空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

誰が正しくて誰が悪いのか

2022年06月28日 12時38分59秒 | 思考試行

昔、ソ連という国があって、それはそれは、力があった。ウクライナもソ連の一部だった。それがあろうことか、今や西側に完全に行こうとしている。

これは我慢できない。プーチンはそう思ったのだろうか。

時代は変わる。いつまでも同じ場所にはいられない。すべては変化し、姿を変える。ロシアもその姿を変える。プーチンが思う昔の世界にもどる可能性はゼロに近い。

いま、大激変の入り口にいて、世界は、大きく変わらざるを得ない現状となっている。ウクライナは自前の武器が不十分であるが、西側の支援が続く限りは、降伏せずに頑張り続けるだろう。引くに引けない戦争である。だが、西側の援助が続かなければ、滅亡しかない。となれば、降伏しかない。

西側の援助は、小出しの感じがあり、戦闘の状況をみながらの、覚めた雰囲気があるようにみえる。怒涛のように援助するのかと思えば、さほででなく、ウクライナはどんどん支援をと叫び続ける。

ロシアの核威嚇によって、西側は腰を引き気味である。こわごわの支援になっているのではないか。ウクライナの犠牲を思えば、一刻も早い勝利をウクライナに与えなければと思うはずだが、そこでも、冷徹な計算があるようにみえてしまう。

長引かせて、ロシアの力を減らそうという狙いかもしれない。だとすれば、日々のウクライナの人々の犠牲をなんと思っているのだろうか。プーチンに負けず劣らず、西側も、冷徹な政治家揃いではないか。

じわじわと騙しだまし、プーチンの意向を探りながら、核を使わないギリギリの線を狙って支援しているようである。

今のこの状況こそが、人類の実態を示しているのだが、黒白をつけようとする人間が多くなれば、あるいは、超人間的な考え方で、人類の歴史を終わらせようとする人物があらわれ、決意するならば、人類は、その歴史を終える時代を迎えているのかもしれない。

明らかに共生を目指す社会がある一方、弱肉強食を是として、勝利の快感に浸っている人物がおり、自らの信念のためには、いくら多くの人が犠牲になろうと平気という人物もいる。貧富の格差をなんとも思わず、これをどうにかしようという意欲など、まったくない人々もいる。

人類は、全体として、今あるべき姿へ向けて、歩みを進めているのか、それとも、迷い続けているのか、それとも、迷いなく滅びへの道をまっしぐらに落ち込んでいるのか、それは、誰にもわからない状態なのか。わかっていても、止められないのか、結局はなるようにしかならないということか。

 

 

 

 

 

 

 


最低賃金をあげるしかないのだろう

2022年06月23日 12時41分26秒 | 思考試行

企業主からすれば、自分の報酬と賃金の関係は、まさに利益相反になるわけで、中小企業であっても、企業主の力は圧倒的に強く、労働者の賃金は低く押さえつけられる。

制度的に労働者が流動的に動くことは、労働者のサイドで不利に働くという思い込みもあり、また、あまり職業をかえることについて、良い評価が得られないというような、「常識」もあって、労働者は低賃金を我慢してしまう傾向がある。

企業主サイドは、文句があるなら、かわりはあるんだよと、強気である。そこまでいかなくとも、できるだけ賃金は低い方がいいと思っていて、そのように実行する。世のため人のため、働く人の賃金はできる限りあげようと思っている経営者はほとんど皆無なのだろう。

かくして、先進国の中で、日本はこの30年間、賃金は横ばいであった。他の国は例外なく賃金はあがっており、日本の賃金の横ばいは、いかに、企業側が利益を出していても賃金にはまわさないという実態を、はっきりと数字で示している。

労働者は当然怒るところだが、強い者にはまかれろ、的な考えがあるのか実に大人しい。選挙をしても、保守的な動きであって、劇的な変化を求めようとはしない。これでは賃金など上がるわけもない。労働組合が消失して、あっても事実上、経営側の別動隊のような労働組合だから労働者の要求にかなうものにはなりえない。

しかし、賃金をあげないでは、消費もふえないし、企業主サイドにもその不利益が及ぶ。限界まで、賃金を押さえ込んだ副作用が、これだけ顕著になっても、経営者側が賃金をあげないのならば、これは、最低賃金をあげるしかない。

法的に、賃金の最低線を決めるわけだから、経営側もこれには従うほかはない。これをやれば、エライことになるなどと、騒ぎ立てるが、韓国の例をみると、日本の半分ぐらいの賃金水準であったのが、今や、日本を追い越している。

日本よ、いったいどうなっているのか。労働者が大人しすぎるのも考えものということだ。


アフガニスタン、ミャンマー、ウクライナ・・・

2022年06月17日 23時09分36秒 | 思考試行

ウクライナから難民として受け入れている人数が増えている。さまざまに施策がとられて、それがウクライナの難民の力になっていることは、誇らしいことである。他方、ウクライナ以外の国の場合、扱いがかなり違うらしい。

どうして、そんなことになるのだろうか。もともと、日本の難民受け入れについては、相当厳しくて、簡単には難民指定がされないという。ウクライナが突然進攻されて、困難に陥り、この事態を迎えて、日本の援助の手が差し出されたことは、当然のことだと思うが、国によって依怙贔屓があるのだとすれば、おかしいことだ。

だいたい、日本の歴史は、制度的に弱者に対する思いやりがない。歴史的に、支配者の都合のいいように運営されてきたのではないか。本当に庶民の立場にたって、政策をすすめるならば、違うやり方になるだろうし、日本の今のような成長ができない国にはならないだろうと思う。

弱者の犠牲をなんとも思わないような政権など、早く変わってほしいものだ。

 


共有知識

2022年06月04日 23時06分37秒 | 思考試行

日本の道路では、車は左側を通る。これは、皆が皆、そうすることについて、例外なく、そうしているからであり、誰もが、そのことについて、なにも疑いをもっていない。こういう知識を共有知識と言うらしい。

人類共通の共有知識があるのだろうか。人を殺さない、といっても現実に殺人事件はあり、ロシアは、ウクライナに進攻し、多くの人がなくなっている。人を殺さないことが、人類の共有知識とはなっていない。殺しあうことが現実である。命でさえ、おたがい大事にすることさえできない。

このような、基本的なことさえできない人類は、これからどうなっていくのだろうか。さきざきの展望は暗いと言わざるをえない。

悲劇がなくなることはなく、国家間の争いはもちろん、小さな単位でも、個人間でもその種が尽きることはなさそうである。他方、真反対の現実もあり、自らの命を捨てても、他者の命を守ろうとする人間がいる。

人類にとって、何がもっとも大事なのだろうか。何か一つというわけではなさそうだが、争いのもとは、しぼることができそうにも思う。

どうやら、「力」がキーワードのように思える。他者よりも、優位に立ちたいと思う人間や、組織は、その力を維持したくて、あるいは、さらに強くしたいと思うのではないか。それが、諸悪の根源のようにみえる。

権力を必要としない、あるいは権力を否定するような社会組織ができれば、相当多くの争いごとが消滅するのではないか。民主主義は、かなりそのことを意識している。全体主義、権威主義的な国と比較した場合、見かけの社会の混乱状況とは別に、本質において、人類一人ひとりの暮らしにとって、のびのび暮らせるかどうかについて、大差があると思う。

日本の場合、敗戦によって、民主主義がもたらされたが、国民自らが、意識改革を行って、勝ち取ったものではないため、本質的には、危ういものではないかと感じる。コロナ騒ぎでマスクの定着ぶりが話題となっているが、ここに、日本の他者の目を気にする傾向が強いことが指摘されている。

個人が自らの意見をもって行動しない傾向があることを意味しているのではないか。力の強い者にやすやすと牛耳られてもかまわないという意気地のなさがみてとれる。

多様性の大事さが言われているが、没個性では、多様性は生れない。自分の好み、意見をしっかり持つことが重要と思う。