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空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

そして利己主義がはびこる

2012年09月21日 08時59分11秒 | 思考試行

周囲の好意を踏みにじり、これを利用しながら、感謝をすることもせず、かえって、おとしいれようとしたり、いじめの対象にしたりする。無視したり、差別したりする。その効果は、まるで自分の奴隷とでも思っている風がある。あるいは、道具にすぎない、という認識のようだ。

世話をしている方は、この事実を感じても、容易に周囲に伝えることが難しい。このコンジョワルは、周囲には、自分がいかに努力しているか、を宣伝し、差別で、あるいは言説のテクニックで、周囲を丸め込み、マイナイも使い、心遣いをする。

だが、真実は強い。年月がたち、真相はいやでも周囲の知るところとなる。そのころとなると、このコンジョワルは、態度を変えてくる。コケにされてきた者は、その変化に気付いても、怒ることを知らない。まともになってくれて、よかった、ぐらいにとらえている。

周囲との矛盾も緩和される。しかし、周囲の中には、この利己主義者と共通する要素を持つものがいる。彼らは、真実を知ることを避ける。世話をした体験もないのに、したかのような気になっている。彼らの誤解がとけることはないし、反省の機会もない。

快適な、優雅な「利己主義」天国が続く。彼ら同士は、共感して、その実際は、孤独であり、真の喜びからは遠いといえるのだが、娯楽をもとめ、物欲にはしり、それなりの幸福感に満たされているかのようにみえる。弱者をあざけり、努力しなかったから、そうなっているんだ、ぐらいの認識でみている。

勝ち組意識が、彼らの勲章である。贅をつくし、たまに、抑制のきいた「奉仕」活動をして、自分は、いい人間だと思い込む。かくして、「利己主義」が、蔓延する。


感動のスパイス・・・になるだろうか?

2012年09月21日 08時21分21秒 | 思考試行

他人から褒められたり、喜ばれたり、感謝されたら、嬉しい。そして、感動する。生きていて良かったと思えるだろう。ところが、何をしても感謝されず、喜ばれず、単に道具としてみられていて、何をしてもあたりまえ、という態度をとられ続けるならば、いずれ、やる気をなくし、もう自分ことばかりしよう、となる。

ときどき、こういう感謝の心のない人がいる。不足ばかりを感じ、感謝をしらない。口先ばかりで感謝のことばをいうが、それは、方便であって、心から感謝しているわけではないから、相手にも伝わる。その本質を、限られた周囲の者は、知っている。だが、捨て置くわけにはいかないから、対応は変えない。

自分の信念として、やるべきことをやるのみである、と考えている。ために、その「文句言い」は、歪んだ根性にもかかわらず、厚遇されて、勘違いをなおすこともない。自らの根性悪を自覚している風もない。その数々の言説、人をおとしいれ、世話になっているのを、負い目に感じるのか、それを無視したり、表現の工夫をして、第三者には、それを知らせないようにする。

やってもらったことは、記憶にないとし、少しでも自分がしたとなれば、それを言い募る。その言い方の効果は、やってもらっている他のすべてのことも、自分でやったかのような効果をもたらす。聞いた人は、そのようにとる。

だが、事実は違う。周囲には、誤解されたままで、亡くなった身近な人もいる。誤解する方は、真実を知る機会がない、それを感じ取る受信力もないと、このコンジョワルの騙しの効力は有効となる。

すなおな真実の心は、この利己主義者のために、惑わされる。周囲から不当な扱いを受けることも出てくる。そして、この事実を伝えることは、非常に難しい。事実を聞かされても、受け入れ難い感情が働くのか、まず理解してもらえない。かえって、反発を呼んだりする。コンジョワルというのは、相当な害を周囲にまき散らしているのである。しかし、これがまた、感動へのスバイスになったりするから、人生は複雑である。