空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

嘘つきのさまざまなタイプ

2016年10月31日 09時25分07秒 | 思考試行

ウソをつく場合は、真剣に自分でもそうだ、と信じ込むことが要諦らしい。ウソをついている自分をすら騙せないようではうまいウソつきとは言えない。人を騙すなら、自分自身も騙さなくてはならない。慣れたら平気のようだ。

強行採決なんて考えたこともない、と安倍さんは言い切った。過去に何度も強行採決はしているのに、それは、自分がやったことではないと言うつもりなのか。戦争法案を充分な議論のないままに、強行採決した。自衛隊が殺し殺される状態に突っ込むことを可能にした。憲法を無視した暴挙である。

日本が平和の使者となって、世界にでることこそが、唯一の被爆国としての役割と思うのだが、被爆者のそしてその人に関わる人々の痛みを考えようともしない政治家が、権力をもって、昔の日本を取り戻したいと、ついに、それが可能となる議席を掠め取った。

いまや、憲法改悪は、いつでも可能な状態にある。政治家の大部分は、改憲派とみられる。戦争も辞さずの連中である。選虚のたびに、争点にしないように、公約の最後の最後に、小さな字で書いておいて、そいつが最大の狙いなのである。

選虚が終われば、さっそく、憲法を変えようと俄かに騒ぎだしてきている。今は、まだ、本丸部分は、静かにしている。周辺勢力の行動を注視しながら、国民の動向を探っている。勝ち味があるとみたら、次の選挙はいよいよ、最終仕上げとなる。

若者は、まともな仕事口をうばわれ、兵隊になる他ないような状況になっている。産業を軍事化して、紛争に介入できるようになることは、儲け専一の連中のまさに望むところである。彼らの子弟は、決して、戦場に行くことはない。ビジネスの種であり、儲けの源泉なのである。


神はいるか 嘘つきはいるか

2016年10月30日 12時20分48秒 | 思考試行

宗教が人間生活に及ぼす影響は、まだ非常に強いものがある。科学技術の進展のなかで、生物の構造、成り立ちが解明されつつあり、多くのことで、宗教が行使してきた分野を打ち壊してきた経緯がある。

そして、信仰しないものは地獄へ落ちる、などといった陳腐な脅しはもはや効かなくなってきている。では、宗教にはどんな役割が残されているのだろうか。付随的な彫刻、絵画、音楽、工作物の美術、工芸の仕事が宗教と関わって、宗教の命脈を保っているかにみえる。

宗教本体の、哲学的な意味は、ほとんど意味をなさなくなりつつある。むしろ、人間生活に害悪をもたらす存在になりつつある。

まともに取り上げることではなく、ムード、習慣、意味のない伝統行事としての、人々の交流のためのツールとしての役割はあるかもしれないが、それも副作用を伴う。

いずれ、役割を終える存在であると思う。

そして、政治家は平気でウソをつく。嘘をつかないと言って、ウソを意識的につく。人間として危うい職業となっている。人類を何度も窮地に追い込んできた。こういう職業もまたいずれ淘汰されなければならない存在だろう。生活者みずからが、政治を行うほかないことが自明になりつつある。


肩の力

2016年10月28日 11時04分06秒 | 思考試行

上手な人のやることなすことを観察していると、いわゆる肩の力が抜けている。スムースなのである。

職人技などは、まさにそうで、いとも軽々とやってのける。そこへいくまでの修行では、試行錯誤があって、一足飛びにたどりついた境地ではないだろうけども、習熟すれば、なめらかなものである。

今日の一句一遊でも、金曜日は手練の作品が読まれるのだが、実に、力の抜けた、句が並ぶ。軽々と作句している感じがある。

工夫の積み重ねと、努力の背景があってのことなのだが、こういう境地は憧れである。いつかは、スイスイとこのような句ができれば嬉しいのだが。

昨日のプレバトでは、フジモンの特待生昇格試験で、名作が発表された。夏井先生曰く、プレバト始まって以来の出来という。箱根のすすきの写真が、兼題である。

◇羊群の最後はすすき持つ少年

オーストラリアをイメージしたという、羊の群れの流れのあとへすすきを持った少年がゆく、という風景だが、「は」がすばらしいという。「に」では、全景がみえているのだが、「は」によって、流れがみえる、という。一同感心しきりであった。


ふくらみある人生を

2016年10月27日 09時56分04秒 | 思考試行

ぎくしゃくした人生よりも、うるおいのある余裕のある人生を送りたいと思う。あちこちで災難があり、ボランティアにただちに出かけることができるほど熱くないし、誰かが、やってくれているからとか、自分にはそんな余裕はないとか、言い訳しながら生きているわけだが、本当に、生きることにそれだけで精一杯だとすれば、こんなブログを書く余裕もないわけで、それだけ余裕があるのなら、何かしら、人様のためになんかやらなければいけないのではないかと頭をかすめる。

結局は、直接に働きかけてくる国境なき医師団に定期的な寄付をするぐらいでお茶を濁して、なんとか良心の呵責から逃れている。

どこまでやれば、満足するかといえば、ユニセフなどからも、要請がくるし、追加の寄付もある。そこで、こちらの本性がでる。そこまではできない、なんて、どこでそんな線が引けるのか、結局は全存在をかけなければ信念に生きるということにはならないのだ。

俺は、そこまでの人間なのだと思い知らされる。


俳句のつくり方を教わる

2016年10月26日 12時25分15秒 | 思考試行

夫婦で、俳句が共通の趣味になりつつあるが、家内の方が一歩先じている現状である。熱心さもさることながら、こと、言葉に関しては、女性の方がその能力があるのかもしれないと思い始めている。

「夏井いつきの一句一遊」という愛媛県の番組に、投句するようになって、一年ちょっとになるが、読まれたり、読まれなかったりすることを楽しみにしている。

ラジコというソフトで、全国のラジオ放送が、聞けるようになっており、生で聞けるようになって、一気に生活の中に浸透してきた。

毎日、これを聞くのが日課になった。そして、最近は、聞き逃しても、聞き返すことができるようになっており、夏井組長の声が聞けるので、値打ちものである。

さて、家内は、熱心にパソコンを操り、季語の研究に邁進しており、作句の要領も掴んできたようで、つくり方を教えようか、と言い出した。そして、今回の兼題について、ササッと5,6句を例としてあげ、そこへ至る方法論を述べ始めた。

ちょっと前まで、できない、できない、と言い募っていたのが、様変わりである。仕事が少し忙しかったこともあって、このところ低迷しているのをみかねての、提言である。嬉しいことである。


本心はどこに

2016年10月24日 09時14分58秒 | 思考試行

政党であれば、自らの議席は何のために維持しているのかが問われる。単なる、議席集めなんてことはなくて、そこには、政治権力を握ることにある。

握ってどうするのか、日常のあれこれを差配することに無上の喜びを感ずるということなのか、それとも何か理想なり、目標があって、その実現をめざすということなのか。

それぞれの政党は、それぞれの本心を持っているはずである。行動の動機、こころ構えは各政党で違うだろう。

その本心を見抜いて、投票することになるが、果たしてそんなことがうまくできているのだろうか。

その時々にうまいことをいって、何が何でも議席さえ取ってしまえば、思い通りに権力を握れるのだから、政治家というのは、魅力ある仕事なのだろう。

権力を握ったその暁に、なにをするのか、憲法を変えて、戦争をできるようにするのか、昔の日本のようになりたいのか、国民の生活をどうにかしたいのか、それともそんなことには、関心がないのか。儲けさえすればいいのか。

どこに本心があるのか、国民は見抜かなければならない。


おめずおくせず

2016年10月23日 09時52分06秒 | 思考試行

何があろうと、やるべきことを淡々とやっていく。時に、情熱的になることもいいが、のべつまくなしはきつい。

マイペースでいけばいい。非難されようが、無視されようが、自分が思うとおりに、やるほかない。

結果はすべて受け入れる。文句はない。したいことをやっていく。なにがしたいかそれが問題だが、基本的になんだって構わない。

反社会的と言われようが、その中に、自分の意思があれば、それでいい。時がくれば、評価されることかもしれないし、されないかもしれない。

そんなことはどうでもよくて、要はじぶんの意思がチャント入っていることだ。それさえあれば、悔いることもない。正々堂々、生き抜いていくまでのこと。

死ぬるときは、死ぬまで。人類みんなそうしてきた。自分もそうなら、見習ってふるまっていけばいい。ときがくれば、そうなる。

何も悩むことなんてないのだ。


世情の瞥見

2016年10月22日 11時20分39秒 | 思考試行

テレビは、いろんなことを映し出す。画面だけでなく、さまざまな思惑がその背景にあって、その渦中のなかで、浮遊し流れている。格別の信念をもつことはないとみえる。否、持ってはならないのだ。

金を出すスポンサーの意向が決定的だが、製作側は視聴率が生命であって、大衆ウケしなければ、淘汰の対象となる。心理的駆け引きの世界でもある。そして、そこへ政権の意向も入ってくる。

御用学者、腰巾着のタレント、評論家まがい、力学がさまざまに渦巻いている。黒幕の存在、大元は富裕層、支配層の道具であって、ために、彼らはテレビが、民衆の力を生み出す道具とは、なり得ないように監視している。

そうなったときは、怪しい権力争いが裏面では始まっているかもしれない。実は、統制があるのだが、それを見せるわけにはいかない。中国が革命を経験して、今の状況を見るに、誰のための国になっているのかをみれば、激しい権力闘争があって、中国の視野は、広いとはいえない。

暗澹たる人類の現状である。まだまだ、悲劇は続き、エンドマークはどういう形になるのか、恐らくは、悲劇で終わるしかないような予感が強い。それを変えうるのは、まさに庶民であるが、その可能性に展望が持てないのである。それでもそこしか解決の道がないのであるから、あくまでも望みを捨てずに生きていくほかない。


オイル交換

2016年10月21日 09時18分49秒 | 思考試行

昨日、久しぶりにオイル交換をした。運転席前側のオイル交換の履歴を見て、オイルの量だけでもみせてくれ、との話に応じたところ、オイルの量が足りないことが判明。危険性をここぞとつっこまれて、注文することとなった。

エンジン内部を「洗い」なんとか英語で言っていたが忘れた。オイルを入れることとなった。結構、いろんな話となり、有意義なオイル交換となった。

エンジン音が全然変わった。静かなものである。永年車に乗ってきて、今までも何回かそんな経験をしてきているのだけれども、忘れてしまっていた。

今後は、注意していきたい。セルフが苦手で、少しぐらい高くとも、人がいれてくれるところで入れるようにしているのだが、今回は、それがよかったということになる。

サービスマンは、車のあちこちに目を走らせ、ビジネスの種を探す。いちいち煩わしいこともあるが、今回のような場合は、危険を事前に回避できたのは明らかであり、その意味でも注意深く生きていくことを、再確認したことであった。


やるべきことから

2016年10月20日 09時24分46秒 | 思考試行

ものを実行するのに、順番がある。全部を一度にすることはできないが、少しずつ、各部分から実行することはできる。そうしているうちに、かなりの部分ができるということになる。うまくいけば、全部できる。

そして、その順番だが、重要なものからは当然だが、やりやすいもの、時間のかからない、手間のかからないものからやることは、能率をあげるためにも有効である。どうしてもやらなければならないものは、優先順位が高い。後回しにしてもいつかはやらなければならないとすれば、それはできるだけ早くやることである。

謝らなければならないことは、直ちに謝るということである。後になれば、謝ることもできず、副作用がいつまでも続くことになる。こういうことが、結構世の中で生きにくくさせる要因となる。

やるべきことを避けて、遊びにはしれば、結果はあまりよくはないだろう。遊びそのものが面白くなく、やるべきことは残ってしまうのだから。

とはいえ、気分転換も必要で、そうしなければ煮詰まってしまい、根本から潰れてしまうこともあるから、人生は難しい。


人それぞれだが

2016年10月19日 09時11分51秒 | 思考試行

どのように生きるか。慌ただしく、人の集まりのなかで、みんなのアイドルになって、忙しく生きていく人がいる。

一方、静かに誰に注目されることなく、ただ生きているようにしかみえない人もいる。あえて、注目を浴びるようなことを避けているといってもよい人がいる。

極端のようだが、人の性格というのは、積極的、消極的に分かれて存在しているようにみえる。どちらがいいともいえないが、勝者になるのは、どうしても、消極派ではないだろう。

人への影響、良きにつけ悪しきにつけ、積極派が圧倒的に関係する。そして、人間はそもそも、助け合って行かなければ生きてはいけない存在である。であれば、積極的に、人の輪のなかで、楽しく生き生きと生きていける存在でありたいものだ。

だが、性格というものは、どういう仕組みで出来てきたのかは、遺伝なのか、環境なのか、いずれにしても、確かにあって、出たいという人と、あまり出たくないという人に分かれる。

時により、変化する場合もある。心がけだけで、対処できるかどうかは不明だが、なにかを契機として、積極的な生き方ができるようになればいいのだが。


新潟知事選挙から

2016年10月18日 12時01分35秒 | 思考試行

自分一人で決めたとおりに実行して生きていくなら、結構簡単なようにも思えるが、今の世の中は、富裕層がますますゆたかになり、貧乏人は、どこまでも貧乏で、しかも余裕なく働かされる仕組みとなっている。

どこかの時点で、政治権力の方向が変われば、どうにかなると思いたいが、中国の様子を見ていると、やはり、相当な不均衡があるようで、一概にただちに良くなるとは断言できない。

外国に対しても、拡張主義が目立ち、どうやら指導部の程度も相当低い。国家主義的な考え方が主流であり、自己利益がこれに付随しているという具合で、人間の理想とは程遠い。

かろうじて北欧に、人間尊重の実例があるようだが、いかんせん国が小さく、国際的な力はない。となれば、自国独自の進路を国民は選択して、まともな政治態勢にするべく賢くならなければならないのだが、ごまかしの手法がいろいろあって、ややこしい連中には、なかなか敵わない。

新潟は、政権にとって、かなりの衝撃のようだが、民進党は実は、現政権と同じような考え方のものもおり、連合など資本の別働隊だから、こんなところの顔色をうかがっているようでは、まったくたよりにならない。

新しい新潟県知事になる米山さんは、民進党をぬけて立候補したらしい。こんな民進党であれば、たくましいし、これはいいと思えるのだが、すべてがそうではないのである。


いつの間にか

2016年10月17日 09時22分32秒 | 思考試行

いつの間にか、こんな年齢になり、老年期に入っている。振り返れば、いろいろあったし、確かにそれだけの月日が経過しているのだが、本人には確たる自覚がない。

いまだに、仕事は現役だし、放送大学にも在籍し続け、卒業も何度もしている。残り少ないはずの人生だが、その思いもあまりない。

だが、身体は正直で、徐々に変化をみせており、なんの問題もなかったのに、不具合があちこち起こってくる。対処して復元できるものではなく、現状維持がせいぜいであって、モノによっては、落ちていくその落ち方のペースを緩めるのが、治療目的となる。

どうやって、落ちていくかが問題で、落ちることを楽しむようでなくては、対処できない。いちいち悲しんでいるわけにもいかない。

同級生の俳句仲間が映画を見に行って、(「君の名は」)なんで、こんな映画が人気になるのか不思議だったらしい。映画を見てはいないが、その感想は判る気がする。

何が面白いかの基準は、どんどん変わるのである。


気軽に

2016年10月15日 08時43分43秒 | 思考試行

気が重いことは、なるだけ避けて、気軽にできることを、やっていけばいいのだと思い始めている。知らぬ間に、ストレスがかかっていたのかもしれない。心臓病をやったのは。

ただ、自覚症状としては、一回の発作だけで、その後は、そこからの派生的なもののような気がする。とはいっても、血管の中は、それなりにガチャガチャしていて、血管が詰まる要因があるらしく、もう一回発作があれば、アウトという状態になったこともある。

やはり、かなりの弱点があるので、それは自覚しておかなければならない。それでも根が楽天的というか、神経質に考えないたちなのか、ほとんど、まともに病気について、悩んだりしたことはない。

心筋梗塞になったときの不快感は忘れてはいないし、その後の狭心症のときにも気分の悪さは忘れられないが、また、不整脈時のしんどさも何度か経験している。

であれば、何かと注意すべきは当然で、それなりにやってきた。妻にはかなりの心労をかけている。自分が楽天的だからといって、妻はそうではないから、その心労には、こちらが留意しなければならない。ちょっとした変化にも敏感なので、不用意にへんな声をだそうものなら、たいへんである。

気軽に、しかし、注意を払いつつ、過ごしていこうと思う。


審査のあるものは

2016年10月14日 11時44分15秒 | 思考試行

ノーベル賞の文学賞が、ボブ・ディランに決まった。村上春樹さんは、またも外れたわけだが、こういう基準は、あってなきがものの感がある。

いずれにしても、選考会の決定だから、確たる数学的なプロセスがあるわけではなく、そうなのかというほかない。

従って、この種のことには、あまり拘泥しないことが正解なのだろう。個人としてはやるべきことをやっていくしかなく、そのペースも、無理なくマイペースで進めていくことが良いだろう。

だいたいものごとは、あまり突き詰めては、良くないことが多いような気がする。思いつめていたことも、時がたてば、なんであんなにこだわっていたのかという日がくるし、逆上してあれこれしても、なるようにしかならない、とゆったり構えることを心がけるのがいいようである。

ともかく、固定的に考えず、流動的に、そして、間違ったと思えば、すぐに軌道修正すればいい。柔軟路線が、望ましいように思う。