へ

2016年04月16日 10時16分54秒 | 思考試行

地震が拡大している。断層に沿って、広がっているようだ。阿蘇山も噴火が小規模ながら、始まった。その都度、原発が異常なし、と報道される。

どこまで、広がるのか、もともと断層だらけといわれる日本列島。まさに災害大国日本である。東南海、首都圏、地震の確率が高まっているなかで、国の態勢づくりが急務である。

もともと日本国民は、災害にあっても、あまり動揺することなく、整然と対処することに定評がある。こういうときには、助け合うことができる国民とみられている。

災害時だけではなく、日常から、その精神はもっと拡大強化されるべきではないだろうか。貧富の格差を広げる施策など、現政権のやっていることは、この方向とは真逆である。

差別を持込、富裕層を優遇し、さらに富ませる。貧困層の犠牲において、それを実行する。安全問題も、国民のためにという視点が欠けている。

選挙制度も、民意の反映を如何にするかという視点ではない。支配するのに、どうすれば、権力を維持できるかにある。国民を馬鹿にして、犠牲にして、なんとも思ってはいない。

競争に勝ったものだけが、報われる、それでよしとする考え方である。こんな考え方では、日本にはなじまないということではないか。