空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

伊武雅刀と柳家喜多八

2012年03月31日 11時46分13秒 | 思考試行

柳家喜多八という噺家を知らなかった。柳家小三治一門の真打である。すごい人もいるものだと思わされた。伊武雅刀の師匠として、俳優の落語挑戦の指導にあたったのである。二人は、同い年で、酒を酌み交わす場面もあるが、喜多八は作業着スタイル。考えがあってのことであるのは、もちろんだが、そこからもう面白い。

小三治は、落語家といわないで、噺家という。立川談志は、落語家という。噺家なんて言われたくなかったらしい。素人目には、双方ともに、大御所という感じであるが、落語家としての考えは相当ちがうようだ。

昨日のテレビで、初めて喜多八を知ったのだが。そのなかで、この考えのちがうことを反映することばが、でてくる。喜多八は、落語のまくらのなかで、談志を名指しはしないものの、うまいと思わないと言ったりするのである。落語界にもいろんな考え方があるのだ。

さて、伊武雅刀が、喜多八に弟子入りしての落語挑戦だが、さすが、名優である。本職としてもやっていけそうな出来栄えと、感心したのだが、そのあとで、師匠の喜多八の落語を聞いて、なるほど、本職というのは違うのだな、と思わされた。

伊武雅刀の落語は、師匠の指導を受けて、ほとんど隙がないかのように思えた。いい声だし、表情も素晴らしい。みごとなものである。き真面目な、落語であった。

ところが、喜多八の落語は、力のぬけ具合がすばらしい。舞台が能舞台であったから、なにやら固い雰囲気がただよい、伊武雅刀のときは、会場にあうような感じがしたのだが、喜多八のときには、舞台の雰囲気とは関係なく、独自の世界が構築されていく。

一人で、展開していく芸であるから、人間そのものの生き方や、姿勢が、そのまま芸になる感じである。はなしのメリハリ、面白さもあるが、演者の芸から、人生をどう生きるのかも示唆された。落語はシンプルにみえて、奥深いものだなと実感した。


管さんは、やはり偉かった。

2012年03月30日 10時46分26秒 | 思考試行

朝日朝刊に、池上さんの新聞についての大きな記事が出ている。新聞の役割についての話である。活字媒体の特長として、検証が可能とある。

あとで、あのとき、何言うたん?と調べることができる。管さんが、細かいことまで口出しして事態を余計に混乱させた、みたいな話が、当初、新聞にデカデカと掲載されていた事実がある。

はたして、真相はどうだったのか。池上さんは、当時の技術系トップが、管さんに、なんのアドバイスもできずにいた事実を新聞記事から掘り起こしている。

管さんがそこまでやらざるを得なかった事実が示されたのである。原発については、安全神話のもと、自民党はじめ、学者内部も、安全対策をいうような人をしめだし、イエスマンで固めて、国民をだまし、原発政策を推進してきたのである。

重大なことになって、思考停止状態になるのは、いわば当然であった。事故以来の自民党の言い方は、恥知らずと言われても抗弁できないだろう。事故にまともに向き合えない体質が露呈したのである。

管さんが、東電に乗り込まなかったら、全面撤退で今頃日本はどうなっていただろうか。無責任な連中をのさばらすことの恐ろしさを痛感する。やはり、管さんは偉かったのである。


「幸せのちから」をみて

2012年03月29日 09時20分26秒 | 思考試行

映画をみて、思ったのは、「アメリカ文化」のわかりやすさと、理解できない単純な残酷さである。1%の人間が、国全体の富の40%を占めるという格差。これを、そのままにしておく神経。

しかし、日本も今や、格差社会で、1%の人間で、国全体の20%の富を占めているらしい。小泉竹中路線のなせる結果であるが、それを、是正しようとする勢力は、みえてこない。

映画に話をもどすと、主人公の黒人の若い父親が、生活に困窮しながら、トレーダーとなる努力の末、結果的に成功した、という話である。

救済組織としての教会。順番があって、ここも競争である。地下鉄のトイレに閉じこもる場面は、涙をさそう。成功している連中の金銭感覚。それでも、能力を認める公正さ、率直さ、のすがすがしさ。

このなかには、個人としての努力や、コミュニケーション能力が公正に認められる社会のしくみの肯定感が、ストレートにせまってくる。この感覚には、どうしてもなじめない。

もうちょっと、ちゃんと助けあうというしくみをいれないと、人類の未来は、暗いと言わざるをえない。アメリカの変革は、どうしても必要である。それを知らしめる映画である。


石原伸晃氏はめちゃくちゃだ。

2012年03月28日 09時48分02秒 | 思考試行

朝日、今日の朝刊4面に発言録という囲み記事があって、石原伸晃自民党幹事長が、こう言ったと報じられてる。

「野田総理は韓国(での核保安サミット)に何をしに行ったのか。我が国はあれだけの原子力災害を経験し、北朝鮮は彼らでいうところの衛星、我々が言うところのミサイルを撃つ、そういう北東アジアの緊張状態の中で、韓国とも米国ともロシアとも中国とも首脳会談をやらない。首相として隣国の韓国で発信しなければ、非常に心もとない。  (記者会見で)」

そして、朝日14面の社説には、日本外交の不在を憂うとあって、野田首相が、首脳外交に「熱意をもっていない」ような記述がある。ここで、「野党の国会出席要求をのまざるを得ない事情があるのはわかる。」ともある。

総合して考えると、石原クンは、一方では、野田首相の国会出席を要求し、そのために、野田首相は、タイトな日程を余儀なくされながら、国会にも核サミットにも参加したということがみえてくる。そして、立ち話であっても12か国の首脳と接点を持ったのである。

その、野田首相に対して、石原クンは、「心もとない」というのである。原子力災害に自民党は、何の責任もないかのような口ぶりであり、しかも、国会には出ろ、首脳会談を設定しろと、これは、むちゃくちゃと言わなくてなんというのだろうか。

こんなバカな、恥知らずの自民党幹事長・石原伸晃という人物をどう考えたらいいのだろうか。まったく信用ならない、とんでもない人物である事がわかる。


病院を三か月で出なければならない事情

2012年03月27日 10時29分38秒 | 思考試行

これも小泉クンが大臣のときに、実行されたことに起因する。発作をおこすなどして、長期の入院を余儀なくされた人が、3か月の入院期間をすぎると、転院を言われ、右往左往しなくてはならない。病院の採算がとれないしくみを導入して、医療費の削減を目指して始まったものらしい。

転院すれば、そこもまた、3か月で追い出される。その間の点数は高いから、病院は受け入れるが、それを過ぎれば追い出しにかかる。ひどいことを考えるものである。

「病院ではもうすることがない」と言うそうである。そうだろうか。一般家庭で、看護することは不可能な場合が多い。となれば、何らかの対応がいる。病院は必要なのである。この制度は、お金を持ってない人は、そのまま死んでしまえ、ということだ。

小泉クンは、劇場型選挙を展開して、議席を獲得し、今も人気がある、とされている。彼は何をしたのか、大企業、富裕層優先の政策を展開して、アメリカべったりの政治を行い、弱者いじめをしてきたのである。酷薄無情の仕事をしてきたのである。

彼を支持する国民は何をみているのか。


新しい価値とは

2012年03月26日 08時06分28秒 | 思考試行

今までは、大事と思われていたことが、そうではなくなり、なんの価値もないと考えられていたものが、評価される。あるいは、全然違う立場から、あらたな考えが提起されて、新たに大事とされる価値観が生まれることもあるかもしれない。

時代の流れのなかで、流行があり、廃れるものもある。業界も一流とされていたものが、時代遅れとなり、意味をなさないものとなる場合もある。

いつまでも、廃れることのないものはない。変化していくのが自然の摂理というものであり、それは、抗すべき対象ではない。結局は、流れの大勢というのはあって、これに、逆らっても徒労である。

であれば、時代の流れのなかで、時流のおもねることでいいのか。橋下維新代表の勢いが、ますます高まっている。官僚支配のくびきを脱して、新しい政策をたちあげることができるのかどうか。

賭場をつくり、大金持ちからの収奪を考え、それを弱者に分配、なんて図式ではなさそうだが、彼にとって、いま、何とか生活できている者は、既得権益にのさばるものと見えている。

それを壊して、新しいものが生まれるのだろうか。バスの運転手の給料が高いと世論が、騒ぎ始めた。そこには本当の改善のタネがあるのかどうか。的外れではないのか。

 


文藝春秋3月号の「のど自慢舞台裏」を読んで

2012年03月25日 14時37分53秒 | 思考試行

「文芸春秋」3月号に、長寿番組の舞台裏が掲載されている。その中に、NHKの「のど自慢」も載っている。台湾でも大人気などと、見出しにあるが、むしろ、番組の舞台裏が、詳しく紹介されている記事内容である。

これを読んでいたから、今日の、のど自慢番組をみていて、涙が出てきた。予選会や、番組を作っていく過程において、出場者の気持ちのふれあいができてくる様子や、制作する側の意図、準備などのこと。どのようにして、出場者が決まるのか、番組が作られてきたのか、いかにも日本的な配慮が、そこにはある。

歌い終わったあとで、出演者同士がハイタッチをしている。それが、「なんでか!」が、この記事を読めばわかる。日本らしさのいいところがよく出ている。ここには、共に生きる人間同士のふれあいと、やさしさと、励ましあいがあって、みている人も、自然と笑みが浮かぶ。

会場は、笑みがいっぱいである。アナウンサーの事前準備も、相当に入念らしい。そうとは思わせないさりげない、肩に力のはいっていない問いかけがいい。それに対して、出演者は、飾り気なく、素直にこたえる。それがすばらしい。かくて、涙なくしてみられない、楽しい番組になっているのである。


議論に国民は参加しなければならない。

2012年03月24日 10時38分31秒 | 思考試行

政治の世界は、何事かを決めていかなければならない。政府中心に意思決定をするのだが、議会での議論が形骸化すると、官僚の事実上の支配に任されてしまい、官僚は、自らの都合のよい方向を探り、コップのなかの争いをくりひろげる。

国民不在の政治が展開されていく。議会がしっかり機能していくためには、論者の力量にかかるわけだが、それには、背景の国民自身の力量が試されている。問題を議員に提起できる見識や、意見がなければ、議員の活動に反映させることは困難である。

議員はリーダーの役割は当然担わなければならないが、問題を発見するのは、生活のなかにいるものであって、国民自身が主体的に行動しなければならない。

小泉内閣が持ち込んだ、非正規雇用の害悪が、劣悪な労働条件を招来して、従来安月給といっていた公務員給与が相対的に、高い給与となっている。事実は、まわりの「落ち方」が激しくて浮かび上がったにすぎない。

どこかで、不当に利益を得ているところがあって、貧富の差が拡大している。これを是正するのは、まさに、国民の意思であり、怒りであり、行動である。

正当な認識を持ち、事態をはっきり把握して、政治の世界を動かし、制度の改変していかなくてはならない。国民が、自分でやらなければ、ならない仕事である。


過ちを正すこと

2012年03月23日 10時07分20秒 | 思考試行

間違っているなと思えば、正すことはあたりまえだが、心がけているのと、そうしないのでは、たいへんな違いがある。

間違えようと思って間違えるわけではないが、どうしても、間違いは発生する。そのときには、潔く過ちを認めて、改善する努力を開始する。相当辛いこともあるだろうが、それは、仕方ないことであって、受け入れなければならない。

精神的に健全であることは、個人にとって、大事である。これを、なおざりにして、富や名誉をもとめて、たとえ得られたとしても、そんなものは、いいものではありえない。

何が間違いかを、判断することは、難しいことでもある。自分を誤魔化し、思い込むという手段もあるからだ。それでも、どこかで、そのことを知っている自分がいるかどうかである。

他人の立場、思いを考えようとはしない人は、自己本位を躊躇したりしない。それが自然体であるようで、こういう人と付き合うのは、本当にかなわない思いがする。

こういう人が、そのことに気付いて、変わったとすれば、どんなにすごいことかと夢想するのだが、その可能性はほとんどみこめず、むしろ期待しないことが、さびしいけれども対応策である。

 


政治の役割

2012年03月22日 12時43分11秒 | 思考試行

国としてのふるまいを、決めて、行動する。国境をきめて、その領域をまもる。そこに住む国民の生活について関連する制度に係わっていく。環境問題もある。エネルギー問題もある。

これらの仕事は、時代により、状況により変化していく。今は、セクト的な各国の利害の調整が大きな仕事となっている。

国家がなくなるのは、まだまだ先のことであり、このパラダイムは、そう簡単には変わらないように見えるけれども、つまらんことにエネルギーを使っているとしか思えない。

そして、日本としては、どういう進路をとるべきか、国際貢献をできる限り続けるなかで、「共生」の理念を世界の標準にしていくことだろう。

そのことで、日本の憲法の思想を現実化することができる。また、そのことは、世界にとっても意味のあることだと考える。災害が多く、武力を持たず、戦争をしないと宣言しているのだから、それを貫徹することによって、世界とつながっていくのだ。

それでいいのではないか。罪もない人々の命を奪い、困難に巻き込むことは、正義を掲げてやることではないし、ごまかしの要素が必ずある。ビジネスの、においである。


「グローバル人類学」に期待する

2012年03月21日 08時00分04秒 | 思考試行

放送大学の科目登録をした。テキストが送られてきた。

今年度から新規開講の講座である。内容を、例によってパラパラと読み始める。ここで、感じる手ごたえ感が半年の間の学習意欲につながる。

今回は、いままでにない掘り当て感がある。ついに出会った、かもしれない。まともに、うすぼんやり考えていたテーマが、はっきりと提示され、しかもすでに多くの人々がこれにとりくんでいたのである。

問題意識の共有といえば、おこがましいが、まさに、人類のすすむべき道につながるテーマであり、課題である。まだ、新学期がはじまっていないが、早くも、数章を読んでしまった。

放送大学に入って、もう何年になるのだろうか。最近は、半年ごとの、各科目にたいする思い入れが深くなってきている。人生の残り時間ということもあるからだろうか。

テキストは講師陣の、新しい観点からの仕事の成果をみせてくれるものとなっており、何年も同じノートのくりかえしという内容ではないから、新鮮なのである。

もちろんベーシックな知識は必要で、それがなければ、先へは進めないということもある。その上にたって、今の課題の切実性や、有意義であることが理解できることもある。くりかえしの内容も必要なのである。

今回は、本当に知りたいこと、地平を切り開きたいこと、そのテーマに向かうのである。まことに、楽しみである。


ネットワーク社会のなかで

2012年03月20日 16時50分08秒 | 思考試行

世界とつながって、情報がとびかい、今や、地球規模だけでモノを考えているようでは、せまい認識である。宇宙をも視野にいれて、考察しなければならない。当然日常生活においても、ものの考え方は、そうとう変化している。

それを思い知らされるような事態が、これからどんどん出てくるのではないだろうか。社会の変化、生活の考え方もより多様となっていく。視野も広くなければならない。

でなければ、間違える。派遣労働を合法化して、外国の低賃金をあたりまえと考える東京都副知事や、大学教授といいながら、なんとも程度の低い経済学者など、しょうもない連中が、マスコミのコメンテーターになっている。

庶民はとっくに気づいている。富の偏在が変だぐらいは誰にだってわかる。わからないのは、富裕層の子分、あるいは手下となって、マスコミに登場する連中だけである。

彼らの道化ぶりに、いつまで庶民がつきあってくれるだろうか。本物の正義がシンプルに登場して、彼らの化けの皮が完膚何なきまでに、はがされる日を、楽しみにしている。


協力と共同

2012年03月19日 10時24分09秒 | 思考試行

せまい地球で、暮らすのには、協力、共同の姿勢が必須である。原子力を利用するようになって、とりわけ、そのことが重要になってきた。

もはや、自分勝手な行動は、それは、国も含めて、個人だって例外はなく許されないといえる。自由と規律ということは、昔から言われているが、いまや、その重要性は、高まっている。

さりとて、何を自分勝手とするこについては、困難な定義がいるのかもしれない。常識的には、他者の都合を考慮しない自己都合ということになるとすると、それは、周囲に蔓延しているのではないか。

むしろ、それが原則というか、当たり前のごとくであって、たまに、利他的な行動があれば、美談になってしまう。協力共同は、この人間の本性をうまく管理して、まっとうなレールにのせるべくテクニカルに行われている実例の一つかもしれない。単に、自主性にまかせるようなことをするだけでは、協力共同は、不可能なことかもしれない。

であれば、その協力共同をうまくやるには、どうすればいいのか。そのためには、そうすることが楽しく、欲求と合致しなければならない。そこに工夫がいる。

 


「運命の人」をみて

2012年03月18日 23時55分06秒 | 思考試行

日本の国の政府、官僚に正義があるのか!本当に腹立たしい限りである。

ドラマは、本質をよくついている。政権についていたものは、恥を知れ!といいたい。

沖縄問題についても、経緯をしれば、日本政府だけではなく、アメリカに対しても、このままでは話にならない。

ドラマが、史実に基づいているとすれば、日本はなんという、情けない国であることか。

反論できるのなら、きちんとすべきである、

 

 


政治の基本は弱者救済

2012年03月17日 11時10分01秒 | 思考試行

何のために政治をするか、昨日のBSプライムニュースをみていて、弱者救済こそが、最大の任務ではないかと思いついた。

人はだれもが、弱者になりうる。宮本北海道大学教授が、99%の人が弱者であるという本を書いているのが紹介されていた。まさに、その通りで、政治の役割は、弱者救済にあると思う。

難病に罹患して、「困った人」になってしまった作家の女性もでていたが、彼女は、決して弱者ではなかった人であったのに、「くじをひいてしまって」難病になり、国の制度の、難病対策などの脆弱ぶりに驚くこととなる。

日本という国のイビツなところを、あらためて、思い知らされた。政治の役割というのは、個人では対策できないことを相互扶助的に解決していくことが、最大の任務である。

制度の実態、弱者の状況、こういう問題を詳しく把握しているところが、実はない、ことも驚きである。実態把握ができなければ、問題解決のしようもない。

報道側に、体系的にそういうデータをまったくもっていないことにも驚く。それで、どうして社会の公器などといえるのだろうか。

政治は、体系的に、調査し、真剣に問題解決にむけて動きださなければならない。