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空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

原点

2008年10月31日 17時46分44秒 | 思考試行
大事なことは、景気であるとか、贅沢な暮らしとかではない。

つつましくて、平和で、仲良く暮らすことだと思う。

人より、いい学校を出たとか、収入がいいとか、そんなことではない。

平和で、戦争のない暮らしならば、それでいいのだ、と思う。

レベル

2008年10月31日 09時38分11秒 | 思考試行
フィリーズが優勝。監督のマニエル氏は、日本にいたとき、長時間の練習に驚いたという。郷に入れば郷に従えで、彼は、その真意をつかむ。

その経験が、今回の優勝に結実したという。日経の記事である。田口選手は、5戦とも出番がなく、ベンチにいたが、監督は守備要員として、考えていたという。

野球は、後発の日本であるのに、学ぶべき所は学ぶという姿勢はすばらしい。

それは、何でも同じだろう。いいものは、真似して、おおいに活用するべきである。

金融危機も一服の感じであるが、単に数字の世界の財産が吹き飛んだからといって我々庶民にどのように関係してくるのか不明である。

キチンとした理由も示さず、損保代理店の手数料を、大幅に減らされたのは、少し前の話であるが、これは、今の危機の前兆であったのだろう。

自分勝手な、「強者」の姿を、ありのままに見せてくれたのであった。

本当に、大事なことは、それぞれが、お互いの存在を認め、共生していくことであって、相対的な優位性を誇るようでは、程度が低いということである。

共産党の蟹工船化を考える

2008年10月30日 09時35分23秒 | 思考試行
週刊誌の広告をみていると、蟹工船ブームのなかで、共産党の蟹工船化というような見出しがあった。

共産党の活動家というのは、そんなことに関わらなければ、世間でいう成功者になれるにも関わらず、弱者の悲惨な現状や、不合理な状況に我慢がならず、自らの利益を省みることを是としない行動をとっている人が多いと思われる。

従って、蟹工船化するのは言わば自然である。ただし、それは、強制ではない。選択であって、そこが違うといえる。

共産党は、かつて武力革命を目指す一部の動きもあった。それは、激しい弾圧の中で、その動きは、言わば、当然のことであったかもしれない。

それでも、その影響は、いまだにあって、他の政党とは全然違う、と目されているし、明るい調子で共産党支持の旗幟を鮮明にすることは、得策とは思えない世間の状況がある。

しかし、人間満点というわけにはいかないが、善意の人の集まりとみて、間違いはないと思われる。政治資金を血税から受けないという一点で、その姿勢の立派さは証明される。大したものである。

人は、周囲の環境で、その生き方が決まってしまうようなところがある。歌舞伎社会に生まれたら、歌舞伎俳優になる確率が高く、医者の家では、医者を継ぐ人が多い、政治家もそうだ。

そして、その属する世界以外の世界には、あまり注意をはらわない。関心をもたない場合もある。広く物事をみようとすれば、当然ながら、不合理なこと、弱者のことに気付く。

共産党の活動家というのは、そういう人びとの集まりであると思う。もっと注目されていいし、金融危機のよってきたるところは、人のことは構わないとんでもない低レベルのヤカラの世界の破綻でもあるのだから、新しい方向性は、やはり、ここにあると思われる。

共産党に関わった人で、今はそうではない、という人がいる。しかし、心情的にはほとんど一緒ではないだろうか、あまり変わっていないのではないだろうか。

共産党のなかにも、スパイがいるし、工作者もいるようだ。それらの者との関係のなかで、複雑な状況が生まれることもある。そのなかで、弾き飛ばされた人もいる。こういう人は、一時期混乱したとしても、基本的には変わらない。そういう人が、いる。

あまりに単純すぎる確信だと、これも挫折することとなる。したたかで、根底にチャントした精神構造というか、哲学がある人が、組織の内外に満ち溢れているという風になって欲しいものだ。


いつの日か、ドラマに

2008年10月30日 08時48分38秒 | 思考試行
日常生活の中で、ドラマのような体験をすることは稀である。起承転結が見えないし、ありふれた日常のなかで、感動すること自体がない、というか見逃している。

家内の叔父の訪問は、そこへドラマを持ち込んだ。起承転結が、見えた。感動もあった。人生の大事なテーマも潜んでいるようにみえる。要素は、揃っている。磨かれていない原石を貰ったような気分がする。はたして、これをモノにできるか。

昨日のテレビドラマ「相棒」をみていて、ドラマ作家というのは、すごいもんだなと感心した。NGO,善意の政治家、しかしながら、腐敗した政治家や軍隊や、飢えた人民をクイモノにしている連中の存在のなかで、善意の犯罪となって、ドラマは展開する。スケールがあって、ドラマの骨格がしっかりしている。

小生の体験も、まさにドラマになることであり、材料は充分あると思われるのに、ドラマ化できるかとなれば、充分発酵しないで、このまま忘れてしまうのではという不安な感じがある。

もったいないと、そう思う。人生観に、いい影響を齎すドラマになるという予感はある。焦らず、深める作業を続けていきたいと思う。

焦点をしぼり、テーマの設定ができれば、必ず、ドラマになると思う。何時の日か完遂したい。

映画「さくらん」をみる

2008年10月29日 08時35分07秒 | 思考試行
従兄妹にもらったDVD 映画「さくらん」を見た。

おっぱいが氾濫したり、大胆なシーンがあるが、人間の営みであり、自然な感じで、猥褻感などない。

とくに、ラストシーンは、秀逸で、解放感がよく出ている。主人公達の笑顔がすばらしい。

はなやかな色調、絢爛豪華であっても、人間の本質にせまる、むしろ地味な、しっかりした映画である。

むき出しの、感情、計算、欲・・・の世界。

意地、優しさ、悲しみ、・・・手練手管。

可愛さ。

舞台は、時代劇であるが、現代劇であって、音楽もよくマッチしている。

この映画の題名は、まさに、ラストシーンから生まれたのだろう。

文句のつけようのない、いい話があって、約束された「しあわせ」がすぐ側まできているのに、突然の方向変更となる。まさに、「さくらん」である。

「さくら」がキーワードになっているから、そことも、かけている。

家内の母が、存命中に、三人でこの映画をみかけたのだが、菅野美穂のキジョウイ姿がでてきて、慌てて上映中止にしたのであった。

どうも身内で見るのはネーなどといいながら。

昨日、家内は友人達と遊びに出かけたので、この映画を思い出し、みたのであった。

相当、動機としては、内心、淫靡なものを期待していたと思われるのだが、健全なもので、いい映画であった。

そして、お客をつかんで離さない、「声はだすものではない。洩らすものだ。」のプロの極意には、唸るほかない。

人生ドラマの化学変化

2008年10月28日 10時02分46秒 | 思考試行
ほぼ初対面の、姪と叔父。姪からみて、叔父の父、姪からみれば祖父の行状によりその影響は、家族全員に及ぼしている。それは、次世代、さらに次の世代につながる。

二日間の行動で、長年にわたる空白があったにもかかわらず、その間の事情が語られる。どんどん埋まっていく。そして新たな疑問、課題、・・・・。

姉二人、弟、事情を知らない、姪、甥たち、そして、小生のような姪の婿。

人生模様が、語られ、それぞれが、関わったことで、その方向が変わる。ドラマである。昨日一日、家内の叔父の思い出の地を、小生のボロ車で、巡った。叔父の古い記憶が次々とよみがえる。

古い友人のこと、父親との確執、戦争のこと、わずか半日あまりでどれだけのことが語られたか。

今年10月にはいって、久しぶりに、夫婦で四国旅行をしたことで、ドラマが進展した。この旅行で、家内の祖母の墓参りをしたこと、そして、叔父と初対面したこと、その二週間後に、家内の叔父が、当方へ、きてくれたこと、そして、我が家に泊まってくれたこと、そこで、ドラマは単に昔話を聞くだけでは終わらなかった。

叔父が今、思っていること、音信不通の息子がいること、そこには、新たな進展を促す次のドラマの伏線が潜んでいる。

80に近い老人が、昔に戻り、恐らくは、家族には見せたことのない、無防備な、陽気な叔父の姿をみせた。いつもは、気難しい振る舞いをしているに違いないと思われる人が、違う顔をみせてくれていた。

明らかに、なんらかの化学変化が生じた。

小生の昨夜の夢は、同世代の大女優と、相思相愛、プラトニックラブの前兆のような、シーンがでてきた。これも化学変化のあらわれだろうか。

さて今日の行動は

2008年10月27日 08時40分13秒 | 思考試行
朝、家内の叔父は、我が家で泊まってくれたので、いろいろとお話を伺えた。義母とは、ほとんど一緒に暮らしたことがなく、きょうだい3人は、それぞれ別々の生活を送ってきたといえる。

快活に、長年話したことがないだろうと思われることを、次々と話してくれる。自分の娘との関係も、正直に話す。離れていても叔父さんということだ。身内としての、あけひろげの姿勢である。小生だけは、少し立場が違うので、そのような関係になるが、あくまで、手探りになるのは仕方がない。

農業のやっていけない現状を聞くと、意味がよくわかる。さまざまな裏事情も飛び出す。タテマエどおりにはいかない現実の生活のありさまが、浮き彫りになる。

いつもは、夜中に目覚めるのだが、昨夜はぐっすり寝た、といわれる。やはりかなり疲れられたのだろう。

今日は、どのようにしようか。大阪に住まわれたことがあるので、なつかしい場所の探訪ということになるだろうか。ご希望に沿って、案内したいと思う。

新たなつながりが始まる

2008年10月26日 08時29分27秒 | 思考試行
もう先の四国旅行から2週間が経った。はやいものである。そこで、昨日家内の叔父から電話があった。こちらへ来られる、ということである。

家内の母の弟にあたる。四国旅行の際は、短い訪問時間であったが、体調がわるく、義母の葬式に出なかったことを気にしておられた。

もう80歳をこえているはずであるが、快活に、短い期間をすごした彼の父との思い出を話してくれた。相当の遊び人であり、父に連れられて、現場があったところへ行ったときに、港で待っていろ、といわれて待っていたが、いくら待っても父は帰って来ない。結局、現場で酒になり、忘れられていたのだという。

家族に対して、いささか酷薄なところのあった父親に対し、家内の叔父は恨む様子は見せなかったが、生涯において、家族の縁の薄さの影響は否めない。

家内は、ほとんど叔父とは初対面に近かった。それでも、幼少時に会っており、それが、四国旅行の際に、大きな支えとなった。今回の来訪で、これから、親族らしい付き合いが始まり、深まる予感がある。

家内にとっては、母の香りのする身近な親族である。そして、知らなかった従姉妹にも会えた。今日は、家内の兄弟とも会うことになっている。80歳の家内の叔父にとって、近来にない出来事になりそうである。

今年の10月は、生活に、新しい広がりをもたらした。

これから何が始まるのか

2008年10月25日 09時06分23秒 | 思考試行
株がバブル期の最低額に近づいている。製造業のお客に聞くと、10日位まで忙しかったのに、その後バタンと止まったという。

こんなことは、15,6年位なかったことだという。アメリカの個人消費頼みだった世界経済という図式が崩れたということもある。ニュースが、アメリカのカード破産の実態を報じていた。

貯金など考えたこともなかった、と話す市民の顔、例外なくメタボの体、病めるアメリカの姿である。

いろんなことが、これから始まるということだろう。基礎的な、食料があればそれでいいのであれば、アメリカでは、クーポン制度があって、食べることだけは保証されているという。

それがあれば、別にアクセクしなくていいということか。日本の場合も生活保護の制度がある。どうも、ヤクザ屋さんがうまく利用しているという話を聞く。一方では、小役人の皮肉やイジメで、制度を使えず、悲惨な自殺をする人もいる。日本では3万人もの人が年間自殺しているという。

先進国といわれているところで、こんな実態である。富の偏在のために、もっと悲惨な状況が世界にはある。

まだまだ、人間世界は始まったばかりということだろう。

次代の哲学の方向

2008年10月24日 06時40分03秒 | 思考試行
化石燃料を思うさま使ってきて、どうやらそれが原因で、地球環境に異変が生じてきた。

人の暮らしについて、単純に競争だけしていていい時代は、どうやら去った。

そんなことをしていると、共倒れになるからだ。

次にでてくるのは、どんな哲学だろうか。筋をとおした、誰もが納得できるものであってほしい。

格差社会を当然とするような事態を招いた連中は、後日必ずその本質を暴かれなければならない。

いかに、それが卑劣であるか、水準が低いか、共通認識になるはずである。

いままで、良かったものが、一転して悪しきものとして、扱われる。そのときの言い訳は何だろう。

言い訳は、まことにその低水準を表すものとなる。正当化するためには、過去の哲学を、主張する他ない。

そこにしか寄る辺はない。ところが、それは、なんとも野蛮で、上品そうに装っていたものの、その本質は、醜い。これを自他ともに認めることとなる。

それが、明らかとなるのが、次代の特徴だろう。明らかとならなければ、もはや人間世界は、存立できないのだから。

庶民を雑魚とみるヤカラに要警戒

2008年10月23日 08時45分33秒 | 思考試行
「望郷の道」のサキさんは、ルイさんにお金をもらって、正太の前から去った。正太はサキに、どういう思いをしていたのか。単なる浮気相手か、本気なのか、これは愚問である。要するに、ルイさんも好きだし、サキさんも好きなのだ。サキさんにせまられ、そういう関係になったが、別に悔いているわけではない。ただし、ルイさんに対しては、すまないという気持ちは充分ある。露見したときの正太の狼狽ぶりは、それをよくあらわしていた。

当ブログを読んで下さった方で、サキさんは「ザコ」で小生のような読み方をしていることに、驚いたという感想をよせてもらったことがあるが、この読み方こそ小生は驚いた。

サキさんには、サキさんの世界がある。情熱的な、普通の庶民の姿である。ザコとオオモノは、嘲るかもしれないが、このオオモノこそ、醜い姿をさらしているといわねばならない。その意味で、そういうオオモノは、まことにコモノであって、健康な考え方とはいえない。

健康でないといえば、自民、民主の国会での動きは、解散をめぐって駆け引きが続いている。早期解散をいって、民主党は、あれほどもめていた給油関連法案なども簡単に通すことに、基本的に抵抗しないらしい。かつてのアベチャンの苦悩はなんだったんだろうか。もともと、方向性にそれほどの差異がないのだろう。

となれば、大連立の可能性があり、そうなると、また憲法9条が危なくなる。日本がなんとか、戦争に表立って参加できないのは、まさに、憲法9条のおかげであって、これがないがしろにされると、たちまち、軍需産業資本、庶民をザコとみるヤカラ連中の「儲け」の手段として、戦争の影が忍び寄ってくるのである。


違いのなかで共有できる幸福感

2008年10月22日 08時00分54秒 | 思考試行
「人は、人に触れなければ、本当の人生とはいえない。」そうだろうか。

たしかに、自分だけの満足の世界を求めて、やまないものもいる。人との係わり合いを避けたいと思うときもある。

ある時期、条件によっては、そのようなときが、必要なこともあるかもしれない。同じ人であっても、常に変化し、時によって変貌することもある。

およそ、人の世には、考えられるすべてのタイプの人間がいる。

自然の中で、仙人のような暮らしをしている人もいるだろう。そんな人がいたとして、その人がどんな考え方をしているのかと推量すると、その中でも千差万別であろうと、想像できる。

つまり、どこの世界にいても、まったく同じということはなく、似たような価値観ではあっても、選択のコースは、いくつもに分かれるから、完全一致は有り得ないと思われる。

違いをどうみるのか。競争、対立、抑圧、屈服、調和、・・・共存、如何様にも、改造され、発酵して、人間社会が展開される。

その中で、求める同士が遭遇すると、人生に輝きが産まれる。こういう体験をもてると、人は、ある種の幸福感を得るのではないか。

しかし、幸福感もまた多様であり、健全な幸福感というものの、常識化、共有化がのぞましいと思う。だが、これは困難なことだろう。

人を踏みつけにして、自分だけが経済的に豊かになることが、幸福だなどと考える人間が多いと、世の中、真っ暗闇である。

健全な幸福感の多様性がうまれて、共有できると、人間社会は、いいものになっていくと思う。

認識の到達点

2008年10月21日 08時09分27秒 | 思考試行
なんだか事の本質の外側を、ウロウロしてきたようで、重要なポイントを逃しているのではないかという危惧をもちつつ、このブログを書いてきた。

いつも、この本質を追求してきたつもりであるが、迫れてはいないという感覚である。人間の精神構造は、勿論すべてが解明されているわけではない。

それでも、科学技術の発展により、一つひとつは、意志をもたない細胞が1000億個も集まって、連携すると全体を統括するかのような意思行動が展開されることが解ってきた。

思えば、すべての動物は、意思的な行動をする。危険が迫れば、逃げるし、腹がへったら、狩をするべく、考える。そして、行動する。

体力勝負だったり、知恵比べであったりする。人間は、その中で、ついに、頂点を極めたといえる。人間が思うとおりの状況を作り、コントロールできる部分がでてきた。

しかし、宇宙のサイズからみれば、水溜りのボウフラにすぎない。地球環境、太陽なかりせば生存不可能であり、いずれは、この環境を捨てない限りは、種としての人間は滅びるしかない存在である。なぜなら、この環境自体が、有限であり、無限ではないからである。

人間は宇宙へ出なければ、無限を手にいれることはできない。それは、当面のことであって、もっと先をみるならば、宇宙全体もまた、収縮して、次のビッグバンを迎えるのだとすると、これもある宇宙期に存在したことになるだけかもしれない。それもいってみれば、有限である。

すべては、ゴワサンとなり、また繰り返す、と考えれば、その全体は無限ということになる。

人間の計りでは、途方もない先の話であるが、そこまで、見通すことができるようになった。証明可能のもの、不可能なものを含めて、仮説といいながら、それなりに、考えることができるようになっているのである。

つまらないことで、日常生活に、アクセクしながらも、こういう認識に庶民が到達できるようになった。

それは、人類共通の常識となったとき、現下の状況はかわるだろうか。多くのことが解決されるような気がする。どうでもイイことには、拘らないだろうし、人が人をどのように扱うのか、他の生命や環境にどう対応するのか、自ずからその選択が、できると思う。

このてのことを、アチコチで聞くようになった。これは、自分の独創的な考えだと思っていたこともあったが、小生が思うぐらいのことは、みんなが気付くという感じで、ときどき散見する。

これが、庶民の常識となると、世間は相当変わると思う。明らかに、こういう考えを知らない、生活と結びつけない人が圧倒的に大多数なので、これらの人が、変わると、それこそ、タイヘンなことである。

今、世界で紛争の種になっている、宗教や、人種や、その他の価値観に基づく諸問題はほとんど解決可能であり、独裁者達は退場願うことになるし、多くの「文化」は、それなりの役割のもとに、整理されるであろう。


野蛮な奴らの行く末をみせてくれ

2008年10月20日 08時16分19秒 | 思考試行
どこに価値を見出しているかが見えてきた。リーマンの破綻で、経営者の責任が問われているが、決して謝らない様子。日本の山一證券のときと大違いである。

ものすごい大邸宅に住んでいる。これが、彼の価値観である。人のことは踏みつけにしても、自らは平気である。こんな野蛮な人間がいた、という歴史的存在になるのだろうか。

金を動かすだけで、人の財産を掠め取る。それも、単純に安全な格付けのものと、言われて普通の庶民のなけなしのお金を集めて、彼らは世界中を混乱におとしいれた。

かれらは、すべての財産を、投げ出すのだろうか。そんなことをするはずがない。自主的には。といって、強制的にはできないのだろう。

それで、まったく、平気の様子である。道義的にはどう思っているのか。自分を鼓舞して、絶対に自分をまげないぞ、と決意していることだろう。

彼らの正義、真実、神、みんなオオウソだ。何が、上品だ、頭がいいだ。こんな連中がいたのだ。彼らが今後どうなるのか、その行く末を見なければならない。

世界中がしかし、貧しくなるのなら、私は平気だという評論家がいたが、人間生きていければいいので、本当に、助けあって生きるようになれば、人類は大きな進歩をとげることになる。

その方がいいかもしれない。とすれば、彼らは、非常にいいことをしたということになる。それで、あのような大邸宅に住むだけの功績があったということになるのかね。

「諸悪の根源」

2008年10月19日 10時27分13秒 | 思考試行
アメリカに端を発する金融危機の犯人探しの記事が、ニュウーズウイークに載っていた。

その原因には、家を持てそうにもない貧困層に、家を持たせるようにした政策、法律に原因があるかのように言われているが、それは、誤解だとする。

貧困層に貸した金は、本質的にリスクが低いとし、焦げ付いた金額は、債務不履行になったのは、ある団体の場合、この27年間で、1パーセント以下だという。(0.25%)

「愚かで、無謀な融資は、確かに行なわれたが、その発生源は庶民の住む町でもワシントンでもない。コネティカット州の高級住宅地やウォール街、住宅バブルに沸いた南カルフォニアだ。」という。

「貧しい人に金を貸したところで、貧乏にはならない。だが、金持ち相手にまずい貸し方をすれば、話は別だ。」と記事をしめくくっている。


異常なレバレッジ、CDS(クレジット・デフォルト・スワット)にのめりこんだこと、諸悪の根源の真犯人は、まだ、みんなが知っているとはいえない。