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空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

構造の理解へ

2009年05月31日 09時36分50秒 | 思考試行
日本の場合は、天皇制があって、象徴といいながら、その存在の現実的な力は、いろいろな意見をかかえつつ、それは、熱狂的な肯定派から、おそらくは、解消へ向かうべきだと考える層まで、幅広く、国民生活の多くの分野に、大きな影響を与えてきていると思う。

それぞれの国の事情のなかで、伝統、文化、といわれる、その国の財産として、行き続けるものなのか、それとも、古い文化として、淘汰されていくのか、それは、なかなか見通しが立てにくい問題である。

人を、階層化し、特殊な階級を認めることの、問題というのは当然ある。論理を貫徹できない、矛盾を孕んでしまうのである。

考えられる限り、古い体制の問題点を、避けることなく、明らかにすることは、人類社会にとって、必然であり、支配の道具になったり、不合理を生み出す温床になってはいけない。

それは、国民全体の問題だけではなく、地球規模での問題解決の障壁にもなりかねない。共生のために、論理的に、考え抜かれた、ありうべき姿は当然模索されなければならないし、いずれ、その必然性が、明確になるだろうと思う。

当事者の発言を許さず、その意思を奪い、そのことだけで、充分に問題を抱えている天皇制は、冷静に次へのステップを踏み出さないといけないと思う。

春、秋の叙勲のシーズンに、特にその思いを強くする。不健康な差別、区別、人間社会にもたらす古い価値体系の矛盾がここに表現されているようにみえる。欲望に毒された、連中の道具になっている現状が、みえるだけに、良心的な当事者の方々の心の痛みに、思いをはせるのである。

騙されてはいけない。へんな兆候あり。

2009年05月30日 12時00分41秒 | 思考試行
かつては、憲法改正なんて考えられなかった。社会党が、一定の勢力であったし、共産党と共闘したり、それなりの平和勢力が機能していた。

それが、選挙制度のイジリとか、社会党が、本来は裏取引屋であったことなどが、一部にあって、今では、自民党に移った代議士もいる始末である。そして、憲法とは関係の無い郵政選挙の、小泉劇場選挙で、踊らされ、今の衆院議席を掠め取ったのである。

公明党も、ウラの創価学会が、時の権力に寄り添う戦略をとりつづけており、かつては、共産党と協定まで結ぼうかという状態から、今や、改憲勢力の一員と化している。

そこへ、今朝の新聞広告で見たのだが、「幸福の科学」の政治への参画である。どうやら、憲法9条を変えたがる考えのようである。

だいたいにおいて、食う心配がなくなり、名誉や権力などに、目が移りだすと、他国との関係において、対抗関係に進もうとする傾向があるようだ。

平和で静かなくらしを、世界にもたらすには、どうしたらいいのか、とは考えない。世界は腹黒く、悪いので、それに対抗しなければという発想になる。世界が腹黒ければどのようにすれば、いいのだろうか、とは考えない。

先の大戦で、平和の大切さを、多くの犠牲のもとに、知ったのだから、この厳しい教訓をどこまでいかしきれるかが、地球の未来を決める。

しょうもない、連中にだまされないように、望むばかりである。

ちょっとオソマツですね。

2009年05月29日 08時38分37秒 | 思考試行
現実は、そう簡単には変わらないと思っていると、そうではないかもしれない。普通の暮らしをしていると、みていた人が、ちょっと付き合ってみると、なんと、大胆で、フリーで、旧来の慣習など、眼中にない人がいるので、ビックリする。

世の中変わっているのだと、痛感させられる。結婚なんか絶対にしないとして、付き合う相手を、どんどん変えたりする。とても、コチトラの感覚とは違う。基本は、自分の欲望に忠実であり、それを広言している。自分の都合が、最優先のようである。

相手がそうなら、こちらも、警戒しなければならなくなる。防御ということだけではなく、そんなに自分勝手な考え方をするのならば、それなりの、反応というのがあるのだと、「教える」必要もある。

寿命も伸びたが、なんだか、人間としての成長も、遅くなったのか、まるで子供みたいな中年が多いのにも、ビックリさせられる。

具体な個人だけではない。企業のモラルも、なんとも情けない状態である。金儲けのためなら、何でもする、という本音のすけてみえる大企業など、見苦しい限りである。品というものがなくなってきた。



変革のとき

2009年05月28日 08時43分32秒 | 思考試行
壮大なドラマを見たいわけではない。心温まる小さな出来事の積み重ねのような人生が、望ましいと思う。その意味では、麻生、鳩山氏の討論は、壮大なドラマなのだろうか。国のリーダーとしての、適正さを争うのだから、日本国民としては、大きなドラマと言えるのではないか。

昨日の、党首討論は、小生は、結局見なかったのだが、新聞の論調では、いい討論とはせずに、どっちもどっちのような扱いをしている。

新聞記者というのは、どれ位優れた人間かと思わせるが、政治家には、なろうとはしなかった、あるいはなれなかった、のだから、高みの見物の姿勢をとるだけでは、いけない。

公器としてのマスコミの役割を認識して、真剣な、政治に対する参加意識は、当然必要であり、そこからくる取材、分析、展望にいたるものを提起できなくてはと思う。それができなければ、エラソウナことは言えない。

という本人たる小生はといえば、自信なく、ただ、ただ、無名の庶民であって、公の場で、麻生さんや、鳩山さんのように、やりとりできるのかと言われれば、とても、そんなことはできそうにないというしかない。

それでも、平和で、生きがいのある、庶民の暮らしを、真剣に考えるならば、案外言えるかもしれない、とも思うのである。準備をし、まともに立ち向かうならば、できないことはないと思うのである。

自殺者が、今年にはいって、既に1万人を越えているという。新型インフルエンザでは、死亡者ゼロである。何故、大騒ぎしないのか。これは、まさに、政治による効果であることは、明らかである。政治の変革は、喫緊の課題である。

正義の仕組み

2009年05月27日 09時38分27秒 | 思考試行
役所が裏金を作ったり、これは、警察、検察を含めてあるようだ。それはそうだろうと思う。人が集まるところには、付き合いが生ずる。会食したり、会合するのは当たり前である。そして、そこには、経費が発生する。

そして、工夫をして、共通の財布を作るというわけだ。そのために、捜査費用を偽造領収書を発行して、自由に使える金に換えるというわけだ。これに反対した警察官は、定年退職まで、出世させることなく、イヤガラセを受けつづける。

これが、テレビで報道されていた。それでも県警本部は、調査したけれども、事実はなかった、などと言っている。嫌がらせをうけつづけていた警官は、周囲の援助を得ながら、定年を迎えた。こういう人だから、住民には慕われていた。定年退職の日、例年なら玄関にて、職員の見送りがあるのだが、その年は、例外的にそれはなしとなった。なんということだ。

そのなかで、花束を持った、地域住民が件の警察官を玄関で待ち受けていた。感動的なシーンである。これをなんとみるか。恥を知れ、県警本部。

こういうウラの仕組みが、人間関係の歪みを生じさせる根源である。いつの日か、人類は、こういう状態から脱却して、公正な関係があたりまえで、お互いが生を享けた喜びを、満喫できるようになりたいものである。

鳩山、与謝野さんの交友抄をみて

2009年05月26日 10時11分42秒 | 思考試行
日経新聞のラストページに、コラムで友人を語るという、楽しみにしているコーナーがある。昨日だったか、鳩山総務相が、与謝野大臣との付き合いについて書かれていた。

趣味の話であるが、政治向きのことは、一切でてこないのが、いかにも政治家同士の付き合いのことを語る定石のように思われ、つまらなかった。

おさない子供たちが、無邪気に遊んでいるような、場面が浮かぶ、という舞台設定で、家内などは辛らつで、こんなのチットモ面白くない、と言い切った。

小生は、こういう記事のなかで、政治家らしい情熱、滾るような国民への奉仕の精神という片鱗をみたいとおもうのだが、そうはいかないものである。

メロン作りへの情熱とか、囲碁とかカメラとか、そんなのは引退してからにしてよと言いたい。

非正規労働者を大量につくり、そして、クビを切る。寒空に泊まるところもない人びと、明日への希望も、持ちようもない人びと。

これらの人は、どうして産まれたのか。それは、派遣業をここまで、資本家、儲け主義の連中の要求にこたえて緩和してきたからである。

釣りもいいけれども、真剣に、国民の暮らしのことにも、関心を持って欲しいものだ。

と書けば、物言えば唇寒し、となるだけなのだが、政治家といえども、趣味も大事であり、ゴカイが気持ち悪いとか、魚をハズシテクレなど、けっこうほほえましくも思ったりしたのも事実である。そこは、鳩山さんの企みにひっかかてあげたいと思う。つまらないけど、面白い。

だが、本当のところ、平和とか、国民の暮らしとか、地球規模の問題とか、本質的なことで、健康な考え方、生きる態度など、政治家らしい本音を、示してほしいし、知りたいのである。

人生とは

2009年05月25日 09時14分54秒 | 思考試行
昨日、テレビでハリソン・フォードの映画を見た。困難に次ぐ困難、とても打開できそうにもない事態が続く。これでもか、これでもか。

それを、どんどんと対処し、切り抜けて、ラストシーンへ。

そして、お決まりのハッピーエンド。

そこで思う。

退屈そうな日常生活。これこそ、究極の幸せであるということ。

何のために、生きているのか、の前に、生きていくことが必要で、平和なおちついた暮らしこそ、最重要なのである。

憲法9条をかえて、戦争ができる国にして何がいいものか。

国民一人ひとりが注意していないと、ヨクボケ連中の、罠にはまってしまうことになる。

今や、平和な暮らしも、よくぼけ連中のために、相当つぶされている。自殺者が、年間3万人も越えているのだ。

これに、イタミを感じない政治家が、跋扈している。

オバマ演説に、共産党の志位委員長の手紙、そして、返事があった。

2009年05月22日 08時21分39秒 | 思考試行
それで、どうなるのか。国内の反応が、さっぱりない。資本主義の権化国の大統領が、日本の共産党と核廃絶で、意見の一致をみたというのに。

オバマ大統領の核廃絶演説に、共産党の志位委員長が手紙を出して、そして、返事が来た。

もっとも、共産党も、ガチガチの社会主義指向ではない。充分に、現行社会の中で、現実的な政治的主張をしていると思う。で、話にならない、ということではないのは明らかではある。

それにしても、前代未聞のできごとである。核廃絶に向けて、これから、世界は動き出すだろうか。動き出さないと危険なのである。それは、昔からそうだった。それが、ついに動き出そうとしている。

共産党は、衆参両議長と会談した。今朝の、赤旗新聞のトップ記事である。

マスコミは、動かない。変である。本当に、核廃絶を望んでいるのだろうか。彼らは周囲の顔色をうかがっている。

意見というものがない。こんなマスコミに、オピニオンリーダーの資格はない。社会の公器の資格はない。

何を、大事に思っているのか、思想がない。物事の本質を、たずねないでいる。

ああ、嘆かわしい。朝日、読売、毎日。

人類の存亡さえ、関心にないという、マスコミに、何を期待せよ、というのか。

多分、新聞記者の魂は、エリート意識と、俗人の常識で凝り固まっているのだろう。

マスコミ界の、しょうもない人物群像が、イメージとして、浮かび上がってくる。



気持ちはさめても・・・

2009年05月21日 07時30分26秒 | 思考試行
損保会社の大手は、長年にわたる業界の慣行をかなぐり捨てて、代理店手数料を一方的に切り下げてきている。そして、業務品質の向上を合言葉にして、更改契約を満期前少なくとも、10日前には完了しない代理店は、「生き残るのが厳しくなる」などと、平然と言い放つようになっている。

事は、保険会社が、自ら決めていた約款の支払い要件を守れず、多数の不払いが発生したことから、業務停止などの処分を受けたことを契機として、代理店に対する姿勢を、変えてきたのである。

ハゲタカファンドの要求で、間接経費の切り下げを余儀なくされたという説もある。要は、金持ちが、さらに金儲けをしたいとする流れの一環であることは、間違いがない。

今まで以上に、仕事量はふえながら、手数料は大幅に切り捨て、効率化と称して、やりたい放題をしてきている。

代理店のメンバーは、おおむね、別の業界から流れてきたか、副業的な人も多いので、そこを保険会社の社員は、エリートである自分達とは違うという意識を、強く持っていたりする。

代理店側は、チャンチャラおかしく思っている。話として、持ち上げてやったりすることもあるが、本気で彼らを素晴らしいなどと思いはしない。

そして、ことがここに至って、もう心のつながりもなく、冷め切っているのだが、それでも生活資金はいるわけで、やむを得ず、業務を継続しているのだが、保険会社同士の競争がなく、どこも同じような状況では、この業界からは、代理店というのは消え去る運命ということになる。

と思っていたところが、旧来のやり方の保険会社があった。日新火災である。手数料も代理店規模で下げるという考え方がなく、大手とは違うやり方をとっている。この会社は資本系列は、東京海上系であるが、姿勢としては違うやり方である。

ところが、契約の切り替えには、相当のエネルギーがいる。どんどん切り替えたいが、それをさせないための背景がある。なにより簡単なのである。

心醒めても、付き合っているという心境である。ガマンの限界をこえたとき、これがエネルギーとなって、切り替えは進むことになるのかもしれない。



地球規模の政策展望を期待する・・・民主党への心配

2009年05月18日 11時15分00秒 | 思考試行
自分の理想を追求して、情熱をもって活動できるならば、この人生は素晴らしいものだといえる。岡田民主党幹事長は、今回代表選挙に敗れたけれども、その足がかりを作ったのではないか。

明らかに、鳩山氏と比較して、熱がちがう感じがする。小沢氏が選挙対策の代表代行ということで、本来幹事長がする仕事を取り上げた感があるが、それは、それで致し方ないのかもしれない。

民主党内部に、ロシアのプーチンに、小沢氏をダブらせる観かたもあるようで、そのような見方がでてくるというそのこと自体、かえって、健全なようにも思う。

今朝の赤旗新聞では、鳩山氏が憲法について、早速発言している。やはり、憲法をかえる姿勢を持っていることを、出してきている。これが、もっとも警戒すべきことである。

戦争できない国、しない国から、できる国への変更が、彼ら権力志向の連中の特徴である。平和の戦士など、やりたくもないのだろう。しかし、地球規模で考えなければならない時代に、国意識、民族意識、に凝り固まっているようでは、本当に問題である。

世界の揉め事は、すべてこの視野の狭さにあると思う。視野の広い、政策を展開してほしいものである。岡田氏のような政治家が、もっと、出てきてほしいのである。

それと、政界の動向でいうならば、創価学会のマスコミへの関与が、目立つ。信者タレントが、テレビにどれだけ登場しているか、すべてのチャンネルに登場する。フランスでは、創価学会をカルト宗教にしていると聞く。日本では、マスコミが問題にしない。買収が効果をあげている。

矢野元委員長に対する仕打ちをみても、創価学会の、行動性、価値観は異常である。新聞広告を連発し、他経済的にも、新聞各社に対し、かなりの影響力を行使してきている。この動向は、警戒しなければならない。

共存可能なラングドン教授の宗教観・・・ダビンチ・コードをみて

2009年05月17日 08時53分58秒 | 思考試行
昨日は、テレビで「ダビンチ・コード」を観た。小説も読み、映画館でもみているのだが、キリスト教にさしたる関心もなく、なんだか、面倒だな、ぐらいの感想しかなかったのだが、今回の「復習」により、ようやくストーリーの全貌が理解できた。また、小説の文庫本3冊を探し当てて、より精密な復習を開始したのである。

いま、コマーシャルで、同じ系列の、キリスト教をめぐる映画が、大宣伝されている。これも、小説を映画化したものであるが、説得力のある宗教をめぐる研究の進み具合が、人びとの価値観に、大いなる影響を与えているようだ。

キリストが神の子であるのか、ないのか、あるとしても、ないとしても、人間としての倫理感に大きな影響を与えないのではないかと思うのだが、キリスト教の文化圏ではそうはいかないのだろう。

ラングドン教授の宗教観が、語られ、現代での健全な常識を与えているようだ。エピソードとして、教授が閉所恐怖症であったのが、治ってそれをどう捉えるかの小道具などは、ドラマとしてうまい仕組みである。

しかし、このドラマは、キリスト教にそれほど関心を持たない小生としても、体系として、理解できるし、共存可能な考え方に西洋もなったきたか、という感じをもつにすぎないのだが、これは、対話が可能ということであり、対話ができるということの健全性を、歓迎したい。

鳩山氏に健闘期待

2009年05月17日 00時35分19秒 | 思考試行
自民党、公明党の与党は、補正予算のバラマキ具合をみても、真に真面目な働く人々の側にたってはいないとみる。

その点、民主党は、それよりかは、働く側に目が向いているようにみえる。ただし、憲法などに対する姿勢は、自民党と手を組む可能性をなしとしないし、戦争への道を歩まないとも限らない。そう見ている。

力のある者が、要求を強めて、したい放題をしている。株式を持つ者が、会社を支配し、ますます自分の富を増やすことのみに執心して、人を人とも思わない所業を続けている。

こんなことをいつまでやらせるのか、金融・資本の市場法制や、企業法制についても、適切な、健全な常識が生きることができるような、法制度の整備を望みたい。

民主党の新代表に、鳩山氏が決まったが、こういう方向をどれだけ出してくれるかが、問題である。

滾る思いを鎮めるために・・・榎木孝明さんの世界

2009年05月16日 10時53分33秒 | 思考試行
滾る思いを鎮めるために、俳優の榎木孝明さんは、若き日、インドへの放浪の旅をしていたという。

彼はまた、古武道にも関心があって、寝ている人を、軽く興して見せたり、座っているひとを、簡単に立たせたりすることもできる。介護に応用できそうな、ワザを持っていて、なんとも不思議な人である。どうやら、本人の気が問題のようである。

人間の構造の神秘というか、ヒメタル力があるようで、これを見ていると、なんだか、生きる望みが増えたような気がした。

達人と言われる人に共通する力の抜けた感じがいい。こういう境地に至るには、それは尋常の努力でなかったかもしれないが、真似したいものである。

そもそも、コチトラには、滾る思いというのは、あまり縁がなく、それでは、こうした力を抜くことで、力を出すというのは、とうてい到達できないのかもしれない。

本人も困るほどの、滾る思いがあって始めて起こる現象のように思えるからだ。辛い苦しい中から、その克服の過程があって、得られる境地なのであろう。それにしても、清々しい俳優さんである。


五箇山への旅・・・生きる原点の刺激

2009年05月15日 11時13分42秒 | 思考試行
岐阜県側から、富山県、五箇山の合掌集落に行ってきた。秘境といわれるのも判る、なるほどの奥地である。車で行ったが、長いトンネルを抜けて、山間に集落があった。菅沼と相倉の、離れた2地区が世界遺産となっている。

合掌造りの、2階にも上がったが、急な梯子段で、実際に使われてきた生活の印があって、昔の人のバイタリティと賢さを思う。菅沼地区では、加賀藩の時代に、火薬の原料を作っていたという。材料は、山からとれるもの、そしてカイコの糞、などで家の床下に深い穴を掘って作っていたという。

平家の落人が、祖先で、民謡の故郷でもある。白川郷も同じく世界遺産に登録されているが、五箇山は、規模が小さいけれども、より昔の雰囲気が濃いといえる。

懐かしい原風景が今にみることができるというのは、すばらしいことである。冬は豪雪が降り、一面の銀世界になる。この中での生活はたいへんであったと実感するけれども、自給自足の基本が生きていて、贅沢な都会生活になれたひ弱な、コチトラは、心の奥底に、生きるという原点に、ふれてくる強烈な刺激を受けた。

日野原さんの語録に、旅にでよ、本を読め、必ず発見がある、という趣旨の文言があるが、まさに今回は、それを実感する旅であった。素晴らしい旅行となった。

国民の方を向いた政治を期待する

2009年05月14日 18時27分24秒 | 思考試行
民主党の小沢氏が退任して、代表を選任することになった。岡田氏と鳩山氏の一騎打ちだ。

岡田氏の就任への意欲を、テレビで見た。筋が良いなあと思う。意欲が溢れている。前回代表の際には、小泉氏の劇場選挙に敗れたけれども、本当に、政治家として、キチント事態を把握していると思った。

マスコミが、どっちもどっちのような扱いをして、政治的無関心を煽るような扱いをするが、問題の立て方が、明確で、マスコミの企みには、簡単にのらない。受け答えを聞いていて、本当の政治家の本領を見た気がした。

鳩山氏は、国民のことを本当に考えているのか、少し疑念がある。小沢氏に近いといわれているが、ナルホドと思う。

いずれにしても、政権を一度かえることが、閉塞状態を打ち破って、本当に国民の方を見るという姿勢が、行政、資本の傲慢な態度を改めさせる唯一の方法であると思う。

今度こそは、ゴマカシを打ち破って、平和で、国民本位の政治に切り替えていく、方向を明確にしてほしいものだ。