空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

消費税増税について

2012年07月31日 09時11分25秒 | 思考試行

税金は、国民から「政府」への金の移転である。国民は自分の懐にあれば、自分の思うように使えるが、政府の手に渡れば、自分の意思通りには使えない。

政府の懐に入れば、あとは政府を構成する高級官僚や政治家、財界など政府に影響力を持つ連中の思うように、その金を使えるということである。

社会保障に限定して使うといっても、増税で得た「余裕」で、公共事業などに使えるという論調が、はやくもでてきている。

国が破たんする、とか、政府の赤字対策を放置できない、とか為政者が、ために貯めてきた借金は、国民の懐にはいったのだろうか。

国民は、可処分所得を減らし続け、若者たちは、結婚もできず、年金保険料も支払えない。もうけ主義の連中の思うさまのやり口の犠牲となっている。

富裕層こそ、いま、その富をはき出し、若者たちへ分配すべきである。弱者へわたすべきである。

日本は、対外的に世界で一番といわれる資産をもつ。国民も資産をもっている。政府はその国民から借金をしているにすぎない。それで、どうして破綻するのか。まことに暴論である。こんな理屈でだまされてはいけない。


いざとなったら・・・

2012年07月30日 08時06分57秒 | 思考試行

逃げ出すのではないか、という不安が常にあった。どこかで、大事なポイントでまちがい、悔やんでも悔やみきれない人生を過ごすのではないか、という不安である。

それは、自分の人間としての資質を考えたときに、ものごころのついたときから、思い起こしてきたときに、そう思うのである。

いつも、逃げをうってきている。肝腎要のときに、きちんと対応しないで、流れにのってしまう、とすれば、いざというときにも、恐らくそうなるのではと、内心びくびくしていたように思う。

しかし、この年齢になって、ほぼ、完全リタイヤを目前にして、振り返ってみた時に、とんでもない事件にまきこまれたわけでもなく、大きな失敗をしたわけでもなく、さりとて、もちろんであるが、大成功という場面もなかった。

それでも、放送大学を何度も卒業したり、一応は、年金までたどりつき、そして、このような「匿名」のブログを書き連ねて、時々の思いを発信して自己満足を得させてもらってもいる。

こんな駄文に付き合う方をおられて、中には、フェイスブックへの登録を勧めてくださった方もおられた。だが、そこが、小生の限界である。逃げ出すかもしれない、不安の根源である。

姿は消していたいのである。この性格は、だから、逃げ出す心配がある、と自分をみるのである。


まともな方向へかえよう

2012年07月28日 15時24分11秒 | 思考試行

要領よく、とかうまく立ち回るとか、そんなことではなく、まともに、まじめに、行こうではないか。不安だらけの裕福な生活なんて、まさに砂上の楼閣である。崩れるのを心配しいしい暮らすのはごめんである。

原発の事故は、広範囲にさまざまな問題点を気づかせることとなった。儲け専一の連中と、まっとうに暮らそうとする真面目な市民と、矛盾が明らかとなり、ものの考え方の違いが顕在化してきている。

あたらしい方向性を、市民たちが選択できるかどうか、これを邪魔しようとする勢力が誰か、今こそはっきりと、視野にとらえなければならない。

参加型民主主義と言い出している学者がいた。本当に、人任せではなく、自分の意見を持ち、主張し、その実現を図ることである。

今までは、自分の力などと、考えたこともなく、選挙のときに投票することもない、といった人達も、今度ばかりは目覚めてしまったのではないか。いや、今こそ、目覚めるべきときだろう。

東電や保安院、原子力委員会、経産省、みんな一体で、規制もなにもなく、好き放題にしてきたツケがおそってきた。

にもかかわらず、独立して仕事にあたるという規制委員会の委員長候補者が、従来の人脈からということで、はやくも疑いの目で見る向きもある。

原発ゼロの方向しかない、と思える現状で、反攻態勢をととのえている勢力は動きを止めてはいない。この人事もその一環の可能性もある。きっちりと原発ゼロへと転換させなければならない。


やめることは、始めること

2012年07月27日 08時46分42秒 | 思考試行

今、原発反対の声がデモとなって、かつてない長期にわたる市民によるアクションが続いている。この声を無視し続ける、政府、マスコミの対応ぶりは、異常である。

しかし、昨日、NHKは、きちんと取り上げた。国谷裕子さんの番組である。民放は、まったくと言ってよいほど、とりあげていないなかで、さすがと思わせてくれた。しっかりした取材であり、コメンテーターの発言も、好感がもてた。

民放の沈黙は、支配、被支配の構図を、しっかり見せている。支配構造が、全体として進めてきた原発態勢が、どうなるかは、政治や行政、すべてに関係して、そのベクトルを変えることとなる。

整然と、長期にわたる行動を展開する確固とした安全を求める声は、どうしてかき消すことができるのか、次の総選挙では間違いなく争点になるだろう。

派手でなくても、しっかりと国民の側につく、したたかな政治勢力の伸長を望みたいものである。そして、原発をやめることは、新たな課題が始まることを意味する。人類にとって、あきらかに、新しい方向性の始まりである。


積年の病弊

2012年07月26日 11時11分29秒 | 思考試行

明治以来、続けてきた態勢が、日本は15年戦争の敗戦時から、大きく変貌した。他国の影響を、それも従属的に受けながら、国の運営が続けられてきた。

憲法は、軍備をしないとし戦争は放棄した。しかし、本音のところは、その気がなく、「普通の国になりたい」という者が、政治家には、圧倒的に多い。彼らには、事あればどうする、という思いが強い。

現実に国となれば、どこの国も、国益に関しては敏感であり、人類は、まだその程度の段階で生きている。国をこえた考え方をする人は、まだまだ少数派だろう。

だが、武器を持って戦って、何の益があるのかと、思い知るような悲惨な体験を、幾度繰り返しても、こんな簡単なことを克服できないできている。情けない状態である。とりわけ、中国の状況は、軍部が突出したりすれば、たちどころにまたぞろおかしなことになる。

アメリカの軍事資本は、それに乗っかり、子分の日本に武器を売り込みたいし、混乱こそ彼らの大いなるビジネスチャンスと考えている。

このなかで、平和を維持し、発展させるために何をしていけばいいのか、また、何をしてはいけないのか、よくよく慎重でありたい。まだ、人類は病気中である。


原発事故調査から

2012年07月25日 08時29分57秒 | 思考試行

事故調査が、民間、政府、国会、・・・、それぞれ行われて、報告書がまとめられている。アンケートなども行われたし、事情聴取もされた。大部の冊子になっている。さて、これらの提言が、ちゃんと生かされるかどうかである。日本は、割にこうした教訓を生かすことが苦手だといわれる。

日本経済の根本をにぎるエネルギー政策は、電力会社の存在なしにすすめられない。電力会社は、経済界のみならず、日本支配の根幹部分であろうし、経営陣は、事実そうしてきた。安全対策がすっぽりと抜けているさまは、この支配体制の強さを証拠だてている。

好きなようにすることができ、そうしてきたのである。それで、これからどうするのか。これらの調査に基づいて、提言をきちんと、実行できるのだろうか。今、せめぎあいが始まろうとしている。止めるにしても、ただちにゼロにはできない。使用済み燃料の処理があり、各原発の後処理がある。

途方もない時間とエネルギーがいる。新しい技術開発が必要だし、代替エネルギーの技術進歩も要請される。潜在していた問題が、顕在化した。これは、あらたな前進をするしかない人類の常態であり、試練でもある。あるべき方向へ、正直に進むしかない。それは、個人にとっても同様である。


政治家と高級官僚

2012年07月24日 15時07分26秒 | 思考試行

政治家と高級官僚の関係は、官僚側が、組織として、継続して行政に携わり、その実力において、政治家のかなうところではない。個々をとっても、学校時代の成績からして、全然違うだろう。そして、組織として積み上げてきているノウハウの質、量が違う。

高級官僚が、事実上、国を支配しているといっても過言ではない。政権をとったということで、彼らの意向を、無視して行政の展開は可能とはいえない。陰に陽に、工作されれば、政治家はたちどころに窮地に陥っていしまう。

民主党政権は、さまざまに実験をした。アメリカにも、少しモノを言ってみたが、相手にされることなく、今まで問題にならなかったことを、とりあげ、それをネタにして、ひどいイジメ攻撃国会が始まり、蹂躙された。

誰が、どこで、どういう糸を引いているのか、庶民には見えないところで、暗躍する勢力に、政権は、かき回された。世論誘導され、参議院選挙で議席をへらし、政権交代の実をとれない状態になってしまった。

そうなると、いよいよ野党の思うままの展開となってしまった。背後には、誰がいるか、高級官僚の仕業であろう。彼らにしてやられてしまった。

庶民は、これからも騙され続けられるのだろうか。これほど、いろんな意思表明手段が多様化し、進歩発展してきているなかで、特定の階層のみが、おいしい思いをする構造は、いずれにしろ壊さなければならないだろうし、いつかそうなるだろうとは思う。

それが、どのような経緯を通じて、実現されていくのか、みどころである。誰がどんな行動をとり、何を話すのか、よくよく注意をしていかなければならない。


程度

2012年07月24日 14時36分58秒 | 思考試行

ふざけていただけか、いじめか、それは程度問題だろうか。そこには、相当な差があって、あるいは、まったく質的には違うものではないだろうか。

これは、似ているようで、質的に違うものだと思う。いじめをしている連中は、ふざけているだけだと、いいわけをするが、やられている方は、いじめられれは、つらいことだから、すぐにわかる。

そこに、陰湿な感情があるかないか、おおもとのところで、中味は全然違うものだと思う。いずれにしても、いじめる手合いは、どこでもいるようで、新聞には、連日のように、いじめられた体験が述べられている。

悔しかっただろうが、その当時は、くやしいというより、耐えるだけで精いっぱいというところだったろう。後になって、悔しさが残り、怒りがこみあげることになる。

いじめられた経験から、発奮して、努力の推進力になり、結果としてよかったということもありうるけれども、そのようなことなしに、まっすぐに、いけるものなら、そのほうがいい。

少なくとも、自殺者がでるような行為を、野放しで放置しておくわけにはいかない。いずれにしても、質的な違いを、程度問題にすりかえてはいけない。


使わないとダメだし、使いすぎも駄目

2012年07月23日 08時46分11秒 | 思考試行

といって、いい加減だと、いい加減になる。真剣にとりくむならば、寝食をわすれることもある、らしい。人間の体は、機械のようなところもある。使わないと、さびついてしまう。機能が萎えてしまう。

廃用症候群という。運動不足になりがちな人は、要注意だ。

むかし、番組かなんかでみたが、舌を思い切り出して、上へ、下へ、左右へ動かすことが、誤嚥を防ぐというので、続けているが、そうしていると、誤嚥がなくなった。

気道に食べ物が行くと、激しくむせる。不快だし、高齢になると、さまざまに問題を起こす原因ともなる。お試しあれ。

それでも、使いすぎると、副作用もある。先日、多くの書類を、まとめて、捨てるべく整理を集中的にした。次々と、ビニールひもでバインドしたのだが、右手が、いまだにいたい。スジだろうか、痛めてしまった。

 

 


誰がどこを見ているか

2012年07月22日 10時10分02秒 | 思考試行

NHKはどこを見ているか。視聴料を払ってくれるのは、誰かをみている。

商売人は、顧客が何をのぞんでいるかを探す。

政治家は、どうしたら票を獲得できるかを考える。・・・

庶民は、家族と自分と、なんとか生活していこうと考える。

富裕層は、今ある富をどうやって増やそうかと考えるのだろうか。

勝手に増えるということもあるだろうし、仕組みのなかに入り込めば、システムが勝手に、富を増やし続ける。なんの努力もいらないヒトもいる。

世界がせまくなって、どこかへ、すべての富が集中していくような、システムが出来上がっているようにみえる。この中では、いくらあがこうとも、その構造のなかにいるかぎりは、利用されるだけで、生活の向上はのぞめない。

ここから、どうやって、抜け出すか。システムから抜け出すしかない。へんてこな、搾取構造から抜け出すしかない。自らの価値観を、根本から考え直して、自分の生きる道を発見していくことだ。

 

 


いじめの構造

2012年07月21日 09時18分41秒 | 思考試行

昨日のプライムニュースは、いじめ問題であった。長い教師経験があり、また、教育委員会にいたこともある参議院議員と、いじめ問題の専門である学者が、ゲストである。

参議院議員は、ソフトな語り口であるが、根本的な話にはならないし、やはりどこかよそごと、きれいごと、の印象をもった。ほとばしるような、熱がない。これでは、問題解決できるとは、到底思えない。

専門学者は、訥々というか、スムーズとはいえない語り口であるが、本質にぐんぐんせまる。現状に並々ならぬ、怒りを持っている。そして、熱がある。いささかシニカルでもあるが、それは現状分析を述べているにすぎない。

最後には、学校の法化と学級制度への疑問を投げかけた。学校教育の根本を見直す発言となった。学校が生徒を縛り付けている現状をきびしく指摘した。

学校の法化は、暴力が行われたならば、法で対処するということだし、コミュニケーションによるいじめは、学級制度をなくせば、なくなるという。その通りだと思った。

さすがに専門家である。問題の現状を深く把握し、人間観がしっかりしている。こういう人がいるのだ、と深い感動を覚えた。

ただ、番組全体の雰囲気は、彼に対して、同意しかねるというものであり、残念であったが、これが世間の現状ということかもしれない。


親切

2012年07月20日 14時24分38秒 | 思考試行

人に親切にされて、それを有難いと感謝できるかどうかで、人生の質は変わる。あたたかい人々の親切のおかげで、日々過ごしてこれることに、深く思いをよせるならば、他人に対しても、親切にすることができるはずである。

否、そうせざるをえない気にならざるを得ないだろう。それが、親切にしてもらっても、なんの感謝もない、単に儲けたぐらいに考えているとするならば、まことに浅い、味気ない人生を過ごすことになる。

そういう人は、他者に対して、親切にすることもないだろうから、いい効果がひろがらない。そこで、ストップである。その結果、ますますギスギスした関係がひろがることになる。

金や出世や、地位が成功の物差しであって、弱者を作り出し、そういう人を、自らの儲けの手段にしか考えていないヤカラである。

本人は、自分の子供には、ありあまる玩具を与え、充分な教育機会を用意する。こういう思考形態は、昔からの自然の流れかもしれない。しかし、世の中進歩してきた。こういう連中の醜さが、いよいよ放置できないぐらいのひどいことになってきている。

世界の富の偏在、紛争のあれこれ、これらは、そういう連中の活動の副産物である。かれらを反省させて、まとまな人間の道を歩んでいってほしいものである。

 


橋下氏の女性問題のこと

2012年07月19日 11時06分28秒 | 思考試行

週刊誌に、女性問題が記事になった。知事になる前の話だそうだ。彼の弱点を、探しまくったのだろう。橋下氏も男だったということだ。家庭が大変だ、ペナルティーを覚悟しているという。これは、人間、木の股から生まれてきたわけではなく、金があって、条件がそろえば、男はどうしてもそういうことになりがちだ。

家庭を顧みずに、こういう状況に、どっぷりと、つかりきったりするようでは、困るが、今は、真面目になっているのだから、問題にすべきことではないだろう。かっこ悪いが、それが自然ということである。であれば、こういう取材をしようとする意図の背景が問題である。だれが、そうさせたかである。

宇野宗佑氏の場合は、相手の女性からの告発であった。あんなヤツが首相になる資格がない、ということだった。今度の場合は、どうだろうか。橋下氏の台頭をこころよく思わない政治勢力か、資本か、どこかにそんな力学が働いているのかもしれない。鵜の目鷹の目で、身辺を探りまわっているのだ。

有名人になるということは、常にこういう危険と隣り合わせである。すべてをさらけだして、しかも、道をはずれず、やっていくのは非常に難しいことである。

小泉元首相は、若き日に婦女暴行をはたらき、イギリス留学で逃げた話がある。創価学会の池田大作名誉会長は、信者の婦人を暴行して、裁判になり、なんと時効で逃げ切った。

橋下氏は、これに比べれば、大した話ではない。大目に見てやりたいと思う。であるから、君が代を歌っているかどうかなど、くだらんことは言うな。


原発からの撤退はあたりまえ

2012年07月19日 10時43分09秒 | 思考試行

危なくて、最終的にどう処理するのかが決まっていなくて、しかも、何か事故があれば、環境を汚染してしまう、その時の対処もできない。環境汚染のひろがり、影響についても、未解決の問題だらけである。どう強弁してみても、原発に頼るべきではないことは明らかである。

昨日のプライムニュースで、国会事故調の委員長、塩崎自民党元官房長官、民主党の福山元官房副長官が出演していて、原発問題を取り上げていた。塩崎氏の言い分は、まことに聞きづらいものであった。自分達の政権時代に、国策として、安全神話のもと、すすめてきた原発政策のいわば、大チョンボを、民主党のせいにしかねない口ぶりだった。

イジワルな表情、口ぶり、こんな議員が事故調の委員長と席を並べている。委員長の姿勢も、彼と席を並べているものだから、自民党の肩を持っているのだろうかと、疑うのだが、福山氏は、事故調を評価しながらも言い分を主張しているのは、好感が持てた。

いずれにしても、民意も明らかであろう。もう原発からは、撤退だ。そうすることによって、新しい世界が広がる。ビジネスの考え方も変わらざるをえない。既得権者は、退場しなければならない。


映画「苦役列車」をみる

2012年07月18日 07時12分08秒 | 思考試行

小説も読んだが、印象はかなり違う。俳優が具体的に、演技すると小説のイメージとはちがってくるのは仕方がないとしても、青春物語の色彩が、より濃いようにみえた。

作家として、芥川賞を受賞するのだから、それまでの自伝物語となるのだろう。社会のいわば底辺のなかで、かなり、「キビシイ」生活を過ごしているにもかかわらず、深刻ではない青年の暮らしぶりは、実相をみせてくれているとしても、それが、感動を呼ぶわけではない。

それでも、ものを書き出したときに、救いのイメージがどっと具体化してくる。書くしかなくなって、あるいは、猛烈に書きたくなっていくプロセスとしては、さすがに説得力がある。実話だからだろう。

物語のなかで、気になったのは、「日雇いだから、労災にならないんだって・・・」という台詞を言わせていることである。当然ながら、日雇い労働者のケガは、労災対象である。

労災対象であるにもかかわらず、企業側が、労災隠しをしている実態をいれたということかもしれないが、疑問をもたない「読書家」はいただけない。

また、中卒コンプレックスが、再三登場するが、これも、「読書家」であれば、当然ながらクリヤしているはずである。高校や大学といっても、内容がどんなものかは、少し時間をかけて読書するならば、解ることである。