空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

妻の不安、不満、心配・・・対処を考える

2013年10月31日 07時17分57秒 | 思考試行

母親の本格的な介護が、始まって、2ケ月。妻がかなりの負担感をもっている。介護センターからの電話一本に過剰に反応する。

心筋梗塞をおこして、ニトロを服用した母を、安静にしておくのがいいのでは・・・、デイサービスをどうされます。風呂ははいりますか。のようなニュアンスの電話で、もう影響をうける。

ショートに関しても、もういけないのではないか。そうすると、自分の「休暇」がなくなる。それでは、やっていけない。

朝から晩まで、動きづめで、もうクタクタ。

私が、食器洗いを、サポートしているが、その間、妻は、別の仕事を見つけ出しては、忙しくしているようだ。

少し異常もある。開けた戸を、締めない。片付けが完結しないままになっている。昨夜、どんな具合に忙しいのか、尋ねてみると、動くサキザキで、仕事をするという。庭へ出て、花に水やりをすれば、猫の糞がきになる。と、ついでに、風呂掃除も、となる。

こちらが、食器洗いのサポートや、顔洗いのセット、タオルの準備などしても、その間に、別の仕事を、見つけて動いているようだ。そして、自分がこんなに、動いているのに、評価してくれない、誰も理解してくれない、・・・となる。

今朝は、少し考えてみようと、朝から、加藤登紀子さんのCDをかけながら、これを書いている。初めての経験であるが、「癒し効果」を知った。

妻にも、自然に聞かせようと思う。サポートの方法をかえなければ、とも思う。妻に、余裕がないことに、充分には、気づいていなかった。


やってしまった時の対処

2013年10月30日 12時21分51秒 | 思考試行

やはり、誤りがあったとしたら、過ちを匡すに憚ることなかれ、である。ごまかしてはいけない。そう心がけているが、最近、やっちゃた事件があった。顧客にその旨告白した。あっさりと許してくれると思いきや、きっちりと怒られた。当然であるが、やっちゃたものは、仕方がない。誤りの原因、結果、対処を述べて、謝るほかない。

委細を文章にし、詫び状とした。さて、どのような結果になるか。こんなことを言っては、問題だが、怒られてスッキリしたものである。お金が絡む問題だが、別に、損をさせたわけではない。対処できる問題である。

だが、しかし、内容的には、基本的なことなので、引退の二文字がいよいよ現実味を増してきた。完全な任せきりにすると、今回みたいなことも起こりうるので、相手の方にとっても、油断してはいけない、という教訓を与えたことだろう。

人間というのは、やはり、間違いを起こす生き物であるということを痛感させられた。それにしても、久しぶりに、怒られた。だが、今日の天気と同じで、さわやかであり、すっきりしている。

迷惑をかけるようだと、もう潮時ということだから、自分で判断出来るうちに、結論は出すようにしなければならないという警告にもなっている。


失敗の修復

2013年10月29日 07時27分45秒 | 思考試行

失敗に気づいたときにどう対処するか。悪意で何事かをなして、それが露見したときは、深刻な反省が必要だが、そもそも悪意で出発していれば、これは、確信犯として、罰せられるよりほかない。

間違いのないようにと心がけていながら、やってしまった失敗に気づいたときには、これは、ごまかしてしまうことも可能かもしれないが、やはり、辛くとも、キチンと向き合って対処することが、本筋であり、それが結局は正解だろうと思う。

東電の場合は、今、どちらの状況だろうか。全体として、してはいけないことに踏み込んでしまい、もはや、どこまで行けばいいのか、はたして、今のやり方でいいのだろうかなどと迷いつつ、確信ももてないままに、現状態勢の維持の勢力が、問題に対処しているのではないだろうか。

展望がもてない状態で、しかも、さらに大きなリスクに気付きながら、あえて目をつぶっているような状況をみていると、為政者の責任は大きい。

小泉元首相が、原発で、本音をはきだした。今後の動きが注目されるところだが、彼の持ち込んだ非正規雇用が、どんなに罪悪をもたらしているか、彼は充分知っているのだろうか。


志ん朝と談志の「芝浜」

2013年10月28日 10時50分48秒 | 思考試行

インターネットの画面で、二人の独演会だろうか、たいへん長時間の「芝浜」を、昨日みた。さすがに、みごたえがあり、それぞれ、個性的で魅力的だった。

はなしの中味は、芝居でもみたし、よく知っているのだが、それぞれ、演出が違う。それでもはなしの中味は同じだから、贅沢なことだが、二人の芸風がまともに比較できる。

録画の時期が、志ん朝の方が、かなり若い時代のようで、談志の方は、もうかなり年をくっている時期だから、そのあたりも、みものであった。

志ん朝の芸は、爽やかで、まことに見やすい。談志が志ん朝の芸を高く評価していたというが、落語の芸としては、達人だろう。談志は、冒頭部分が、なんとも無茶苦茶で、いささか汚い感じがして、ちょっと我慢が必要であったが、さすがに、ラストの場面の熱の入りようは尋常ではなかった。天才なのだろう。

談志は、力を抜いてぬいてと、意気込んでいる感じがあったりする。形にとらわれず、工夫が随所にあって、この真似は、誰にもできない芸風である。長持ちする健康さ、という世界からは、明らかに外れているから、どこかで破綻するのでは、という危険な感じがある。そこが魅力なのかもしれない。

志ん朝は、表情、仕草もすばらしくて、こちらは、まことに健康である。崩れたところがなく、隙がない。といって、堅苦しさを感じさせない。テンポがいい。この人も天才なのだろうが、明らかに、努力の積み重ねがある。


権益を広げたいとする動きのなかで

2013年10月27日 14時52分57秒 | 思考試行

仕事なり、権力なり、人はとにかく争うのが好きなようだ。安倍さんも、彼が本当にリーダーなのかどうかはしらないが、秘密保護法であったり、原発ゼロでいくつもりはないようだし、弱者のために、本当に心を砕くという風ではない。権力の力を広げたいようだ。

取り戻すというのは、一昔前の、大東亜戦争以前に、日本を戻したいのだろうか。大東亜戦争は、瀬島龍三氏の「大東亜戦争の実相」を読む限りでは、誰かが、強引に戦争に引っ張ったという印象はない。

しかし、かの時代は、階層社会であり、弱者については、切り捨て御免の考え方であり、民主主義的な社会ではなく、いわば、誰もが、シンドい世界である。

主君がいて、家来はその命令のもと、動くという体制を残している。主君が本当の意志の体現者ではない場合もある。実は、周辺の力あるものの意向であり、ただ、形として、君子の意向というものになっていたりする。

いずれにしろ、計算された社会主義社会の理想が実現できていない人間社会の事情もあって、時代は、まだまだ混迷の時期にある。

どれがいいのか、何を目指すのか、それぞれ個人がしっかりと判断し、生きていくほかない。為政者が何をしようとしているか、よくよく観察しなければならない。

 

 


振り返ってみればいろいろチョンボもしたが・・・

2013年10月27日 14時32分44秒 | 思考試行

もはや、サラリーマンであれば、定年ということで、現役はとてもかなわないわけだが、自営業であれば、誰からも退職勧告はうけないので、ヅラヅラと仕事を続けるハメになっている。

それが、負担と思えるようになれば、直ちに引退しようとは思っているが、悲しいことに、忙しい仕事でもなく、ヒマといえば、ヒマな仕事だから、続けてきたといえる。

それでも、最近は、ミスが出てきそうなシーンも出てきた。幸い、手直しのきかない分野の仕事ではないが、時期をのがすと、少々面倒な事態になることもある。

特に、締切があって、請求すればでる補助金などがあって、この締切時期を失念すると賠償要求をされる可能性がある仕事もある。業界誌などみていると、この種の賠償金の支払いが、保険でなされている。

こういうところは、事故になりそうだな、というところは、必ずといっていいほど、誰かがやっている。油断していると、そういうドツボにはまることもある。

気を引き締めてやっているつもりでも、人間、ミスすることもあって、その時は、仕方がないが、やるべきことをキチンとやれば、その確率は少ないの事実である。

とにかくも、真面目に誠実に、現役を続けていこう。


仕事と遊び

2013年10月26日 09時03分19秒 | 思考試行

どちらも、人間活動には違いない。双方共に、面白いというのは最高だが、そうはいかない。仕事は辛くて、遊びは楽しい、というのが通常だろう。

辛いことがあるのは当然ながら、仕事は辛いばかりではない。そこには、他の人の役に立ち、そして、自らの生きる糧でもあり、人間活動の最も大事なものがある。

現役で、社会参加ができる喜びや、それ自体にある困難さからの、脱出の工夫、改善の可能性の追及、進歩の喜び、などなど、生きがいの根本を与えてくれるものである。

しかし、科学技術の進歩は、大いに、歪んだ、そして、思いもかけぬ方向へも、人間活動を変化させてきた。武器の進歩や、経済活動にそれがみられる。

コンピュータの操作一つで、多額の金銭取引が可能となり、一部の極端な富裕層がうまれるに至った。生産に携わる人にくらべて、その仕事の質や、労力の種類は、全然異なる。

仕事の多様さ、報酬、結局配分の不公平さが目立ってきている。このままでは、いかないだろうが、矛盾だらけの実態をかえたいものだ。

遊びもまた、大きく変化し、内容も変わってきた。それが、生活に当然ながら大きく影響してきている。遊びにはまりこんでしまった人の異常さは、悲惨である。

仕事といい、遊びといい、どこか本質を見失いつつある人間の実態を反映している。


権力の企み

2013年10月25日 10時12分52秒 | 思考試行

選挙で多数をとれば、権力は何を考えるか。自分の力の保持、維持である。秘密保護法など、露骨そのものであり、その意図を隠さない、最たるものである。憲法改正案にしても、国民の力を何とか割くべきと躍起である。

よくぞ、こんな政党に多数を持たせたものだ。この報いは、自分たちに帰ってくる。仕方がないことだが、次回の選挙では、こんなことのないようにしないといけない。

だが、一旦、力も持ったものは、簡単にはその座を譲るものではない。簡単ではないが、そのことは、腹に収めて、そのときを待つほかない。焦ってもいけない。

なにしろ、国民というのは、騙されやすく、学ばない。しかし、その底流には、存続のための知恵があり、本能もある。いつも、やみくもに自分本位ではない。自分本位であれば、つけこまれるのである。

庶民の良識に期待するほかないが、そのために、庶民の一人として、その一員として、少しであっても、そのタネを蒔き続けるしかない。

権力が、何を考えているか、これを見抜けないと、いつまでも、彼等の餌食になるしかないのである。もう餌になるのは、やめよう。


志ん朝の「文七元結」

2013年10月24日 08時43分54秒 | 思考試行

このはなしは、1時間を超える。インターネットで、偶然に発見して、見入ってしまった。人情噺であるが、泣かされてしまった。

志ん朝のはなしぶりは、きちんとしていて、スムースで、完全に中味の世界に引きずり込まれていた。いかにも、江戸っ子にありそうな噺である。

、「お金を投げつけて逃げてきた、・・・」それがわからない、の夫婦げんかの場面。ふんぎりをつけて最初に金をさしだすまでの葛藤の場面など。感動的な場面が続く。

こういう世界は、日本だけのことだろうか。人情噺のようなことは、世界にもあるはずだが、あまり、聞かない。だとすれば、もっと世界にひろげたいものだ。

昨日の時代祭のおとなりの人もいっていたが、べっぴんさんが来ますよ、などと言いながら、人間のせいで世界は滅びてしまうような気がしている、とも。

人間社会の異常な面が、誰の目にもはっきりしてきているなかで、こういう古典話のなかに、貴重な教訓がある。

こうしたはなしの考え方は、おそらく、世界では常識的ではないだろう。義理や人情、人間としての弱さ、そして強さなど、人間社会で起きる健全な物語が、こんなに感動的なのは、人間社会の大事にしなければならない世界、みんなが生存できる世界、を展望しうると思う。


時代祭にはまる

2013年10月23日 10時23分50秒 | 思考試行

先頭の近づく気配があって、ただ見の人々が立ち始める。我々夫婦も立ち上がる。めっせで会った赤い花笠をつけたおばさんたちが、列を組んでコースを悠然とおどり始めた。ずっと、稽古をつんでこられているのだろう。なれた、おちついた雰囲気である。後ろ姿の腰つきなど、一瞬、色気を感じたりする。

いよいよパトカーの先導があって、二頭の馬。若い警察官の男女が騎乗している。  新鮮!

人馬のハーモニー、御所からの行列の最終地点らしい雰囲気もある。

明治維新から、時代をさかのぼっていく、生きた時代絵巻である。地元山科にお住まいという右隣のお人は、常連で、親切にも次々と解説をしてくださる。写真が好きでと、多くの作品を見せてくださった。

カメラの同好会にはいり、趣味三昧のお暮らしのようだ。顔色もよく、当方より、10歳も年上といわれるが、腰が痛くて、何度かしゃがみこんだ当方とは違って、まったくお元気で、シャッターを切り続ける。

戦争時代のことや、平和の大事さ、自治体市長の評価などなど、始めて会ったとも思えないほど、話が深まる。これもまた、祭りの魅力だろう。

行列をみながら、人間の営みの不思議さに思いがいたる。わかい娘さんたちの扮する歴史上の女性達の綺麗さは当然ながら、子供からお年寄りまで、年代層もひろく、いやいやをしながら、歩く馬の表情、落馬してしまった武将、まわりの心配。乗り直しての拍手。くたびれた表情を隠せない子供。写真撮影のために、観衆からの声掛けに応えて、ポーズをとる武将と歓声。なごやかである。

帰り道、学生アルバイトから、パンフレットを買う。500円という。笑顔のすてきな学生。言葉の感じから、日本人ではないと思って聞くと、ヴェトナム人だという。その笑顔がすばらしかった。


時代祭をはじめて見た

2013年10月23日 08時27分18秒 | 思考試行

竹内栖鳳さんの絵画展が、22日から始まるというので、京都へ出かけたところ、通行止めにあい、みやこめっせに車を止める。

そこで、今日が時代祭の日だということを知った。昼食を、めっせで済ませて、近くの交番前あたりが見物しやすいということで、そこへ行くと、有料席が2000円とある。

行列の到着が、2時ごろとあって、有料席は空いている。後ろの空間には、立ち見ができるスペースが充分あり、そこで、待つことにした。そのうち、有料席が次々埋まっていく。

それでも、ただ見だからといって、格別不満がない。周囲をみると、簡便な折りたたみ椅子を持っている人や、小さな座布団をビニールにくるんで、用意周到な常連がいる。

寝屋川から来たという夫婦連れの人から、行列のコースなど教わる。なんと、この場所が時代祭のゴール地点の直近であることがわかった。

 


人類資金をみた

2013年10月22日 08時20分22秒 | 思考試行

この映画の言わんとするところが、はっきりしていて、そこが新しい。価値観的には、全く同感である。こういう主張は、どこかでされるべきだと思っていたが、ついに、映画になったかという印象である。

こうした価値観が広まれば、ルールも変わる。それこそ、今後の人類の方針が示されつつあることを示している。アメリカのティーパーティーグループの主張の真反対である。

どちらが、人類的に好ましいかは、自明である。これも今後の展開が注目される。次々と手練の作品がうまれることを期待する。

正しいことを正しいと、広言するときがきたのだろう。あちこちで、そんな動きが活発になることを期待する。

原発事故のいい点をあげれば、こうした人類資金が言わんとするような、今後の方針を真剣に考えなければならないことに直面したことだろう。

この問題から、目をそらして、都合のいいある種の階層の利益ばかりを図ることは、不可能になってきたということである。方向性が、明確になりつつあることである。


しっかりした仕事

2013年10月22日 08時06分51秒 | 思考試行

原発の放射能対策が、簡単にはすすんでいない。とても、アンダーコントロールとはいえない。それでも、世間はマスコミの作り出す、根拠のない楽観的な雰囲気にあるようだ。

ただちに、今後の方針を示して、いくことができないようだ。技術的に困難なことを、後回しにしてきたツケを、今払わされている。

新しいエネルギー源が、見つかったとか、いろんなニュースが出たが、その後続かない。そう簡単に使えるものではないということなのか。代替エネルギ-が、見つからないことも原発依存から抜け出せないことになっている。

それでも、これは、もう諦めて、方向転換するよりないと思う。地道に、行くべきであると思う。確信のもてない期待にすがることは、もうやめよう。

小泉元首相が、原発をゼロにと言い出している。彼は、自分が正しいと思えば、そう発言する人のようだが、今後に注目していきたい。

彼は、現役の総理大臣当時から、エロ話が好きでとか、変人といわれるだけあって、あまり禁欲的ではないようだ。

思い通りに、スパスパ行動するようであれば、彼の認識さえまともであれば、さらに、世の中に貢献できる仕事が可能である。過去に、スキャンダルがあろうと、そんなことに拘泥していても仕方がない。やれるときには、チャント仕事をすればいい。


変化のなかで

2013年10月21日 08時23分36秒 | 思考試行

我々は、いつも集中して考えているわけではない。次々と、生きている動物として、さまざまに変化しながら、周囲の状況に対応しながら、そのときどきの選択によって、何事かをなしながら、生きている。

ある日、突然の大変化も生じる。意識していなかった生、死の問題が降りかかる。そのことが、新たな意識状態を生む。

日々の生活のなかで、いつかその日が来るし、それは、誰にも避けることができない。その日に向けて、生きているかのようだが、それに気づくのは、生を受けてかなり時間がたってからのことが普通であり、突然のことが多いようだ。

それは、人によっても違う。ある人にとっては、強烈な事象も、他の人にとっては、何の変哲もないことの場合もある。

国や地域によっても、その大方の反応が違ったりする。歴史のなかでは、今からすれば、どうということでもないことで、激しい殺し合いをしたりすることもある。

徐々に、人間社会は変化している。どのように変化させていくのか、個々の意識もまた、その構成員であることを意識しながらすすめていくことになる。


表現

2013年10月20日 09時44分07秒 | 思考試行

芸術というのは、作者の何らかの思いを表現したものだと思うが、小説、詩、短歌、俳句など、文字で表現するもの、絵画、それはさまざまの表現方法がある。彫刻、そして、音楽。ほかにも人間の五感に対応する思いの伝達が、さまざまになされる。

音楽は、音楽でなければできない感情の襞までせまってくる。文字では表せない領域が、はっきりとある。感情の「香り」のようなものがあって、共感すれば、それは愛し合う二人にとっては、まるで、この世にあって、この世ではないという幸福感に包まれることだろう。

などと、戯言を言いたくなる。特にクラッシック音楽などは、そんな境地をよく表現している。音楽の分野も次々と、新しい表現が工夫される。音の世界というのは、感情に直接的な作用があるような気がする。まあ、これも単なる思いつきであるが。

しかし、音楽には具体性がない。明確な論理というものは、表現できない。そこは、文字の世界だろう。明確な論理を展開し、音楽や他の芸術ともコラボして、壮大なイメージ、展望を示せないものだろうか。今の世の中の矛盾を掘り起こし、来るべき将来を展望する論理とイメージである。