空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

戦争反対の市民運動を無視するな

2015年08月31日 10時33分04秒 | 思考試行

昨日、安倍政権がすすめている戦争法案に反対する市民運動が大集会を開いて、たいへんな盛り上がりを見せている。この市民運動をマスコミは、キチンと報道していない。

無視といってよい程度の報道しかしない。あっさりと法案が成立すれば、自衛隊はアメリカの腰巾着となって、世界各地を転戦することになる可能性が高い。たいへんな法案であるにもかかわらず、マスコミの対応はまことにイビツである。

法案成立後の準備をしている自衛隊の内部文書が共産党の手にわたり、国会で追究された。どうやって漏れたのか、政権は躍起となっている。準備の内容は、国会の議論を飛び越えたものであり、危険がいっぱいである。

憲法9条を無視するというウルトラ技をくりだしたのは、アメリカの許可があったことは、当然だろうが、そこまでしても日本を戦争にひきこむ勢力の悪辣さである。

市民運動がこれだけの盛り上がりをみせているのに、NHKは、完全無視である。朝のニュースでは、まったく触れていない。まさに異常である。


無視、無関心の様子をみせる母

2015年08月30日 16時12分56秒 | 思考試行

母は、すべては何事もないかのように、無視、無関心の様子を示す。単純に身体がしんどいとか、いうのではなく、病気でもなく少し熱があるというだけで、そこまで落ちるのかと思わされる。

真実は、外からはわからない。本人の気力が落ち込み、反応できなくなったのかもしれない。あるいは、根本的に、気力がなくなったのかもしれない。いずれにしても、絆とかつながりとか、そういうものが消失している。

心配とか、心の動揺もない。哀れな感情があるが、自己本位の姿勢がみえて、そういう人間のたどる道なのかと思ってしまう。振り返れば、愛情込めて、世話をしてもらった時期があり、それがなければ、今の自身の存在はないわけだから、こちらに、そんな感情がわかないということは、こちらこそがアスペルガーだからかと思わされる。

良好な関係もあった。それは、最初から単なる錯覚だったのかもしれない。自己本位を貫き続けられて、否応なく真の姿を見せられ続けて、その期間が長い。関係性については、遠い昔にすでに失望し、諦念がうまれていた。

昨日から、いよいよの時も考えなければという雰囲気になってきた。妻は、片付けを始める。弟妹からは、心配する声もない。ご機嫌伺いもない。要するに音無しの構えである。費用も労力も、すべて、関わりもなく、こちらの状況を見舞うという行為もない。こちらから言われたら対応しようと思っていた、とでもいうつもりだろうか。

こちらからは、一切、何もいうつもりはない。都合の悪いことは、スルーしたくなるのが、彼等の自然とみるからだ。格別、揉めるつもりはないし、冷たくあたるつもりもない。非難するつもりもない。どうやら、全員がアスペルガーのようだ。これでは、人類滅びるよりないか。否、どこかで、この壁はくずさないといけないという気分はまだ残っている。


人間が壊れるとき

2015年08月29日 11時23分50秒 | 思考試行

人間が壊れるときというのは、絶望であったり、強い精神的ショックなどが原因として言われる。だが、老齢とか、自然現象的な老化なども認知能力の低下なども原因となる。

むしろ通常の場合は、後者が、ほとんどと思うが、まずは、性格の影響も大きいのではないだろうか。自分本位で、他者への感謝、思いやりに乏しいと、世界は、狭いものとなり、自身がなにかやろうとする意欲の源泉がなくなり、失速状態になる。

愛にあふれた人は、愛する対象があるため、やるべきこと、考えることもあり、結果として、他者との関係性も良好なものとなり、それが相乗効果をもたらし、さらに、豊かな生活を送れることとなる。

自己本位と、陰謀、意地悪な性格で、本人がうまく立ち回ってきたような人は、一部の人間の誤った認識による評価を頼りとしながら、実は、そこには中味がなく、いずれは、ばれてしまう貧しいものなので、状況が変化すれば、本人自身が内部崩壊をはじめざるを得なくなる。

趣味であったり、感謝できるという性格は、本人を確実に救う。このことを知らない人は、案外多いのではないだろうか。母親をみていると、その実例として、痛感する。


言動をコロコロ変える人

2015年08月29日 11時08分52秒 | 思考試行

言葉の軽い人は、本音が別にあって、その本音を実現するためには、手段を選ばない。したがって、その折々に、適当な言葉を発する。真に受けると、本音が別にある場合は、大ヤケドを負うことになる。

橋下、松井の二人の言動は、この例にピッタリではないか。言ってることがコロコロ変わる。こんな連中が主張するやり方は、まったく信頼することはできない。

戦争法案に賛成し、日本が戦争できるようにするというのは、安倍政権と同意見である。こんな方向は、まさに、ヒットラーのやり口と酷似している。

橋下氏は特に、それが顕著である。維新の創業者でありながら、あっさりと東京と切り分け、再び大阪都構想の実現を目指すという。

住民投票の際は、一回だけといいながら、また、蒸し返してくる。実現まではなんとしてもやるというしつこさを見せている。これこそ、ドイツがヒットラーに政権をとられていく道筋に似ている。

住民投票で、すべての権力を手にして、ヒットラーはあの蛮行を可能にした。国民がよほどしっかりしていないと、騙されてしまうのである。


人間はワルなのか

2015年08月28日 11時00分17秒 | 思考試行

人間はどうしようもないワルなのか、それとも、ちゃんと磨けば立派なものになるのか。先入観では、基本的には油断をするととんでもないワルになるし、よほどの管理が必要でようやくなんとか生きていける存在なのだという考えに立つ。

いままで生きてきて、人間に、底なしの信頼を与えるわけにはいかない。様子をチャント見ていないと、何をやらかすか油断するわけにはいかない。自身のことを省みて、常に自戒し、こころを引き締めていないと、危ういところがある。

それは、過去の自分自身のことを振り返れば、心当たりがあって、非常に危ういときがあったし、そこを切り抜けてきたといっても、今後確実に、まともに真面目な人生を生き抜いていけるかどうかは、不明なのである。

そこには、覚悟を決めて、姿勢を自分のものとしなければならないステップが存在する。その上で、主張し実践していく。他者を見るときも、そこに、彼が、どういう考えの元に行動し、主張しているのかを、どこまで見抜けるかが問題である。

橋下、松本氏の動き方を見て、どう見るか。彼らに弱者の現状が見えているか、社会をどうするかの視線に真の暖かさがあるか、とみるならば、戦争法案の推進を主張するなど、戦争も厭わない勢力の一翼であり、とんでもない連中だとみるのが正しそうである。


結局分配をチャントすること

2015年08月27日 10時40分10秒 | 思考試行

人類社会のうまくいくやり方は、結局のところ、生産物の分配であり、必要物資の提供である。これらがうまくいくならば、揉め事など起こるはずもない。

総体的な優劣を争ったり、富の独り占めを生きがいとしたりするその根性が、社会の根本にあれば、その結果、いさかいと争いはつきものとなり、その中でのみ生きがいが感じられるという価値観ができていく。

社会主義が失敗したのは、働いても、努力してもみんな同じとなれば、努力しないものだから、社会全体の元気がなくなってくる、幹部クラスは、楽をして権力争いに血眼になる。そんな具合でうまくいかなくなった。

では、どうすればいいのか。人類が、うまく生き延びていくためには、助け合いは必須のことである。だが、そうはならない。その原因はなんだろうか。動物としての人間は、闘い、奪い合いが本質なのかもしれない。となり合えば必ず、なんからの争いが始まる。

これを解決しなければならない。結局は、考え方の問題ではないだろうか。好戦的な、基本的姿勢をやめて、助け合いが当たり前となる価値観のもと、政府を作り、制度を考える必要がある。

新自由主義的な自由競争一点張りでは、紛争間違いなしで、紛争もビジネスの要素と考える輩の世界となる。

 


山本太郎議員の迫力

2015年08月26日 09時02分35秒 | 思考試行

参議院での山本議員の迫力には驚いた。これが本当に、憲法9条を守り、アメリカの本質を暴き、平和に徹する立場の人の議論に臨んでいる姿、その表現であると思った。よく調べている。勉強している。

安倍首相の顔には、ありありと痛いところをつかれている反応がある。珍しいことである。ただ、その場合には、こうすると決めている風がある。山本議員の議論に噛み合わせることはない。

自分のいうことを言うばかりであって、議論で相手のいうことを聞いて、それに反応する気はないのである。格好だけの議場である。彼は、まともに議論するつもりはない。これが、民主主義の基本の議論の姿なのか。見るにたえないウソ芝居である。

そのなかで、本気の山本議員の姿が光る。本気で迫っている。彼とまともに議論するならば、法案の撤回しかないのだが、そこまで追い込んでいる。その事実をマスコミは報じない。

誘拐事件の詳細を取材することがあっても、この重要な問題には、目もくれない。明らかな悪意で、国民の関心をそらす姿勢に終始している。

まことに、恐ろしいマスコミの現状である。


フリーハンドで

2015年08月25日 09時47分13秒 | 思考試行

定規を使って直線を引く。真っ直ぐな直線がひける。

だが、自然はどうなっているか。全てはフリーハンドで描かれている。稲光と血管の様は、同じに見える。

川の流れもそうだ。

感覚、神経も似ている。

それを人間が加工すると、フリーハンドというわけにはいかない。建築物などは、垂直であり、水平でないと不便である。

人間が生きて行くためには、加工された直線、水平は必要であるが、そうでないところはフリーハンドがもっと取り入れられてもいいのではないか。

政治の世界や、組織の運用、構成、などにフリーハンドの考え方を導入して、機能的で快適な社会構造ができないものだろうか。

余裕と遊びがあって、フレキシブルに問題に対処できる仕組があってもいいのではないか。さまざまな困難を解決するのは、定規ではなく、フリーハンドだと思うからである。


戦争をしないためには

2015年08月24日 12時07分57秒 | 思考試行

戦争をしたいものは誰なのか。これをはっきりしないといけない。今度の戦争法案を推進している政治家は、表に出てきていろいろ言うが、彼らは、背景にいる本当に戦争をおこしたがっている連中の子分みたいなものであると見て間違いないのではと思う。

彼ら自身の面子であるとか、国の政治家意識として、防衛を主張するわけであるが、それも幾ばくかはあるのだろう。だが、もっとも大きいのは、資本であったり、ビジネスであったり、経済だったりする。戦争に持ち込むことに、力関係に優劣があれば、当然のように強者は、自らの主張を強引に押してくる。

戦争へとなだれ込む、そのバランスは、どのように崩れるのか。人類の歴史は、その経緯を充分に知っているのだろうか。膨大な犠牲を払っても、その分析や、戦争回避のための努力はまったく足りない。はたして、真相の深い研究がなされているのだろうか。

教育現場でも、現代史なんて充分には教えられていない。断片的な知識しかないのが実態ではなかろうか。これでは、また戦争を始めても不思議ではない。まず、基本的なことから戦争について研究がされなければならない。遠回りにみえて、これを省略してはならない。


戦争をしないために

2015年08月23日 07時33分18秒 | 思考試行

大事なことは、見抜くことである。

儲けがしたい、自己利益ばかりが念頭にある、権力がほしい、他者との闘いには負けたくない、名誉がほしい、面子がある、・・・もうすでにビジネスとなって、多くの雇用がある。いまさら止められない。作った戦争道具は、使わなければ、次の製品が作れない。

陰謀、買収、快楽、娯楽、・・・人間の欲望。個人的なもの、組織の仕組、構造。

組み合わせで、政治の世界にも反映してくる。マスコミ、宣伝、ごまかし、ウソ。煽動。

平和に暮らすことは、たいへんである。当たり前ではない。安易に、権力者の微笑に騙されてはいけない。そして、新しく世の中を構築するのは、若者たちである。若者が如何に、この世を作っていくのか、真面目に真剣に考えなければならない。

老人ができることは、なんだろう。ウソを見抜いて、報告してあげることだろう。明らかなウソがある。これを指摘する。財政的には、若者たちにカンパをする。それは、成長のための投資だ。選別がいる。有効な投資である。もう反対給付は期待しない。

若者に有利になるツールの提供だ。立ちはだかって、止めることはしない。理解不能の場合もある。そして、滅亡するも仕方なしである。それも人類の選択の一つである。今や。


戦争しないという覚悟

2015年08月22日 16時19分03秒 | 思考試行

戦争は絶対にしないと、日本国憲法は決めている。世界のどこに出しても恥ずかしくない憲法である。戦争が、人類にとって、最大の悲劇であり、してはならないものであることは、明らかなことであるのにそれが、実現できないのは何故だろうか。

それは、戦争したがっている連中がいるからであり、したくないと言いながら、本音のところは、戦争があれば儲かると思っている連中がいるのである。

庶民の側から、戦争をしたいなんてなるはずがないのである。自己の権益を守るために、儲けのために戦争を考える輩が明らかにいる。

そんな連中の口車に乗るわけには行かない。今度の選挙は、そういう意味で本当に大事である。今の調子では、自民党の戦争勢力の思うままになっている。戦争ができるように、集団的自衛権を行使できると憲法解釈をかえ、その考えのもと、法律を作るというのだから、まったく、憲法無視も甚だしい。

絶対に戦争をしないという憲法をもちながら、理屈にならない理屈であっても、それらしく理屈を言って戦争をできるようにしようということである。

こんな連中にいつまで権力を握らせておくのか。これは、日本国民がどう考えているのかの反映である。間違いのない選択をしてほしいものだ。


利己主義と個人主義

2015年08月21日 07時15分04秒 | 思考試行

全然違うものが混同される。個人主義は、まさに個人を大事にしようということで、自分はもちろんだが他者たる個人を尊重し、大事に考える。ところが、利己主義というのは、まさに、自分の利益だけが重要で大事だと考える。他者との関係において全然違うのである。

自民党の代議士だった、武藤議員は、戦争反対の立場から戦争法案に反対する若者たちを利己主義だと言った。それだけだったらいいのだが、なんと自身は未公開株を使って、儲け話を展開していて、金銭トラブルになっているという。

戦争に反対する人間として真っ当な人々を、利己主義だなどと言う輩こそが利己主義だったというまるで、絵に描いたようなおとしばなしである。

戦争を絶対にしてはならないのは、人類の共通の理解であり、事実その悲惨さは、語り尽くせない。にもかかわらず、今も、紛争は続いている。だれが、元凶か、武器を作る国、ビジネスにしている国、そこに巣食っている戦争勢力をあぶり出し、非難されなければならない。

これを伝えないマスコミは、共犯者である。マスコミへの監視、彼等の公平を装う欺瞞に騙されてはいけない。マスコミは、リーダーの顔をしたがるが、リーダーは、リーダーらしく献身的な努力が必要である。そういう努力をしているだろうか。


戦争法案をどうしても通すつもりのようだが

2015年08月20日 09時03分20秒 | 思考試行

議席が多数なんだから、これは、幾ら議論をしようが、論理が破綻していようが、いや破綻していないと強弁すれば、水掛け論みたいに見えて、多数派が勝利してしまう。

だが、選挙が公正である限り、次回の選挙での勝利は怪しくなるということでなければならない。統計のインチキというか、正確な意見の反映ともみられないこともあるから、本当に、民意が投票行動にあらわれるときには、こうした無理は通らない。

だが、現状、戦争をやりたい勢力が、多数を占めて、戦争のできる態勢を作り上げてしまえば、これを覆すにはエネルギーがいる。それこそ、日本単独ではできない。

国際的な運動が必要である。科学技術の進歩のなかで、国際的な協力共同関係は進んできている。政治、経済の世界でも、福祉分野でも国際的な連携関係をもっと密にして、課題に取り組むべきである。

そう考えれば、アメリカの言うとおりの戦争政策を遂行しているようでは、道を誤ることは確実である。やるべきことをやって、戦争なんて絶対にしない状況をつくるべく努力しなければならない。


どうも失敗したらしい

2015年08月19日 10時22分24秒 | 思考試行

実は、うまくいっているようにみえて、その実、相手から、妬みがあったり、面白くないと思われていたことがわかって、愕然とする。

まあ、人生にはつきものの、悲劇であるが、よくあることとして、今後の反省にするほかない。その事のまえに、こちらが、不用意なよけいな一言を言っていたり、なんだか妙なことをしでかしているのである。

そのときには、気づいていない。それでは人生の達人とはとても言えない。それでもやっちゃたことは、もどらないし、いかんとも仕方がない。

あくまで、今後のことである。反省の糧にする。

さて、人間万事塞翁が馬である。良き事あれば、次に控えているのは、まずいことがある。ぐらいに思うしかない。

何か事があれば、そこから新たな変化が始まる。事がなければ、通常、それほどの変化はないから、平穏無事となるが、大幅な変化があれば、そのあとに続く変化は、やはり大きいとみなければならない。

変化に対処して、落ち着いて、やるべきことをやっていこう。


いよいよ収益可能になるか

2015年08月18日 09時45分57秒 | 思考試行

長年、固定資産税を払うだけのカツカツの地代をもらっていた土地から、もう少し収益が見込まれる形となったので、当初は、ちょっとしたチャンスかなと思っていた。土地が更地となって戻ってきたのである。

ところが、そう簡単には収益が見込めない。初期投資が必要になる。結局は利害関係が、あって、こちらが引けば、あちらが儲かり、こちらが儲けようとすれば、相手の利益が減る。

どうしても、ウインウインの関係にはならない。それは、単純な利益問題だけだから、そこへ何かの理念とか、思想とか、共通の価値観が存在すれば、協力共同ということも可能なのだが、そんな、価値観の共有は困難であり、にわかには、生じない。

今は、とりあえずの処置になるが、人口減少社会にあって、経済活動も鈍化していくとすれば、有効利用ばかりではうまくいかないということかもしれない。

ならば、空き地をどうするのか。結局は、そんなに余分なものは、持たないことがいい、という結論が見えてくる。うっとうしいことである。これが、贅沢な悩みである。