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空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

朝日新聞を支持する…31日社説に共感

2020年12月31日 12時13分36秒 | 思考試行

 プロだから当たり前かもしれないが、社説の内容が、実に上手に安倍・菅政権の、現状を描き切っており、おこがましいが、小生の思うところとあまりにもピッタリ一致していて実に気分がよかった。ご指摘、正にその通りである。うまくまとめてくださったことに感謝したい。政権の目が弱者に向いていないことを見抜いている。

 にもかかわらず、自民党の支持率は、相対的に高く、野党を凌駕している。どこに原因があるのだろうか。

 それは、特に、憲法改悪に関して、本当に中国など、外国勢力が牙をむいてきたときに日本はどうするのか、という疑問に対して、納得できる解答を野党が充分に示すことができていないことが原因となっているのではないだろうか。 

 なんせ相手のあることだし、相手は、こちらの意志通りにはならないのだから、憲法をかえて、戦争ができるようにしておかなくてはいけないという気分が底流にあって、現実的な対処をしっかりと考えておかなくては、憲法をかえずに、平和を守ることはできないのではないかという疑念があるのである。野党は、この問題に対して、真正面から対応していない側面がある。

 しかしながら、与党支持者の中にも、憲法を変えてしまって、普通の国となるならば、これは、いつでも国民が戦争に引きずり込まれる状態を作り出すこととなり、徴兵制度が現実的なものとなり、個人的に戦争に反対であっても、意に反して、命を投げ出さざるを得なくなってしまうのは、かなりの躊躇があるだろう。

 憲法9条がある限り、通常の戦争は不可能であると思いきや、集団的自衛権をもちだして、憲法解釈をかえて、事実上、戦争参加の道を開いてしまった。これは、憲法無視の暴論であり、戦争をやれるようにしたい、という考えの実現を意味するが、これだけでは、徴兵制まで持ち込むことはさすがに困難である。

 そこに憲法改悪をあきらめない真意があるとみる。外国からの侵略や、理不尽な攻撃があるとした場合、戦争以外のどんな手段があるだろうか。武器以外の有効な手段こそ用意すべきである。必ずその手段はあるはずである。武器がまったく無駄なものであることを人類は必ずや明らかにすると考えたい。それができなければ、人類は滅びる他ない。

 殺しあわなければ、本質的な解決ができないなどという水準にいつまでも人類が、いてはならない。日本こそその先頭にたって、リーダーシップをとるべき国ではないだろうか。

 

 


考え方の違いか、ウソかまことか

2020年12月29日 12時58分17秒 | 思考試行

 特に政治の世界をみていると、主張がかみあわずにいる状態がまるで当然であるかのようにみえる。

 どんなに話し合ったとしても、わかりあえることはないと思えるほどに、まるで違う場面がある。

 当然によき方向へと合意できそうなのに、あえてそうしない。足を引っ張り邪魔をすることだけに専念しているかのようだ。

 民主党政権の時の、石原幹事長はその典型例だった。決めさせない、ことを主眼に行動する。邪魔をする。こういう場面を延々続けられると、もはや政治不信をすぎて、人間不信になったとしても不思議ではない。

 そして、安倍政権では、力のあるものに逆らえばどうなるか、を徹底してみせた。とりわけ官僚の人事権を官邸主導としたことで、政権に逆らう官僚はいなくなり、震えあがり、政権首脳の意向をさぐり、忖度するまでになった。

 検察、裁判までおかしくなり、安倍政権は一強時代を実現した。もう誰も怖くないという状態となった。

 社会のシステムは、こうなると生き生きしなくなる。儲けるものは際限なく儲け、貧乏人は、その境遇から抜け出すことはできない。非正規雇用で、低賃金にあえぎ、企業の都合で簡単に職を失い、社会保険にもはいれない人々が多数生じ、若者は結婚もできない。

 将来どうなるのか、老後の年金もままならない。そしてこういう状況を是正しようという動きは政権にはない。黙っていればこの状態が続くということを意味する。

 今の状況がこれでいいのか、改善すべきなのではないか、その認識がない。現状でいいではないか、と思っている人びとがいる。他者、弱者に対する視線が、冷たいということだ。

 コロナ禍で、社会の現状、政治家の姿勢、資本の論理、弱者の状況、これらが白日のもとにさらされることになった。社会をどうしていくのか、権力争いの手練手管はあっても、現実の困難をどうしていくのか、さらには、人間社会を見る目、どうしていくのか、実際的な政治の在り方が問われている。

 無能力がわかれば、躊躇なく、政権交代をしなければならない。野党が何を目指し、主張しているか、マスコミだけをみていてはわからない。積極的に、どんな動きをしているのか、自ら動きださなければならない。

 そこから、何がどうなっているのか、誰がウソをついているか、何をやろうとしているのか、見抜かなくてはならない。


ギリギリのところ

2020年12月10日 08時23分04秒 | 思考試行

 自身の生涯を振り返って、結構危ういときもあったと思う。今、一応普通の人間の顔をしていられるのは、運がよかったというほかない。

 それでも、これからについては、保障のかぎりではない。どう自身が変貌して、世の中に迷惑をかけるやもしれぬ。いや、すでに生きていること自体が迷惑をかけていることかもしれない。

 健康上の理由で、いきなり、生業を放棄せざるを得なくなり、無職となったとたんに襲われている気分である。

 年齢的には、充分生きてきたといえる。仕事はそれなりにやってきたが、自慢できるほどのことでもない。それでも、仕事をもって、何事かしていたということは、精神的には楽なことだったのだと実感する。

 生を終えるその日までは、生きているのだから、なにもしないというわけにはいかない。時間が自由になったのだから、自身で決める生き方を探求しなければと思う。

 仕事は、それ自体がこうした迷いともいう状態から解放してくれる要素がある。その役割をはたしていれば、たとえ不満があろうと、時に追われるように、乗り物に乗ったかのように、時を過ごしていくことになる。

 自由を与えられて、青春時代の何物になるのか、という命題が襲い掛かってきた感じがある。

 放送大学との長い付き合いがあって、(今もあるのだが)これが、相当な「助け」となっている。いわば、居場所なのだ。どこにも属さず、自身だけの存在として生きていくことは、きちんと生に対して、何らかの命題をもたなければならないようだ。

 趣味もその助けとなる。状況が変わると、人間の考え方もかわる。その体験中であるが、ここへ来て新たな病が発覚した。来年には大きな手術が待ち構えている。まあ、ここで生涯が終わるとしても、文句は言えないし、充分ではないが、それでよしとしなければならないと思う。

 それにしても、人間自分にまでウソをついてはいけない。どうも、現政権や、先の政権は、真剣に政治をやる基本の姿勢ができていない。真実をねじ曲げウソをつき、まっとうな議論をしない。人事などのエサを武器に官僚をコントロールし、多様性や生き生きとした、人々のエネルギーを奪いつつある。

 これでは、政権にある人にとっても、幸せとはいえないだろうし、なにより国民に害悪を垂れ流していることに早く気付かなければならない。国民は、こんな政治勢力に権力を与えないことが重要である。次回選挙で、彼らに「お仕置き」をしなければならない。

 ウソやゴマカシのない国民の暮らしと命を守る政治は、国民が求めなければ手にはできない。自らが、自らの意志をもって、実現しなければならない。選挙が大事である。


誠実であるかどうかは、わかる。

2020年12月04日 18時03分28秒 | 思考試行

 誠実であるかどうかは、すぐに分かることではないだろうか。いくら、真面目そうにしても、口でいくら「丁寧に説明する」といっても、説明しなければ、説明してないじゃないか、となる。誠実ではないのである。すぐわかる、そう指摘されるのは、あたりまえである。

 肝腎なことになると、おこたえできない、とくる。こんなやりとりが政治家間でやりとりされ、記者会見などでも連発される。政治に関心をもたなくさせる陰謀かとも思ってしまう。政権側は、あまり関心などもってもらいたくはない。ふんわりと、現政権を認めてくれればいいことであって、深く理解なんてしてもらう必要などないのである。

 今日の菅首相の記者会見もそうだった。予定の質問に対して、まちがいのないように、緊張しながら答えていた。学術会議の人事を、学術会議側の、推薦どおりに、しなかったことについて質問があったが、国家公務員の人事のことだからとして、明確なこたえはしなかった。

 しかし、彼の本音は、認めなかったのは、政府政権の政策に異を唱える学者だからとはっきりしているのだが、それを言わない。その本音が多様な意見の存在をみとめ、健全な世の中であるための条件を奪う危険な行為であることに、気付かないようにふるまう。知っているからこそ、排除の論理を貫き、支配体制を維持するための方策と考えているのである。

 それにしても、このような、記者会見をやりたがらない理由は分かるような気がする。就任以来初めての記者会見である。

 尻尾をつかまれないように、核心に触れる質問には、これをはぐらかさなければならないから、一言一句注意に注意を重ねているのである。堅苦しいことこの上ないだろう。

 おそらくは、記者からの質問は事前にすべて知っていたかもしれない。実際のところ、驚くような、突発的な質問などなく、核心に触れた答弁を求められた場合は、今まで通り、こたえずにスルーするだけだが、それでも神経は使うだろう。

 そこには、彼から見れば、国民一般は、信頼できない国民であり、どう黙らせるかの存在であるにすぎず、気楽な相手ではないのである。

 本当に国民の暮らしについて心配し、心を砕いているとするならば、それは態度物腰に表れてくるはずである。もっと親しく、もっと楽に、なれるはずである。それでも菅首相が、生きた表情を見せた場面があった。

 それはワクチンができたら打つのか、という質問に対して、順番がきたら打つ、と言った場面である。だれもが、不安を持たざるを得ないワクチンであることの実状を反映した表情であった。だが、うたないというわけにはいかない、この間の事情をきっちりと薄笑いのなかに表現していた。これが、本音というものであろう。