少し真剣に、ものごとに取り組もうとすると、その背景にはとてつもない困難さを感じることがある。たとえば、いいことをしたい、と志を立てたとして、さて、善悪とは何かとなると、この基準がむずかしい、テナことになる。
哲学的に考えるとエライ難しくて手に負えない。そんなはずはないと思っても、よかれと思うことが、本当にそうかといえば、絶対的には、首を傾げざるを得ない。それでも、狭い地域であるとか、我々周辺世界だけに限っていえば、ある種の基準があって、それで、ことはまわっている感じもある。
しかしながら、そんな狭い世界に閉じこもっているわけには行かない。となれば、広い視野が、深い思考が必要ではないかと思う。そこで、ゴタガイという気持ちは意外に広いのではないかと思う。自分だけの世界、都合ではなく、相互の価値観の違い、見方の違いを認めつつ、支えあって生きていく姿勢が、これからの世界にとっては、必須ではないかと思う。
アメリカは、独善にすぎるのではないか。いまから、アフガンやイラクをどうするのか、テロ撲滅ばかりをいう裏側の本音と、本当に人類世界、地球世界を考えていることとの乖離をできる限り、なくして、道を切り開いて欲しいものだ。
哲学的に考えるとエライ難しくて手に負えない。そんなはずはないと思っても、よかれと思うことが、本当にそうかといえば、絶対的には、首を傾げざるを得ない。それでも、狭い地域であるとか、我々周辺世界だけに限っていえば、ある種の基準があって、それで、ことはまわっている感じもある。
しかしながら、そんな狭い世界に閉じこもっているわけには行かない。となれば、広い視野が、深い思考が必要ではないかと思う。そこで、ゴタガイという気持ちは意外に広いのではないかと思う。自分だけの世界、都合ではなく、相互の価値観の違い、見方の違いを認めつつ、支えあって生きていく姿勢が、これからの世界にとっては、必須ではないかと思う。
アメリカは、独善にすぎるのではないか。いまから、アフガンやイラクをどうするのか、テロ撲滅ばかりをいう裏側の本音と、本当に人類世界、地球世界を考えていることとの乖離をできる限り、なくして、道を切り開いて欲しいものだ。