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空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

誰がホネを拾うのか

2013年04月30日 09時23分05秒 | 思考試行

不安は、いろいろあるが、もっとも気になるものは、これではないだろうか。自分のホネを、だれが拾ってくれるのか。

とくに、子供がいない夫婦にとっては、お互いそろっているときは問題ないが、一人になった時には、周囲を探す目になっていて、見当はずれになりかねない不安におそわれる。

頼りになるものがいない、という現実。これをどう解決するか。一人ひとりの課題であるが、親族をもたないヒトは、もっと、深刻かもしれない。

大きな家に住んでいても、葬式代がないからと、遺体をそのままにしていた、とか、の話は、これから少子高齢化の社会のなかで、あたりまえの話になるのかも。

そんなことを心配しなくとも、ある程度の態勢があれば、よしとしているのが正解だと思う。生きている間、やるべきことをやっていれば、それでいいのだと思うが、少し準備をして、自分の身の処し方を決めておくのも、いいかもしれない。

 


金儲け亡者たちの馬鹿笑いと喧騒のなかで

2013年04月29日 12時32分59秒 | 思考試行

人をヒトとも思わない、利己主義がはびこり、金儲け亡者が企業を支配し始めた。たとえば、理不尽な商慣習の破壊、富の独占をはかる卑怯としかいえないような、大手損害保険会社のやり口はまことに鉄面皮そのものである。

背景には、外資の株主がいて、彼らの流儀を押し付けているらしい。そういえば、契約書類にしても、捺印ではなく、「署名」にしたり、彼らの商慣習をもちこんできている。

文章も、英文和訳丸出しで、どうやら完全に乗っ取られたのだろうか。どこの保険会社も同じような営業形態になってしまうのだろうか。それではいかにもつまらない。

ただし、例外的な会社もあって、個人、中小企業を顧客ターゲットとし、「リテール」を売り物にしている会社がある。東京海上グループだが、日新火災海上保険株式会社は、ユニークである。

こういう多様性がでてくると、救いがある。強者が勝手なことをして、弱者の側が抵抗できないのは、いかにも悔しいではないか。若者たちは、本質をつかんで、金を儲けようとはしないし、(設けられない仕組みを見抜いているのかもしれない。)価値観を変えてきている様子がある。静かに、金儲け亡者どもに対する、告発の準備が進んでいるとみたい。

 


百田尚樹氏の本「永遠のゼロ」を読みかける

2013年04月28日 17時03分11秒 | 思考試行

探偵ナイトスクープの放送作家でもある。この作品がデビュー作品という。別の作品で、本屋大賞を受賞しているが、この本が文庫本になっているのをみて、購入した。

解説をみると、児玉清さんが、激賞している。なるほど、読みかけて、力のある作家であるとわかる。この作家がなにを言いたいのか、はっきりしていることがわかる。

複雑な心理的な話ではない。まっすぐに、問題の本質にせまっている姿勢を感じる。まだ、五分の一ぐらいだが、明確に伝わってくる。

テクニックとか、才能、才気とか、そういうものではなく、中味である。そういえば、探偵ナイトスクープは、常に具体的である。材料をどう活かして、話をすすめるか、そこに構成作家の腕が試される。

それは、言葉のテクニックや、きらびやかな装飾ではない。まっすぐ、人間に向かわなければならない。神秘ぶったり、難解さを売り物にしたりなどしない。

井沢元彦さんの本といい、百田さんの本といい、このところいい本に、めぐりあっている。


長居公園へ妻と行く

2013年04月27日 16時06分57秒 | 思考試行

今日は、本当に好天気で、長居公園そばの商店街で、弁当など仕入れて、植物園のなかで、ゆっくりと昼食をとった。公園のなかに、大きな池があって、今は、蓮が枯れたような風情になっている。こうべを垂らして、群れをなしている。

季節がくれば、また青々と葉をしげらせ、蓮の花を咲かせるのだが、今は、そんな感じは全然なく、静かに時節到来を待っているのである。

亀が水面に頭をだし、むこうで、鯉がはねる。足元には、鳩がよってきて、妻が弁当の卵など、少し落としてやると、猛烈な勢いでついばむ。とびちる破片も、ことごとく、見つけて、一切、残すことはない。

気配を感じて、たちまちのうちに10羽ぐらいが集まってくる。こちらに、注目しているようにはみえない。あくまで、食べるものが、ふってくるかどうかだけをみている。

弁当そのものに、着目しているとすれば、「共存」は不可能だが、そこまでしないから、成り立っている風景である。小生は、ケチだからやらない。こういうことで、ケチだと自覚させられる。


井沢元彦氏の歴史の本が面白い

2013年04月26日 10時38分27秒 | 思考試行

「古事記」以来、歴史づいていて、このところ、のめりこむとまではいかないが、歴史が面白いと思い始めている。いままで、こんな経験がなかったから、すごく、新鮮である。

井沢氏の本は、文章が読みやすく、生徒に話すような感じがあって、本当に授業を受けているような気がする。書店にも、彼の著書が、シリーズになっていて、ずらりと平場にならんでいる。

インターネットでみると、歴史学者からは、相手にされない存在らしいが、本屋さんで見る限りその存在感は大きい。

「学校では教えてくれない日本史の授業」は、発想がのびのびしていて、納得させる推論を展開している。取材の仕方も、元記者らしくダイナミックで、活力に満ちている。

それは、近現代の歴史の解明にもつながる現実的な視点であり、新しい手法である。古い書物の世界のすみずみを探求するのも必要かもしれないが、大胆に、考えを羽ばたかせる方が、より、真実に近づけるのではないかとも思う。

歴史学者に対して、かなり歯に衣着せぬ批判を展開しているから、相手にされていないようだが、通史的な議論があまりされていないという井沢氏の主張は、もっともだと思う。


福知山線事故の朝日夕刊の記事をみて

2013年04月25日 20時29分19秒 | 思考試行

事故の真の原因を追究しようとする姿勢が、みごとに欠落している。遺族の悲しむさまを報道するだけの、表面的な、底の浅い、記事だ。

こんな報道でいいのだろうか。事故の原因が、カーブに安全装置が備え付けられていなかっただの、社長がその事実を知っていたかどうかだの、焦点のぼけた裁判があって、会社全体の体質や、事故原因にせまる状況がまったく語られていない。

事故原因が、若い亡くなった運転士が、なぜ、猛烈なスピードでカーブに突っ込んでいかなければならなかったのかに、ふれないのは、まことに、不自然であり、事故原因を隠蔽する報道であると言わざるをえない。

当時のJRの労務管理の実態。沿線他社との競争のなかで、労働者を締め上げ、過酷な、懲罰的な「日勤教育」があり、この懲罰を恐れて、若い運転士は、必死になって、いそいだのである。

過酷な労務管理の実態がどんなものであったのか、ここにこそ、事故原因の本丸がある。詳しく実態を明らかにすべきである。そして、なぜ、そんな過酷な労務管理をしたのか、企業の安全管理意識はどうだったのか、総合的に、問われなければならない。

誰かひとりの社長の責任ではない。ここには、企業の儲け本位の体質がある。利益本位、労働者を追い込んでやまない体質、そこにこそ、事故原因の本質がある。ここを外して、事故の犠牲者の無念、遺族の悲しみは、はらせない。この事件は、企業責任をこそ問わなければならないのである。


自民党の本音

2013年04月24日 11時09分15秒 | 思考試行

あれだけの事故があっても、やはり、原発は再開したいのが自民党政権の本音だ。どこをどう反省しているのか、経済界や、利権団体の意向にそって、自民党政権は動く。

多くの国民のことは念頭にはない。地球全体についての真摯な考えもない。中韓との外交についても、難しいのは、わかるけれども、真剣に歴史問題やら打開策を検討しているのだろうか。

どこの国も、自らの国益追求にカンカンであり、そんな余裕はどこにもないのかもしれないが、そんな中で、世界平和を打ち立て、世界のためにも行動していくとする正論を本音としてもちつつ、具体的に政策を運用していくようでありたいものだ。

そこに深みというか味が出てくると思う。靖国参拝が軍国主義の復活ととられるのは、本音の表現とみるからで事実はそうなのであるから、警戒されて当然であり、それなりの反応があるのも当然である。どのように、世界の平和を考え、環境問題を考えるのか、世界を説得できる態度、考え方をだし実行に移すべきだと思う。

かっこうだけのごまかしでは、いけない。真剣に、そういう行動をとることが、世界のリーダーの要件である。


高橋洋一氏について

2013年04月23日 08時13分57秒 | 思考試行

スーパー銭湯で、窃盗罪。犯行を認めて、起訴猶予。大学教授を首になり、要職から外れた。その人が、「アベノミクスで日本経済大躍進がやってくる」という本を著した。今年の3月27日発行である。

10年以上前からの主張であり、安倍総理の指南役と本の帯にある。長年の主張であり、その政策がスタートして株高円安となり、明らかに新しい方向性が出てきた。

この間、大儲けした人もいるだろう。百貨店の売上も贅沢品などを中心に増えているといわれる。給料があがらずに、物価だけあがれば、普通の庶民にとっては、何のこっちゃということだが、給料もあがるだろうか。それには、まだ時間がかかると高橋氏は、言っている。

金融政策は、経済学者によって、その主張が全然違う。日銀総裁が変わり高橋氏と同じ主張をする黒田総裁が誕生し、アベノミクスは順調に推移しているようだ。巨額の金の動きがでてきている。政策でこんなに変化するのだ。

それにしても、冒頭の高橋氏の犯罪は、本当なのだろうか。インターネットで、お笑いタレントでいいのだろうか、たけし軍団の水道橋博士ととっちゃん坊や風のテレビによく出る人・・・名前がでてこない・・と高橋洋一氏が鼎談している動画サイトがあった。

高橋氏が生で、事件のことを述べているが、およそ、犯罪の匂いはない。むしろ作られた事件だと確信した。本当にそんな犯行をして、あのようなやり取りができるとすれば、人間社会は成り立たない。

陰謀であったり、なにやら画策するものがいて、ゴソゴソしているのだな、という事実がここにもあると思った。

 

 

 


村上春樹氏は何故人気があるのだろう

2013年04月22日 00時30分09秒 | 思考試行

都会的で、女子大生に人気がある。文学部の勉強対象になって、作品の分析などされているらしい。昔の作家達とは違う。

壁と卵の対立があったとする例え話で、その場合、卵の側につくという。不倫、セックス描写、・・・そして、行動が世界的。書斎に閉じこもってというタイプではない。

オシャレで、アスリートで、マスコミに、ほとんど登場しない。

危機の文学、都市の文学、無意識の文学  

三島由紀夫の「金閣寺」を、全部読めなかった、などの発言がある。彼には、耐えられないものがあるのだろう。小生は、金閣寺は、全部読んだ。読めない、あるいは、読みたくなくなるという気分が理解できない。

ノルウエーの森を読んだけれども、良かった、などとは思えなかった。格別、感動することもなかった。

もう、時代から、外れかけているのかもしれない。なんせ、新刊が発売されるとなれば、あれだけの人気があるのだから、魅力はあるのだろうに、興味をもてないのだから。


人間関係のなかで

2013年04月21日 19時33分56秒 | 思考試行

夫婦の関係が、もっとも近しいのだろう。不思議なことである。他人でありながら、もっとも近しい人となる。親や兄弟姉妹よりも、近くなる。

動物としての関係、命を生み出す源泉だからだろうか。しかし、子ができなかった夫婦であろうと、その関係は、親よりも、近しいのはなぜだろうか。

いろんな夫婦関係があって、必ずしも、仲がいつもいいとは限らない。醒めてみれば、ただの他人である。だが、運命共同体として、お互い切磋琢磨する関係であれば、頼もしい存在である。命をかけて、相手を尊重し、守り、人生のパートナーとしての任務を貫徹しようではないか。

多くの、可能性、誘惑、迷い、それらをフリキリ、貫徹しようではないか。それが、相手の誠意にこたえる、ただ一つの方法である。

といいつつ、相手が裏切ればどうなるのか、そのときは、自身の不徳をうけいれ、相手を許すことである。明石家さんまさんが言うように、生きてるだけで「まるもうけ」なのである。

といいつつ、今日は、少し飲みすぎたかもしれない。


”学校では教えてくれない日本史の授業”・・・邪馬台国論争の無駄を指摘

2013年04月20日 16時21分36秒 | 思考試行

井沢元彦氏のPHP文庫になっているこの著書を読み始めている。歴史ものには、あまり関心がなかったが、最近「古事記」の文庫本が、面白かったものだから、それ以来、方向性が変わった。歴史に関心がでてきたのである。

そして、井沢氏の、この本はすばらしい。知らないことばかりが出てくる。邪馬台国論争というのがあったが、(今でもあるのかもしれないが、よくは知らない。)魏志倭人伝に出てくる。この読みかたの話がでてくる。

当時どう、発音されていたか、というのである。中国では、言葉の発音の研究があって、時代によって、発音が違うことがわかっているというのである。井沢氏はこの取材をしている。そして、この本を書かれた時代には、「邪馬台」をどう読んでいたのかを調べ、「やまど」と発音していたことを取材するのである。

歴史家の誰もが、こういう取材をしていないと、井沢氏はいう。こういうことを知らないままに、論争していることを、井沢氏は指摘する。発音が同じなのだから、無駄な論争だというのである。それはそうだ。

これは、目からウロコがおちる、感じをうけた。氏の著書は、ほかに、相当大部なものがあり、以前から気にはなっていたのだが、これにも、今後挑戦しようと思っている。


共に何かをすること

2013年04月19日 08時13分50秒 | 思考試行

人間は、力をあわせて、何事かなす。個人の力では、どうしようもないほどのことを、どんどん成し遂げる。大阪駅周辺など、子供の頃の風景を覚えているが、今や、モノスゴイことになっている。

誰の力か、道具を使い、知恵を駆使して、町を変貌させた。歩いている人々は、昔と同じような顔をしている。ファッションは、かなり違うけれども、あれから60年は経っているから、それは、仕方のないこと。

ひとりでは、できないことを、多くの力でなすのだが、基本というか、具体的には、一人ひとりの力をよせあつめたモノである。個人がどのような役割をはたしたのか、何をしたのか、それは、それに携わった本人しか知りえないこともあるだろうが、システムとして、それは、存在している。

いつの間にか、あちこちで、できていて、ぼーっとしているうちに、世の中全体が変化、進歩していく。情報は世界をかけめぐり、改善すべき問題は、次々と明らかになっていく。

共に何かをするなかで、人々は、新しい世界を築いていく。


猫の復活

2013年04月18日 08時12分18秒 | 思考試行

まず、前足がクタクタになり、力が入らなくなり、次に、後ろ足が同じになった。胴体と頭はしっかりしているが、これはもう、老衰かと観念したのだった。動物病院に行ったが、確たる治療方針がたたない。

オムツをつけて、無理をせずに、いくこととした。どういうわけか、小生の膝にのりたがる。胴体をゆすって、その要求をする。軽くて、・・・たまらない、感じがある。

ところが、食欲もまったくなく、水さえうけつけなかったのが、少し、元気がでてきているようにみえたので、水を口元にもっていくと、すごい勢いで飲み始めた。ついで、食欲もでてきた。スープ状のものを、しっかりと食べ始めた。

そして、足にしっかりした力がでてきた。なんだったんだろう。まだ、完全に元通りというわけにはいかないが、すごい復活ぶりである。

この間、なげき、うろたえるわけではなく、与えられた条件で、平然としているサマは、教訓的である。生身でいろいろと感じさせてくれる。まさに、「家族」である。


20万ipを目前にして

2013年04月17日 11時21分59秒 | 思考試行

ブログを続けて何年になるのだろうか。まるで日記のように、駄文を書き連ねてきた。言ってみれば、ゴミのような存在で、情報の海に、かってな、自分発の発言をさせてもらってきたのだが、長くやっていると、自然と貯金のように、ipやpvの数字が積み重なってきて、累計すると、20万人(検索エンジンが大半だろうが・・・)もの人が訪問してくれたことになる。

間違ったことは、書かないようにしてきたつもりだけれども、それでも、思い込みや、方向が適当でないものも、多くあるかもしれない。読まれた方にはご迷惑をかけている可能性もある。

それでも、野球のスブりのように、文章を書き連ねてきたので、個人的には、メリットを得ている。それほど、苦労なく、書く事のイメージがあれば、書けるようになったと思う。

日課にしている感じで、気付けば、相当な時間をかけているときもあって、家内からみれば、ヘンに思っているのだろうなと、感じられるフシもある。

なるべく、洗い物など、気の向いたときには、やったり、それも、ドヤ顔をしないようにきをつけながら、・・・、なんとなくバランスをとってきた。

放送大学といい、ブログといい、続けることは、苦にならないようで、それは、いいことなのかもしれないが、性格的に、要注意の側面もあるかもしれない。ともあれ、明日には、20万超えのip数がカウントされる。自分ひとりで、小さくガッツポーズしよう。


人間関係

2013年04月16日 00時08分21秒 | 思考試行

生きるうえで、主体的な姿勢、考えが明確になっており、腹がまえができていれば、他者にまどわれることなく、自己の信念に基づいて、生きることが可能となるが、通常は、人間関係を無視しているようでは、困難な状況が惹起して、スムースには生きてはいけない。

そして、その姿勢は、如何様にも取りうるし、どれが正解というわけでもない。多種多様、無限の組みあわせが可能であり、喜びにあふれるか、それとも、疑念に苛まされるか、人生の質は大きく、ゆさぶられる。

化学変化のように、微妙な具合から、人間関係は、大きく変化する。住みやすい環境となるか、過酷な環境となるか、それは、本人の考え方、こころがけ次第の面もあるし、どうしようもない、外からの試練のこともあるだろう。

いかなる環境下においても、ゆるがない、しっかりした人間関係を築く力量をもてれば、その人生は、成功であるといえるだろう。自らがどういう態度で、人生にのぞむのか、日々、検証しながら、態度を選ぶ自由はあるのだから、生き抜いていく、適切な態度を選びとろう。