テレビは、痒い所を、さけて、掻いているように見える。肝心なところを掻かないのである。痒い所を掻いてこそ、孫の手の意味がある。テレビを見るのは、いい加減にしておいた方がいい。本質を外しているのは間違いない。
ちょっと観察してみれば、わかることだが、マスコミは痒い所を避けて報道している。れいわ新選組は、これからどうなっていくか、それを避けて、報道している。れいわ新選組は、今後、大化けする可能性がある。それを無視する報道ぶりは、わからないではないが、あまりに無視するとバレバレではないか。露骨すぎて笑ってしまう。
参議院は、さっそく議場の改造を始めている。これこそ大ニュースである。障害者の議員が初めて登場するのである。国民は健常者ばかりではない。大きな発明も、障害者関連から産まれている。障害者がいなければ、できなかった発明である。障害者がもっと力を持っていかなければならない。日本は、かなり取り組みが遅れているのである。
それはほとんど気付かれていない。障害者のことを考えて、建物を設計するならば、それは、当然ながら、すべての弱者のことを考えていたということである。古い建物には、そんな配慮が全くない。障害者の存在など眼中になかったのだ。障害者に配慮されている施設があるとすれば、そういうところは、健常者にとっても、やさしい設備となる。
れいわ新選組のねらいは、あたらしい展望を開いてくれた。参議院を障害者に対応する設備に変えたのである。これは大きな前進である。
れいわ新選組は、拡大する貧富の差に、鋭い視線をむけている。これこそ、貧乏人の味方である。まだまだ紆余曲折があるに違いない。それでも、選挙資金の大半を、カンパで得ることができたのは、まことに自然であり、今後の成長の可能性を示すものとして象徴的である。
大衆の支持のもと、山本太郎氏の熱があれば、方向性が庶民を向いている以上、庶民にとって、すばらしい味方である。かれに邪魔するものは、いわゆる一般庶民ではないのである。果たしてマスコミは、彼を無視している。マスコミはどちらを向いているか、鮮明にしている。マスコミがどう変化していくか。れいわ新選組がどう成長していくか。楽しみである。