空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

「果しなき流れの果に」を読んで

2015年03月31日 10時47分59秒 | 思考試行

今朝方、読了した。一回目である。すごいストーリー展開であった。なにしろ、物語は、葛城山の山嶺からスタートするから、関西人としては、馴染みが深い。時空をこえての壮大さと、価値観の深いはなしになっているし、もちろん科学技術も登場する。

50年も前の作品とはとても思えない。この作品から、ここをスタートにして、多くのSF作品がうまれているのではないだろうか。この種類のジャンルは、読んだことがなかったので、最初は、絵空事に何の意味があるのだろうか、とごくかるく思っていたのだが、読み進めるうちに、作者の身になって、どう話のオチがつくのだろうかと不安にもなり、あとがきにあった、作者の苦しみを共感したりした。

それを過ぎると、ラストに向かって、徐々に、光がみえてきた。光といっても、単なるハッピーエンドという意味ではない。作家の全存在をかけた、創造の力が、読者の認識の地平を押し広げてくれたことは間違いない。

みごとなラストに唸らされた。さすが、作家さんである。手練である。えらい作品にめぐりあった。まさに、知人との世間話のなかで、得た情報がこの宝物になる作品との出会いを実現させてくれたのである。彼は、折に触れ、何度も読み返しているらしい。小生もそうなるのかもしれない。


口コミの効用

2015年03月30日 11時09分04秒 | 思考試行

会話していて、映画であるとか、本であるとか、これこそお気に入りという作品の名を聞くと、どれどれと早速、見たい、読みたいとなる。

それも、その打ち込み具合に熱があれば、その興味は高まる。知人であるだけに、身近で関心の度合いがより一層強くなる。

その結果、なるほどと思わされることが多い。いま、小松左京の「果しなき流れの果に」を読んでいるが、この本がまさにそうである。「日本沈没」は、読んだのだが、この本もなかなかの作品らしく、長期に売れているようだ。

SF小説で、舞台が宇宙全体であり、時空をこえて話が展開していくから、読みこなすのは、結構大変である。中途で、初版のあとがきを読んだのだが、先にあとがきを読む人のことまで、著者は知っていて、この作品の産みの苦しみとともに、書かれている。俺のことやん、とグキりとさせられた。

この本の題名を挙げられた人は、長い付き合いであるが、この本が愛読書というのは、先日はじめて聞いた。もう、何度も読み返していて、本は、ボロボロになっているという。

ストーリー展開の規模が壮大で、これを書くのは、本当に大変だったろうと思う。それを読む方は、数日で読んでしまうのだから、それでは、この作品を味わい尽くしたとはいえない。そういう思いにさせられる作品である。

視野が広がる、新しい世界を見せてもらっている。これこそ口コミの効用である。


苦しみの果てに

2015年03月29日 13時24分25秒 | 思考試行

仕事というのは、多かれ少なかれ、苦労がつきものだと思うが、それでも、例外的に、楽しみながら仕事をしている人もいる。いや、案外、逆に仕事に救われ、苦しみといいつつ、仕事のおかげで生きているのかもしれない。

動物としての人間は、じっとしてはおれないわけで、なんやかやと動いていなければ、それこそ生きてはいけない。どうせ、仕事をするのなら、そこから生きがいを見出したいし、やる気も起こしたい。

だが、人をクイモノにする制度を、国は入れてきた。派遣業法を、政治権力は、もちこみ、金儲け主義の連中の肩をもち、多くの人々に犠牲を強いて、富の格差拡大してきている。ために、生きがいをうばわれ、生活を楽しむ余裕もない多くの人々を生み出してきている。

世界に目をむけても、資本の都合のいい仕組みが、まだまだ蔓延している。テロが起こる原因の、その大元を放置しておいて、武力でこれを鎮圧しようとしても無理である。

何故、耐えられないような苦しみに人を追い込むようなことをするのか、そこに痛切な反省がなければならない。表面的な、小手先の手段では、問題の解決はない。

多くの苦しみの体験の果てに、人類は、どのような解決策をうみだしていくのかが、問われている。

結論的には、富の偏在こそ大元の原因である。ここに、メスが入らなければ事態の改善はない。


価値観

2015年03月28日 11時42分26秒 | 思考試行

何を大事と考えているか、国家なのか、個人の生活なのか、状況によって、順位付が変化する場合もあるかもしれない。

選挙の時に、どの政党を選ぶのか、人物本位なのか、政策によるのか、そこには投票者としての価値観が反映される。

地方選挙が来月に、行われるとあって、電話による投票依頼がかかってくる。信者と思われる人からの、公明党の投票依頼があった。東京からだという。

全国規模で、士業関連の名簿から、当該、対象者の選挙区に該当する候補者名をあげ、電話攻勢をかけてきている。背景には、この人の価値観が動いている。

政策というより、会のために頑張る、といった類の利益誘導的な訴え方であったが、公明党のこの熱心さはどこからくるのであろう。

彼等の宗教観、何をもって、やりがいにしているのだろうか、選挙情勢についても語っていた。危ないんです、二人たてるのはキツイんです、とか、真剣にとりくんでいるようだ。自分の都合をまくしたてる。

こういう電話をうけるたびに、この政党の自分勝手な視野の狭い価値観、病根をなんとかしなければならないと感じる。

 


福知山線事故の原因

2015年03月27日 22時18分57秒 | 思考試行

カーヴの安全について、社長が知っていたか、知らなかったか、で有罪、あるいは無罪になるという、まったく見当外れもいいところである。

事故原因は、若い運転手が何故、無謀なスピードで、カーヴに突っ込んでいったのかが問題である。そこには、厳しい、労務管理の非人道的な実態があった。

その罰を恐れて、運転手は、いそぎにいそいだのである。この労務管理の実態を問題にしないでは、事故原因の本当の姿がみえない。

この本質を外して、妙な議論をしている。裁判官の目は節穴のようである。検察官も同様である。こんなことで、司法がどうのこうのと言える資格はない。

事故原因の真の姿を暴かずして、亡くなった人命の尊い犠牲は、活かされない。遺族は、本当に悔しいことだと思う。

テレビのニュースで、女性の車掌が、マンションにむけて一礼したという。線路脇に立っていた、遺族がそれを見つけて、泣いていた。初めて見た光景らしい。そのことが、遺族の心をうったのである。

人間として、恥ずかしくない、裁判にしてほしいものだ。真実を見ることに、裁判官も、検察も、真剣にならなければならない。


安倍氏の本音

2015年03月26日 11時51分34秒 | 思考試行

語るに落ちる、を実践した。自衛隊を「軍」と口走ったのである。彼の中では、ズーット自衛隊は、軍隊であり、誰もが、言わなかったことを言い出した。

最初は、軍隊ではないといい、警察予備隊からスタート。自衛隊となっても、集団的自衛権の行使は認められないとし、憲法9条の力で、戦後自衛隊が、人を殺したり、殺されたりする場面は、これまで、みないでこれた。

ところが、一内閣が、憲法の解釈を変えて、戦争をできる国へと方向転換を図っている。由々しき事態である。国民は例によって騒がない。みんながそれでよければ致し方ないか、と思っている。

政府内閣は、年金原資を株式に放り込むことを決めた。リスクは承知のうえで、株価釣り上げに躍起となっている。ハゲタカファンドの跳梁が目に見えている。株価をつり上げ、売りぬく、あるいは、利権を確保して事実上の企業支配をし、儲けをかっさらっていく狙いのなかに、飛び込んでいこうとしている。

労せずして儲けるスタイルである。他所の国のことなんかどうでもいいのである。自分さえ儲けさえすれば、自国であっても関係ないのかもしれない。エライ時代になってきた。


軍部と天皇

2015年03月24日 08時57分39秒 | 思考試行

昭和天皇に対して、軍の幹部が、「説得」に行く。なかなか天皇が首肯しない、で、幹部が困ったものだ、と言ったという、はなしがある。

そこには、天皇を本当には尊重する姿勢がなく、単なる困った道具みたいに思っている本音がある。もとより、すべての情報、機構、は軍部の側にあり、決定の意志は自分達が実行するのであって、天皇の意志など、彼等の意志に何らの影響を与えていないのである。

にもかかわらず、国民に対しては、天皇を利用する。国民すべてをこれに従わせる道具とする。決定の意志の根本は自分達にあることを、自覚しながら、天皇を利用しているのである。

常人を越えた環境に身を置き、その心境がいかなるものかは、庶民には理解しがたいが、人間社会において、歴史伝統があるとはいえ、本質的に天皇制が必要なものであるかどうか、今の世の中でも、タブー視している論点だが、これは、社会全般、人間社会全般に関わることであって、いずれ、考察の対象としなければならない。

歴史認識問題が、国家意識、統治問題と関わって、中韓あたりから問題視されてきている。現在の人間にとって過去をどうとらえるかもふくめて、まともに考察していくべき課題である。


格差拡大ではなく共生を

2015年03月23日 13時08分55秒 | 思考試行

人間にとって、心地いいのは、助け合うことではないだろうか。ともに、切磋琢磨して、努力することはいいが、勝ち負けにこだわっているようでは、いけない。

たしかに、競争相手がいないと、怠けるというか、全力を出さないという傾向があることは否めない。其の辺は課題としながらも、お互いが全存在をかけて闘い、負けた方は、そこで、完全淘汰というのも、人間社会においては、なじまないのではないか。

まさに弱肉強食の世界から、進化して、競争しながらも本質においては、助けあうことを知っている動物でありたいし、そうでなければ、人類社会の進歩はのぞめない。

いま、新自由主義とやらで、格差拡大はどんどんひろがり、日本でも、若者が結婚さえできないという状況がうまれきている。

橋下市長や、規制緩和を云々する連中は、要するに弱肉強食を是として、格差拡大を目指しているとみて間違いないのではないか。彼等の本質をみぬかなければならない。


感情の動物であること

2015年03月22日 09時08分33秒 | 思考試行

人間にとっては、感情というものの存在が本当に大きい。とりわけ感謝と、それを受ける喜びというのは、時に命をかけての行為さえ生む。自分を知るもののためには、命も投げ出す。

逆に、自分のことばかりで、相手の心模様がどうなのかを考えたことすらないという風潮もある。自分中心であり、周囲は、その利益のために存在していると考えるのである。これとつきあうのは、本当にはりあいもなく、寂しいばかりである。

朝日新聞は、自公が合意をしたポイントで、新聞の論調が一変した。米朝さん死去をトップ記事にしたときにはどうなるのかと思ったが、さすがに、あの調子を続けるということではないようだ。朝日に対する感情は、全否定から、復帰した。

だが、マスコミ全般が信頼の置けるものではないことは、知っておかなくてはならない。理想と現実という対比が、正論を吐かせなくする傾向がある。理想が正論であることを、安易にすててはならない。理想のなかに、正論があり、その実現が目指されなければ、この世に生きている甲斐がない。


米朝さんが夕刊にも

2015年03月21日 09時01分33秒 | 思考試行

朝日がどうにかなったことは、疑いようがない。何かが始まったらしい。恫喝か。脅迫か。何かに屈したか、それとも、様子見に入ったのか。今、日本が大事な時期を迎えているというのに、傍観の構えを鮮明にしたのである。

慰安婦誤報問題や、池上さん問題で、朝日の購読部数が、相当減ったらしく、長年の読者である当方にも、いままで、そんなことはなかったのに、少し前になるが、「品物」を持ってきた。購読をやめないでくれ、ということだったのだろう。あまりに、解りやすくて、わらった。

そんな朝日が、この肝腎なときに、実に頼りない、というか、「正直」な態度を示した。時の権力者にはっきりと、恭順の姿勢を示したのである。こんな新聞は、何の存在価値もない、といいたいところだが、それでも、この時期にこんな記事しか書かないということ事態が、国民に何事か主張しているともいえる。

権力の実態を示しているともいえる。だが、そうではなくて、好きなら好きと言わなければわからない、のである。アカンものはアカンとし、あるべき姿を追究することをやめて、拗ねてみせたり、アウンの呼吸なんてものはイカン。

愚直なまでの、正義感を出して欲しいのである。それは、もはやできないのか。ざこばさんの号泣に、ウソはないが、それを、めくらまし道具に使うのは、なんだこれは、といいたい。


今朝の朝日の朝刊トップは何だ!

2015年03月20日 12時13分07秒 | 思考試行

落語家としての米朝さんの死亡は、大きなものがあるだろう。だが、大新聞の朝刊のトップ記事というのは、いかにもそぐわない。異様に感じる。何かあったのか。言論封殺か。それとも逃げたのか。

国会では、集団的自衛権をめぐって、自衛隊を大きく変容させようとしているなかで、論議が始まっている。今後の日本がどうなっていくのか、あきらかに大問題である。

他の新聞はどうなっているのか。朝日がこれでは、他の新聞もそうなのかもしれない。後で調べてみようと思う。赤旗は、チャント志位委員長のコメントをトップにあげて、問題意識を打ち出している。

世論は、自発的な動きをみせないが、これは、国民の意識が相当鈍感になっていることを示すと同時に、マスコミに大きく影響されているのではないかと思われる。

この傾向は、マスコミが権力におもねったのか、あるいは、健康な問題意識をもっていないことを意味している。


状況は時々刻々変わる

2015年03月19日 10時03分17秒 | 思考試行

日常の暮らしは、同じようにみえて、一日として、同じ日はない。にもかかわらず、大きなククリで、変化なし、と人間は考えるらしい。細かい変化に、いちいち敏感につきあうことは、得策ではなく、そのように感じるようにできているという。

見ることひとつにしても、人間の視野というのは、脳内で加工された代物であって、直接に外界とふれてそのまま感じているのでないという。光の情報そのままではなく、既得の能力を駆使しながら、脳の加工作業があって、初めて役立つ情報になっているのである。

生物として、細胞はどんどん入れ替わり、能力が伸びるところと、落ちるところと、日々変化をしながら、人生を過ごしていく。自らのことも、周囲のことも、無意識にあるいは、意識的に、工夫を加えたり、変化をしながら生きている。

世界も、問題を抱えながら、同じような作業をしている。今朝のチュニジアのニュースは、比較的問題のないとされているところで事件が起きた。狭い地球の上で問題のないところはない。それでも、良くしようと思っている人間の努力が、状況を少しずつ変えていくと思いたい。


考えること

2015年03月18日 13時50分59秒 | 思考試行

日本が、一内閣の決定により、とんでもない方向へ行くかもしれない匂いが漂ってきた。アメリカの後方支援の拡大、自衛隊の行動範囲の拡大、憲法を変えなくとも、集団的自衛権があるんだ、との考えでどこまでも、普通の軍隊に近づいていく。

テレビは、そんな問題を正面から取り組んだりせず、新聞もしかりである。世間は、景気の話ばかりしているようにみえる。事態がどんどんすすんでいるにも関わらずである。

どこかで、紛争が起これば、それみたことかと、一斉にこの方向が加速されるかもしれない。そのとき、国民がどんな選択をするのだろう。

昔のように、狭い視野のもと、戦争に飛び込んでいくのだろうか。いま、資本主義について、学者が、反省というか、新しい世界の到来を思わせるような学説を提唱し始めている。

儲け本位ではなく、共生の視点が色濃く入ってきている。この方向は、健全であると思う。日本の安倍内閣の動きが、いかにも安っぽくみえる。底が浅く、「取り戻そう日本」の本意が、これらの動きと真反対であることを危惧する。


何度目になるかの生還

2015年03月17日 09時09分39秒 | 思考試行

去年、まさに人生が終わりかけた。なんとかギリギリで間に合い、詰まった血管を広げてもらった。そのとき、なんと、もう一本の、昔につまっていたところも、ほとんどつまりかけであることがわかった。

完全に、ほぼ運命は、決まりかけていたのである。あの時、ペットボトルに水をいれてきてくれた女性は、まさに天使のようだ。

あの一口の水がなければ、あのまま、生涯を終えていたかもしれない。それが助かった。だが、それで終わりではなかった。

今年に入って、風邪をひいた。それが引き金になって、不整脈が始まった。いつもは、電気ショックですぐ止まっていたのが、とまらない。アブレーション手術をうけることとなった。

そして、また、再狭窄が見つかった。ほぼ、半年が経って、丁度つまり頃なのである。その手術も、日をかえて実施することになった。

主要な心臓に栄養を与える血管のすべてが、つまりかけるという現象が起こり、なんとか、のりこえたものであるが、それは、監視を要する。油断がならないのである。

この命、本当に、人類のお役に立てないでどうするのか、と思う。


出発進行

2015年03月16日 11時17分45秒 | 思考試行

いよいよ動き出した。弁護士の調査に立ち会う。

さすがに動きに無駄がない。30分足らずで、撮影がすみ、近所の人も出てきてくれたので、事情を聞くこともできた。

解決にむけて、方針も固まったようだ。ひとつひとつ問題を片付けていく方向が出てきた。

法治国家であることを実感する。何年か前に、自分でコツコツ調査したものだが、たちどころに壁にぶつかり、ニッチもサッチもいかなかった。

それが、法律という手段を駆使すれば、問題の解決がはかれるのである。

ことの次第、経緯をキチント把握していきたいと思う。

これも当方の利益だけではなく、近所の人の利害にも関わっているから、動きだせた側面がある。そうでなければ、動き出すことはなかったかもしれない。

その結果として、周囲との関係においても、良好になりうるわけで、明らかな前進の兆しである。