空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

オーム真理教と時効

2010年03月31日 08時40分58秒 | 思考試行
捜査機関が、全力をあげたにも関わらず、結局時効となった、狙撃事件をめぐって、捜査の結果と、オームの犯行であることを断定する記者会見をした。起訴できない、としながら、公表するという、このやり方が、物議をかもしている。

教団側からの、反発を誘い、その危険性を今一度、明かにしたいとの思惑があるのでは、とも言われている。

時効制度は、何故あるのだろうか。情報管理の難しかった昔は、その管理が大変であったということだろうが、今なら、格段の技術進歩があり、これを撤廃してもいいのではないか。凶悪事件に限らず、婦女暴行であるとか、許せない事件はいくらもある。

名誉会長、池田氏は、時効制度を使って、北海道の信者婦人を、レイプしたという事件で裁判になっていたのを逃げ切った。これなど、遡及して、真偽の決着をつけ、時効で逃げるのを許さない格好の材料ではないか。

裁判所もへんな判決をする場合がある。その意味では、裁判員制度は、裁判を密室化しないためにも有効だと思う。仕組みをチャントしないといけない。おかしいことは、チャントあぶり出し、へんなヤツは、キチンとその報いを受けなくてはならない。

そのためには、時効制度というのは、もうやめ時ではないか。

決められないものは決められない。

2010年03月30日 09時11分37秒 | 思考試行
問題がこじれて、どうしようもなくなる。それを無理に解決することはできない。とすれば、先延ばしにするほかない。

普天間問題は、そういうことになるのか。閣内でも意見が纏まらず、みんな違うことをいう。どうすればいいのか。多数決か。いずれにしても、問題を充分深めた検討をすると、何らかの結論に至る。

その検討をしない、あるいは、できないのであれば、先延ばししかない。という流れになりそうな雲行きである。3月中にといっていたのが、「法律で決まっているわけではない。」という鳩山さんは、マスコミの格好のエジキとなっている。

外務大臣の岡田さんは、いま、アメリカでどうしているのだろうか。なにも材料がなく、いくつもの可能性を並べて、相手の反応を探っているのだろうか。自分ならどうすると考えると、単純に、アメリカは、日本から出て行けとしか言えない。

鳩山さんも、基本的には、そういう意見のようだ。現実にやってみないと解らないが、それが実現したとして、中国が覇権をもとめて、変貌してきたときに、どうするのかを覚悟しなくてはならない。時代の進み方は、国と地域で違う。それぞれが、うまく着地点を見つけるのは、容易ではない。その時の対策はどうする。

平和と共存をテーマにして、日本が立ち直ることができるのかどうか。現状をみれば、資本が労働者の賃金を抑え込み、利益をだしても、その結果、全体の活力がなくなり、最後は、資本も立ち行かなくなるそのスパイラルに入っているように見える。

弱者のことを、考えないことは、結局、強者を誇る自分自身の墓穴を掘っていることであり、人間やはり、全体のことを考慮しつつ、行動するほかないことを示している。

そして、平和と共存を目指し、強者が、反省して弱者のことを配慮する、そういう流れからは、戦争しなくては生きていけないような、産業構造を目指してはならないことはあきらかである。とすれば、アメリカの基地は、もうなくすべきである。

他国に対しても、その姿勢を鮮明にし、武力による侵略を、効果的に防ぐ方策を具体的に考えるべきである。その結果、決めるべきことを決められる。懸命に平和国家として、積極的に旗幟を鮮明にする。裏も表もない。尊敬するしかない国にするのだ。そう目標を決めれば迷いはない。競争は、技術であり、思想である。

それで滅びるようなら、人類は、滅びるべくして滅びるということである。

亀井氏と菅氏のバトルをみた。よかった。

2010年03月29日 16時25分42秒 | 思考試行
けっこうベテランの政治家同士が、生放送の番組のなかで、言った、聞かない、のはなしを見ていた。電話でのやりとりのようだが、まだ、本決まりでない話であるから、結論がどうなるのかは不明であるが、非常に面白いことだと思った。

双方共に、テレビの前であることなど、意に介していない。そこが、まず気に入った。事実はともあれ、まだ、決定前の話であるから、亀井氏がワザと、言ってもいない話をしたのか、それは、高等戦術で、自らの意見を開陳するための戦術なのか、いずれにしても、そんなに深読みをする必要もないほど率直であった。

いずれにしても、後では正式に決まる話であるから、その道中はどうであってもいいと思う。それにしても、番組そのものが、この日で終わるということで、各党の党首クラスが出演し、しかも、生放送であるので、まことに面白い。

そして、政権の閣僚が、不一致だろうが、なんだろうが、この率直さがある限り、現政権は、まとまっていないようで、実は、健康であるという印象を深くする。

こういうことで、見ているほうは、良く理解できる。何故そんなことになるのか、という疑問が残るけれども、言った方が不十分とか、聞かなかった方が、耳が悪かったのか、いずれにしても過程の話である。日常生活では、しょっちゅうあることである。政治の世界であってもおかしくはない。プロセスの中では、大いにやりあうべしである。

本当に、いいものを見せてもらったと思う。それにしても、田原の共産党への扱いが、不公平で、なんだか、世界観が全然ちがうからと、歯牙にもかけない態度は、みていて、気分が悪くなる。あれは、イカン。

ごまかし、騙し、圧力、隠し、陰謀、カリスマ

2010年03月28日 11時18分10秒 | 思考試行
落ち着いた、人間らしい暮らしを実現するためには、タイトルのようなことが行なわれていてはできないわけで、逆に言えば、こういうことをする勢力を監視し、その本質を見抜いておかないといけない。

そんな組織があるのか。それはある。

マスコミはそれを充分には報道しない。それどころか、その組織の「助け」を享けて、めくらましの役割を果たしていることである。

恐ろしい企みがあるような気がする。

健全な政党が、発言をさせてはもらえない「サンデープロジェクト」の番組が終わる。不景気のために、高額のギャラを払えないということか。

不公平で、なんだかバタバタしてみせていたが、肝心のところは、やはりダメだった。

田原もまた、その組織に買収されているんではないかと疑っている。

いずれにしても、公平で、真剣に国民の幸せを考えるマスコミはないし、支配層もそうはなっていない。

自分の儲けに懸命で、他を省みる余裕がないようでは情けない。

アメリカはどう考えるか

2010年03月27日 10時08分07秒 | 思考試行
アメリカが基地を世界中において、自分の思うままに世界を支配している状況が、徐々にできなくなりつつある。沖縄普天間の基地問題で、沖縄は、県内の基地移転に反対し、他のどの地域も、基地を歓迎するところはない。とすれば、アメリカには出ていってもらうしかない。

そう言えばいいだけのことか。そうすると、中国が、どう出てくるか、それが心配で、アメリカの基地の存在には意味があり、出て行ってくれとはいえない、ということだろう。それで、どう解決するのか。

チベットでの中国の振る舞いをみていると、油断できない。こういう国の存在が、世界を不安に陥れる。民主主義がないから、支配層の考え方でどう変化するかわからないところがある。北朝鮮も然りである。国民が政治に参加できていない。これが、アメリカ軍事資本のよりどころである。

選挙で、政治権力が入れ替わるという構造は、日本もようやく始めてといっていい政権交代を体験した。それは、民主主義の始めての効果であったように思う。それでも、中味は、まだ始ったばかりであり、本当に、国民主体の政治の実現までには、時間がかかるだろう。今、旧勢力の陰謀が、裏面で蠢いている。新政権のアラサガシに躍起であり、それなりの効果をあげ、政治と金、女性問題など、庶民の嫌気を誘う。

そして、アメリカは、軍事資本が力を持ち、その行き先は、世界の混乱が生業のための必須条件であり、常に、課題を作らなければ生きてはいけないから、平和こそ彼らにとっては、困った事態なのであり、中国や北朝鮮を簡単に民主国家にしてはならないので、彼らの存在こそ、アメリカの軍事資本にとって、まことに有難い存在でもあるわけである。

こうした中で、平和を愛する庶民にとっては、軍事資本の力を奪い、人類として、共生できる環境を作るためには、彼らの意図をどのようにくじくかについて、思案をしなければならない。まだまだ道は遠いのである。

アメリカが出て行ったとして、中国や北朝鮮が、侵略してくるだろうか。その可能性は少ない。来たとしても、それを防ぐことができないとも思えない。アメリカには、普天間から出て行ってもらおう、それしかない話ではないか。そうもいかない。アメリカの軍事資本が承知しない。日本は、いまだ、まともにモノの言えない属国状態の事実がある。

であれば、今回の政府案ということも考えられる。当然ベストではない。普天間よりは、少しマシか、ということだろう。

アメリカも、自由をいいながら、それは、力を持つ者の自由であり、貧困者は、兵隊に行くしか道はない。でなければ、富裕層の施しをうけながら、ホームレスの暮らしをしているのである。この国もまた、病んでいる。

世界中、どこもかも問題をかかえ、それが相互に関係している、どこから改革していくのか、それが、今の我々の課題ということだろう。まずは、足元の「友愛から」か、当面、そのベクトルでいいのではないか。

65年間解らなかったことが、5分前にわかる。

2010年03月26日 08時26分45秒 | 思考試行
数学では、こういうことが起こる。放送大学で、この4月から、数学、といっても、再入門というようなものだが、科目をとって、挑戦することにしている。いままで、あまりしたことがなかった予習を早速始めている。

最初から、読み始めて、すぐに、過去の苦しみがよみがえってくる。それでも、今回違うのは、今までだったら、そこで頓挫するのだが、それなりに、因数分解など挑戦してきているから、多少の計算力がついている。

読んで、実際に本を離れて、自分で考え、それを書いてみる、計算してみる、ということをしてみた。実践である。そうすると、式の計算は、実際にやってみないと、プラスなのか、マイナスなのか、符合の扱いや、計算の流れが理解できない。それができると、流れがわかり、確信がもてる。足が地に着いた感じがある。

その意味が、やっと解った。実際計算してみて、公式の意味がつかめたのである。これは、まだ、始まりにすぎない。それでも、一歩でた感じがする。それは、明かにトレーニングの成果ということである。ここを手がかりに、力をつけていきたいと思っている。

数学を取り逃がして、そのままでは、なんだか大切なものを知らないで済ますような気がしている。これを経験することで、挑戦という意味をあらためて感じる。数学から逃げていると、根本のところで、頼りない。せめて、高校数学程度は、完璧にしたいと思っている。

その意味では、鳩山さんや、菅さんなど、理系の多い、現政権は、頼もしいと思っている。

三島由紀夫の才能

2010年03月25日 07時55分17秒 | 思考試行
散歩のコースに、古本屋をいれることがある。そこで、ドナルド・キーンの「日本の作家」という本を買った。三島由紀夫のことが、多く載っている。拾い読みしていて、急に関心がでてきて、以前から持っていた、日本文学全集の中の、三島由紀夫の巻を取り出してきた。少し読み始めて、才能ということを思い知らされる。感じ方については、明かに、自分とは違うのだが、それを表現する力、明晰さ、に圧倒される。

金閣寺を以前にも読んだことがあるが、全然記憶になかった。今読み始めて、上記の印象が鮮烈である。映画もそうだが、一度見ただけでは、記憶に残らない。理解もしていない。忘れてしまっている。今回もそうなのだが、しかし、作品がせまってくるものを、素直に把握できる実感がある。始めて、作品の魅力、表現にふれる意味を体感した。

それで、三島由紀夫は、すごい作家と言われているのだという実感を、始めて体験した。それでも、時代は変化する。人間は、同じところに留まってはいない。感性も変化する。今や
彼の、この明晰さの意味が理解されるのだろうか。こういう作家は、確かに稀有であり、これを母国語で読めるわけだから、幸せなことである。

この感性を味わってみたいと思う。それにしても、この贅沢な環境のなかで、自分自身がどのように、何を捕まえるのか、楽しみである。材料は、すでにたくさんある。後は、自分次第なのである。これが老齢期に入った者の、特権であろう。

必須の項目は、中学でクリヤしている。

2010年03月24日 10時40分06秒 | 思考試行
大學での単位取得には、条件があって、必須の要件がある。いくら単位数を多くとっても、その要件を外れれば、学士とはなれない。バランスのとれた、条件をクリヤして始めて学士とするわけである。

これは、合理的で、専門バカといわれるような、バランスの悪い人には、システムとして、せまることができるうまい工夫であると思う。

その仕組みのために、ひろい視野を獲得して、人間として、バランスのとれた行動がとれるということになる。では、中学卒業だと致命的であろうか。そうは思えない。中学課程を終えたときに、基本はすべてクリヤしていると思う。

そこからは、自己努力ですべて可能である。事実、そうなっている人をいくらも見て来た。その後の努力次第である。

人間としての、必須の習得すべき項目は、中学でほとんど網羅されているように思う。ここからがスタートであり、決して、中卒のままで、学歴としては終わったとしても、充分にその後の努力で、大卒ともわたりあえるのは勿論のことである。

基礎がしっかりしていれば、その後は、如何様にも構築できる。春を迎えて、それぞれ、新しい心構えで、スタートしたい。

アメリカの基地は必要か

2010年03月23日 22時13分57秒 | 思考試行
普天間基地の移転問題が、5月決着にむけてどうなるのか、注目されている。今日の国会での討論を聞いていると、アメリカへ基地が戻れば、すべては解決する。鳩山さんが言うように、独立国家に、他国の軍隊が駐留している現状が、当たり前でないことは、誰の目にも明らかである。

とすれば、なぜ出て行ってくれと言えないのか。第二次世界大戦で、敗戦国となり、以後アメリカの意思に従って、日本国は、行動してきた。ひたすらアメリカのご機嫌をうかがい、その顔色をみて、行動してきた。それで、ポチではあるが、一応世界2位の経済大国となった。

そして、「押し付けられた平和憲法」のおかげで、軍備費に金をつぎ込むこともなく、(ということになっているが、実は、結構軍事大国になっている。)また、アメリカの戦争に、直接まきこまれることはなかったように見えるが、実は、基地を提供し、財政的に貢献し、アメリカの戦争に協力してきた。それは、まったく手を汚していないとはいえない状況である。

まだ、人間社会の成熟度は、プロセスの段階にあって、まだまだ住みにくい現状にある。矛盾だらけである。そのなかで、憲法9条は、世界に主張できる将来の人間社会に必須のものとして、先駆けとなる宝物である。押し付けられたものが、宝物だった。

これは、一人日本のみのためだけではなく、世界の宝物でもある。いまこそ、その声をあげるべきときかもしれない。アメリカにズバッと主張することで、普天間基地が、国外移転となり、基地がなくなったとき、なにか問題があるだろうか。

いまや、他国を侵略する可能性のある国は、どこだろうか。そんな侵略行為をして、利益を得ることができるだろうか。

世界の平和のために、本当に行動する決意を固めて、主張すべきときが来たということかもしれない。

世の中どう変化するか

2010年03月22日 17時06分07秒 | 思考試行
今日、チベット展を見てきた。好天気で、昨日とは大違いの行楽にピッタリ。大阪歴史博物館には、大勢の人がきていた。解説の機械を借りて、チベット仏教の仏像やら、歴史やら、先日映画「セブンイヤーズ イン チベット」を見たばかりなので、親しみがもてた。

仏像や経典の実物を見ると、よくいう「どこそこのチベット」と如何にも辺境の、遅れた地域の印象というか先入観があったが、精緻で、几帳面で、丁寧で完成品の文化を感じさせられた。単に、違いというだけではなく、チベット仏教の精神性の深さを感じた。

商売、ビジネスになってしまった一部日本仏教の、現状が嘆かわしく思われた。インドの影響も受けて、日本の仏像ではみたことのないようなものもあり、はるかに、人間的であり、根源的な印象を受けた。

また、宗教をアヘンと切り捨てる思想を、そのまま持ち込んで、破壊や抑圧を続けてきている中国の、チベット弾圧の不当性が、よく解る。ゴマカシはきかない。

より深みのある哲学が、これらを包含し、統一し、今ある見方、考え方を、お互い共存しながら、より深い、高次の段階に、世の中変わっていかなくては、という課題をみる。

「恋のからさわぎ」を考える

2010年03月21日 07時03分40秒 | 思考試行
明石家さんま司会の、通称「コイカラ」のMVP決定の番組を見た。久しぶりにみた。面白くて、最後まで見てしまった。虚実ないまぜなのかもしれないが、堂々と、「体験」を語る若い女性のアッケラカンとした調子は、チョット前の、それこそ明治の人がみたら、これは、ビックリ仰天もいいところだろう。

小生の年代でも、アリエネーの気分である。しかし、考えれば、当然なのかもしれない。動物としての、人間であるから、自らのことを思っても、それは、「抑圧」の歴史であるし、そうしたい欲望の存在は、認めざるを得ない。ただ、それを実行するか、できるかは問題である。常々、さんまは、そういうことを、事実かどうかは不明であるが、自ら清廉潔白などと言わないで、「遊んでいる」ことを広言している。

それが、反社会的でない限り、法に触れない限り、問題にはならない時代になっている。「出会い系」のサイトが、インターネットには、溢れている。それは、糺すべきことなのだろうが、実態がそうなっているということか。そんなことを実行できないコチトラは、少しうらやんでいるのだろうか、そんなはずはない、と思いつつ、もしか条件が揃えば、ヒトタマリもないような気もする。それではアカンゼヨ、と言いつつ、自信のないままに、清廉潔白を実行している「形」になっている。

しかし、家族のことを思えば、それは、とんでもハップンであり、「タイガーさんの事件」は、誠に教訓的であり、オクサンを泣かすようなことはしてはいけないのである。家族を支えているつもりが、実は、家族が、支えてくれているのである。そういえば、さんまさんは離婚しているのだ。独身のお気楽に、つきあってはいけない。彼らの「挑発」に乗ってはいけない。家族を守り、守られる、これを大事にしたいなら。といいつつ・・・・。

老後の楽しみ

2010年03月20日 11時08分14秒 | 思考試行
リタイヤ後の暮らし方が、問題になっている。これから高齢者が増えて、新たなビジネスチャンスととらえる向きもある。その通りだと思う。とりわけ段階の世代は、人数も多く、これまでも、かれら独特の「文化」を構築してきた。高齢者になっても、今までの、高齢者の範疇には治まらず、きっと大きな変革が起こるだろうとも言われている。

コチトラ、すぐ後ろから追いかけてくる彼らに、かなりの刺激を受けてきたものの、少し先輩として思うに、彼らとは、感性の面で明らかな違いを感じている。彼らは、若い頃、長髪にしたり、同棲したり、音楽を作ったり、我々世代では、とてもできないことをしてきている。そんな彼らが、どんな老後の楽しみを見出すのか、興味津々である。

我々の世代では、若い頃、山登りが流行っていて、駅のコンコースには、リュックの青年男女が、大勢集結していたものだった。デモがあり、集会があった。職場でも、リズムが変わり始めた時代であった。

その動きが、団塊の世代の登場で、支配階級も考えて努力する、その成果があらわれ、徐々に、管理社会へと変化していく。世の中を斜に構えて見ていた若者達が、企業戦士へと衣を変えていく。

戦後の価値観の大変化を受けて、民主教育の初期の教育を受けてきた世代と、その後の、支配階級のまきなおしの対策の影響を色濃く受けてきた団塊の世代とのギャップがある。そして、今の若者達は、さらに、自ら立ち上がるエネルギーが乏しくみえる。本当は、マグマのようにあるはずのものが、眠らされ、抑えつけられている。

法的にも、非正規雇用が合法化され、そのために、若者達は甚大な被害を被っている。我ら世代のときには、非合法のピンハネシステムを合法化したのである。とんでもないことである。これに対する、反駁が弱い。団塊の世代の正義感の欠如の欠陥がここに出ている。

我ら世代は、こんなことは、絶対に許さない。これは、常識である。世代によって、感じ方は、斯様に違う。違いはあっていい。それをエネルギーにして、お互い切磋琢磨していくことである。

我らの老後の世代の楽しみは、この抑圧された若者達のエネルギーを解き放つべく、その知恵と財力を提供することではないか。そこに、老人の立ち位置を定めて、ありとあらゆる努力をし、世の中を変革していく力となるのだ。

と、極めて不正確な、乱暴な、ことを言ってみた。定義、事実、証拠、何もなしのムチャクチャ論である。だが、正確になんか書けない。能力的にも、無理。偏見を承知で言う。これも老後の楽しみの一つでもある。

ひかりTVにして

2010年03月19日 08時59分31秒 | 思考試行
今の、通信分野の状況は、複雑でそのすべてを知らない。成り行きで、NTTの路線に、付き合ってきただけで、テレビのコマーシャルで、他社がいろいろやっているが、比較すらしていない。どうやら、NTTサイドが、押されているのではと、感じたりしているが、それでもいいかという態度でいる。

ともかく、ビル陰で、かなり昔に設置された共同聴取施設が、デジタル対応になっていると知って、我が家のテレビも転換して、テレビの画面は、くっきりスッキリとなり、そして、新たに「弁当箱」をつけて、ビデオが、たくさん見られるようになり、チャンネル数が、ドサッと増えた。テレビを巡る環境は、こうして大変革が実行された。

おかげで、古い映画から、見損なった作品、以前にみたけれども、どういう内容であったのかさえ、定かではないものを、見返したりと、結構テレビにつきあうことが増えてしまった。

最近見た中で、印象的であったのは、ブラッド・ピットの「チベットの7年間」である。壊されていくチベット文化、中国の野蛮さ、そして、西欧の状況、・・・青年の、少しばかり偏った性格、それもあってのカップルの行き違い。美しい場面の中で、人間文化の成り行きについて、深い感動を呼び起こしてくれる。

しかし、映画の良さを少しも覚えていないことに愕然とした。今回みて、初めて理解できた気がした。本でもそういうことが多い。何度もみるしかない。そのたび新鮮なので、意味がある。というか、そうしなければ、勿体無い。

丁度、壁塗りのようなもので、一回塗っただけではダメで、何度も塗り重ねることで完成する、そんな感じである。一度見たぐらいでは、記憶には残らず、モノにはなっていないということのようだ。

神秘?常識・確信と証明

2010年03月18日 09時40分46秒 | 思考試行
常識では考えられない現象を体験したとして、それを、「売り物」にしていることがある。また、証明できないことを、証明済みであるかのように扱い、それを信念にして、「教義」にしている向きもある。

安心をうたい、感謝をうたい、不満を持たない考え方を勧める。それ自体は、いい面もある。ただ、問題の所在を明かにせず、単に、諦める、目をつぶる、だけとなっているかもしれない。そこに、不安がある。

宗教というのは、現実との関わり合いの中で、その存在意義があるのだろうが、いわゆる科学技術とのせめぎあいがある。迷信の災いは、歴史の示す所であり、いまもなおそれは、継続している。

精神的な安心感を、どうして得ることができるか。これは、誰もが持つ課題である。テクニック的なものがあったり、信仰であったり、深い思考の結果であったり、経験・体験の上に得た信念であったり、まったく考えないという解決であったり、千差万別の方法があるのだろう。

どれを選ぶのかは、個人にとって、重大であるが、社会にとっても、それは、大きな問題でもある。社会秩序が乱されるようでは、困る。健康な解決方法がのぞまれる所以である。

珍しいことよりもあたりまえのことを

2010年03月17日 10時46分47秒 | 思考試行
人は、どうしても珍しいものに惹かれる。そして、あたりまえだと思えば、それが、いかに大事なものであろうと、軽んずる傾向がある。

あたりまえだと思っていたことが、失われて始めてその価値に気付く、そういうことがある。日本の場合、戦争の当事者になることがなくなって、60有余年平和であることが、あたりまえになりつつある。

だが、この状態は、ともすれば、簡単に壊れる可能性がある。小泉首相が郵政民営化を旗印にして、議席を三分の二以上を、掠め取ったときには、その危険が現実のものとなった。憲法の話などなにもなかったにも関わらず、議席がそれを可能にしたとき、俄かに、その動きが始った。

手続き法が成立し、改憲勢力が躍起になり始めた。あのまま、突っ込んでいくと、まちがいなく、憲法は変えられて、普通の国となり、アメリカの手先となって、若者達はアフガンへ行くことになったであろう。

今の非正規雇用を、法制化したのも、若者達を軍隊に入れるための下準備であったかもしれない。今、民主党政権下でも、その危険はある。憲法をかえたいという勢力は、政治家には多い。

平和を守るためには、庶民は、あたりまえのことを、きちんと理解し、その重要性を知っておかねばならない。珍しいものに目をくらまされて、大事なあたりまえのことを、失ってはならない。