空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

どうせ生きても100年内外なのに

2018年02月26日 10時12分23秒 | 思考試行

当面の敵が現れると、権力者はこれと闘う。場合によっては、暗殺もありだ。北朝鮮の場合は、顕著である。中国、ロシアなど、も充分疑われる。指導者のご機嫌次第で、周辺はビクビクする。

日本はどうだろうか。明治以前は、当然のこと、先の大戦前には、いくらもあった。権力の邪魔になると思えば、弾圧もするし、そういう世論喚起もやる。

今はどうだろうか。使い捨ての労働環境をさらに、合法的に「充実」させようとしている。これこそ殺人的行為であり、弱者の命を大事にする気は、サラサラなく、そんなに野蛮さにおいて、かつてと変わりはないとみえる。

人類にとって、科学技術は進歩してきたものの、その使い方においては、相当に遅れているから、なまじ、そんな技術をもったことが、人類絶滅の現実性を顕にしている。

いまや、とんでもない大統領が選挙で選ばれるのだから、民主的手続きを経て、人類は一直線に奈落への道を驀進中のようにみえる。個々人は、大した期間を生きるわけでもなく、他者の命を奪ってまで、自己保存をはかっても、仕方がないと思うが、こうした貧しい価値観が人類全体を危機に直面させている。


誠実・協和・正義・他者尊重

2018年02月25日 09時51分00秒 | 思考試行

個人として、どういう信条で生きていくのか。件名にあげたようなことが念頭にあがる。自己利益追及が本音であるとは、どうしても思えない。

だが、社会は自己利益追及が本音であり、そうしていなければ、他者に食われるばかりで、自らの生存も危ういという実態である。

雇用者の都合のいいように、政権は、制度をかえてくる。どんなに悲惨な事例があっても、きれいごとの言い訳をして、労働者を使い捨てにして平気という制度の導入をはかっている。

カジノの導入、人間の欲望を見透かして、ビジネスとする。それによって起こる副作用よりも、彼らにとってのメリットがあるということであろうか。

だいたい人とは何かといえば、きれいごとではすまないのが実態である。競争しなくては配偶者も得られない。何事も競争になっている。先んじなければ、自らの描く人生設計は成り立たない。

どこかに、誰もが羨むような社会を実現できなければ、すべては絵空事である。人類はどうなっていくのだろう。


「楽園のカンヴァス」を読んだ

2018年02月24日 13時10分06秒 | 思考試行

原田マハさんの作品だが、美術をめぐって、これだけの作品ができるとは驚きだった。中盤から後半にいたっては、約束の時間に遅れそうになりながらも、読み続けてしまうほどであった。

恐らく、今まで、本を読んでいてこんなことになったことはなかった。まさに、エンターテインメントとしての小説の醍醐味を味わった。

小説は読まない、ノンフィクションは読む、という人がいるが、これは、もったいない話しである。事実から題材をとりながら、より深い世界が描かれているから、現実逃避とも違う。むしろ、現実を豊かにする作用がある。

そういう人は、それに気づいていないというか、そのような作品にであったことがないことを意味する。こうなると、作者との対話としての小説の面白さは、ノンフィクションでは得られない世界であって、知らないことはかわいそうなことである。

それにしても、この本は、人から紹介されて読むことになった。書店で見たとしても、自分からは買わないだろうと思う。多くの人がいて、こういう紹介を受けることから世界が広がる。人間素直にいろいろ聞いて体験することだなと思う。


パソコンのストライキにマイッタが克服

2018年02月23日 19時12分37秒 | 思考試行

業者に来てもらうも、うまく復帰できない。パソコンの部品かもとか、ちょっとピンボケ気味の話で、かなり長時間頑張ってくれたが結局は成功せず、出張費のみ支払った。成功報酬は払えない。相手も請求はしない。

もう一台のパソコンもあり、そちらへどうしても必要なソフトとデーターのリカバリーをはかる。パソコンが壊れた場合の対処を、ソフト会社のヘルプに聞く。これが、相当な手間がかかったものの、無事うまくいったものだから、業者のできなかった復帰に大胆に挑戦できた。

昨日はできなかった復元を、ちょっとそれらしい項目を変更して実行したところ、なんと復元できた。この機能のおかげで、データーもソフトもすべて無事となった。

なくしたものが出てきたような嬉しさがある。今後は、こういうことのないように、慎重にパソコン生活を送っていきたい。世の中どんな落とし穴があるかわからない。


生きているということは大変なことである。

2018年02月22日 15時57分33秒 | 思考試行

今生きて、何やかやとしていることは、ほんの僅かな期間である。生まれる前、そして死んだあとの時間は膨大であって、生きている期間など、とるにたりない。

だが、個人にとっては、かけがえのない期間であり、このわずかな期間を悔いなく生きたいものである。人生にとって、ツールは重要である。なかでもパソコンは、いろんな仕事をするために、特に有用である。今や、人生のなかで、得難い道具となっている。すばらしい記憶力、記録力、計算力、人生をどんなに豊かなものにしていることか。

だが、ひとたび、トラブルになれば、これが、また大変である。頼っているばかりに、使えないとなれば、その影響は甚大である。小生のパソコンが、突然おかしくなった。原因がなになのか。

悪意にみちた策略か、それとも、正義の力の発揮なのか、人の混乱するさまをみてうれしいと思う人の仕業か、なにがあるかわからず、その有用性ばかりをみていて、困った状態になったときの対策の不十分さを思い知らされる。


住所が変わるということ

2018年02月21日 17時04分13秒 | 思考試行

さまざまな手続きがあって、なかなか落ち着けない。今日は、不動産登記の住所変更へ行ってきたが、審査があって、すぐその場というわけにはいかない。2日ほど待たされる。それが何故必要かといえば、士業の住所変更に必須の要件となるからで、一発ですべてが変われば便利なのにと思わされる。

まだ、銀行、年金関係が残っている。それでも、おおどころが終われば、先がみえる。あとは、家の中の片付けだが、いよいよ業者をいれる段階まできた。

いっぺんに片付けなくてはならないということではなかったから、かえって、ダラダラしてしまった感がある。すっぱりと、片付けなくてはならないとしたら、もっと、違った形になっていたかもしれない。本にしても、当初はすべてを諦めるしかないと考えていたが、結局は、かなりの量を持ち出すことができ、結果として、今までは死蔵に近い感じだったのが、時に手に取る機会も増えている。

厳選して、持ち出しているので、そんな効果がでているのだが、あまりに持ち出す量が増えすぎると、結局は昔のように、死蔵ということになるかもしれない。「犠牲」も必要かもしれない。


やるべきことがやるべきことを呼ぶ

2018年02月19日 22時29分04秒 | 思考試行

おちついたと思っても、確定申告の時期ともなれば、やるべきことがでてくる。住所を変更しているから、不動産登記の変更を必要だし、それをしなければ、他の証明ができなくなるので、必須となる。法人を解散したので、税務署への書類の提出がまた新たに必要となるが、精算が済んでいない状態では、どうするのだろうか。友人に聞くと、精算の記憶がないという。官報に公告するとなると費用もかかるのだが、なんだかはっきりしない。

士業関係の手続きも必要だ。それぞれ、不動産登記書類など、関連書類が必要となって、住所の変更もあったから、その変更も必要だ。結局はもっとも基本のところから実行しなければならない。もつれた糸をほぐすように、一つずつ、解決していく。あれもこれも記録することが、基本だから仕方がないのだが、あちこち手を広げていると、終わりにすることも結構大変である。

やはり生活はシンプルにすることが一番だと思う。これから、どんどん整理していくわけだが、手順も大事で、どこが最初になるのか、そのためには、何が必要なのか、たどっていかなくてはならない。電話も簡単には繋がらなかったりして、しばらくはたいへんである。


だんだん片付いてきた

2018年02月18日 13時23分40秒 | 思考試行

少しずつ片付けをはじめて、徐々に、物事が整理されてきた。母がなくなり、もう一年になる。

一年かけて実行してきたわけだが、手続きのあれこれ、遺産の分割、登記など、仕事の整理、品物の整理、廃棄とやるべきことが、いくつもあって、そのひとつひとつが手順もあり、そう簡単にはいかない。

それでも、やらざるを得ないから、やれるところから着手し、少しずつ実行してきたものである。家を明け渡すつもりはなかったから、本を多く集めたことが、最終的には、もっとも決断しにくいものとなった。全部捨てるとならば簡単だが、パラパラと見てみると、どれもこれも未練がでてくる。

そのうち、ある俳人の「文学作品は、最初から終わりまで読む必要などない」の言葉をみて、より本の廃棄についての未練に拍車がかかった。

ちょっこと見るだけでも、未練がでてくる。そうなれば、できる限り、手元において置きたくなり、できるだけ、捨てない方向へと舵をきりなおした。庭に、物置を設置し、できるだけ廃棄しない方向を選択した。

以来、妻も結構本に触れることなり、この本を活かす暮らしになりそうで、これも引越しの余録だと思っている。


人が人として生きることのために

2018年02月18日 00時47分21秒 | 思考試行

人が人として生きていくためには、みんながちゃんとその場所があって、生きがいをもって生きていきたいものだ。映画「グレイテスト・ショウマン」は、悲惨な境遇から、ショーをビジネスとして、生きていく主人公の生き様を中心としながら、周囲の人々との、関係性、ふれあいを感動的に描いている。

ミュージカル仕立てで、随所に見事な歌唱力の歌手が登場するとともに、ストーリーも感動的である。人間の生きる道についての本質的な要素、助け合って生きていくことのすばらしさが、力強く表現されている。

家内は、今までみた映画のうちで一番ではないかという。見たのは、公開日の初日であったが、観客は座席を埋め尽くすというほどではなかった。今後どうなっていくか、評判が評判をよんで多くの人がみるようになればいいのだが、はたしてそうなるだろうか。

いまは、いろいろと、時間を潰す仕組み、道具がいろいろあって、映画など、いいものであっても、大きなヒットとならず、結果として、見逃してしまうことも多いのではないかと思う。残念なことだ。

それを知ることが、相対的に有利であるとか、不利であるとか、ビジネスとして、成功するとか、そんな観点で語られることが多い。人としての生きる道を問うような作品、人生を豊かにするような作品は、案外売れないかもしれない。人々がどんな反応をするのか、注視したいと思う。


人間としてどうしていればいいか

2018年02月17日 02時02分29秒 | 思考試行

人と人は、どうしても付き合わなくてはならない存在である。となれば、どう付き合うかということになる。

喧嘩しても、自己優位をめざすのか。それとも、自己利益追及ばかりではなく、他者利益を考えながら行動するのか、生き方によって、人の反応は違い、自らの生き方も変わる。

時代ということもある。他国との接触がない時代のなかでは、他国と競り合いとなり、戦争が起きている。

現代では、ビジネスとして、戦争を目指すものもいる可能性もある。他国を占領したり、植民地として、自国の有利になるような動きをした時代もあった。

そんな時代には、個人という意識や、価値観は、集団で事に当たらなければならないとして、弾圧の対象になる。そういう価値観の者は、見せしめにして、ひどい目にあわせるという事が当然の時代もあった。

時代の変化のなかで、価値観も変わる。人がどう生きるかの価値観は、相対的なものである。徐々に、あるいは、急速に世の中は変化している。インターネットにより、情報の流れは、画期的なものとなった。受けるばかりではなく、発信もできる。

なにも紙媒体を使わずとも、主張が可能だし、信条、意見、思想を述べることもできる。大量かどうかであるが、ひょっとして、大きな存在となりうる可能性もある。その情報が有益であり、知ることによって、心の安定が得られ、生きていく力が得られるのであれば、受け入れられ、そして活用されるであろう。

その情報がいくら有益であろうと、発信者が望まなければ、それは無報酬で行われることもあるだろう。発信者は、年金なり何らかの仕事をして、生活をすればいいのであって、ことさら、名誉であったり、富を求めたりしないで、情報による世の中への貢献を心がければいいのである。


芥川賞の一作品を読んだ

2018年02月15日 10時03分16秒 | 思考試行

「おらおらでひとりいぐも」を読んだ。主人公の女性の年齢が、ほぼ同年輩で、親近感を覚えると思いきや、当方は、明らかにもう少し若いという認識である。ただ、作家が60代の人であるから、そのように見えるのかという感慨がある。

主人公は、子供もいるし、孫もいる。しかし、寂しいという。こちとらは、子供はいないから、もっと寂しいわけで、老後の展望はそれこそなんにもなしだ。甥や姪を頼りにできないのはもちろんのこと、兄弟だって、他人の始まりだ。

一人暮らしではないから、今はまだいい。ひとりとなった時にどうなるのか、周囲をみれば、子なしの人もいるから、これからの生き様というのは、おたがい観察の対象である。

小説の主人公は、夫を亡くしたことが、たいへんなショックとなっている。だが、そこからの展望を見出している。配偶者の存在というのは、かなり大きいことが書かれている。有名人だって、奥さんに先立たれて、自殺している人もいる。さあて、どのように生きていこうか。


着実に片付けていく

2018年02月14日 15時33分41秒 | 思考試行

母親が亡くなって、はやくも一年になる。その間、相続や登記など、さまざまなことをやりつつ、自らの老後生活の準備もすすめてきた。

けっこうやることが多くて、忙しい思いをしてきたが、仕事の整理や、それに伴う挨拶などでは、要するに終活であることが実感させられた。ゆっくりした老後の暮らしができるかどうかにかかる準備ができるようになったこと自体が有り難く感じられる。

登記については、司法書士を頼まず、法務局の相談コーナーだけで、すますことができたのは、経費的に大きかった。名前を書くだけのことだが、前の登記に不備があったり、それなりにアクシデントがあって、展望がもてないような時期もあったりしたが、それなりに、うまく進んで無事登記することができた。

印紙代だけでも、かなり高額となり、弟妹の分も立替払いだから、この間に金銭感覚が変わった。細かいことは、もうどうでもよくなり、これも弟妹のためと割り切って、実行した。

結果は、弟妹それぞれの反応で、自分にはできないことをしてくれたということをはっきりと述べて、感謝してくれた者もいたが、まるで、あたりまえのことであるとする者、さらに自己都合の「進んだ要求」をする者もいた。

兄弟は、正に他人の始まりのようだ。

 

 


怒りっぽくなっているのはどちらか

2018年02月13日 17時10分31秒 | 思考試行

ひょっとして認知症の始まりだろうか。まあ、細かく観察しているとそうでもないし、大丈夫だと思うが、ちょっとしたこちらの言い方に気に食わないのか、最近突っかかってくる。

言い出すのは、家内のほうからで、こちらからではない。ちょっと不満があると、そこから発展して話しが飛び火したりする。これには手がつけられない。

心配か、干渉か、少しうるさい感がある。相手がひとりしかいないから、どうしても過干渉になりがちだが、こちらのやったことには、評価がない割に、自分の日常的な家事などに、評価がないと、突然の怒りが始まる。

ヒステリックな調子も気になる。そういうツンケンした環境というのは、なかったから、相手がそうなると対処のしようがない。

だいたいにおいて、喧嘩となれば、絶対に相手の言い分を聞こうとはしない。土俵を自分の方に引き込んでいく姿勢が貫徹している。柔軟とはいえない。くどいし、いささか扱いに困る。こちらが怒りっぽいというが、その発生を考えようとはしないようだ。どう対処したものか。


有益情報を知ろう。例、糖尿病の克服

2018年02月12日 01時06分25秒 | 思考試行

糖尿病だと言われ、投薬を受けたのだが、糖質制限の本を読んだことから、糖質制限の食事に切り替えた。結果は、血糖値は下がりHba1cは、正常値となった。投薬はなくなり、糖質さえとらなければ、正常人として暮らせるようになった。体重も適正なまま、変動しないし、体調もよくなった。

これは、完全に情報の力である。好みの問題もある。確かに米食はうまいし、安いのだが、糖質が体に良くないと解った以上、これを避けるほかない。大豆粉で作ったパンや、大豆粉のお好み焼きなど、工夫しながら、タンパク質、脂肪などの食事が中心となり、いままでとは全然違う食生活になって、すっかり、暮らし方が変わった。

性格も変わったかもしれない。ところが、この成果を、糖尿病の人などにすすめても、なかなかこの情報を生かす人がいない。すぐに実行した小生は、例外なのだろうか。すでに、出版もされインターネットなどでも、医師がサイトで勧めているし、糖質制限をするならば、透析などするまでにはならないと思われるのだが、全然知らない人がいる。

理論的にも納得できるし、実行するのは、それほど、難しいことはない。是非、調べて、納得して、実行してほしいものだ。


財布をなくし得たもの

2018年02月11日 11時37分58秒 | 思考試行

財布をなくした。落としたとも思うが、あるいはすられたのかもしれない。どちらにしても、届けを出しているが、もどってこないので、同じである。

なくして損ばかりだと思いきや、そうでもないと思い始めている。生活全般を考え直す機会となったし、手続きのなかで、世の中の仕組みに直接ふれることとなった。

あちこち連絡したり、生活のいい加減さぶりを思い知らされることとなり、反省材料がどっと押し寄せてきた。

まずは、財布の管理が意識的となり、場所を決め、チャックのしまるポケットにいれることとした。すべてについて、考える癖がついた。手順や段取りについて、意識的となった。

懸案だった課題に、取り組む意欲が出てきた。放置しないで、とるべき処置をすることの推進力となっている。これは、明らかに、財布事件のプラス効果である。

そして、財布の中には、不用なものもたくさん入っていたことにも気づいた。断捨離の実行にもつながってきた。いらないものはいらないのである。