空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

予算作成の勝負どころ。情報公開が重要。

2009年09月30日 10時14分00秒 | 思考試行
予算を作る段階になって、いよいよ民主党の力量を試される時期がきた。官僚もここが正念場である。抵抗も大いに強まるであろう。

口実ではなく、本当に必要なものから、優先順位をつけていくということだが、それを実行できるかどうか。

大いに、情報公開をしながら、そのプロセスを国民に見てもらうことだと思う。大方針は、国民第一でいい。この具体化の過程をみせることである。

情報の収集、公開、この中で、解決への道が生まれる。論議ができるほどの情報が開示できるかどうかが、勝負である。

官僚に優先順位をつけろなどと言ってはならない。みんな同じに重要だというに違いない。

質問の仕方が重要である。さて、どのように、道を切り開いていくのか。誰にも正解は、見えていない。

勝負どころを迎えて、いよいよこの国が、変わるかどうかの段階にはいった。

公開の強み鳩山政権

2009年09月29日 09時03分45秒 | 思考試行
小沢氏は、イギリスへ行っていたようだ。そして、昨日、政府与党の会議が急遽もたれている。

日経には、一面トップに小さい写真が掲載されている。30分ほどで会議は終わる。急なために、社民党の党側の幹部が代役であったという。

何のための会合か、与党ににもおしらせしないと、と鳩山首相が言っている。

テレビのニュースにも流れていたが、小沢氏の表情が気になる。

フクムところがある、という表情にみえる。他のメンバーの表情とはあきらかに違ってみえる。

意外に順調に、また、果敢な展開をみせる各大臣の活躍ぶりに、小沢氏自身の関与は、見られないと思われる。その間、小沢氏は、イギリスに行っていたのだし、頻繁な連絡をとっていたようにもみえないからだ。

気付くことは、一連の動向が、部屋の扉を開いて、記者の取材をさせていることである。

前原大臣の肉声が、JR社長に対しての事故調査委員会との情報洩れに関して、文書の交付の際のシーンで、流れている。従来は、交付するシーンだけであった。

情報公開が実践されている。オープンに公開することで、密室状態でない政権運営がされている。

陰謀や、策謀は誰にもみえない形でやられる。公開して、そのプロセスをみせれば、問題の所在は、一目瞭然である。

隠すから自然体でなくなる。鳩山政権は自然体が武器である。小沢氏が、何を考えているかは、わからない。だが、この公開をすることで、ヘンテコな策謀を防止することは可能となる。

亀井大臣は本気なのか。

2009年09月28日 17時57分20秒 | 思考試行
本当にやるべきことをやる。それでいいのだが、亀井大臣の発言は、本当だろうか。彼はどうやら本気らしいが、常識的に考えて、あり得ないことを言っているとしか思えない。

彼自身が、自分のお金を貸して、3年間返してもらわなくても良い、というなら解る。

銀行にそれをせよ、という限りは、説明がいる。その説明がない。本当に彼は、東大を出たのだろうか。理屈の通る話しになっているとは思えない。

もっとも、意味のないことに、金を使うぐらいなら、こういう金の使い方もありうるかとも思うが、それは、自分の金の話である。

銀行は、返してもらえない融資をするだろうか。それには、政府保証を要求するだろう。それも受ける、というなら、いいではないか、とも言える。そうでなければ銀行がそんな話に乗れるわけがない。

要するに、金が必要なところに撒くという話であるから、必要でない大型公共工事に比べれば、意味があるということなのか、いずれにしても、説明がいる。

強面で、強硬突破するような話ではない。説明が必要だし、やり方があるだろうと思う。

富の再分配

2009年09月27日 07時11分04秒 | 思考試行
金儲けは悪いのですか。村上ファンドの事件のとき、村上氏は、記者会見でそう叫んだ。その後の展開は、アメリカの市場主義の顛末が示す。

真面目に働いてきた人の年金を食いつぶし、年金原資を減らし、庶民の暮らしを奪う政策をマトモなものとする風潮を呼んだ。

かくて、それらは、泡のごとく消えて、庶民の財産はどこかへ消え去った。

暮らしに必要なものは、なんだろうか。健康なくらし、適度な衣食住と、人間間の好ましい関係、そのための文化、が必須であろう。

金は、すべてではない。

最低限度の暮らしを求めているだけなのに、すでに儲けすぎている者達の強欲のために、それが、困難になっている。

富の再分配を検討しなければならない。


アフガンの中村医師

2009年09月26日 07時28分46秒 | 思考試行
情報源は、ほとんど新聞、テレビ、であるが、注意してみていると、コメンテーターの発言が、みたまま、取材したまま話している場合に加えて、どこからかの受け売りを話している場合に、分けられるような気がする。

鳩山演説の構成にふれたり、技術的なことをいってみたり、その未熟さを強調したりする。これは、官僚のイレジエだな、という感じである。

瑣末なことを、ゴジョゴジョ言うのである。こういう手合いと話をするとロクなことはない。時間泥棒であり、本質からどんどん外れるだけである。

本質といえば、アフガンの中村医師の活躍ぶりが、テレビでやっていた。井戸を掘ったり、用水路を作って、砂漠を麦畑に変えてしまっている。ドラマ以上である。彼を、キチンと紹介しないマスコミはインチキである。こんな素晴らしい人がいるのは、日本人の誇りではないか。

爆撃のかわりに、現地の人にとって、必要なことをしている。これこそ、貧困、テロをなくす王道ではないか。こういう気持ちがあれば、人間捨てたものではない。
インド洋給油を止めて、民生をすると、鳩山、岡田大臣がいう。まことに正論である。いままで、なんでできなかったのだろうか。ここに、スタートがある。

世の中、儲け主義の人間がいて、この強欲を貫く連中が、大変な害悪を撒き散らしていることに気付き始めている。早く心をいれかえてくれ。それがみんなのためであるが、アンタのためでもある。

カダフィ大佐の顔をみて、とても善人とは思えない。マンガになりそうな悪役顔である。言っていることも、ルールに従わないことも、その顔に相応しい。体型、顔つき、これだけで判断はしないつもりだが、実例をみせてもらうと、案外確度は高そうである。


失敗から学ぶ

2009年09月25日 09時22分58秒 | 思考試行
振り返ると、さまざまな失敗をしながら、軌道修正をして生きてきた。失敗に学んで成長してきた。

今の人類社会も、そうであるに違いない。

我々は、どんな失敗をしてきたのだろうか。今もしているのだろうか。

戦争や、他者を踏み台にして、自己利益を計ることに抵抗感をもたない考えに至っている人間が、いまだにいること。

これらに充分対応できていないことが、諸々の現象を引き起こしていることを、考える。

個人の考えに留まらず、制度的にも、それはある。

これらに、人類がどう対処していくのか。世界は、核廃絶を決めた。しかし、その内心はどうなのか。

変な指導者もいる。

まだまだ油断できない。

我々は、賢く、温かく、変わろうではないか。

2009年09月24日 06時44分34秒 | 思考試行
昨夜というか、今朝、オバマ演説を聞いた。同時通訳で、すべてがスッキリと理解できないところもあったが、演説内容は、もっともなことばかりで、アメリカはいい大統領を持ったなと思うと共に、世界も怪しくなってきているこの時期、いいリーダーを得たものであると思った。

アメリカが単独行動してきたことを、改めることを宣言し、世界各地の問題を列挙して、問題解決にむけて、協力して事にあたろうと述べる。地球規模での問題解決に当たろうと呼びかける。まったく同感である。

オバマ大統領は、国内では、健康保険問題について、力を入れている。そこで、共和党が、大反対をし、国民の間でも、「それでは社会主義だ」などと、反対して、デモが展開されている。さみしい国民達が、いる。

この国民性が、国民皆保険の行方を阻んでいる。なんとも寂しい限りである。冷たい、競争原理を、自分はうまくしているから、これでいいのだ、と主張している。これでは、制度の導入が難しい。

たしかに、こんな考えの人は、沢山いる。むしろ数的には多いのかもしれない。だから、今の現状があるともいえる。

もう、いい加減に、変わろうではないか。

沢山お金をつぎ込んできたが、多くの無駄があり、優先順位を冷静に考えて、ダム工事を止めようとしたときに、聞く耳を持たぬとする気持ちは理解できる。

しかし、合理的に考えて、変化に対応することが、必要な局面を迎えたときに、いつまでも、自己主張するのは、もうやめよう。前原大臣は、おそらく正論を言っている。チャンと聞こうではないか。

程度の高い、民衆でありたい。理不尽なことに対しては、当然であるが、反対すべきである。だが、相手に理があれば、素直にこれを聞く姿勢を持つということが、これからは、本当に大事である。

大いに、賢くなろうではないか。

財界、官僚の代弁者の評論家がいる。気をつけよう。

2009年09月23日 17時55分46秒 | 思考試行
評論家の姿勢が、明確になってきた。自民党、官僚よりの評論家が、その姿を鮮明にしてきた。彼らは、財界の承認のもと、官僚のリークする情報、言い分を代弁して、アレコレ言いだしてきた。

そうでない評論家は、わずかであるから、政権交代の今、わずか5日位であるにも関わらず、コマゴマと受け売りを始めたから、すぐ解る。

ヤンバダムの問題は、住民の気持ちを、どのようにとらえるかということと、全体の財政状況、あるべき優先順位、これらは、非常に判断が難しい面もある。

だが、その姿勢が決まれば、優先順位は自ずと決まる。経済だって、一本調子に右上がりに拡大を続けるだけが能ではないこともはっきりしている。地球環境とのこともある。

人間にとって、何が重要であるか、個人同士が争い、競いあうだけがすべてではない。協力しあうことも必要である。要は、何を重視するかである。格差が生じてもそれは、個人の努力の結果であるという冷たい政治に、国民が判断を下したのである。

あれこれと、足を引っ張ろうとしても、国民はしっかりと成り行きをみる。そうでなければ、ならない。

財界、官僚は黙っているわけではない。彼ら評論家に、代弁させようとしている。気をつけていなければならない。

民主政権の外交スタートにみる。

2009年09月23日 11時13分42秒 | 思考試行
アフガンの問題の背景には、貧困があることを、岡田外務大臣が述べている。イギリスの外相が、インド洋の給油活動の継続を勧めてきたことに対しての応えのなかで、本質的な解決のために言及している。

そのための支援活動の必要性を述べている。イギリス外相が、若くいささか馬鹿げてみえた。

ここに、民主党政権の真価がある。思ったより、この政権はホンモノだと感じさせられた。

日経は、その論調が従来の自民党よりの視点が外せないのか、ちょっと意地悪な見方を展開しているようだが、取材力の先取性が衰えているのだろうか、論評が的を外しているように見える。

真実をキチンと取材して、実力をつけないと、こんな記事では足を引っ張る厄介者でしかなくなる。いいところはいい、と言えるようでなければならない。

それにしても、自民党政権下では、官僚の思惑の下で、政治が動いていたということが如実になってきている。国連での、鳩山演説は、官僚の作文ではない。政権が自前で作ったものである。

おそらくは、水面下で激しい主導権争いが展開されているに違いないが、先に述べた岡田外相の発言に象徴されるように、自分の考えが、しっかりと前面にでている。そして、事実を認識して、とるべきこと、やるべきことを明確にしようとしている姿勢が好ましい。

これらは、当たり前のことであるが、実行するとなると、大変である。努力と準備が必要である。それを、民主党はやってきていたということができる。

マスコミにできることは、なんだろうか。捻じ曲げずに、真実を語るしかない。そこに、本当の使命がある。みんな当たり前のことを、きちんとやるしかないのである。


それは次回に、のこと。

2009年09月22日 08時41分42秒 | 思考試行
譲り合いが、人間世界の存続のために、当たり前であるが、必要であるということ。

それができなければ、衝突が必至であり、解決のためには、トコトンどちらかが滅びるまで、やり続けるほか無い。

いかに、譲り合えるかが問題。

すべてを譲る覚悟がなければ、譲れないともいえる。であれば、すべてを譲るという姿勢に立つ外ない。

主体的にできることは、それ以外にはない。原点はそこにある。




「おくりびと」は、やはり、すばらしい映画である。

2009年09月22日 07時31分36秒 | 思考試行
昨日テレビで、「おくりびと」を観た。以前に映画館でみているから、二度目である。やはり、いい映画である。毎度のことながら、一度目には、気付かないことが、いろいろ出て来た。

自然と涙が出て来る。話の筋がしっかりしている。生きることの本質に触れる映画である。それも、肩の力をいれずに。悲しみと、怒りと許しと、感動、思い直しに要する様式、時間。本質を見る目。

納棺師という職業は、関西ではあまり聞かないし、今では一般的とはいえないのかもしれないが、丁寧な手続きをとるということで、あり得る世界だなと思う。

故人との、ゆっくりとした中での最後の別れ、実際に裏づけされたドラマ。生と死、命をもらって生きるしかない命、否応なくか、やむにやまれずか、踏み外してはいけない一線を踏み切ってしまう人間の性、そのことによる後遺症、ところが、許せないと思えるほどのことが、石ころ一つで、ひっくり返ってしまう。

立ち止まって、考える時間の重要さ、誰にも来る死について、真正面からとらえるしかない実情をとらえること。様式の中に、存在するユーモア、役割、意味が語られる。

よく考えられた構成、音楽、そうか、賞をとる作品というのは、やはり良いのだなと思う。それにしても、二度見ないと、本当のよさが解らないコチトラに比べて、審査員というのは、すごい眼力があるのだな、と思う。恐らくは、一度しか観ないであろうし、沢山の作品につきあうのだから、何度もみる余裕はないはずである。

生きることと、食べることの密接な関係、生きることの本質にふれる認識、宗教についての、クリスマスにおける3人の宴は、世界に誇れる日本の宗教観を示して面白い。

キリスト、イスラム、ヒンズー、なんでも対応すると言う社長の台詞の痛快さ。面白さ。これぞ日本の良さである。

また忘れてしまったのだが、うまいうまいと食べながら、社長の言う台詞がある。「どうしようもなく」だったか、「しょうがないことに」だったか、面白いなあと思いながら、思い出せない。これが、眼力の限界。

官僚と記者の関係について

2009年09月21日 00時07分25秒 | 思考試行
官僚が、勝手にマスコミと接触することは、自分達の思い通りに世論を形成するためであることは、今までの経過から明らかである。政治に責任を持つ政治が、正面に立つのは当然である。

政治が、官僚にマルナゲしてきたから、いつの間にか、政治は官僚に馬鹿にされる存在になってしまったのである。簡単なことを、複雑にし、容易に素人がクビを突っ込めないと思わせる舞台装置を作ってきたのである。

法律だけ作って、安心していたらとんでもないのである。政令、施行規則、通達、告示、などにも当然ながら、目を光らせなくてはならない。指針などにも、当然及ぶ。

官僚は、テクニックを弄して、新しい方向を政治家が出したとしても、それを潰してしまうのである。その中で、官僚が選挙による民意とは無関係に、行政の実権を握ってきた。

その意味では、今回の政権交代は、画期的な意味を持つ。そのためには、情報公開を充分行なう。官僚が独立して、世論操作をさせるなど言語道断である。官僚が、政治の方向をねじまげるのは、犯罪である。政治に従うのが、官僚である。政治は民意を反映しているのだから。

官僚が実質的に力をもってきたのは、日本独特の制度であって、歴史的な積み重ねの中で、支配機構を形成してきたのである。国民の暮らしや、動向には、目を向けることなく、その方向性は、ショウエキが中心であって、自らの権益をまもることのみに関心がある。

それによって、権力欲と金銭欲を満たし、さらに、名誉欲(勲章)を満足して、よき人生だった、などと思ってきたのである。事実上の支配者として、その知恵の限りをつくす、という姿である。

そのためには、国会でのすれ違い答弁をし、政治家を篭絡してきたのである。そこには、シモジモの国民など眼中にない、実に横柄な考え方をしてきたのである。

そこと、結びついたマスコミは、その機能を守る腰ぎんちゃくとなり、御用評論家を登場させて、官僚にとって、都合のいいコメントをさせる。自らも権力と結びついてオコボレを貰って来た。

記者も、真面目に、国民のためにという姿勢はない。まさに、人間失格の水準ではないか。

渋滞解消は、車間距離をあける、の方法にみる

2009年09月20日 07時14分37秒 | 思考試行
シルバーウイークにはいり、また行楽地へ、とか、帰省とかで、高速道路の渋滞が心配されている。

NHKで渋滞解消の方法を、東大のセンセが説明していた。小生もどこかで、このことを聞いていたこともあり、車間距離をとる方なので、渋滞解消に知らず知らずに協力していることを知った。

高速で、何度も渋滞の看板がでていたのが、いつのまにか、消滅してしまうという現象に何度も遭遇しているのである。

まさに、昨日のテレビで実験していたような経験であった。

車間距離をあけると、割り込みが入る。それでも、気に掛けない。譲るのみである。それでいて、流れは順調であるから、快適なのである。

昨日の実験で、確信がもてた。団子にならないように、心がけていると、そうならない、という結論は、どうやら、いろんなことに応用できそうである。コメンテーターで、早く結婚したのは、みんな元にモドッテイルと言ったのは、ケッサクであった。

人間社会は、まだまだの段階であるにも関わらず、下手をすれば、生存も危ういというような状況がずっと続いている。核、温暖化、勝手な人間の所業で、その効果は無視できない状況にある。

ところが、この渋滞解消の理論は、一人ひとりの人間が、心がければ、かなりのことができるということを示している。一筋の光明どころか、実は、大きな問題解決の手法を把握したのではないか、とも思う。それは、次回に。



いいね。民主党内閣

2009年09月19日 06時24分23秒 | 思考試行
落ち着いて、考えないといけない。国民が第一、と民主党が主張していた。したがって、今まではそうではなかったから、アチコチに問題があって、そのために、やるべきことが沢山ある。そういう構図が、はっきりしてきた。

であれば、組織のあり方は、自ずと明らかとなる。そして、国民だけではなく、世界に目が向いていなければ、それは、国民のためにもならないのだから、国際的にも、単なる国益追求だけをしていれば良いというものでもない。

CO2の削減についても、大胆な数字をあげている。それは、地球全体について、よく考え、見ていることを意味している。国際状況についても、昨日の報道ステーションに出ていた岡田外務大臣は、中国の事情などにも詳しい。アメリカのこともよく見ている。

かつての政治家から、聞いたことがない話が出てくる。日本政府がアフガンの警察官の給料の半分も援助していることなど、始めて知った。どういう考えで、なにをしているのかが、見えなければ、不信感はつのる。

その意味では、オープンを心がけている姿勢は好感が持てる。今、密約問題が焦点になっているが、アメリカが公表していることを、日本政府なり、官僚がそういう事実はない、と隠し通そうとしてきたことが明かになる可能性がでてきた。これがどういう意味をもつか。

タテマエと本音の使い分けが、世の中では言われる。本音の世界は、理想であったり、それを本当に実行することは、あまりに矛盾が多すぎたり、することもあるかもしれない。

だが、本音がエネルギーの源泉である。これを軽視すると、フラストレーションを起こして、人間は、精神的におかしくなってしまう。

言うべきことは言わねばならない、要求もしなければならない。相手があれば、説得も必要だろう。段階によっては、譲ることもいるかもしれない。

本音は、いずれにしても滲みでてくる。国民が第一は、素晴らしい。民主党の支持率が、高いのは当然である。どんな障害、山、波があるのだろうか。本当に国民第一を貫徹するなかで、新しい問題が出て来る。楽しみである。



官僚の立ち位置・・・公僕であること

2009年09月18日 08時17分03秒 | 思考試行
政治主導の姿勢が、鮮明に出されて、官僚の姿勢がいよいよ問われることになった。これに対して、どういう態度にでればいいのか、官僚達は今、その岐路に立つ。

これは、玄関先で、冷たく迎えたりして、そのスネぶりを表現したりしているのは、いただけない。それは、新大臣の内なる炎に、油を注ぐようなもので、バカな選択をしたものだと思う。

政権交代をしたのだから、割り切った転換ができなければならない。陰に陽に、イヤガラセという図式が、目に浮かぶ。そうなったとき、民主党の真価が発揮される。予想の範囲だから。

少々の混乱は、いいではないか。初めての政権交代である。もめない方がどうかしている。ただし、そのもめ方である。カッコいいもめ方であってほしい。ケンカとは、カクあるべしという模範を示してもらいたい。

弱者は、強くなるためには、自ら変革をしなければならない。ついに、弱者は、一票の行使でそれを成し遂げた。動き出した民主党内閣の支持率も高い。この意志は本物である。

この意志に背くことは、民主主義の本質の理解の話でもある。わずか、1日で、外務省の密約問題の調査を、大臣は命じた。動き出した。さらに、多くの問題が取り上げられようとしている。

かつてなかったことである。国民は、しっかりと成り行きを見なければならないし、この国の支配構造の実態をよく知るべきである。

それに対して、官僚は、君子豹変すべきである。もはや、主人公ではないのだ。国民の公僕であることの原点に立ち戻るべきときがきた。