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空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

「赤旗」を見て・・・相談相手を考える。

2007年12月31日 12時56分42秒 | 思考試行
しんぶん「赤旗」を見ていたら、生活保護をうけられなくて、もうダメという状態で、打ち切り寸前の携帯で、共産党にメールして、無事生活保護を受けることができた記事が出ていた。

どこの政党も、こういう相談があったら、親身に対応するのであろうか。この人は無所属の議員にも相談したらしいが、無理だといわれ、その前にもアチコチ相談していたのだが、万策つきて自殺まで考えていたという。

これは、おそらく相談を受けてくれた人が、どうであるかによって、うまくいくケースと、悲劇になってしまうケースがあるのではないかと思う。保守の人であっても、当然する人はすると思う。

一般に、共産党は貧しさからの脱却とか、搾取だとか、平和であるとか主張している。ここへ相談すると、うまくいくケースは多いと思う。

社民党も同様な姿勢をみせるが、その内実はどうも真剣さにかけているように見える。真面目さとか、が違うように思うのである。日常的に活動しているとは思えない。ただ、アイデアとか、パフォーマンスは上手である。ただし、反共がそのそこにある。

リベラルな立場で考えると、真面目な共産党を評価せざるを得ないと思うのだが、これを評価しない、あるいは、ニクニクしいアカ攻撃をする連中というのは、基本的な人間性に問題があるように思う。

いいものはいい。悪いものは悪いのである。どういう基準にするのかが問題ではあるが。

風の方向を変える。

2007年12月31日 12時33分33秒 | 思考試行
隣に新築の家ができ、風のながれが変わり、相当強い風が昨日から吹き込んでくる。猫用に、小さな出入り口を設けてあるのだが、そこから吹き込んでくる風のいきおいが半端ではない。

妻と義母が、寝ている部屋のガラス戸の音がすごかったという。そこで、今日は早速、風の出入りを治めるべく、午前中かけて、今まで細工していた。細工といっても、物置の木っ端や、ビニール紐などを使ってやるので、安直な仕事であるが、それでも、少しは効果があった。ついでに、ガタがきている部分を、ビニール紐で補修していく。

すこしづつ強度が増える感じがあって、それなりに、仕事の成果が明らかで、こういうことも、たまにするのはいいことだと思った。

今朝は、久しぶりに新聞を丁寧に読んでみた。これも、新発見がある。福田政権になって、憲法解釈を急速に変えようとしていた雰囲気が、なくなって来た経過が、日経でわかった。いつまで、続くか解らないけれども、この方向は望ましいことであると思う。これも、風の方向を変えるということになる。

戦争から平和へ、風を変えよう。

許せない人。

2007年12月30日 17時34分31秒 | 思考試行
許せない人はどういう人だろうか。

平和を乱して、戦争を起こすことを可とする者。

戦争を利用して、財産を作ろうとするもの。

派閥、国、民族、宗派など、セクトの利益のためには、犠牲を厭わないもの。

他人を利用し、踏みつけにしても、自己のためには構わないという考えの者。

地球上のすべての状況を把握しようとしながら、行動の選択をする者を弾圧したり、排除する者。



環境問題だ。保険会社のムダ。

2007年12月30日 10時17分09秒 | 思考試行
昨日は大童で、仕事を片付けた。集中すればかなり進むもので、思いのほかはかどった。
仕事といっても、郵送するための文書作りである。簡単ではあるが、下準備がいる。いわゆる段取りである。パソコンで送り状を作成して、とか、連絡して基礎的情報を集めた上でとか、直ちに、仕事に取り掛かれないものが多く、そうなると仕事が後回しになってしまったり、進まないのである。

というのも、保険会社関係の事務が、相当増えたことが大きい。保険会社は、処分を受けた後、責任回避を計ったとしか思えないような、契約確認シートの取り付けの仕事を増やし、そのため、代理店の負担は大幅に増えた。

資源の無駄ともいえるこのやり方は、真に顧客のことを考えているのかどうか、疑問である。
一日限りのスポット契約で、すでに行事はすみ、契約の効果、役割がすんだものでも、シートがないということで、シートの取り付けを保険会社は要求してくる。契約者は、もう用はないのに、保険会社は、自分の都合だけで、これを要求してくる。代理店は、仕方なくお願いしなければならない。そこには、顧客のことなど、何も考えてはいない。

だいたい、保険会社の申し込み用紙というのは、頻繁に変更する。そして、変更後は、以前の用紙で取り付けたものは、取り直しとなる。大量の紙資源が無駄になるのだ。環境問題からいっても、たいへんな無駄をしている。国もなんとかしなければならない課題だと思う。

自己本位というのは、本当に品が悪く、しかも、みんな横並びで、個性のある会社がないのが問題である。こういう馬鹿なことを辞めたという会社があれば、ただちに乗り換えるのだが。

ブログの楽しみ。

2007年12月29日 10時42分06秒 | 思考試行
新規投稿したときと、しないときでは、アクセス数がはっきり違う。見事なまでにその数が変化する。この貧しい記述を待ってくれている人がいるのだろうか。それとも、ただ、更新されたというだけで、自動的にサーチするような仕掛けがあって、その所為で変動するのだろうか。

どうも機械的な感じが否めない。あまりに、数字的にバラツキが少ないのである。そして、新たな試みをやってみると、ほぼ、仮定したような結果がでる。

生活の中で、結果が似たようなことになるのは、不思議といえば不思議である。小売店などの売り上げも、シーズンとか気候とかの具合で変化するけれども、ある程度の幅があって、とんでもない変化というのは、ないようである。だいたい似たりよったりの結果になるらしい。

それが、こんなブログのアクセス数にも、現れてくる。もう一年がたって、技術的にはなんの進歩もないが、継続してくると、それなりの習熟もあった。自分だけの関心を対象にして、誰の思惑も考慮しないで、何がしかのことを書く行為は、けっこう楽しいものがある。

誰に頼まれたわけでもなく、儲かるわけでもない。しかし、言いたいことがいえるのは、いい時代といえる。変な行動、腹立たしいこと、告発すべきことなど、いろんな情報が暴露され、それが、卑怯な連中の行動抑制になれば、それはすばらしいことである。

サイデンステッカーと文藝春秋

2007年12月29日 09時31分38秒 | 思考試行
文藝春秋の11月号を読んでいたら、サイデンステッカーの記事がでていた。蓋棺録というコーナーで、なくなった人の、業績などが紹介されている。
 
川端康成のノーベル賞受賞により、「雪国」の翻訳家として、一躍有名になったという、サイデンステッカーは、戦争が嫌で、日本語学科を選択、そして、戦後日本に駐留軍にいたとき、日本人の勤勉さにふれて、研究するにたる国と考え、日本研究の勉学をはじめたという。

その後、日本とアメリカに交互に住んだ時期もあるが、日本の下町の魅力にかてないとして、日本で住んでいたという。

ドラマをみるような気がした。日本文化のよさは、よく言われる勤勉さとか、礼儀のこととか、あるが、特に宗教における独特の寛容さというか、国際的にうまくやっていけるいい加減さがあると思う。

こうしたことを、国際的にも、知ってもらいたいものだ。その意味で、かくまで日本に魅力を感じてくれたサイデンステッカーの生涯がもっと知りたくなった。

文藝春秋は、時折購読するのだが、すばらしい雑誌である。日本の文化がここには溢れていて、刺激があたえられ、また癒しがあり、共感がある。いい仕事をしている人びとが登場してくる。そして、この雑誌の存在自体が、日本の誇る文化であると思う。

共生のために。

2007年12月27日 09時13分35秒 | 思考試行
人間の業績は、なんだったんだろうか。

数学、文学、物理、化学、機械、音楽、映像、演劇、農業、水産、・・・なんと多くの分野で、進歩してきたことだろうか。

歴史は、宗教が幅をきかせて、「魔女」として、たくさんの人びとが処刑されたり十字軍戦争、やパレスチナにおける宗教を対立の根源に抱えた悲劇を明らかにしている。

理屈ですべて解決できれば、これは簡単なことだろう。おそらく、理屈ではうまくいかないことが多いのだろう。では、なにが解決の手段になりうるのだろうか。理屈をこえて、共生できる条件とは、なんであろうか。

原爆を落として、「戦争をはやく終わらせるため」と、反省もなくイイウルその神経が解決の可能性をつんでいると思う。他に何かなかったのだろうか。と考え直してみる態度が何故とれないか。すんでしまったことは、確定しているけれども、可能性としては、いくつモノ方法、道があったのは当然である。

その可能性には、徹底して目をふさぎ、その立場に固執する。そこに、改善の芽をつむ、原因がある。


こころもちのこと。

2007年12月26日 16時50分30秒 | 思考試行
感謝している人をみると、こちらまで気持ちが良い。逆に、文句や恨み言をきかされると、共感できる場合はいいが、ハナシが、独善的であれば、不愉快になる。しかし、これは役にたつ。宝物が詰まっている場合が多い。他人はどんなときに怒るのか。その人の、人となりが理解できるようなきがする。

キレイゴトをきかされるよりは、真実の声であるから、判断がし易い。感謝しているふりだったりしたら最悪である。騙しがあるから、要注意。さんざん手をあわされて、お礼を言われていたのが、ちょっとした事で、怒鳴ってくる。

どちらが本質かは、かなり前からわかっていたが、ひょっとして、自分だけは違うのかと思っていたら、なんのことはない、同様に、利用する対象としてしか、みられていなかった。彼を、なんとか、いい方向になどと考えていたのが、ふっとばされてしまった。

オオモメする前に、はっきりしたから、よかったし、内心いつまでも付き合うのはカナワンナと思っていたから、まさに、おあつらえ向きの出来事であった。有難くサヨナラをさせていただいた。もう無理はしたくない。これがトシだろうか。

人を思いやる心を、みせてもらうと、最近は涙もろくて、辛抱がきかない。自分に対してというだけではなく、他人同士での風景であっても、同様である。尿も辛抱がきかず、待ったなしになるので、同じ液体とはいえ、まさか共通しているわけでもないだろうが、最近の生理現象の特徴である。

感動した話しなどは、しているだけで、怪しくなるので、うっかり話し始めるとノドのあたりからこみあげてきたりするから、要注意である。これも、トシということだろうか。

ちりとてちん・・・から。

2007年12月24日 11時24分26秒 | 思考試行
ちりとてちんの朝ドラが楽しみで、8時11分にテレビの前にすわる。一門会が無事始まった。若狭の演技がいい。こんな落語家がいたら、間違いなく人気がでるだろう。

一門とそれをとりまく近所の人びと、そして家族。今、本当の家族や、親しい人びととの付き合いのよさを知らない人が増えているような気がする。

人間的であることは、大仕事である。儲けだけを主眼において、人に迷惑をかけることなど眼中にない、といった連中がはびこる世の中は、多くの害毒にさらされることとなる。

いくら信仰深いフリをしても、その思想の根源が健康でなければ、いい仕事はできない。

広く人間を研究して、どういうスタイルで共生していくのか、真剣に考えなくてはならない時代である。

哲学が今こそ求められている。キリスト教、イスラム、仏教、・・・科学技術の成果、すべてを動員して、人間のあるべき共生のスタイルを研究すべきである。
自分の立場ばかり、主張するのではなく、ひろく、虚心坦懐に考え直すという姿勢が求められている。

国境なき医師団に寄付することにした。

2007年12月18日 16時53分29秒 | 思考試行
国境なき医師団から、寄付を募る封書がきた。一日50円、とか100円とか、また随時の寄付も募っている。

この種の募金は、他にもある。相当の寄付金が集まるのだろうか。ユニセフにも若干の寄付をしているが、医師団からは、記憶にない。

今度はじめて寄付することにした。一日50円としても、月には1500円、年ではその12倍、継続してするわけだから、総額にすれば、かなりの額になる。

いままで、継続して、このような寄付をする機会があまりなかった。ほとんどがいかがわしいものを感じ、少し見ただけで、何かしらヘンなものを見つけて、無視してきた。大体は、集めたお金を、その趣旨どおりに使っていないと思われる。着服しているのである。かわいそうな人のためとか、何とか言って、うそばかりである。

しかしながら、今回は、それが、感じられなかった。する他ないと思った。こういうものは、結局数である。国民全部がとか、世界中で、とか言えば、一億の人が協力すれば、一日50億円集まるわけだから、それは、大変な力となる。

実態はわからないが、数の力は、お金だけでもない。善意の力が増えてくれば、悪意の連中は安閑とはしておれないはずであるが、そうはならないというのは、人間社会は、善意がまだ負けているということだろう。

さらに、おおくの人が参加するならば、事業体としても、力を持てることだが、恐らくは、困難な状況ではないだろうか。

各種の寄付金制度を、網羅してその分配がうまくいくならば、世界から、飢えや戦争や、テロだってなくなるに違いない。

たくさんのお金を使って、安全のためと称して、武器を作って、ビジネスにするようなことが、非難されずに堂々と行われているようでは、キリストさんだって、嘆いているに違いない。

新しい境地。

2007年12月17日 17時24分31秒 | 思考試行
アスベストに肺が侵されていると、告知された人がいる。いずれは、肺がんになるかもしれないと言われたという。

健康診断で、画像が変だから、専門の病院で診てもらえと言われ、専門病院の医師にそのように言われた。

一見元気そうだが、それを聞いてからは、整理をどうするか、とか、死ぬ前が苦しいときくので、今から心配であるとか、同居している親族のための法的手続きとか、今から名義変更をしておいたらどうか、とかさまざまに悩んでおられる。

今まで、何にも考えていなかったのに、本当に人生なにがあるか解らないと実感をこめて、言われる。

そして、マザーテレサのことを言われる。彼女が死ぬときには、本当に、少しの着替えだけで、見事に何もなかったという。

死ぬということを、前提に考えると、何もいらないのだと考えるようになったという。   

そうだと思う。欲を出しても仕方がないし、何にもいらないのだと、急に大変なことを宣告されて、最初はショックであったに違いないが、確実に新しい境地を開拓されたようである。

今まで、独身でこられたし、長い知り合いだが、格別のお付き合いをしている方もおられない様子だし、健康で平穏な暮らしをしてこられていた。

人間みんな死ぬ。その状況はみんな違うのだけれども、そういう事態を迎えて、新たな境地を迎えるのかもしれない。


ヤカラをやっつけろ。痛快な「望郷の道」

2007年12月16日 10時33分37秒 | 思考試行
日経新聞の朝刊に連載されている「望郷の道」は、小気味よく、ファンである。北方謙三さんという作家はよく知らないが、いい作品を書かれるのだなあ、という感想をもっている。

筋を通したり、卑怯なヤカラを完膚なきまで叩き潰す。それは、痛快である。

今の世相はどうだ。ヤカラと政府が組んでいるのではないか。裏ではグズグズと田中森一元検事さんもいっている。

庶民の一人ひとりが、こういう小説を読んでどう思うか。ヤカラの皆さんは、そうやって、自分のことばかり考えて、ヨクボケ生活を続けてくれ。おそらく素晴らしい人生だろうよ。

それにしても、管理社会のなかで、世のため人のため、の精神がなくなれば、世の中闇である。闇はかなわんから、必ず光を求める人びとが登場する。そうなれば、闇に蠢いていたヤカラの皆さんは恥ずかしい姿をさらすことになる。

子々孫々、この世に生を享けたことを、真に喜べるようになるように、真面目に取り組もうではないか。

セコク生きるのも人生だろうが、若者達をクイモノにして、平気な事業主、こういう連中には、まったく虫唾が走る。自分は安全地帯にいて、さらに、蓄財に励む。どうにかして、こういう連中には、鉄槌を下さないといけない。

トラックバック、コメントを「検閲」する。

2007年12月14日 11時59分13秒 | 思考試行
トラックバックは、もうやり方も忘れてしまったが、わがブログにもときどきしてくれる方がいる。大半は、広告的なものや、女性とどうしたこうした、みたいなモノが、圧倒的におおく、あまりにもそういう類のものが多くなったので、当方で公開するかどうか、選別することにしている。

そうすると、ほとんど公開できるものがなくなってしまった。真面目な、あるいは健康的なもの、などと線引きをしたりする。

何か、それがきっかけで、変な方向に人を導くお手伝いをしてしまうのは嫌なので、そうしたのだが、それは、それとして、何かちょっとした検閲官になったみたいで、自分の価値観の検証も必要だなと感じる。

あまり、偏狭ではね、とも思う。

なにもかも、判断できるかどうかは、当然疑問であり、エラそうに検閲などしてはならないと思うが、書き手がふざけた感じであると、どうもすぐ反感を覚えるらしい。これは、小生の弱点だなと思う。

しかし、なにもかも受け入れる積りはないし、拒否すべきは拒否しようとも思う。このブログは、誰からも公開に関して干渉されることがないのだから、これは有難いことであり、その立場を、主張を守るためには、戦う相手は、明確であり、そういう相手を利する行動はしたくない、のである。

裁判官の世界を垣間見る。

2007年12月13日 14時47分07秒 | 思考試行
裁判官の世界を、暴露したような本が出ている。これを読むと、かなり特殊な密室世界である。本人の意識としては、相当のエリート意識がある反面、タテマエとは違って、ガンジガラメに管理されているようである。世間との付き合いも、目立たないようにしている。常識では計れないところもありそうだ。

3年ほど前まで、海外旅行へ行くのも、上司の許可を必要としていたという。それも年末年始、夏休み、連休などに限られていて、娘の結婚式でハワイへ行くというのも、許可されなかった。それでも、あまり問題にならなかったという。問題にならないところが「問題」である。

判決内容や、判決にいたるプロセスにも、問題がある。人間のすることだから、問題があって、当然ではあるのだが、それでも、厳正に法律の定めるところというより、他の要因が実は裁判内容に影響があるようなのだ。

転勤が多く、人事の評価など、かなり、前近代的な要素があって、そうしたことが裁判官の仕事に影響しているというのだ。

このたびの裁判員制度の導入にあたって、こうした密室社会に風を吹き込むというような理解もあるようだが、エリートの専門家意識を相手に素人が、対抗できるのかどうかは、不明ではあるが、民主主義の原則が徹底されるかどうか、注目しなければならない。

国家意識の涵養であったり、変な方向へ行かないように、監視が必要である。特に裁判員の選定にあたって、弁護士や司法書士など、法律を職業にしている者は、外されており、また、個人情報の収集が国家規模でされることになっていることも、支配、被支配の意識が明確であり、注意しなければならないと思う。

権力者の生態。日本史に学ぶ。

2007年12月11日 10時08分36秒 | 思考試行
簡単な仕事から始めて、手のかかるものを後回しにしていたら、次々と仕事がでてきて、なかなか着手できないでいる。

やはり、仕事を追い詰め、サッサと片付けるペースに持ち込まないとと思うのだけれども、ことはそううまくはいかない。

そのなかで、寝る前と、朝目覚めたときに、読書を入れるとこれがけっこうはかどる。

それは、仕事ではないから、一見余裕とみえるのであるが、実は仕事のことを忘れる、気分転換ということになる。

それが、存外面白い。日本史の参考書を、後ろから読み始めたのだが、明治維新のところは、断片的にはなんとなく知っていたが、体系的にみると、知らないことがどんどん出てくる。

民主主義というのは、大変な道程が必要であることがよく解る。

放っておくと、権力者は、すぐ自分の都合のいいほうに動く生き物であり、国民のことは、道具であり、管理対象物にすぎない、と考えていることが明らかである。

薩摩と長州が、交互に政権をたらいまわしにしながら、権力争いを展開する。

今、こういった歴史があまり語られることがないのは、どういうことだろうか。

そんなに時間を要することでもない。一読しておくと、世の中を眺めるのに、必ず役に立つと思う。