昔、ソ連という国があって、それはそれは、力があった。ウクライナもソ連の一部だった。それがあろうことか、今や西側に完全に行こうとしている。
これは我慢できない。プーチンはそう思ったのだろうか。
時代は変わる。いつまでも同じ場所にはいられない。すべては変化し、姿を変える。ロシアもその姿を変える。プーチンが思う昔の世界にもどる可能性はゼロに近い。
いま、大激変の入り口にいて、世界は、大きく変わらざるを得ない現状となっている。ウクライナは自前の武器が不十分であるが、西側の支援が続く限りは、降伏せずに頑張り続けるだろう。引くに引けない戦争である。だが、西側の援助が続かなければ、滅亡しかない。となれば、降伏しかない。
西側の援助は、小出しの感じがあり、戦闘の状況をみながらの、覚めた雰囲気があるようにみえる。怒涛のように援助するのかと思えば、さほででなく、ウクライナはどんどん支援をと叫び続ける。
ロシアの核威嚇によって、西側は腰を引き気味である。こわごわの支援になっているのではないか。ウクライナの犠牲を思えば、一刻も早い勝利をウクライナに与えなければと思うはずだが、そこでも、冷徹な計算があるようにみえてしまう。
長引かせて、ロシアの力を減らそうという狙いかもしれない。だとすれば、日々のウクライナの人々の犠牲をなんと思っているのだろうか。プーチンに負けず劣らず、西側も、冷徹な政治家揃いではないか。
じわじわと騙しだまし、プーチンの意向を探りながら、核を使わないギリギリの線を狙って支援しているようである。
今のこの状況こそが、人類の実態を示しているのだが、黒白をつけようとする人間が多くなれば、あるいは、超人間的な考え方で、人類の歴史を終わらせようとする人物があらわれ、決意するならば、人類は、その歴史を終える時代を迎えているのかもしれない。
明らかに共生を目指す社会がある一方、弱肉強食を是として、勝利の快感に浸っている人物がおり、自らの信念のためには、いくら多くの人が犠牲になろうと平気という人物もいる。貧富の格差をなんとも思わず、これをどうにかしようという意欲など、まったくない人々もいる。
人類は、全体として、今あるべき姿へ向けて、歩みを進めているのか、それとも、迷い続けているのか、それとも、迷いなく滅びへの道をまっしぐらに落ち込んでいるのか、それは、誰にもわからない状態なのか。わかっていても、止められないのか、結局はなるようにしかならないということか。